玉稿激論集

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友情 其の壱(fiction)

女と話しているときに、野球をやっていたと言うと、大抵の場合、その場が静まり返る。別にスベッたわけではない。この国の女の多くは、野球と全く無縁のまま人生を過ごしている以上、仲間内で野球をやっている者がいたなんてこともないから、元野球部の同性が目の前にいることがわかると、そのいささかトリッキーな事態の展開に思わず二の句が継げなくなってしまうのだ。でも、「あ、そうなんだ…」と相槌を打ってから押し黙るぐらいならまだいい。ひどいのになると、聞いてもないのに「わたし全然野球のこと知らないんだよね」などと自己の野球に対する無関心を開陳したりする。わたしはテキトーに話を切り上げてその場を立ち去る。対面のコミュニケーションはこういうとき本当に面倒だ。LINEだったら、かわいいキャラクターがぺこりとお辞儀をしているスタンプを一つ送ればそれで済む。日本にまだいるとされているへんな生きものの愛らしいスタンプ。けどそれは「金輪際お前とはコミュニケーションをしない」という意思表示だ、言い過ぎかもしれないが。まあいずれにせよ、野球に興味のない女に、送りバントやら犠牲フライやらインフィールドフライやらフィルダースチョイスについて説明しても時間の無駄だ。同じようなことを関西の漫才師も言っていた。曰く、「女は何度説明してもオフサイドを理解せえへん」と。男の、しかも関西人がそんな偏見を語ると、とてもとげがある。でもわたしは関西人じゃないし、女だから、少しぐらい女に対する偏見を口にしたっていい。

 

自分で言うのもなんだが、野球は上手い方だったと思う。小学校の頃は自分以外男子ばかりのチームで4番を任されていたし、全国大会にも出場した。あの頃はどんな球でも打てる気がしていた。野球の神様と呼ばれている川上哲治みたく、「ボールが止まって見える」なんてことはなかったけど、本当に調子がいいときはバットがボールを捉える瞬間が見えた。テレビのプロ野球中継を見て、わたしも将来はあそこに行くんだろうと、割と本気で考えていた。

でも、男子たちと対等以上のプレーができていたのも、中学生の初めの頃ぐらいまでで、中学校を卒業する頃になると、小学生の時分歯牙にもかけていなかった奴が投げるボールにも力負けするようになってしまった。わたしの身体が中学生で成長するのをほとんどやめた一方で、男子たちは変な薬でも飲んだのかと思うほど、みるみるその体躯をたくましくしていた。技術で負けていなかった分、パワーとスピードで押し切られるのが余計に悲しかった。奴らが羨ましかった。もちろん男になりたかったわけではない。なんかむさ苦しそうだし。わたしは女のままで男に混じってプレーしても見劣りしないぐらいの身体能力を切に求めた、叶わぬ願いとは知りながらも。

 

男に対して嫌悪感を抱くようになったのも、大体この頃からだ。わたしの気分とは裏腹に女らしくなっていく身体をチームメイトや大人たちは明らかにいやらしい目をして眺めるようになった。彼らはわたしがその視線に気づいていないとでも思っていたのだろうか。まさか思っていないだろう。仮に万が一そう思っていたとしたら、あまりに滑稽だし、あまりに頭が悪い。

小さい頃から野球チームという男が多いコミュニティで育ってきたからわかったことなのだが、男というのは本当に陰湿だし、残酷な生き物だ。女の比ではない。障害を持った子が練習に参加していたときなんて、酷かった。彼の使っているグラブをリーダー格の男が触れる。この時点で、彼の手の平には「穢れ」がついていることになる。途端に鬼ごっこが始まる。こんなとき、奴らは本当に楽しそうだ。何というか、遺伝子レベルで楽しんでいる感じ。太古の昔から、ハンディキャップを背負った他者を見下していじめることに細胞ひとつひとつが快感を覚えるようインプットされた生き物にわたしは嫌悪と畏怖を抱いた。

奴らは女のわたしがいることもお構いなく、毎日のように女の話をした。それは「誰々はゴリラみたいな顔をしている」などといった幼い悪口から次第に、「誰々とならヤレる、誰々は無理」みたいなおぞましさを伴った品評に変わっていった。一体何様のつもりなのか、鏡で自分の顔をまじまじと見つめてほしい。勘違いしてほしくないが、わたしは奴らのことが嫌いだったわけではない。チームメイトとしては頼もしかったし、皆それぞれに優しい一面を持ち合わせていた。ただ、一度悪い面を知ってしまうと、そこにどうしても超えられない隔たりを感じるようになってしまう。そして、その思いは、年頃になってそんな奴らと付き合い始めた女たちへの嫌悪にもつながった。

男のことも女のことも嫌悪しているわたしの周りにそうそう人は寄り付かなかった。当然のことだ。でも、いくつかの忘れられない出会いがある。(続く)