玉稿激論集

玉稿をやっています。

激しく倒れよ

「倒れるなら絶対ここがいいですよ」
先輩がそう言ったものだから、
「役者がたまに言う、舞台の上で死にたいみたいなやつですか?」
と返すと、言下に否定された。
「そんな格好いいものではないです。職場で社員が倒れたとなったら、上層部を人を増やす方向に動かざるを得なくなるってことです」
なるほど、一理ある。しかし、人間の身体というのは、存外に丈夫にできていて、倒れようと思ってもなかなか倒れてくれない。印刷物を取りに行くため、自席からコピー機へ歩を進める僕の足取りは、我ながら重いのは確かだが、倒れるというのには程遠い。
 そんなわけで、ここのところ、よく働いている。
 まあ、残業が多いのは効率の悪さに依るところも大いにあるのだが、やること大杉漣なのも事実だ。
 取り急ぎ、愚痴を並べ立てさせていただく。
 何から始めましょうか。
 まあ、まずは、一にも二にも、三にも四にも人が少ない。これに尽きる。元々少なかったのに、他部署への応援に駆り出されるわ、異動になるわで、あれよあれよと、ひとりまた一人と去って行った結果、ちょうど一年前に当部署に異動してきた僕と、同じ時期に採用された後輩が最古参という、ちょっと有り得ない事態が出来している。
 いや、なんで血の入れ替えしてくれとんねんって話なのである。まるで、鬼の新指揮官が就任したプロ野球チームだ。え、俺らって星野監督就任一年目の阪神だっけ?それとも落合GM就任一年目の中日?野球にそれほど明るくない向きも、そういった疑念が頭に浮かぶような有様なのだ。いや、事態はもっと深刻だ。なぜというに、星野や落合がやったのはあくまでも、血の「入れ替え」だからだ。当然の話だ。古い血を抜いた以上、新しい血を入れないと、組織は倒れてしまう。献血をした後しばらくグッタリするのは、血液を抜いてから、また新たな血液が体内で生成されるまでに一定の時間を要するからだ。だのに、新しい人員を補充することなく、ただ人を減らすなんて、まるで鷲巣麻雀だ。負ける度に血を抜かれる、あの鷲巣麻雀だ。
 しかし、本当に脆弱な体制だと思う。各業務の担当者が一人しかいないから、その人が休んだら勿論のこと、ちょっと窓口に出ただけでも、おおわらわしてしまう。まあ、全員が「広く、浅く」業務に習熟すれば解決する話なのだが、如何せんそんな暇もないときている。
 そして、客である。
 暇さえあれば、電話をかけてきて要領の得ぬ質問をし、調べればすぐわかることを調べずにこちらの手を煩わす、我々の仕事を増やすのに一ミリの余念もない、あの、客である。
 何だってあの連中は、これ以上ないバッド・タイミングで、これ以上ない面倒な話柄を、これ以上ない横柄な態度で、我々に持ちかけるのだろうか。ある意味、神の領域に達しているとさえ言える(いや、言えない)。過日も、うららかな昼下がりに手にした受話器から、「今後、同じことで問い合わせるのは二度手間、三度手間になるから、今ここで全部説明してくれ」と、当方の事情も顧みることなく、延々40分も対応させられた。通話口から響く声が手となって、僕の首根っこをグッと掴む。話す言葉がそのまま仏になったという空也上人の逆パターン。逆・空也だ。
 と、お気づきの向きもあるだろうし、既にして己でも覚っているが、これだけ文句が言えるのなら、まだまだ倒れるなんて境地には程遠い。心配御無用である(誰もしていないだろうけど)。
 平成のグレイテスト・ショーマンこと、島田紳助は若い頃、色紙にサインをするときに「激しく倒れよ」と書き添えていた。
 長じた後に彼が添える一言は「夢中とは夢の中」に変じたそうだが、前者の方がグッとくる。
 激しく倒れよ。
 ただ倒れるだけでは飽き足りないのである。どうせ倒れるのなら、激しく、激烈に倒れねばならない。

仕事を納める

 出勤簿に押印するところから仕事が始まる。今時、ハンコがないと仕事がままならないなんて会社があることに驚かれる向きもあるかもしれないが、ハンコ文化も悪いことばかりではない。A3サイズの出勤簿は365分割されていて、出勤した日には判が押されている。ここのところ、びっしりと押印されたその大判紙をマジマジと眺めて、しみじみ思う。本当に、よく働いているなと。タイムカードに打刻しているだけなら、かような感慨を抱くことも、そうないのではなかろうか。
 というわけで、仕事納めである。
 まあ、実際のところは、慢性的な人手不足に悩まされているうえに、折悪く繁忙期を迎えた部署に所属している身としては、何にも納まってはいないのだが、それでもやはり、一区切りは一区切りである。電話をかけても繋がらない顧客も多いし、偉い人は上層階でありがたい話をするし、同僚は「お疲れ様でした」の後に「良いお年を」と付け加えたりするし、街は何となく浮かれているし、やはり、年末は年末だ。
 かく言う僕も、帰省する新幹線の中で、当記事を執筆している*1。人並みに年末年始を休む腹づもりだ。
 あまりにもベタだが、やはり、この時期になると我が身の来し方を振り返ってしまう。まあ、ベタでいい。大体、僕はベタなものや世俗にまみれたものが好きなのだ*2
 どうして自分は今こんなところにいるのだろうとふと考える。
 それは一言で言えば、会社からの辞令の結果でしかない。でも、もっと大きな力が働いているような気がする瞬間があるのだ。
 運命?
 いや、そんな安っぽいシロモノではない。
 ただ、昔から漠然と「ここではないどこか」に憧れを抱いていたように思う。
 高台に位置する実家のマンションからは遠方の山々が望める。折に触れて、その山の向こう、遥か彼方の空を眺めていた。
 果たして、ここが思い浮かべていたところなのかは、わからない。大体、具体的な場所を夢想していたのでもないのだし。遠くを見つめる中高生なんて、まあ、そんなものだろう。

 何にせよ、「仕事納め」なんてする日が来るなんて、夢想だにしていなかった。あの僕が、曲がりなりにも「仕事」をー力ずくかもしれないがー「納めて」いるのである。
 これはかなり驚くべきことだ。
 以前、当ブログで書いたかもしれないが、昔の僕は自分がこんな歳になるまで生きるイメージがまるで湧いていなかった。別に、大病を患っていたわけでもなければ、死への希求があったわけでもない。ただ単に想像力が追いついていなかっただけの話ではあるのだが。
 しかし、結果的には、社会人五年生として、本日無事に仕事を終え、実家に帰るため新幹線に乗っている。
 いやはや、本当に、一体何をしているのだろうか。
 仕事でパソコンに向かっているときも、ふと笑ってしまいそうになることがある。何をこんなに必死になったり、思い悩んだりしているのだろうかと。大人びたガキがキッザニアで抱くであろう感情を、三十路を目前に控えた僕も抱いてしまうのだ。
 少しもかっこよくないし、関係各位には申し訳が立たない。
 まあ、逆に言うと、冷静になっていたら、仕事なんてやっていられないということなのだろう。出世を目論む同期だったり、実際に出世している上司なんかを見ていると、切にそう思う。
 彼らに対して憧憬の念を全く持ち合わせていないわけではないが、とりあえずは来年も今のペースでやっていきたい。
 読者諸氏におかれても、一年間、おつかれさんでした。

*1:正確には今日の昼休みから書き始めたのだが、それはまあ、ご愛嬌。

*2:実際のところ、この感情にはかなり倒錯したものがある。けどまあ、論旨とはズレるし、まだ整理できていないので、また稿を改めて論じることにする。多分。

War is over.

 大会前に己に課した「入り込み過ぎない」との目標は一応クリアできたと思う。勝とうが負けようが自分の人生には何らの影響も及ぼさないのだからと。
 勿論、W杯の話である。
 かような目標を掲げないまま大会に突入して、日常生活に支障をきたしてしまうのが怖かった。悪夢のような逆転負けを喫したのに呆然とし、明け方に海を眺めるため家を出た四年前のように。
 ドイツに勝っても、スペインに勝っても世間ほどは熱狂していなかったと自負している。勿論、嬉しかったし、驚きもしたが、生活のリズムを崩さぬよう、それなりの注意を払った。
 死のグループと言われた予選リーグ突破に狂喜乱舞しなかったのは、そんな事情も影響しているのだが、もっと大きな理由がある。
 決勝トーナメントで勝つこと、即ちベスト8以上に進むことこそが、今大会の我々のゴールだったからだ。ゆえに、クロアチア戦は流石に熱が入った。勿論、自制は利かせた上で。
 結果は承知のとおりだ。
 今回も歴史が変わる瞬間に立ち会うことは叶わなかった。選手たちは死闘の限りを尽くしたが、結果だけ見ると、四年前と、いや、十二年前と、いや、二十年前と何らの進歩もしていないことになる。
 ベスト8の壁は、本当に、本当に高い。決戦から一夜明けて、様々な識者が種々の視点から何が足りなかったかを論じている。どれもが一考に値する主張だ。事ここに及んで、門外漢の僕が当記事で日本代表の課題を云々するつもりは毛頭ない。
 今はただ、越えられない壁の高さをひたすらに慨嘆したい。
 下を見ること同様、上を見ることもキリがない。上には上がいる。国の代表チームに招集される選手なんていうのは、ものの譬えではなく、氷山の一角である。勝って、勝って、勝ち続けなければそこに名を連ねることは叶わない。その氷山の一角の中のトップ、つまりキング・オブ・キングスを決める大会、それがW杯というわけだ。
 本当に途方もないレベルでの戦いだと思う。
 ときに、代表選手のメンタルを批判する声を聞くが、これはシンプルに的外れである。そこでプレイしている時点で、勝ち続けの人生を歩んできた、もう、ちょっと、想像のつかないほどの強靭なメンタルの持ち主なのだ。
 そもそも今回の日本代表に足りなかったものなんて、果たしてあるのだろうか。足りないものなんて、何一つ思い浮かばない。
 それでも勝てなかった。
 選手たちの失望は想像するに余りある。「四年後は?」などとマイクを向けられても、何も考えられないのではないだろうか。
 四年。何とも長い歳月だ。でも、決してゼロからのスタートではない。1から?それとも2から?そんなこともない。まあ、16ぐらいから、徐々にビルドアップしていくしかないのだろう。
 己との約束にもかかわらず、やはり入り込んでしまっていた。
 冒頭で述べたとおり、勝っても負けても日常は流れてゆく。時にはサムライたちに夢を託すのも悪くはないが、僕は僕の人生というピッチを縦横無尽に駆け抜けて行かねばならない。試合終了のホイッスルが吹かれるその瞬間まで。

小銭を乞われる(加筆・修正版)

 この国にあって、物乞いされることが何年かに一度ある。中年男に道端で「この三日間何も食べていないんです。150円貸してくれませんか」と言われたこともあったし、駅前で小さなスーツケースを引きずった老婆に「お兄さん、500円だけお願いできないかしら」と乞われたこともある。みすぼらしいとはいかないまでも、割に質素な身なりをしていて、お世辞にも金持ちには見えないはずなのに、どういうわけなのだろうか。
 普段生活している分には気づく機会は殆どないが、本当に貧しい人というのがこの国にも少なからずいる。
 僕とて決して裕福ではない。高校球児が白球を追いかける一方で、薄給に縋らないと生活は立ち行かないし、財布の中身が千円を切ることだってままある。それでも日々の暮らしに窮するということは、ない。
 周りを見渡すと、自分より稼いでいる人もいっぱいいる。彼らは「億稼ぐ」のを実現不可能な夢ではなく、具体的な目標としていたり、僕に福岡旅行をプレゼントしてくれたり、馴染みのある寺に一括で数十万円を寄進したりしている。
 いやはや、本当に富の偏在が過ぎる。徳川の時代が終わったこの国にもまだ金が埋まっているのだ。ゴールドラッシュはいつか。
 物乞いの話をしていたのだった。
 彼らにビタ一文払わないのには、いくつか理由がある。
 その中でもっともらしいものをまず挙げると、キリがないからだ。お笑いコンビ「オードリー」の春日は、プライベートでは誰に頼まれても、握手もしないし、写真撮影にも応じないと聞いた。後輩芸人が語るところによると、ディズニーランドにて子どもにサインをせがまれたときも固辞していた程の徹底ぶりらしい。「俺は全員に平等なんだ」というのが、春日のスタンスである。誰か一人にサインをしたら、他の全員にもしないといけなくなる。そんなことはできないから、誰にもしない。まあ、多少のツッコミどころはあれど、それなりに筋の通った理屈ではある。一人の物乞いに金を恵んだのなら、彼らの全てに喜捨せねばならなくなるから、ハナから誰にも与えない。さほど突飛なスタンスでもないだろう。
 でも、少し考えてみればわかるが、僕がベガーに遭遇する頻度は、春日が私生活においてファンと接するそれに比べて明らかに少ない。何せ数年に一度あるかないかくらいなのだから。とすると、上述の御託はその地位を詭弁へと堕してしまう運びとなる。
 そもそも滅多にないことなのだから、百円ぽっちくらいくれてやればいいのである。確かに一面では「金は命より重い」(©️『カイジ』)し、たとえ一円でも大事なお金(©️『闇金ウシジマくん』の映画のワンシーン)なのかもしれないが、他面ではたかが五百円である。アルバイトの大学生が三十分厨房で突っ立っていたら、口座に振り込まれる金額だ。それなら、なぜ喜捨しないのか。
 結論を申し上げると、僕は「異常な」人と関わり合いたくないのだ。どういう事情があったのかは知らないが、通りすがりの他人に金をせびるなんて、「普通」ではあり得ない行動だ。
 世間には、大多数の人によって共有されているコードがある。電車の中では静かにするとか、本音は口には出さずに当たり障りのないことを言ってその場をやり過ごすとか、集合住宅の壁をドンドン叩かないとか、そういう無数の「約束事」を我々が守っているからこそ、この社会はどうにか成り立っているのだ。
 別に電車の中で騒ぎたいわけでもないし、その場を凍り付かせる一言を言い放ちたいわけでもなければ、うるさい隣人に仕返しをしたいわけでもない。
 ただ、ギリギリのところをいつもどうにかやり過ごしている、いや、切り抜けている感覚が僕には結構強くあるのだ。仕事でも、私生活でも、「よかった、危ないところだった」とかなりの頻度で感じている。さながら、虎となって旧知の友を喰らおうとした李徴のように。あと一つ歯車が狂っていたら、大変なことになっていた。少し大袈裟に言うと、綱渡りをしているような感覚。かなりオーバに言い表すと、既のところで正気保っているような感覚があるのだ。
 そんな中にあって、異常な振る舞いをする連中に対し、「俺も我慢しているのだから、お前も耐えろ」なんてことを言いたいわけではない。そもそも僕はコードから外れた振る舞いをしたいと望むものではない。ただ単純に、彼らと関わり合いたくないと思うのだ。生きている限り、関わらざるを得ないという静かな諦念とともに。
 「大人になっても人生は辛いの?」とジャン・レノに尋ねる子役時代のナタリー・ポートマンの脳裏には、長じたら現時の苦しみから解放されるはずだという願望ー希望的観測というべきかーも確と浮かんでいたように思う。僕にだって、大人になれば皆まともになるはずだと漠然と信じていた時代があった。
 それがこの有様だ。大人になっても、皆ちっとも変わらない。ちっともまともになっていないではないか。いや、むしろ、事態は悪化の一途を辿っているようでもある。根は何ら変わっていないにもかかわらず、歳を食うに従って、まともな「フリ」だけは上手くなっている連中が跳梁跋扈しているのだから。
 ポートマン同様、僕もものの見事に裏切られたというわけだ。オアシスがあると思い込んで砂漠を歩き続けた先に、蜃気楼を見たのだ。
 いや、この言い方は適切でない。だって、自分が勝手に期待していただけなのだから。そして、当たり前の話だが、人生はタネが明かされてからの方が、その前より圧倒的に長い。

(注)記事タイトルは、西村賢太『小銭をかぞえる』のオマージュです。

恐怖の電話、その後

 大阪時代に「恐怖の電話」という題の記事を上梓して、僕が普段の仕事でいかに電話対応に苦慮しているかを語り、世間の耳目を集めたのは、読者諸氏の記憶にも新しいところだろう。
 あれからもう二年が経つ。
 二年の間に僕は支社内異動を一回、転居を伴う異動を二回し、週二日休肝日を設ける代わりに一度の食事では二本の酒を飲むようになり、週末は誰に頼まれた訳でもないのに約三キロのジョギングをする習慣を身につけた。四歳下の同期Dには新しい彼女ができ、D大学を卒業したこれまた同期のKは一児の父となり、予めお祝いを渡していた僕に引き出物として、五枚セットのタオルを送ってくれた。
 世間に目を向けても、変化は目まぐるしい。
 バカ殿様の命を奪ったはずのコロナウイルスにしたって、いつの間にか弱毒化し、該ウイルス感染症を「ただの風邪」と捉える向きも少なくない。
 あれほど盤石で安泰と見える政権運営をしていた宰相Aも、体調不良を理由に政権の座から下り、この七月には凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。
 すっかり何もかもが変わってしまった感がある。無理もない。二年というのは短くない期間なのだから。
 勿論変わらないものだってある。
 相変わらず朝は眠いし、仕事はダルい。嫌なことがあっても腹は減るし、酒を飲めば一時は忘れられる。コロナウイルスの脅威は確かに薄らいでいるけれど、誰もマスクを外していないし、この国で一番偉かった人が銃殺された後も社会はぐるぐると回り続けている。
 周りの環境は大きく変化したが、僕の根は全くと言っていいほど変わっていない。根とは謂わばハードだ。ソフトは定期的に更新されている気がしなくもないが、大元のハードとはもう、一生付き合っていかなければならないのだろう。それがいいことなのかどうかは別として。

 と、ちょっとこう、アレな書き出しで始めてしまったものの、今も変わらず電話対応はあまり好きではない。如何なる配剤か、前の部署でも三月から配属された部署でも、電話機の前に配置されたから、流石に慣れてはきたが、やはりクレーマー気質の方々にはいつもオロオロしてしまう。
 兎角、人は電話越しになると、論理を飛躍させがちなのは一体どういうことなのだろうか。
客「〇〇したいんですけど、できますか?」
僕「申し訳ございませんが、〇〇はできかねます」
客「え、できない?じゃあ死ねってことですか!?私が死んだら、責任とってくれるんですか!?」
若干大袈裟に言うと、かようなやり取りが日常的になされているのである。「〇ね」など一言も、本当にただの一言も発していないにもかかわらず、責任などとるわけないにもかかわらずだ。
 ただ、僕自身にも問題はある。
 慣れてしまうあまり、対応がぞんざいになっているのだ。
 職務の性質上、テーマパークの職員のようなホスピタリティ溢れる対応は必要とされていないにせよ、やはり丁寧であるに越したことはない。現に、周りを見渡すと、皆一様に僕よりは幾分マシな対応をしている。少しは見習わなければならない。
 と、らしくもなく、殊勝な心持ちに至ったのには、勿論きっかけがある。
「電話口の態度が悪い〇〇とかいうけしからん奴がおるから、どうにかせい」と投書されたわけではないし、隣席の上司に口頭指導を受けたわけでもない。事態はむしろ逆だ。
 さる金曜日にかかってきた電話が全ての始まりだった(←ぐっと引き込む書き出し)。
 いつものように気怠さを押し殺し切れていない声で応対をしていたのだが、問い合わせ内容を把握できないうちに、先方は明らかに苛立ってきた。
「あなた、私の言ってること理解してますか?」
「わからないんだったら、詳しい人に繋いでもらいたいんですけど」
 こんなことを言われていい気がするはずもなかった僕は思いっきり自分のペースで問い合わせ内容について調べ、ゆうに5分は電話を保留した上で、先方に回答した。
 すると、切り際に尖った声で、
「あなたのお名前をフルネームで教えてください」
 事が大きく動いたのは、月曜日だ。向かいの席の先輩から、
「金曜日に…社の方とやり取りしましたか?」
と、金曜日の相手の名前を出されたとき、些かビクっとしたが、勿論そんなのはおくびにも出さずにいると、
「明日私に用があって来社するらしいんですけど、〇〇さん(僕)に先日の電話の件でお話ししたいことがあるとのことです」
 ここまで話して、
「何でも、お詫びしたいとのことで」
と続いたときには、一瞬何のことやらわからなくなってしまった。
 確かに、金曜日の先方の話ぶりには若干の腹立ちは覚えはしたものの、元はと辿れば原因は先方の言を理解しなかったこちらにあるのだし、クレームを入れられることさえ覚悟していた中での急展開だったからである。
「いや、むしろお詫びしなければならないのは、どちらかと言えば私の方で…」
とやけにモゴモゴしながら返す僕を先輩は話半分で聞いている様子だった。
 定時退社して帰宅した後もなんだか落ち着かない。「お詫びしたい」なんて言いつつ、先輩の面前でこっぴどく叱るつもりなのではないかなどという猜疑心さえ湧き上がってくる。土台、大の大人が態度を翻して謝罪するなんて、そうそうあることではない。不安の中で床についた。
 だから翌日、当初の宣言通り頭を下げる先方の前で、多少の安堵感も覚えたのだが、もう一つ厄介な感情が生じていた。
 先手を打たれたと思ったのである。
「この度はうちの職員が大変失礼な物言いをしてしまい、申し訳ございませんでした」
との詫び言が全くの嘘だったなどとは別に思わない。ただ、そう述べる先方だって、僕に電話をした職員に事情を聞いているはずであり、そこで該職員も、
「いや、あっちの態度も大概なものだったんですよ」
くらいのことを言っているかもしれない(いや、おそらく言っているだろう)。その上で、先方は僕に謝罪をするというコマンドを選択したわけだ。これはもう、ちょっと下手なマネはできなくなってしまった。そう思ってしまったのである。と同時に、ここ数ヶ月の己の対応の雑だったことを柄にもなく反省する流れと相成ったというわけだ。
 殊勝になったついでに、初心に立ち返るのも悪くないだろう。
 とりあえず世話になっていない相手に対しても、「お世話になっています」と言うくらいのところから始めよう。
 というわけで、皆様いつも読んでくれてありがとうございます。

場所の引力

 駅から程近いはずなのに、辿り着くまでには案外時間を要してしまった。土地勘が皆無の者にとって、渋谷の街は迷路そのものだった。
 ついにここに来た。感慨もひとしおだった。
 思えば、「聖地巡礼」と称して、好きなアニメの舞台となった土地だったり、歴史的事件の起きた跡地を訪れる連中を心中で見下していた。聖地などそうそうあるものではないし、巡礼にしたって半端な覚悟で出来やしないだろうと。そもそも単なる観光をかように称するのは、大袈裟であるのみならず、メッカやイェルサレムといったガチの「聖地」に、目をバッキバキにさせて(させていないか)「巡礼」する方々に対して礼を失していると。
 それでも気づいたら、此度の旅程に該地への訪問を組み込んでいた。いや、「気づいたら」などと云うのは、些かわざとらしい書きぶりである。正直に申し上げると、知人に会うために東京へ行くことが決まったときには既にして、そこへ赴こうとの決意を確かに固めていた。晴れて、己が馬鹿にしていた「聖地巡礼もどき」の仲間入りを果たす運びとなったのである。
 かのロック・シンガーのファンでない人にとっては、そこはただの歩道橋の一角でしかないと思う。通勤や通学の際に毎日通っていたとしても、そんなものがあるなんて気づかないかもしれないし、仮に気づいていたとしても壁の落書きくらいにしか思わないだろう。しかし、私は違う。
 ついに辿り着いた、待たせてすまない。
 そう思った。
 何が「ついに」なのかはわからないし、別に彼を待たせてわけでもない。だけど、思ってしまったものは仕方がない。
 在りし日の尾崎豊が焼け付くような夕日を振り返った歩道橋の上である。ファンの間では広く知れ渡った聖地で、『十七歳の地図』のサビが刻まれた銀板の横には祈りを捧げる尾崎豊レリーフが設えられている。
 そして、その周りに記された無数のー本当に数えきれないーファンからの直筆メッセージ。「また会いに来た」。「いつもありがとう」。「あなたの歌や言葉があるからなんとかやっていける」。単純だがその分だけ熱い言葉が並ぶ。
 尾崎豊のことを何とも思っていない向きからしたら、あるいはこの種のメッセージはすべからく「イタい」ものに映るのかもしれない。無理はない。私だって、太宰府天満宮に掛けられた絵馬の中に好きなアイドルグループの再結成を願うものを見つけたときは、少なからず冷笑したのだから。
 土台ファンなど皆イタいというわけだ。
 ただ、意外だったのは、そこを離れ難く感じたことである。情緒を解さず、何かを深く味わうのに不得手で、どんな名所を訪れてもすぐに飽いてしまう私にとって、それは新鮮な驚きだった。
 別に心の安らぎを覚えたわけではない。なぜか尾崎豊が見ていたのと同じ夕日をぼんやりと眺めていた。
 渋谷の街は次第に暮れなずんでゆく。11月の冷え込みは容赦がなく、無防備な耳がきりりと痛んだ。辺りが夕闇に沈み切ったときに時計に目をやると、知人との待ち合わせ時間が迫っているのに気づく。ようやく腰を上げ、歩道橋の階段を下りようとしたとき、女性の親子連れとすれ違った。
「やっと来れた」
すれ違いざま、確かにそう言ったのが聞こえた。
 忘れられない聖地巡礼だった。

赤い心

 時期尚早。一報を受けたときまず浮かんだのがこの四字熟語だった。選択肢ー無論私に何らの権限もないわけではあるがーの一人には勿論入っていたものの、このタイミングでの就任にはやはり驚かざるを得ない。
 何の話かと訝る向きはないとは思うが、念のため付言しておくと、新井貴浩のことである。此度我が広島東洋カープの新監督に大抜擢された新井貴浩のことである。
 つくづく数奇な運命を辿る男だと思う。
 兄貴分の金本知憲がチームを去った後に4番を任されたものの、期待されたほどの成績は残せず*1、チームを浮上させることは叶わなかった。
 金本の後を辿るように阪神へ移籍したのは、2007年のオフ。大好きなカープを去るのは苦渋の決断だったが、優勝争いをしたい気持ちが勝った。退団会見では大粒のーいや、本当に物理的に大粒のー涙を流しながら「カープが大好きなんで、辛かったです」と絞り出した。だったら何で裏切るんや。わけわからん、◯ねばいいのに。当時全ての広島県民が抱いた感慨だった。
 新天地でも苦難は続く。後一歩のところまで来ても、チャンピオンフラッグはまるで蜃気楼のように手の中をすり抜けていく。優勝したい。その一心が力みに繋がり、チャンスでなかなか一本が出ない。不甲斐なさを誰よりも感じているときに投げかけられるどぎつい野次は、心身に堪えた。あんなに大好きだった野球を心から楽しめなくなっていた。縦縞のユニフォームは何年経ってもしっくりこない。そして、やっぱりカープが好きだった。
「どのツラ下げて帰ってきたんや」
そう言われるとばかり思っていたカープ復帰後の初打席、マツダスタジアムは大歓声に包まれた。涙が溢れそうなのは退団会見のときと同じだが、あのときの涙とは意味が異なる。ここに骨を埋める。そう決意した瞬間だった。

 と、新井貴浩プロ野球人生をざっくり振り返ってみると、此度の人事への感慨もひとしおであるが、やはり冒頭の言が頭から離れない。早いのだ。コーチ経験もない彼に果たして監督が務まるのだろうか。彼のフィロソフィーでチームを立て直すことができるのだろうか。いや、そもそも新井貴浩にフィロソフィーがあるのだろうか。
 しかし、じゃあ誰だったら満足なのかと聞かれると答えに窮してしまう。以下、新監督の候補だった人物を一人ずつクサしていく。

 野村謙二郎。新監督の最右翼だった男。我々ファンの間でも「もう一回謙二郎にやらせてみよか」といった空気は確かに蔓延していた。現場を離れて外から野球を勉強したのだから、前政権時のような謎采配をすることもないだろうと。しかし、なんと言っても新鮮味に欠ける。それに、若干スパルタっぽいから、今の時代には合わないかも。落選。
 緒方孝市カープをリーグ三連覇に導いた前監督。実績もさることながら、現監督と比べて数段ビジュがいい。現役時代の画像なんかを見返してみると、私の好きなロックシンガーに似ていると思われるものだってある。ビジュアルは問題ないが、ビジョンについてはそうはいかない。チームの黄金期を作り上げたにもかかわらず、「名将」の称号を得ていないのは、フィロソフィーがなかったからではないか。一番にも二にもフィロソフィーが求められているチーム状態を上向かせられるとは残念ながら思えない。勿論新鮮味もないし、落選。
 前田智徳。孤高の天才。私の一番好きな野球選手。2013年に現役を退いてからは、野球解説者として人が変わったように饒舌になったものだから、寡黙だった頃の前田を好きだったファンの中には心離れした向きも少なくないようだが、やはり私は前田が好きである。しかし、いくら贔屓目で見ても、彼の監督になるイメージはなかなか湧かない。コーチ経験がないのは前田の実績を鑑みると、さほど問題ではないが、彼がチームをまとめて強くしていくことに長けているとはどうしても思えないのだ。何しろ天才の前に「孤高の」と付けられる男である。「名選手、必ずしも名監督ならず」を地で行く未来しか見えない。落選。
 石井琢朗。ダークホース。コーチとしてリーグ三連覇を支えた男。カープ以外での指導者経験も豊富だし、内野手出身だから野球観も確立されていそうではあるが、大きな問題が一つ。外様なのだ。即ち、彼がカープの生え抜きの選手ではなく、長じた後に横浜から移籍してきた選手であるということが監督就任にあたっては大きな枷となってしまうのだ。我が広島東洋カープは弱小球団であるにもかかわらず、スタンスだけは一丁前で、巨人軍同様純血主義を貫いている。血の掟はそうそう簡単には破られない。それに、娘さんがプロテニスプレイヤーを目指しているらしいから、今は野球にかまけている暇などないかもしれない。泣く泣く落選。
 黒田博樹。神様かつ仏様。カープからメジャー・リーグへ羽ばたいた後、ヤンキースからの20億のオファーを蹴ってカープに復帰し、チームを25年ぶりの優勝に導いた、カープファンなら足を向けて寝ることが許されない男。「いつかは黒田さんに」。皆心のどこかでそう思っているが、いかんせん生活拠点がロサンゼルスなのでこのタイミングでの監督就任は現実的ではない。それに、チームがズタボロのときに招聘していいようなお方ではない。優勝への礎が整ったときに初めて、我々も西海岸へ向かって三つ指を立ててお願いすることができるというものだ。

 こう考えると、消去法ではあるが、新井貴浩の監督就任も無理からぬような気がする。
 まあいっちょ、お手並拝見とさせていただきたい。掌を返す準備は整っている。
 本当に頼んます、新井さん。

*1:あんまり活躍していた印象がなかったのでこう記したが、ホームラン王を獲得していたことを忘れていた。調べてみると、打率も全然悪くない。悪し様に言ってしまって申し訳ない。