玉稿激論集

玉稿をやっています。

War is over.

 大会前に己に課した「入り込み過ぎない」との目標は一応クリアできたと思う。勝とうが負けようが自分の人生には何らの影響も及ぼさないのだからと。
 勿論、W杯の話である。
 かような目標を掲げないまま大会に突入して、日常生活に支障をきたしてしまうのが怖かった。悪夢のような逆転負けを喫したのに呆然とし、明け方に海を眺めるため家を出た四年前のように。
 ドイツに勝っても、スペインに勝っても世間ほどは熱狂していなかったと自負している。勿論、嬉しかったし、驚きもしたが、生活のリズムを崩さぬよう、それなりの注意を払った。
 死のグループと言われた予選リーグ突破に狂喜乱舞しなかったのは、そんな事情も影響しているのだが、もっと大きな理由がある。
 決勝トーナメントで勝つこと、即ちベスト8以上に進むことこそが、今大会の我々のゴールだったからだ。ゆえに、クロアチア戦は流石に熱が入った。勿論、自制は利かせた上で。
 結果は承知のとおりだ。
 今回も歴史が変わる瞬間に立ち会うことは叶わなかった。選手たちは死闘の限りを尽くしたが、結果だけ見ると、四年前と、いや、十二年前と、いや、二十年前と何らの進歩もしていないことになる。
 ベスト8の壁は、本当に、本当に高い。決戦から一夜明けて、様々な識者が種々の視点から何が足りなかったかを論じている。どれもが一考に値する主張だ。事ここに及んで、門外漢の僕が当記事で日本代表の課題を云々するつもりは毛頭ない。
 今はただ、越えられない壁の高さをひたすらに慨嘆したい。
 下を見ること同様、上を見ることもキリがない。上には上がいる。国の代表チームに招集される選手なんていうのは、ものの譬えではなく、氷山の一角である。勝って、勝って、勝ち続けなければそこに名を連ねることは叶わない。その氷山の一角の中のトップ、つまりキング・オブ・キングスを決める大会、それがW杯というわけだ。
 本当に途方もないレベルでの戦いだと思う。
 ときに、代表選手のメンタルを批判する声を聞くが、これはシンプルに的外れである。そこでプレイしている時点で、勝ち続けの人生を歩んできた、もう、ちょっと、想像のつかないほどの強靭なメンタルの持ち主なのだ。
 そもそも今回の日本代表に足りなかったものなんて、果たしてあるのだろうか。足りないものなんて、何一つ思い浮かばない。
 それでも勝てなかった。
 選手たちの失望は想像するに余りある。「四年後は?」などとマイクを向けられても、何も考えられないのではないだろうか。
 四年。何とも長い歳月だ。でも、決してゼロからのスタートではない。1から?それとも2から?そんなこともない。まあ、16ぐらいから、徐々にビルドアップしていくしかないのだろう。
 己との約束にもかかわらず、やはり入り込んでしまっていた。
 冒頭で述べたとおり、勝っても負けても日常は流れてゆく。時にはサムライたちに夢を託すのも悪くはないが、僕は僕の人生というピッチを縦横無尽に駆け抜けて行かねばならない。試合終了のホイッスルが吹かれるその瞬間まで。