玉稿激論集

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小田嶋隆に寄せて(加筆・修正版)

 冒頭にて訃報ジョークを飛ばした駄文をブログに上梓して約一週間。何の因果もあろうはずがないが、小田嶋隆死去のニュースが飛び込んできた。瞬間絶句してしまう。
 僕はTwitterアカウントを削除して久しいー実のところそれほど久しくもないーが、それでも世間を騒がす事件が起こったときには氏の反応が気になって、わざわざ検索エンジンに「小田嶋隆 ツイッター」などと打ち込んでは、そのクリスプなつぶやきに目を通すことが屢々あった。この頃はほとんどツイートしていなかったし、アイコンにも痩せ細った近影が写されていたから、体調が優れないのだろうとは思っていたものの、まさかこんなに早くこの世を去るとは夢想だにしていなかった。
 しかし、こうなると、当世に僕の敬する作家というのが一人もいなくなってしまった感がある。
 初めて読んだ著作『ア・ピース・オブ・警句ー地雷を踏む勇気』の前書きからし*1、引き込まれた。今手元にないから記憶を辿るより他ないが、「毎週苦心して書いたコラムをまとめた本書を手にして、満面の笑みを浮かべている。日本語を読むことのできる全ての人類に読んでもらいたい」といったことが記されており、元より自分のことを天才だと言い切る人に惹かれるタチの僕は、この段階ですでに「当たりの作家」との邂逅にそれこそ満面の笑みを浮かべる展開にもなったのである。
 以来、学生時代は彼の本をそこそこに買い漁り、毎週水曜日にウェブ媒体に掲載されるコラムも欠かさず読んでいた。酒席などにおいて、世間を騒がせているスキャンダルについての見解を問われた際に、まるで自分の意見みたくして該コラムに記された氏の見解を得々と口にし、その場を沸かせたことも少なくない。それくらい影響をモロに受けていたのだ。
 笑い声を上げてしまうくらい面白い文章なのに、読み終えたときにはその才能にある種の畏怖さえ感じさせるというまことに稀有な書き手だった。
 西村賢太が享年五十四歳、小田嶋隆が享年六十五歳。前者は死ぬまで酒を飲み続け、後者は若年時にアルコール依存症の診断を受けているとはいえ、人生というのは案外に短いものらしい。
 だから悔いのないよう生きねばなどというサムい台詞を吐くつもりはない。
 しかし、静かな夜である。部屋に籠っていると、物寂しささえ募ってきそうな感じである。とりあえずコンビニに行こう。
 今日は少し多めに飲んでもいいだろう。勿論節度は保つつもりだ。そもそも上述の二人みたく身体を壊すまで飲む度胸などないのだからして。

(後記)
 日経ビジネス電子版に昨年十一月に掲載された「晩年は誰のものでもない」において、小田嶋隆はアマチュアの書き手の文章を添削した経験をこう述懐している。

 一流企業のそれなりの地位にいる管理職のおっさんが、情感にあふれた珠玉のエッセーを書いてきたり、本職では医療事務にたずさわっている女性が、意表を突いた着眼でさらりと笑わせる小洒落たコラムをものしたりしていて、プロであるはずの私にしてからが、直すところのなさに往生したものだった。

 小田嶋によると、彼我の違いは一つだけだ。

 私のような職業的な書き手と彼らのようなアマチュアの凄腕に差があるのだとすれば、「職をなげうっているかどうか」だけだ。

 さらにこうも謙遜してみせる。

 いかに達者な文章を書くからといって、ライターという稼業が、独立研究機関の研究職や航空会社の地上勤務の職を蹴飛ばしてまで挑む価値のある仕事であるのかといえば、はなはだ疑問だと申し上げざるを得ない。

 続いて、ライターが買い叩かれている現状や、質の低いテキストがアクセス数を稼ぎ、マネタイズに成功している事態を慨嘆したうえで、彼は「こんなバカなことが長く続くはずがない」と断じ、文章の質が正当に評価される時代の到来を予言している。
 そして、こう締め括る。

 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。
 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある。

 殆ど誰にも読まれぬブログをこれで二年以上続けている僕にとって、これ以上のエールはないと感じ入る一方で、こうも思う。
 即ち、これは「勝者の余裕」ではないかと。書き手としてトップを走り続けてきた彼が言うからこそ、それは虚しさを伴わずに僕に響くのではないかと。
 おそらく、彼ほど自分の仕事に誇りを持っていた人もいないのではないかと思う。
 できることなら、僕もかの文章添削講座に参加して本人に真意を問いたいところだが、肝腎の小田嶋がもういない。

 

*1:因みに、文章に「からして」を使うのは間違いなく小田嶋隆の影響である。尤も、彼の場合は文末にこの語を頻繁に用いていた印象があるが。