玉稿激論集

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神の復活

 大谷翔平がようやく今シーズン十勝目を上げた。ここ数試合はなかなか打線の援護に恵まれず、いいピッチングをしても勝ち星が付かないことが続いていたから、もしかしたらこのままシーズンが終わってしまうかもしれないなどと心配していたが、杞憂に終わってホッとしている。
 これで投手として十勝、打者として二十五本塁打。米大リーグにおいて、同一のシーズンで二桁勝利と二桁本塁打を記録したのは、あの「野球の神様」ベーブ・ルース以来百四年ぶり二人目の快挙である。
 改めてとんでもないことだと思う。
 世界最高峰のリーグでバッティングもピッチングもトップレベルに君臨している。野球選手の中には少年時代「エースで四番」だった者が少なからずいると聞くが、それをプロの世界でやってのけている。まるで漫画の世界だ。いや、こんな漫画があったとしたら、「そんな奴おるかい」と一笑に付されるはずだ。『スラムダンク 』の彦一風に言うならば、まさにアンビリーバブルなのだ。十年前にタイムスリップしたとして、「メジャーリーグ松井秀喜のホームラン数を抜く選手が出てくるよ」などと言っただけでも、相当驚かれるだろうが、さらに「その選手ってピッチャーなんだよね」と続けたとしたら、どうだろう。「お前は何を言っとるんや」と怪訝な表情を向けられること請け合いだ。
 しかし、ここまでの選手になるとは予想していなかった。というか、白状すると、高校生の大谷が日本プロ野球界からの誘いを断って、そのままメジャーリーグ に行こうとしたとき、僕は大いに眉を顰めたものだった。「県予選で負けて夏の甲子園にも出られない選手が何を」と。「起きとるのに寝言いっとるやんけ」と。当時同じような感情を抱いた人は少なくなかったはずだ。お前なんぼのもんじゃいと。
 結局高校卒業後の渡米は断念し、北海道日本ハムファイターズで投打の素地を磨いたことが今日の二刀流の活躍に繋がっていると思うと、当時の監督・栗山英樹の慧眼には今更ながら恐れ入る。しかし、プロの世界で打つのも投げるのもやることに対しては当時、僕など言うに及ばず、多くの解説者、プロ野球OB、現役選手から否定的な声が上がった。その度に大谷は結果で、数字で、我々を黙らせてきた。
 その大谷がついに、憧れのメジャーリーグ の舞台で、二刀流プレイヤーとして大きなマイルストーンを打ち立てた。珍しくテレビをつけてその日のスポーツニュースを眺めていると、柄にもなくこみ上げてくるものがあった。
 勝手に想像してしまったのだ。
 ここまで辿り着くのに一体どれほどの努力をしてきたのだろう。どれだけ悔しい思いをしてきたのだろう。そして、己の挑戦に対してどれだけ多くの否定的な言葉を投げかけられてきたのだろう。それでもただ自分だけを信じて、地道に、真っ当に、進んできた。そして誰もが踏み入れたことない領域に足を踏み入れ、そこからの景色の一端を我々にも見せてくれた。その孤独で長い道のりを勝手に想像したときに、柄にもなくこみ上げてくるものがあったというわけだ。
 あるいは大谷自身は此度の記録達成を我々部外者ほど狂喜していないのかもしれない。試合後の記者会見で語った「単純に今まで両方やっている人がいなかっただけ」というのが案外彼の虚心な思いなのかもしれない。
 しかし、本人の思いはどうであれ、岩手の一野球少年だった男が神様に並ぶ記録を達成した。
 改めて、本当に改めて、脱帽する。
 ニューヨークのメディアがいみじくも書いたように、ここは大谷翔平の世界だ。そこの住人である僥倖を今はただ噛み締めたい。