玉稿激論集

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安倍政権の総括

会見の前から予想していた通り、総理が辞任した。大方の予想が外れて(?)、私の予想が当たった格好だ。

 

内田樹氏がTwitterで、総理が辞任したときに備えて、新聞社から寄稿依頼を受けていたことを明かしたのが8月26日のこと。そこから私は総理辞任にベットしていた。

 

辞任前夜の段階で、官房長官が「総理は来年9月まで任期を全うする」と話したという記事も出ていたが、私は予想を変えなかった。「これからもコロナ対策を精一杯やっていきます」と言うためだけに、久方ぶりに記者会見を開くなんてことがあり得るのか、少し考えてみればわかるというものだ。「決めたわ、俺、体調悪いけど、もうちょい頑張ってみるわ」なんて総理から言われたら、関西人ではない私の口からだって「知らんがな」が出てしまう。

 

そんなわけで、いい機会だから、ここらで第二次安倍政権の総括をしてみることにする。

 

これまで安倍政権の動向を逐一チェックしていたわけではないので、専門的なことは書けない。第一、専門的な視点から安倍政権を論じている文章など、インターネットの海に無数に転がっているので、今更私が書く必要もないだろう。私は無党派層を自覚している一人の市民として、この8年間を振り返ることで「政治」なるものに多少なりとも向き合ってみたいのだ。思いつくままに書くので、時系列や事実関係があやふやかもしれないが、ご容赦願いたい。

 

というか、まず断っておきたいが、私はこの8年間ほとんど政治に興味を示さなかった。投票もろくに行かなかったし、テレビのニュース番組も実家に帰ったときに見るぐらいのものだった。子供の頃は、「太田総理」や「たかじんのそこまで言って委員会」をしばしば見たり、うだうだと不祥事の釈明をする政治家に腹を立てる程度には、政治に興味があったというのにだ。一体私に何があったのだろう。

 

やはり、年を経るなかで、いろんな人や物に影響を受けて、自分や自分と関係のある事柄にしか関心を持たなくなったというのは、大きいと思う。一度こういう考えに染まってしまうと、政治など本当にどうでもよくなる。報道される政治ニュースのほぼ全てが、自分に直接的な影響を及ぼさないとなると、そんなものにわざわざかかずらっていることに意味を見出せなくなるのだ。

 

ただ、無関心でいられるというのは、幸運なことともいえる。もし私が東日本大震災の被災地や米軍基地建設予定地の近くに暮らしていたら、そうはいかないだろう。今コロナ禍で大打撃を受けている飲食店を経営していたとしても、ある程度政治に関心を持たざるを得ないだろう。そこでは、どのような政策が決定されるかが生活と密接に結びついているのだから。いや、もしかすると、そんな状況であったとしても、政治というのはどこか自分からは程遠いところで行われている営みであり、それが自分に直接影響するということを実感するのは難しいかもしれない。どうなのだろう。

 

何でも人のせいにしてしまう者の一人としては、政治から目を逸らしていた理由として、この国の空気についても触れておかねばならない。思うに、この国には、どのような政治的主張をもっているのかというフェーズのずっとずっと前の段階で、そもそも「政治について語るのか」という段階がある。「政治の話と宗教の話(あと関西ではプロ野球の話)はしない」というマナーを多くの人が内面化していることで、ある種の心地良さがこの国に生まれているのは、事実だとしても、「政治を語るとかダサいわ笑」みたいな態度をとる人が多いことが、今日の腐敗を生み出した可能性も否定できないだろう。

 

今「腐敗」という言葉を使った。これは一つの政治的態度の表明に他ならない。上では自分のことを無党派層などと言っておきながら、実際のところ、私も現政権に対して思うところは少なからずあった。国有地の値下げに伴う文書改竄問題が取り沙汰されたときには、「それはあかんやろ」と思ったし、関与させられた職員が自殺したと聞いて、人並みに胸が痛んだ。閣議決定だけで憲法の解釈を変えたときも「その手があったか」と驚くと同時に、平均的な憤りを感じた。でも、だからといって、SNS政治的主張を開陳することもなければ、反政府デモに参加することもなく、選挙で自分の意志を投票することもなかった。私が何をしても変わらないだろうという諦観とともに、ただ座して眺めていた。

 

このような「どれだけ反対しても、選挙になったらどうせまた安倍さんが勝つのだから、何を言っても無駄でしょ」と私が思っていること自体、安倍政権支持者の思う壺だろう。私みたいな者が多数を占めている限り、彼らは安泰なのだから。

 

でも一体、どうしたら政治に興味を持てるようになるのだろう。総理が辞任したところで、私の日常は変わらない。朝起きて、歯を磨き、出勤して、退勤する。たまには飲みに行くが、基本的には一人でYouTubeを見ながらコンビニ飯を食って、眠くなったら寝る。何も変わっていないし、依然としてそこに「政治」が入り込む余地はない。

 

働いているとよく、「上は現場のことを全然わかっていない」と愚痴をこぼす人がいる。でもふと思う。現場とはどこなのかと。すべての場所が当人たちにとっては現場なのではないかと。組織は様々な事情を抱える無数の現場から成っている。そのような組織のなかで、最も大きなものの一つが国だろう。そんな巨大なものが誤った方に向かっているとして、何ができるのかと自分の無力さを感じてしまうのは無理もないと思う。

 

それでも政治に対して思うことがあり、変わってほしいならば、やはり政治にコミットするしかない。コミットすると言っても、私の場合それはデモに参加することでもなければ、六三四の剣のかっちゃみたいにゲバ棒を振り回すことでもなければ、盛んに政治的主張をつぶやくことでもない。とりあえず投票に行くことだ。面倒くさがらず、「選挙に出るようなやつには投票したくない」、「俺の一票では結果は何も変わらない」などとは言わずにだ。なんとも平明な結論だが。

 

安倍さんが辞めるとなって書き始めてから、ここまで来るのに結構時間がかかってしまった。辞任の予想が当たったことによるアゲアゲな気分だけで政治を語ることができるという、当初の思惑は外れてしまった。

 

まあ、ともあれ一つの時代が終わったのだ。冴えない日々が続くが、テンションを上げていこう。