玉稿激論集

玉稿をやっています。

誰よりも速く

(1)よくわからない導入から本題へ

 

もんがまえの漢字は、うまいことできていると思う。

 

門という字は、神社の鳥居のように見える。内部と外部の境界線。その門から映し出される世界を、もんがまえの漢字は巧みに表現している。

 

陽が昇るときや沈むとき、門の向こうの地平線に太陽が見える。それをそのまま表したのが、「間」だ。門と彼方の地平線のあいだを移ろう夕日(もしくは朝日)がありありと想像できる、絵画のような漢字だ。

 

門の外側に誰かがいるのかどうかはわからないけれど、気配だけが感じられる。かすかに何かの物音が聞こえる。その様子を古の先人は「闇」と書き表した。

 

みたいなテキトーな話をしている者に対して、「じゃあこのもんがまえの漢字はどうなんだよ」と、もんがまえの漢字を羅列して尋ねたくなる向きもあるだろう。しかし、我々がぱっと思いつくもんがまえの漢字というのは存外少なく、「閃はどう説明するん?」ぐらいの質問が関の山になる(まあ、「問」も「関」も「もんがまえ」なのだが)。

 

学者が画期的なアイデアを思いつくのは屋外と相場が決まっている。ニュートンがずっと部屋に閉じこもっていたら、木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見することはなかっただろうし、西田幾太郎だって後に「哲学の道」と名付けられたエリアを散策するなかで、巨大な思想体系を構築していったはずだ、多分。

 

外に出たことで頭の中が整理された経験は僕にもある。些末なことで頭がパンクしそうなとき、外を出歩くと不思議と打開策が思い浮かんだりする。そう、人は門の外においてこそ、妙案をひらめくのだ。その様子を古の先人は「閃」と書き表したわけだ。

 

帰宅後に走る生活を続けている。走っていて、歴史に残る物理法則や哲学理論をひらめくことはないけれど、自分の考えがうまい具合にまとまることがある。頭の中のいくつかのほつれが点となり、それらが線で結ばれていく感じ。なんだか嬉しくなる。

 

走ることの効用はそれだけではない。

 

日々を徒然なるままに過ごしていたとしても、生きている以上何も思わないことはない。他人の何気ない一言に意外と傷ついたり、自分のふとした言動が誰かを不快にしたかななどと思い悩むことがたまにある。そういうことを思い始めると何も手につかなくなる、なんてことはないけど、どこかに「引っかかり」は感じている。

 

走っているとどういうわけか、この「引っかかり」にいい意味で諦めがつく。「まあ、いっか」「まあ、仕方ないよな」と思える。家でだらだらしているときには抱けなかった感情だ。他人の何気ない言動にいちいち落ち込んでいたらきりがないことに気づく。自分の言動にしたってそうだ。日常生活において、平均的には他人に気を使っている自覚はあるけれど、別に必要以上にそうしているわけではない。そんな自分の言動を不快に感じたり、怪訝に思う人がいた場合に、もはや僕にできることはほとんど残されていないのではないだろうか。言うなれば、ベストを尽くしたのだから、後は野となれ山となれだ。

 

アンタッチャブルザキヤマは、ロンハーの隠し撮り企画で「悩むことはあるか」と問われて、「ない」と答えたあと、理由をこんな風に語っていた。「何か失敗したときに、あの時こうすればよかったなというのが思い浮かんだのなら、次からはそうすればいいし、解決策が思い浮かばなかったなら、もうこれは自分にはできないことなんだって諦めるしかないじゃん」。天才芸人は何とも平明な結論に至っている。そして僕はなぜか、走ることによって、このことを文字通り身をもって感じられるのだ。

 

(2)尾崎豊とスピードの追求

 

調子に乗ってペースを上げすぎた結果、ふくらはぎが爆発して激痛を味わったあの日以来、のろのろと走るように心がけている。他人に追い抜かれることもしばしばだ。別に何も思わなかった、ここ最近までは。

 

「思わなかった」と過去形を用いたのには、理由がある。走ることが習慣化してくると、どうしても速さを求める気持ちが生じてしまう。自分を追い抜いていくランナーに追いすがりたいと思う。もっとスピードを上げられるという自信も少しはある。ふくらはぎが爆発しないよう細心の注意を払いながら、僕は少しペースを上げてみる。視界を通り過ぎていく風景のスピードがわずかに速まった気がする。

 

「速さ」とか「スピード」について思いを巡らせていると、やはり尾崎豊のことを考えてしまう。

 

尾崎豊ほど、その人生において速さを強く意識した人もなかなかいないだろう。彼はライブのエンディングでFreeze moonを歌い切った後、「もっと速く、もっともっと輝くまで、俺たちは走り続けていかなければ」と客席に向かって叫ぶ。僕はその映像を見るたびに思ったものだ。「なんでそんなに速く走りたかったのだろう、別にそんなに急がなくてもよかったじゃないか」と。でも、全速力で人生を駆け抜け終わらせたことが、尾崎豊の魅力の一つであるように感じてしまう自分もいる。

 

尾崎豊が夭折したこと自体は、本当に残念で嘆かわしいことだが、彼が老いて50代を迎えている姿などは全く想像がつかないのもまた事実だ。「もしこうだったら」という可能世界の存在を許さない、それ自体で完全かつ完璧に完結した生涯。その輝きのなんと眩しいことか。

 

(3)まとめ的な

 

「もっと速く走りたい」と思う。できることなら誰も追いつけないぐらいのスピードで。まあ、これはもちろん生き急ぎたいといった類の話ではない。日々のランニングにおいての話だ。冴えない毎日を送っているけれど、生き急ぐほど人生は悪いものではない。

 

いつの間にか、尾崎豊が亡くなったときの年齢を超えていた。ロックスターの中には、彼と同じくらいの年齢でこの世を去った者が他にも数人いると聞く。ロックスターじゃない僕は明日も明後日も生き続けなければならない。もっと輝くまで。