玉稿激論集

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銃が教えてくれたこと

ついに24シリーズを全部見終わった。1シーズン24話(シーズン9と10は12話)が10シーズンとスピンオフの映画が1本あったから、全部で217話。いやー、面白かった。控え目に言って、全シーズンの全話に満足している。これからどうやって暇を潰そうか。

 

連邦捜査官(federal agent)のジャック・バウアーが一日中休まず働いて、アメリカをテロリストから守る話。それが24だ。とにかく展開が早く、何がどうなっているのか一瞬わからなくなることもあるが、それだけテンポがいいからこそ、飽き性の自分でも退屈せず見ることができたのだと思う。

 

2001年9月11日の同時多発テロは、世界を大きく変えてしまった。恐怖に慄く人々は、現実から目を逸らして、ファンタジーに救いを求めたし、テロリストの蛮行に怒る人々は、現実を直視して、戦いに備えた。ハリーポッターの映画の一作目が公開されたのは、2001年の12月で、24のシーズン1が放送されたのは、同年11月というのは、象徴的だ。映像作品の分野においても、空想と現実が真っ二つに分かれたのだ。

 

みたいな話を漫画家の山田玲司がしていたから、文章に厚みをもたせるために書いておいた。僕の意見ではない。大体、極東に住む僕にとっては、24もほとんどファンタジーだ。24で起こるようなことは、本邦ではまず起こらない。そのことが僕を安心させてくれる。

 

以前は暗い夜道を歩いているときに、背後からガタイのいい男が近づいてくると、若干の恐怖を感じていた。いきなり殴りかかられたりしたらどうしようかと。でも、最近は「24じゃあるまいし」と自分の中の不安を一笑に付せるようになった。要人でもない僕を拉致するほど世間も暇ではない。それにこの国は平和だ。多分今のところは。 

 

この国と彼の国の違いとして、彼の国が銃社会であることは、いくら強調しても強調しすぎではないだろう。小耳に挟んだことだが、日本の警官は、退職するまで一度も現場で発砲しない者が大多数を占めるらしい。一方、アメリカでは事情は異なる。銃を乱射した犯人が駆けつけた警官により射殺されたなんてニュースは、日本で暮らしている我々にだってしばしば伝わる。そう、彼の国の警官は発砲するのだ。さもなければ自分が撃たれるのだから。

 

「銃を抜いたからには命を懸けろよ」「そいつは脅しの道具じゃねェ」というのは、ワンピースの第1巻でシャンクスが放つセリフだが、24の世界の住人は、シャンクスほど肝が据わっているわけもなく、誰かを脅すときに銃を構えることがままある。でも、彼らだって何の覚悟もなしに相手に銃を向けることはない(「命を懸けているのか」と言われれば微妙なところだけど)。何せ指に力を込めるだけで人を殺せる代物を手にしているのだから。

 

銃は本当に強い。ゆえに、それを向ける者と向けられる者の間には、明確な力関係が生まれる。どんなに屈強な男でも、銃を構えた子どもの前では無力だ。

 

もし銃を向けられたら、どうしたらいいだろうか。死にたくないのなら、一にも二にも相手の指示に黙って従わねばならない。手の平を見せて抵抗する意志がないことを示して跪き、手を頭の上で組む。自分も銃を持っているのなら、ゆっくりとそれを床に置き、相手がいる方向へ蹴る。まあ、これぐらいは誰でもできるだろう。より大事なのは、相手の顔から目を逸らさないことだ。決して取り乱すことなく、自分を殺そうとしている者の顔を(できれば目を)じっと見据える。彼が本当に君を殺す気なら、耐えきれず君に後ろを向くよう命じるだろうが、この命令には従ってはならない。「撃つなら私の目を見て撃て」。今度はこっちが命令する番だ。この命令を忠実に実行できる者は少ない。目は口ほどに、いや口以上に物を言うからだ、「撃つな、殺すな」と。

 

24を見ていて意外だったのは、死にたくないのは無辜の市民もテロリストも同じだということだ。死を恐れていないように見えるテロリストも銃を向けられると、その目で生への渇望を訴える。それは別に、彼らなりの「大義」を達せずに死ぬことがやりきれないからだけではない。何よりもただ単純に死にたくないからだ。引き金に指をかけた者の意志に生死が左右されるときになってはじめて、月並みな表現しかできないところの「命のありがたみ」がわかる。なんとも皮肉なことだが。

 

しかし、どれだけ命乞いをしても、引き金を引く者はいる。特に注意すべきは素人だ。銃を使い慣れていない一般人が怒りに我を失い、情報を握っているテロリストの一味を撃ち殺し、ジャックの仕事が増えるのは24の鉄板の流れだ。風物詩といってもいい。24において銃があることで解決した厄介事と、銃があることで生じた厄介事のどちらが多いのかについては、識者の見解を待つほかないが、一視聴者の僕が何度も「銃さえなければ」という感想を抱いたのは事実だ。銃があるとマジで思ったようにいかない。人間の行動には不確定要素があまりにも多いのに対し、弾丸はほぼ確実に貫かれる者の命を絶つ。そして、このアンバランスがジャックを、事件を、歴史を、突き動かす。

 

たった数ミリの鉄の塊に撃ち抜かれるだけで、その活動を永久に停止してしまうような「乗り物」。それが我々の身体だ。あまりにも脆い。銃が発明された世界線で生きているにもかかわらず、平和ボケしている僕はこの至極当然なことを忘れていた。

 

なんかやっぱり夜道には気をつけた方がいい気がしてきたな。