玉稿激論集

玉稿をやっています。

恐怖の電話

何かわからないことがあれば、電話して聞いたらいいじゃないという人がままいる。

 

マリーアントワネットかよと思う。

 

電話をかけるというのは、全ての手が封じられ、八方塞がりになったときの最終手段だ。

 

僕は電話をかけるのも、受けるのも大の苦手だ。言いたいことをしっかりと整理しないと、電話をかけてもしどろもどろになってしまうし、見ず知らずの人に通話口からいきなり「聞きたいことあんねんけど」などと、タメ口で話しかけられると、硬直してしまう。

 

最近期間限定で配属された部署で、座った席がたまたま電話の隣なので、電話をとる機会が増えた。

 

社内の人からだったら安心する。角のない「お疲れ様です」に胸を撫で下ろす。外部の人からだったら緊張する。外部の人というのは往々にして、僕が会社の全てを知っている前提で話を進める。話を聞きながら、「あ、これは違う部署にかけてもらうことやな」と思っても、止まらない。もちろんこっちから話を遮ることもできない。相手が一通り話し終えた後で、「あの、そういったことでしたら、専門でご相談を受け付けております部署がありますので、そちらの電話番号を申し上げますので」と「ますので」を連発した回答をし、受話器を置いた後に反省する。そんなことがよくある。

 

その点、Windowsのオペレーターはすごい。

 

先日、会社のパソコンのリカバリー作業をしていて、途中でWindowsに電話をかける段階があった。本来なら自動音声サービスに従って1とか2を押していったら終わるのだけど、どこでしくじったのか、Windowsのオペレーターに電話を繋がれた。自動音声サービスのわかりやすさに人間がもつ温かみが加わった説明により、僕が抱えていた問題は瞬く間に解決された。

 

でもWindowsのオペレーターを見習ったぐらいでは、電話の恐怖は終わらない。通話口から聞こえてくるのは日本語とは限らないからだ。

 

「Hello?」と言われ、「Hello?」と返す。また「Hello?」と言われる。僕ももちろん「Hello?」と返す。ここまでくると、もはやofficial髭男dismだ。何度でも言うよ、Hello。

 

外部に電話をかけるとき、通話の記録を作成しなければならないことがある。最初は面倒だなと思っていたけれど、しどろもどろになってしまう自分にとっては、むしろ好都合だということに気がついた。電話をかける前にあらかじめ自分の台詞、つまり当方の用件を通話記録書に書いておくのだ。先方と電話がつながったら、記録書を音読すればいい(ついに、「当方」とか「先方」とか言う歳になってしまった、悲しい)。

 

ただ、もちろんここにも罠はある。用件に気を取られてしまうあまり、名前も名乗らず「台本」を読み始めたりなんかすると、最悪だ。慌てて「あ、申し遅れました。私、〇〇の××課の〜と申します」と言うのだが、言いにくい会社名なうえに、僕は滑舌が悪く、しかも吃音まであるから、大惨事になってしまう。電波越しに先方の困惑が伝わってくる。

 

三島由紀夫の代表作『金閣寺』で、主人公の「私」が吃音のことを「自分と世界の間に鍵がかかっている感覚」と言っていた。言い得て妙かどうかは別として、かっこよく表現してくれて、感謝している。ちなみに、以前ググったところによると、吃音の原因は精神的なものらしく、治すには周囲のサポートが必須とのことだった。世界には是非とも僕をサポートしてもらいたい。

 

さっき、社内の人からの電話だったら安心すると書いたけど、例外があるのを忘れていた。偉い人からの電話だ。ときどき、何を血迷ったか僕の部署に偉い人から電話がかかってくる。初めて偉い人からの電話をとったとき、「〇〇です。××さん(僕の上司)いますか」と言われて、僕は「すみません、もう一度よろしいですか」と返してしまった。「〇〇です」。今度は3パーセントの怒りが込められた声が返ってきた。僕は猛スピードで頭の中のタウンページをめくり、そこで気付いた。「あ、偉い人や」と。これはもちろん僕の失態だが、偉い人も偉い人でどうかと思う。「会社でナンバースリーの〇〇です」とか言ってくれたらいいのに。人よりも努力して偉い人になったのだから、自信を持ってほしい。

 

ここまで読んだら、もうお気づきだと思うが、僕は会社に一人はいる仕事ができない奴だ。何事もそつなくこなすということができない。自分の能力の低さや不器用さについては、稿を改めて論じるかもしれない。

 

まあ、嘆いたところで何も始まらない。とりあえず土日しっかり休もう。