玉稿激論集

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酒、頭痛、眠り

大量の頭痛薬を飲む夢から覚めると、頭の痛みはすっかり治まっていた。寝ぼけた頭にプラシーボ効果という言葉が思い浮かぶ。効果のない錠剤でも医者に効くと言われて処方されると、そういうものなのかと思い込み、いつの間にか病気が治っているという、あれだ。夢の中での俺は、口の中に頭痛薬を入れたかどうかわからなくなってしまっており、何個も何個も錠剤をプチプチと開けては口に突っ込み、大量の水でそれを体内に流し込んでいた。現実の世界で酒を飲んで頭痛を感じていたことがトリガーとなって、夢の中でも頭痛を引き起こし、夢の中で頭痛薬を服用すると、現実で感じていた頭痛が治まった格好だ。人生はうまくできている。

 

携帯を見ると、午前3時過ぎだった。あと3時間は寝ることができる。枕元の水で喉を潤してから、再び目を閉じる。水が胃に沁み渡り、どういう経路を辿ったのかはわからないが、膀胱に到達し、申し訳程度の尿意を催すが、無視して眠り続ける。深く、深く、意識が遠のくまで。潜水士が海と一体化するように。

 

酒、頭痛、眠り。密接に関わり合う3つの概念。出発点はいつも酒だ。

 

⑴酒

振り返ると、大学入学以来、ほとんど毎日欠かすことなく酒を飲んできた。飲み会の記憶はそこまで多くない。家で一人で飲んだ回数の方が圧倒的に多い。

 

毎日飲んでいると、自分が酒が好きなのかどうかもあやふやになってくる。歯を磨いたり、洗濯をしたりする感覚とあまり変わらない感覚で、帰り道のセブンでビールを一本買う。こんな話をすると、「毎日ビールを飲むんだったら、スーパーで6本セット買えばいいのに」とか言ってくる人もいる。「そっちの方が安くすむじゃん」と。その通りだ。あまりにも正しい。しかし、その正しさの先にあるのは、スーパーのしょぼい冷蔵庫で冷やされたビールのような生ぬるい幸せだ。彼が本来持つ刺激がない。

 

コンビニのビールは一本217円。スーパーで安いときに買ったら、6本セットは1100円ぐらいで買える。だから確かに毎日飲むのであれば、6本セットの方が安くつく。でも、財布から酒なんかのために千円札を出すときの心理的負担はいかばかりか。要するに、合理性を超えたところにも我々の生活は成り立つのだ。僕がこういう不合理な考えをするようになったのは、決して酒の飲み過ぎのためではない。

 

酒に弱い方ではないと思う。飲み会などで多く飲んだ翌朝は、会話の断片の記憶が辿れないことこそあれど、「どうやって家に帰ったか覚えてない」といった経験はない。酒癖だって悪くないはずだ、多分、いや絶対。でも、もちろんいくら飲んでも大丈夫ということでもない。酒量が増えると、足がふらついてくる。指先にアルコールが浸透していく感じがする。百薬の長などとほざく向きもあるが、体内に毒が回っている感覚だ。毎日飲んでいる僕の身体には毒が回り切っているだろう。そしてそれはいつの日か僕にとどめをさすことになるかもしれない。何もかもがもう手遅れだ。

 

まあ、おそらく、とてつもなく広義のアル中予備軍ではあるのだろう。でも、強がりも込めて言わせてもらいたい。酒なんかいつでもやめられる。

 

アルコール同様、一人暮らしを始めて以来ほぼ毎日摂取していたものがある。袋菓子だ。食事を済ませてもなんとなく物足りなくて、袋菓子を開ける生活を長らく続けてきた。袋菓子はうまい。本当に美味い。人間の欲望に忠実に作られたそれを食べると、脳髄をキックされたような気がする。「お前、こういうの好きなんだろ」という悪魔の囁き。「はい、好きです、すみません」いとも簡単に屈服してしまう自分。情けない。

 

ただ、ここのところ、健康志向が高まっているので、思い切って袋菓子を断ってみた。全然余裕だ。何らの問題もない。だから酒だっていつでもやめられるのだ。

 

⑵頭痛

もともと多い方だったとは思うけど、酒を飲み始めてから頭痛薬を服用する機会は一気に増えた。頭痛薬は効く。ときに劇的に。飲み下した瞬間に頭痛が治まったことだってある。

 

頭痛には根がある。その根がどんなにか細いものであっても、一度張ったらなかなか自然にはとれない。寝て起きてもなんとなくすっきりしない何かが残っている。種を蒔くのはたいていの場合、酒だ。

 

アルコールは口から摂取し、食道を通って胃に到達する。そこに頭が登場する場面はない。だのになぜ僕は度々頭痛に苛まれるのだろう。血液にアルコールが混じりそれが脳に達するから?科学はそんな答えを与えてくるだろうが、まるで現実感がない。何もかもから独立した痛み。頭痛がひどいとき、とある小説の登場人物がこめかみを指しながら言った「本当の地獄はここにあるんですよ」という台詞が思い出される。

 

本当の地獄は頭の中にある。まさにその通りだと思う。振り返ると、どうしようもない人生を送ってきた。恥の記憶も数知れない。それはなんの脈絡もなく僕を襲う。駅までの道を歩いているとき。会社でコーヒーを飲みながら一休みしているとき。全てをかき消すため僕は叫びたい衝動に駆られる。でも、そんな必要はないのだ。周りから見たら、一人の男が歩いているだけだ。コーヒーを飲んでいるだけだ。彼らが僕の地獄を知らないことは、大きな慰めになる。

 

⑶眠り

中学生の頃、学校の方針で毎日3行日記を書いて担任に提出しなければならなかった。3行しかないのに、いつも書くのに難儀していた記憶がある。別に担任に自分のプライベートを教えることに抵抗を感じていたわけではない。単純に何も考えず日々を過ごしていたからだ。

 

クラスの中には毎日凝った内容の日記を書いている奴もいたが、僕の日記はほぼ全部、いや、全部「今日は」から始まるつまらないものだった。でも一つだけ、書いた内容を鮮明に思い出せる日記がある。

 

定期テストが終わった日、僕は「今日は疲れていたので、家に帰って2時間昼寝をした。起きてもまだ眠たかったので、読書をしながらまた2時間寝た。夕食後もテレビを見ながら1時間寝た。人生の3分の1は睡眠だと改めて思った」みたいなことを書いた。担任からは「寝過ぎです。生活のリズムが崩れますよ」のようなコメントが残されていたと思う。

 

当時は本当に泥のように眠ることができた。夜寝たら翌朝まで一度も目が覚めることはなかったし、目覚まし時計がけたたましく鳴っているのに、気づかずに寝過ごすこともしばしばあった。

 

最近は夜寝ると朝起きるまでに必ず一回は目が覚める。尿意を催していることはあまりない。単純に目が覚めてしまうのだ。そんなとき、暗闇の中でひたすらネガティブな考えが頭を渦巻く。過去、現在、未来の全てが暗いものに思われる。工事中の道路と同様に、頭の中の地獄は夜間に整備され、堅牢になるのだ。

 

酒によっても深い眠りはもたらされない。むしろ、酒を飲んだときこそ、眠りに落ちてもすぐに目が覚める。酒は僕を眠りの海へ誘ってくれるが、千鳥足の僕はその海の深くに潜ることができず、いつまでも浅瀬を徘徊している。

 

⑷まとめ

酒、頭痛、眠り。常にその3つがセットになっているわけではない。酒を飲まなくても頭が痛くなることはあるし、酒を飲んでも頭は痛くならず、目が冴えることだってある。必要条件とか十分条件みたいな話をしたいけど、寝起きの頭には骨が折れる仕事だ。

 

あーだるい。今日も1日が始まる。