玉稿激論集

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立川断酒

ここのところ、アルコールを摂取する機会を減らしている。「酒なんかいつでもやめられる」と息巻いている自分が、実際にアルコールを抜いたときにどうなるのか知りたかったからだ。あと、世論が高まってきたというのもある。

 

久方ぶりにいつものセブンで酒を買わなかった夜、俺はコンビニの冷蔵庫の前でしばし立ち尽くしていた。いつも買う星マークのデザインのビール。世界一スタイリッシュで優れた意匠。◯番搾りとは大違いだ。その缶の裏側には「◯番搾り麦汁だけで作ったから◯番搾り。おいしいに決まってます」などと御託が並べてある。マジでうるせえ。まあうまいからいいか。

 

酒を買わないと決めているその日の俺の心には、複雑な思いが去来する。いや、複雑ではない。シンプルに「飲みてえ」という思い。別に三井寿が「安西先生、バスケがしたいです…」と泣き崩れたときほど切実ではない。ただ、空っぽなはずの自分の内側から、じんわりとその思いは湧き上がってくる。重症だろうか。俺は鯖の塩焼きと野菜スティックとレジ袋だけを買ってコンビニを出た。

 

これまでほとんど毎日酒を飲んできたのには、もちろん理由がある。酒は飯とよく合うからだ。唐揚げにしろ、焼肉にしろ、寿司にしろ、おいしいものには糖質が含まれている。つまり甘い。だから苦味を含んだビールや日本酒がよく合うのだ。まあ、要するに、甘いスイーツとブラックコーヒーがよく合うのと理屈は同じだ。ちなみに、余談だけど、俺は飯のときはテレビを消す。見るとしても野球中継ぐらいだ。テレビは往々にして飯が不味くなる情報や映像を垂れ流す。俺はなんというか、そういうところに案外敏感なのだ。飯を食っているときに野生動物の映像など見たくないし、塩辛いものを食っているときにケーキが目に入るのもできることなら避けたいのだ。本当に余談だな。

 

家で酒を飲むうえで、自分なりに決めているルールがある。酒を備蓄しないことだ。要するに、スーパーでビールの6本セットを買わないということだ。なぜか。

 

俺の中で、悪事に手を染めたくないという強い思いと、自分がいつかまかり間違って悪事に手を染めてしまうのではないかという恐怖が、同居している。スーパーに手ぶらで買い物に行くのもそのことが関係していると思う。エコバックを持たないのは、面倒だからというのももちろんあるけれど、自分がうっかりとち狂って万引きをしてしまう可能性を限りなくゼロに近づけたいからだ。酒をその日に飲む分しか買わないのも、朝起きて冷蔵庫にビールが冷えていたら、出勤前に飲んでしまう可能性が生じるからだ。別に会社まで車で行くわけじゃないし、ビールを一本飲んだところで、仕事に支障は出ないと思うが、一般社会のルールに照らし合わせると、始業前に酒を飲むのがあまり良いことではないことぐらい、俺にだってわかる。

 

1日酒を断ってみると、その次の日も酒を断ちたくなる。これは、酒を飲まない方が体の調子がいいからなどといった健全な理由のためではない。俺には何でも連続しているものに価値を置く傾向があるのだ。イチローメジャーリーグ で10年連続で200本安打を達成し、新記録を打ち立てたときは歓喜したし、記録が途切れたときは落胆した。天皇家が2000年以上にわたって血統を継承してしているという嘘か本当かわからない話を聞かされると、天皇家が今後も存続してほしいという気持ちがいくばくか湧いた。それと同じことだ。だから、逆にいうと、酒を飲み始めると、知らぬ間に連続飲酒の記録を作ろうとしてしまうのかもしれない。義務感に駆られた飲酒。なんとも愚かしい話だ。

 

ただ、俺には自分が人生を破滅させるまで酒を飲むことはないという確信がある。理由は単純で、そんな度胸がないからだ。坂上忍メッセンジャー黒田と対談したときに、「どれだけ酒を飲んでも、死んだ親父みたいにクズになりきれない。その意味で自分は親父を超えられない」みたいなことを言っていたように、クズになるのもたやすいことではないのだ。クズになりきることと、チキンレースでアクセルを全開にすることはよく似ている。俺たちはたいてい、チキンレースになると、先にブレーキを踏む。そうすることで命拾いする。でも、ごく稀にブレーキをかけず、アクセルを踏み切ることが奏功する場合がある。闇に降り立った天才アカギが、ブレーキをかけなかったことで逆に助かり、キューバ危機のときのケネディ大統領がソ連とのチキンレースで日和らなかったことで、世界が核戦争に突入するのを防いだように。

 

歴史に名を残している文豪の中には、酒で身を滅ぼした人もそこそこいると思う。リミッターを外して自分にブレーキをかけず酒を飲みまくることが、歴史に名を残す文豪になることの必要条件なのか十分条件なのかはわからないし、酒が彼らの創造性の源になっていたのかも不明だ。でも、これだけは言える。彼らと違って才能がない者には、自ら破滅への道を選択する資格などないと。優れた創造性を発揮もせず、人様に迷惑だけかける権利など誰にもないのだ。

 

だから何の才能もない俺には破滅への道を選択する資格はない、みたいな自虐をするのは、もう飽きた。ブログの中まで予防線を張り巡らせる必要はないだろう。これはもちろん、酒で人生を破滅させます宣言では決してない。ただ、俺のことを1番知っている俺が、俺のことを、もしあるとするならば俺の才能を、他の誰よりも信じて応援しなければならないのだ。俺は俺に何度でも言う。頑張れ俺、加油俺と。