玉稿激論集

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友の門出に際して

 中高の同級生だったSが結婚するらしい。実にめでたい。
 何年も全く動いていなかった剣道部の同級生LINEグループに結婚の報告が上がったのは、去年の11月末。特段驚天動地の事態でもなく、僕も他の皆と同様、型通りの祝いの言葉を述べたのだが、先日Sから結婚式の招待状が届いてみると、やはり様々な感懐を抱く仕儀となった。
 右肘に消えない痣がある。Sとの稽古中についたものだ。息詰まる間合いの攻防の中、一瞬のスキを見つけ振り下ろした僕の竹刀は辛くも阻まれ、勢いそのままに体当たりした刹那、身体が宙に舞った。僕の身体についた勢いを上手に利用したのだろうか。今となっては詳細は定かではないが、特段ガタイのいいわけでもないSが(おそらく)大した力を込めずに僕をふっ飛ばしたのだ。この展開に驚いたのはSも同様で、道場の床に背中を打ちつけて仰向けになっている僕にすぐさま駆けつけてきた。
「大丈夫?」
立ち上がりながら頷いた僕を見て、安堵の表情を浮かべているのが防具越しにもわかった。するうち拍子木が鳴らされ、その日の練習が終わった。
 床に倒れたときにできた痣。痛みはとうの昔に過ぎ去っているが、つねると今でも微かに疼く。
 などと言うと、僕とSに何らかの因縁めいたものがあるように捉えられる向きもあるかもしれないが、まるでそんなことはない。少なくとも僕にとっては、Sは数少ない友人の一人だった。仲の良かった剣道部の同級生連中の中でも、特にSとはよく遊んだ記憶がある。放課後2人で野球観戦に行き、夜遅くまで我が広島東洋カープの負け試合を眺めたこともあったし、日が暮れるまで何時間も彼の家でサッカーゲームに興じたこともあった。そこは同級生の溜まり場だった。学校からチャリで5分足らずのところに位置していたのに加え、親が医師のSはマンションに2つの部屋を所有しており、建前上は勉強部屋であった10階の居室は、医学部受験生だったSの兄が大学に進学してからは我々ガキ共の格好の遊び場になったからだ。
「たまにはお前ん家行きたいんじゃけど」
中1の夏休み、Sが言った。僕は快諾する。
 約束の日、待ち合わせ場所に着いた僕に彼は清涼飲料水を手渡してくれた。
「めっちゃ暑いね」
自転車を漕ぎながらもらったジュースを飲んでいると、すぐ空になり、結局家に着くまでにさらに2本のジュースを飲み干した。それなりに激しいアップダウンを繰り返して僕のマンションに着いたときSは、
「毎日こんな道を通っとるの、マジで尊敬するわ」
 苦労して辿り着いた僕の家に特別な何かがあったわけではない。普段はSの家でするサッカーゲームを僕の家で楽しんだだけだ。アーセナルニューキャッスルユナイテッド。僕が操作するフランス人フォワードのアンリはいつもと変わらぬ俊敏な動きを見せた一方で、Sのチームの点取り屋であるイングランド代表のオーウェンは、心なしか疲れて見えた。
 進路が別々だったこともあり、高校生になってからは遊ぶ機会も減ったが、良き友であることに変わりはなかった。廊下ですれ違うとしょうもないバカ話をしたし、週4日ある部活は基本的にサボらずお互い出続けていた。実家には引退試合を終えたときにチーム全員で撮った写真が今でも飾られている。Sも僕もなんとも言えない微妙な表情を浮かべている。おそらく芳しい結果ではなかったからだろう。一応全てを賭けて臨んだ試合だったはずなのに、今となっては記憶が曖昧だ。
 最後に会ったとき、僕は浪人中だった。現役で某国立大の獣医学部に合格していたSが帰省しているタイミングで、久しぶりに皆で会うことになったのだ。焼肉を食べながらSは、
「なんか余裕で受かりそうらしいじゃん」
「いやー、まだわからんよ」
受験生特有のメランコリーを抱えていた僕からすると、大学生活を謳歌するSが少しだけ眩しかった。
 あれから殆ど10年が経つ。結婚式は3月だ。久しぶりに会うのは緊張する。何を話したらいいだろうか。迷う。
 招待状に対する返事にも迷った。出欠に関してではない。「ご出席」の方に「ご」の字を二重線で取消しのうえ◯をつけたところまではよかったのだが、一言メッセージを書く段になって考え込んでしまった。10年近く会っていないとはいえ、「結婚おめでとう」の一言だけでは何とも味気ない。かといって、当時のノリでチョけたことを書くのも違う気がする。大体これを読むのはSだけではない。一度も会ったことのない彼の奥さんも読むかもしれないのだ。そうなると尚更下手なことは書けない。友人の彼女なり奥さんに嫌われることが男の世間をどれだけ狭くするか、そんなことはわざわざ説明するまでもないだろう。
 無難で、かつ読んだ人が「くすり」と笑ってしまうお祝いの一言。これは難しい。早速スマホのメモアプリを開いて、考えを巡らせる。
「まさか国士無双のテンパイだったとは…。役満ですね、おめでとう」
ボツ。Sとは麻雀をした思い出もないうえ、奥さんを麻雀牌に例えているようにも読め(というか実際そうなのだが)、失礼極まりない。大体僕にしてからが麻雀の知識に乏しく、己の書いていることの意味を掴みかねているのもよくない。
「ついに、ついに、幻の魚を釣り上げたな、おめでとう!」
一発ボツ。一体どういう育てられ方をしたら、他人様の奥さんのことを幻とはいえ魚に例える神経を持つに至るのだろうか。いや、仮令森に捨てられていたとしても、コインロッカーに放置されていたとしても、人としてやってはいけないことがあるというものだ。こんな案が浮かんでしまったこと自体がお二人に申し訳ない。加えて、「ついに」というのも、僕の全く与り知らないSの過去の恋愛遍歴を仄めかしている感じがして、非常にまずい。
「おめでとう。前方良し、後方良し、視界良好、出発進行!!」
惜しいけどボツ。結婚を航海に例えたものだが、お気づきの通り「航海」は「後悔」を連想させる。めでたき門出を迎える二人に水を差すのは許されない。海だけに。
 結局、無難なだけのさして面白くはない一言を書いて投函した。何を書いたかは敢えてここで披瀝することでもないだろう。ただ、筆圧とともに葉書に込めた思いがSに伝わるのを願い、かつ信じる。
 めでたいだけの文章になってしまった。まあ起きた事象がめでたいのだから無理もない。
 中学生のときに激怒した僕がSの顔面を複数回にわたり蹴りつけた話は、今回するのはちょっとばかり憚られるし。