玉稿激論集

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箕輪厚介のセクハラ騒動について

とても古い話題だけど、標記の件について(←最近覚えた言い回し)今更ながら思うところを書いてみる。

 

数々のヒット作の編集を手掛け、自身も「死ぬこと以外かすり傷」などの著者をもつ「天才編集者」箕輪厚介が自らが編集を担当する本の女性ライターにセクハラをしていたことが、文春砲により明らかになったことで、騒動となった件だ。

 

報じられていることが事実だとすれば、箕輪の行動は軽率だし、浅はかだし、愚かだし、同情の余地は一点もない。怒りを覚えた人もたくさんいるだろう。

 

多くのスキャンダルを目にしたときと同じように、僕も「アホやな」とか「クズやな」と思いながら、この騒動を眺めていた。ただ今回は別の感情もあった。

 

「なんだか残念だなあ」と思ってしまったのだ。なぜか。

 

渡部のことは別に嫌いではないし、面白いと思っていたけれど、今般の不倫騒動を知って、「残念だ」とは思わなかった。僕は箕輪に何を期待していたのだろうか。そう、恥ずかしながら僕は箕輪に何かを期待していたのだ。

 

若くして注目される作家というのは今までに何人か見てきた記憶がある。でも、若くして注目される編集者、というよりも世間の耳目を集める編集者を見たのは、初めてだった。だから柄にもなく(韻踏んだ)、斜陽産業となった出版界にもこんな人がいるのだなあと感心してしまったのである。そこからYouTubeで箕輪が出ている動画も何個か見たが、話している内容もなかなか面白かったので、さらに好感を持つようになった。かと言って、彼が編集を手がけた『メモの魔力』を読みはしなかったが(←こういうことをわざわざ書くのが自分の性格の悪さだ。←こういう言い訳をわざわざするのが自分の歯切れの悪さだ。←いちいちこんなことまで書くのが…以下永遠に続くので略)。

 

何というか、超絶大袈裟に言うと、僕は箕輪がこれからの時代の旗手の一人となって、新たなるサービスや価値を生み出していくのではないかと期待してしまったのである。

 

だから今回の騒動で落胆したのだ。新たなる価値観を生み出していくはずの男が、なんとも古くさい前時代的な手法でセクハラをしていたということに。結局お前もそっち側の人間だったのかと。

 

今をときめくキングコング 西野の騒動を受けてのツイートもひどかった。こんなの。

 

《箕輪さんに文春砲が炸裂。 その中で、「絶対 変なことしない」という【迫り文句】がバッシングの対象の一つになっていますが、 そのセリフだけなら過去に2万回ぐらい(ちょうど2万回)使ったことがあるので、今回はノーコメントを貫くことにしている。》

 

僕もノーコメントを貫くことにする。虚しくなるだけだから。

 

結局令和もこういう奴らが栄える時代になるのだろうか。長い戦いになりそうだ。