玉稿激論集

玉稿をやっています。

週末日記

五月二十一日(土)
 六時半起床。二度寝。八時に近所の喫茶店でモーニング。満席に近く、カウンターに案内される。待っている間も客足は絶えず、ついには外に列が出来始める。小倉トースト、茹で卵、ヨーグルト。普通に美味いが、朝っぱらから並んでまで食うほどのものではない。
 帰室後、読書をして時間を潰す。
 十時五十分より、ミッドランドスクエアにて、『シン・ウルトラマン』を鑑賞。五段階評価でニ・七といったところか。自分は『シン・ゴジラ』の方が好みだ。
 帰途、『力丸』にて味噌ラーメンと唐揚げの定食。満足。
 帰室後、二時間昼寝。起きて後、イオンにて晩飯を購入。雨天の為、ランニングは敢えなく中止。
 入浴後、計量。マイナス0.6キロ。
 晩飯。半額寿司、味噌串カツ二本、魚のフライ、ほうれん草のおひたしを缶ビール二本と赤ワイン三分の一本で流し込む。

五月二十二日(日)
 六時半起床。二度寝しようとしたが眠りが訪れず、敢えなく読書。藤井太洋Gene Mapper-full build』。
 コンビニにて朝飯を購入。鮭おむすび、チーズクリーム入りのパンケーキ、ホットコーヒー。
 食後、ようやっと睡魔。昼前まで二度寝
 昼過ぎに部屋を出て、駅前のジュンク堂へ。目当ての本はなかったが、立ち読みが捗る。夭折した歌人の作品集を手に取る。帯によると、該歌人の人生は映画化もされているとのこと。いじめられ、正規の職にも就けず自殺した者をイケメン俳優が演じていることに違和感を覚える。まあ、イケメンでモテていたら自殺なぞしなかっただろうというのは、流石に安直に過ぎるか。
 ところで、著者略歴の欄には、死没したことは記されているものの、自殺とは書かれていないのは、一体どこに対する配慮なのだろう。最近急死した芸人のニュースでも、同様の配慮がなされていた。件のネットニュースの画面をスクロールすると、「いのちの電話」の番号まで案内されている。ここまでくると、自ら命を絶ったのがバレバレだ。
 特に好きではない人であっても、有名人の自殺の報を聞くといつも気分が打ち沈む。自分でさえそうなのだから、周りの芸人たちの哀しみは計り知れない。後輩芸人のTやAが気丈にラジオで話すのを聞くのはなかなか辛かった。何せ病気で死んだわけではない。自殺なのだ。これはもう、どうやっても笑いに昇華できないだろう。放送事故になってもいいから、嗚咽を上げて泣いてほしかった*1
 昼飯は駅地下で親子丼。八百円。上げ底
 徒歩でイオンへ向かい、晩飯の調達。レジにて年齢確認さるる。この街では初めてだ。見た目がガキに見えたとしても、買っているもので判断してほしいものだ。
 帰室後、広島対中日戦をテレビ観戦。辛勝。堂林もやればできる。勝利を確認した後、昼(夕)寝。
 十八時起床。ランニング日和だが、ちと暑いので、日が暮れるまで読書時々YouTube
 十九時よりランニング。二キロ。まあ、走らぬよりはマシ。
 帰室後、入浴、洗濯、計量。なぜかプラス0.6キロ。
 晩飯。春巻き、ヤンニョンチキン、ほうれん草の胡麻和え、納豆、玉ねぎ入りの薩摩揚げクラフトビール、レモンサワー、生ビールの順にこなしながら、藤井太洋Gene Mapper-full build』を読了。良い線を行っている。
 続いて、Amazonより届いていた文學界2018年1月号所載の『黄ばんだ手蹟』を読む。満足。これにて西村賢太の創作(小説)のうち、商業誌に発表済のものは今週末に発売される遺作『雨滴は続く』を除いて全て読んだことになる、多分*2
 晩年の西村賢太作品は、師・藤澤清造への思慕や小説書きとしての矜恃を綴った内省的なものが多く、暴力・暴言描写は随分と鳴りを潜めている(過激な描写に喜ぶ読者を西村自身はあまりよく思っておらず、「縁なき衆生」と切り捨ててさえいる)。これらの作品群と所謂「秋恵もの」の間に勿論優劣が存在する訳はないが、前者において描かれている、藤澤清造への苛烈なまでの思慕の純粋さには、自分も強く惹きつけられる。
 勢い余って、『四冊目の『根津権現裏』』も復読する。
 振り返ると、そこそこ本を読んだ一日。

*1:話は逸れるが、昔、明石家さんまのラジオのリスナーが、さんまが失恋話を面白おかしく話すのを聞いて、「悲しいときは悲しいって言ってください」と便りを送ったところ、なんと本人から返事があったらしい。『明石家電視台』に出演していた該リスナーが披露するその手紙にはこう書かれていた。「ありがとう、こんなつまらない男に…」

*2:「商業誌に発表」との限定を設けたのは、西村賢太がデビュー前に自費出版した『田中英光私研究』があるからだ。これも出来るなら入手したいが、高値が付いているうえ、ネットで確認する限りは全て落札済みなので、とりあえずは雌伏を決め込んでいる。