玉稿激論集

玉稿をやっています。

新生活(fiction)

引っ越したばかりだと、街に冷たくされている気がする。当たり前のことだけど、誰もわたしに目もくれない。普段は人とのつながりを煩わしく感じたりしているのに、いざひとりぼっちになると急に寂しさを覚えたりする。

 

就職したばかりで、仕事にも全く慣れていない。今週は失敗だらけだった。良い職場だから叱られるなんてことはないけれど、自分の不甲斐なさはどうやってもぬぐいきれない。せっかくの休日も家でふさぎ込んでしまう。

 

こんなことではだめだ、外に出てリフレッシュしようと思ったときには、もう午後4時を過ぎていた。学生のとき趣味が高じて買った一眼レフのカメラを首から下げて、部屋を出た。

 

薄暮の街を歩くと、色んな発見があって楽しい。でもなぜか写真を撮る気にならない。いつの間に明日からまた始まる仕事のことを考えてしまっている。ああ、行きたくないなあ。

 

そのカフェに入ろうと思ったのに、深い理由はなかった。歩き疲れたから、少し一休みしたかった。

 

扉を開けると、店員さんがにっこりと微笑んで「こんにちは」と言った。いつも流れ作業のような「いらっしゃいませ」を言われ慣れているわたしは、少しびっくりしてしまって、思わず、「あ、こんにちは」とぎこちない返事をしてしまう。

 

「素敵なカメラですね」と店員さん。

 

「あ、ありがとうございます。初めて住む街なので、色々撮ってみたくて」

 

「あら、引越して来たばかりなんですね。どうですか、ここでの暮らしは?」

 

「まだ慣れないことが多いですね…。就職したばかりというのもありますし…」

 

「仕事を始めたばかりだと覚えることがたくさんあって大変ですよね」

 

「本当にそうなんですよ。失敗ばかりしてます…」

 

話しながらはっとしていた。店員さんとこんな風にたわいもない話をしたのは初めてだったから。「いらっしゃいませ」と言われていたら、初対面の人に自分の実情を打ち明けたりしていなかっただろう。こんにちは。魔法の言葉はこんなにも身近にあったのだ。

 

「おすすめのコーヒーはありますか」と尋ねたわたしに、店員さんは色んな国のコーヒーの説明を丁寧にしてくれる。好きなものを語る人の顔はいつだって輝いている。

 

色とりどりのマフィンにも目を奪われる。この店の名物らしい。抹茶のマフィンにしよう。

 

窓際のカウンターに腰掛けてコーヒーとマフィンが運ばれてくるのを待つ。外を眺めると、夕暮れに照らされた道を多くの人が忙しなく通り過ぎてゆく。ガラス一枚隔てただけなのに、ここでは別世界のようにゆっくりと時間が流れている。

 

マフィンはとってもおしゃれなお皿にのせられていた。生クリームが添えられているのもいい。マフィンにカメラを向ける。シャッターを押したら、わたしのうきうきした気持ちごと切り取れた。久しぶりにSNSにアップしようかな。

 

コーヒーも口する前からわたしを楽しませてくれる。こんなにいい香りがするコーヒーは初めてだ。飲むと芳醇な風味が口いっぱいに広がるとともに、じんわりと身体が温かくなった。「ほっと一息」というのは、今この瞬間のためにある言葉だと思った。

 

店を出るとき、「またお待ちしてます」と言われた。根拠はないけれど、きっと社交辞令ではないだろう。「はい、また来ます」と答える。こちらは決して社交辞令ではない。ドアを開けると、夜風が店に吹き込んできた。外はまだ少し肌寒い。

 

振り返って店名を確認した。イタリア語で「光」を意味するその店は、夜の街の中で控えめな灯をともしている。

 

少しだけこの街が好きになった。

不謹慎を語るー震災を振り返りつつー

東日本大震災から10年が経った。あの日の僕はまだ高校生で、定期テストの最終日のために自習室で勉強していた。休憩がてら教室に向かうと、「東北ででっかい地震があったらしいで」と級友が教えてくれたので、自習室に戻って、携帯電話のワンセグ(響きすら懐かしいな)のスイッチを入れた。

 

なんかよくわからない光景が目に飛び込んできた。人力ではびくともしない車や船やコンテナが波にのまれ、流されている。海水が流れ込むはずのない市街地に海水が流れ込み、渦を巻いている。大変なことになったなと思いながら僕は、携帯電話をポケットにしまい、テスト勉強を再開した。明日は数学のテストだ。

 

翌日の教室の雰囲気は今でもよく覚えている。誰もが地震について話そうとしなかった。全貌が全く把握できていない事態に対して、僕らはひどく混乱していたからだ。高校生らしい理由もあった。なんというか、大ニュースになっている震災を話題に挙げるのがひどくベタでダサいことー高校生というのはベタでダサい奴に生きる資格を認めないーのように思われたのだ。実際、話が途切れたときに、「いやー、東北やばいね」などと言ったクラスメイトは、僕を含めたその場にいる全員から冷ややかな視線を浴びせられ、押し黙る格好となった。今になるとひどいことをしたものだ。

 

担任のM先生は教員という立場上、震災に触れないわけにはいかなかった。神妙な面持ちで、「とりあえず今できることをやろう。まず今日のテストをしっかりやれ」などと返す返すも訳のわからぬことを言われ、僕は阿呆のように口をぽかんとあけていた。普通に考えてテストどころじゃなくね?まあ、俺が住んどったところは全く揺れんかったけどさ。

 

家庭もなかなかしんどい状況にあった。母方の祖父がその年の1月末に亡くなったばかりだったのだ。母も祖母も失意の底にあった。祖父の容態が悪化し、暗い未来が見えてくるようになると、母の精神は若干の不調をきたし始めた。別に本格的に病んだわけではないし、あれくらい無理からぬことだったと思うが、ニュース番組で当時話題になり始めていた終活が特集されると、神経質そうにチャンネルを回し、祖父が新たな病気を併発したという連絡を受けると父に泣きすがる母の姿は、僕までも暗鬱にさせた。

祖母の落ち込みようも、筆舌にするのが難しい。祖父の通夜や葬儀が終わり、一応の一段落がつき、高知から僕の家を訪れたとき、彼女は、出迎えた父と母、そして僕をみておんおんと泣き崩れた。伴侶を失った悲しみや、数週間ぶりに僕らに会えた安堵が一気に溢れ出たのだろう。

 

そんな最中に起こった大震災だった。

 

当時、僕は定期テストがあったから実家にいたが、父と母は祖父の四十九日の法要のために高知に向かっており、大学生の兄は関西に滞在していた。テレビ画面の右下にはでかでかと日本地図が写っており、津波の危険がある海岸線は赤色で縁取られている。高知もまた赤色の地域だった。

「大丈夫?」

港町に居を構えていた祖母たちが心配になって電話をかけた。

「今のところは大丈夫そう」

そう答える電話越しの声には、確かに不安な色が滲んでいた。僕も父と母が帰ってくるまでの数日間、不安な日々を過ごした。無事帰ってきたとき、母は僕を見るなり、ため息まじりに「日本が大変なことになってしまったねぇ」と言った。それは、人並みにベタを嫌う高校生の僕が、数日間何度も言おうとしては呑み込んできた言葉だった。

 

あれからもう10年が経った。10年の間に僕は高校、大学を卒業し、就職までした。色々と大変なことはあったし、後悔することもある。でもどうにか今日までやってきた。祖父を失った悲しみも、その大部分を時間が癒してくれた感がある。あの頃漠然と抱いていた輝かしい未来には全く辿り着いていないけれど、振り返るとその時々を必死で生きてきたのだから、現状をそこまで否定しなくてもいいじゃないか。最近はそんなふうに考えられるようにもなっている。

 

今回震災について書こうと思い立ったのは、千原ジュニアYouTubeチャンネルを見たことがきっかけだ。彼がドライブをしながらトークをする動画の中で、震災について語る一幕があって、それを見ていると自分の記憶も掘り起こされたのだ。ジュニアは以前NHKの番組に出演した際、東日本大震災のすべらない話的な裏話を被災者から聞く機会があったらしく、そのことについて語っていた。

ジュニアによると、震災の翌日の3月12日や13日の被災地の食卓は、ウニやらイクラやらアワビが並ぶたいそう豪勢なものだったらしい。理由は単純で、電気が切れて冷凍庫が使いものにならなくなったために、かねてより冷凍保存していたそれらの高級食材を食べるほかなかったからだ。ところが、東京から取材に来ているマスコミからすると、被災者が海の幸を堪能している様はどうもしっくりこないものだったらしく、わざわざ被災者にカップラーメンを差し出して、その様子をカメラに収めたりしていた。

別の被災者は「地球が割れた」と思ったという。彼は「今すぐ逃げなきゃ」と思いつつも、もう一つの全く別の感情も抱いていた。「この惨状を見ていたい」。命からがら津波から逃げおおせたとき、踵は海水で濡れていた。本当にあと一歩遅ければ、波に飲み込まれていたのだ。

こういった興味深い話が「人志松本のすべらない話」でMVSにも輝いたことのあるジュニアの口から語られるものだから、僕は惹き込まれる。被災者に憑依したかのようなジュニアの話は続く。

「ジュニアさん、呼んでもないタクシーがね、玄関に入って行くんですよ。そんでね、誰も乗せんとそのまま家から出て行ったんですよ」

これも津波の壮絶さを示す体験談だが、巧みな話術も相俟って、思わず声出して笑ってしまった。不謹慎だ。津波で流されていたタクシーの車内には誰かが乗っていたかもしれないのだ。でも、面白いと感じてしまったのだから、仕方がない。

 

僕たちが普段するバカ話のなかには、ブラックジョークとも呼べる成分が多分に含まれている。言われている当人が聞いたらひどく落ち込んでしまうような陰口で、僕らは大盛り上がりするし、事件や事故の被害者が聞いたら怒り出す不謹慎な話を持ちネタとして使い回す。そんなことはない、私は人を傷つける話題で笑ったこともなければ、不謹慎なネタを面白おかしく話したこともないなどとのたまう人は、もしいたとしても、極めて少数だろう。もし「僕たち」という代名詞を使われるのがいやなら、喜んで訂正しよう。僕は陰口や不謹慎な話が大好きだ。

 

過日、バイクのタイヤを何者かにパンクさせられた同僚と、冗談めかしてこんな会話をした。

僕「いやー、ちょっと魔がさしてしまってね、申し訳ないっす」

同僚「ほんまですよ、どうしてくれるんですか。弁償してくださいよ」

僕「弁償っていくらぐらいかかりますかね?」

同僚「まあだいたい五万から十万ぐらいですね」

僕「そんな大金ねえっすよ。払えないです」

同僚「でも払ってもらわな困りますよ」

僕「金ないんで、ドングリとかで払っちゃ駄目ですかね?」

同僚「駄目ですよ!支払いはジャパニーズエンでお願いします」

僕「だからそのジャパニーズエンがないんですって」

同僚「それならUSドルでもいいですよ。ウォンでもいいし。なんならカンボジアのルピーでもいい」

僕「ルピー?どんぐりと同じようなもんじゃないですか」

同僚、僕「ハハハ」

これも人によっては不快感を抱く会話だろう。僕自身も差別的な言辞だとわかっているが、どうしても聞き手を笑わせたい思いが勝ってしまう。僕と話している相手が笑うとき、たいてい、僕はそこにいない他人をクサしたり、不謹慎なことだったり差別的なことを口にしている。それ以外で聞き手を笑わせるとなると、自虐ぐらいしか道が残されていない。本当にどうしようもない人間だ。育ちが悪く、里が知れる。

 

もちろん、僕とて年がら年中不謹慎なネタでゲラゲラ笑っているわけではない。世間でそう呼ばれるところの「人の心」だって、ちゃんと持ち合わせている。

 

大学卒業間近に興味本位で履修した科学史の講義の最終日、講師は受講者一人一人に講義全体の感想を求めた。講義では原爆や原子力発電について多くの時間が割かれたこともあり、各々が国のエネルギー政策や核廃絶について思うところを述べていった。

そんな中、順番が回ってきたとある学生は、福島で生まれ育った自身の境遇をぽつりぽつりと話し始めた。彼女は震災後、一時的に避難所生活を余儀なくされたが、その後はもとの生活に戻れたらしい。とは言え、知り合いの中にはいまだに苦しい思いをしている人がたくさんいた。

「私は運がよかったから震災前の生活ができているけど、まだまだそうじゃない人がたくさんいて…」

涙しながら話す姿に思わず感極まってしまった。でも、無関係な僕が嗚咽を上げるわけにもいかず、気を紛らわせるための苦肉の策として、鞄に入れておいた文庫本を講師の目の前の席で読み始めた。講師からすると、人が泣きながら話しているときに文庫本のページを繰る僕の姿は不謹慎極まりなく写ったに違いない。でも真実は違う。僕だって本当は泣きたかったのだ。

 

おそらく誰しもに不謹慎なことでくすりとほくそ笑む一面もあれば、辛い思いをしている人に対して寄り添う一面がある。少々大きな言い方をさせてもらうと、それが人間というものなのだ。

僕はこれからも不謹慎極まりない発言をし続けるだろう。眉をひそめる人もいるかもしれないが、別にいい。今はとりあえず、好きなことを好きなように言える日常の尊さを言祝ぎたい。

 

後記

昔のことをつらつらと思い出しながら、書いていたのだが、酒が入っていたせいもあり、不覚にも何箇所かで泣きそうになってしまった。そもそも僕が泣きそうになること自体が世界にとってはどうでもいいことである以上、どの部分に涙腺を刺激されたのかなど、尚更どうでもいいことだから、これ以上の言及は避ける。年を重ねると涙もろくなるというのは、どうやら本当らしい。いつの間にか10年前が高校生であるような年代になってしまった。僕に「まだまだ若い、先は長い」と言う人は少なからずいるだろうが、僕自身は日々津波のように押し寄せる年波を感じ、高台への避難を続けている(←不謹慎だ)。いかにして避難しているかについてはまた稿を改めて論じよう。

カズオになくて賢太にあるもの

定期的にブログを更新しようと思っていても、なかなかうまくいかない。記事にできそうなネタが思い浮かぶと、一応下書きをしてみるものの、公開に至るものは一部に過ぎず、ほとんどは塩漬け状態のまま放置されている。週に1回ぐらいは怒りに任せて書き殴りたいのだが、そんなに腹の立つこともないので、難儀している。

 

やはり感情(特に怒り)が乗っているときは、フリック入力する指が滑らかに動く。出来はともかくとして、書いているときは楽しい。

 

読むにしても、書き手なり主人公なりの感情が発露しているものが好みだ。好きな小説を聞かれたとして、思い浮かぶのは一人称の作品ばかりだし、他人におすすめの作品を聞くときも「一人称で」などと注文をつけたりする。まあ、そっちの方が絞られるから、聞かれた相手も答えやすいだろう。

 

疫病の流行を受けて立ち読みが禁じられている近所のブックオフで、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』を購入したのも、パラパラとページをめくって一人称小説であることを確認してからのことだった。存外読みやすかったし、そこそこ感動もしたが、致命的な欠陥があった。

 

控え目に言って、あまり面白くなかったのだ。

 

池澤夏樹による解説を読んで、その原因ー面白くなかった原因というか、僕の好みではなかった原因ーがわかった。以下引用する。

 

「作家には、作中で自分を消すことができる者とそれができない者がある。三島由紀夫は登場人物を人形のように扱う。全員が彼の手中にあることをしつこく強調する。会話の途中にわりこんでコメントを加えたいという欲求を抑えることができない。司馬遼太郎はコメントどころか、登場人物たちの会話を遮って延々と大演説を振るう。長大なエッセーの中で小説はほとんど窒息している。…カズオ・イシグロは見事に自分を消している。映画でいえば、静かなカメラワークを指示する監督の姿勢に近い。この小説を読みながら小津安二郎の映画を想起するのはさほどむずかしいことではない」(『遠い山なみの光』、早川書房、272、273ページ)

 

池澤と違って、「自分を消す」作家は私の好みではない。読んでいて面白くない。歩いた街並みや、山頂から見下ろした景色ばかり丁寧に描写されても困る。そんなに絶景が見たいのなら、わざわざ本など読まずに、旅行に行くなりGoogleで画像検索をする。残念ながら私には読解力が欠如しているから、風景の描写から登場人物の心情を想像することなどできない。悲しいことがあったからといって、作中で雨など降らせないでほしい。いつまでも黙って向かい合ったまま茶をしばいていないで、思うことがあるのなら罵り合いや殴り合いを始めてほしい。私は行間など読めないし、読む気もない。どれだけ目を凝らして行間を見つめてもそこには何も書かれていないからだ。

 

上述のブックオフには、財政が逼迫していることもあり行く機会が増えた。田舎なので蔵書数は少なく、売られている西村賢太作品の約半数(といっても3点)を私が買い占める格好となってしまった。

 

カズオ・イシグロとは対照的に、西村賢太の作品は、私小説ということもあって、彼の考えていること、感じていることがありのままに描かれている印象を受ける。クズさや格好悪さや不様さまでもがさらけ出されている。単純に好みの問題でしかないが、私は西村賢太の方がカズオ・イシグロより面白いと思うし、私の「好みの問題」こそが全てなのではないかという気さえしている。ボクサーで例えるなら、カズオ・イシグロの戦法は相手との距離を保ちながらジャブを細かく当てるアウトボクシングで、西村賢太の戦法はパンチをもらうことを厭わず相手との間合いを詰め、大きく振りかぶったパンチを繰り出すゴリゴリのインファイトだ。その衒いのなさというか、スカしていない感じが読んでいて気持ちがいい。

 

私としても、スカさずに、矢吹丈のように両手をだらんとぶら下げたノーガードのスタイルで間合いを詰めていきたいところだ。でも、それはなかなかに難しい。どこまでいっても文章が上達した実感はほとんど得られない一方で、記事数を重ねていくとどうしても、「うまいこと書きたい」という邪な思いが芽生えてしまい、なんとなればそれは対象から距離をとる態度として結実しがちであるからだ。かと言って、インファイトをすることは、殴られることやパンチを空振りして不様な姿を晒すことを意味するから、どうにも踏ん切りがつかない。

 

ここに来てとんだ袋小路だ。

 

前に行っても崖、後ろに下がっても崖だ。あんじょう、性根入れて歩くしかない。

真理、倫理、論理ー我が集大成ー

(1)畳みきれない風呂敷を広げる序文

一見関係のない物事の間につながりを見出せると、それを成し得た自分の視点の独自性を、話すなり書くなりして誰かに伝えたいと思うのは、自然な欲求だろう。例えば、元阪神タイガース金本知憲が連続フルイニング出場(毎日休まず試合に出続けるってことね)の記録が途切れたとき、朝日新聞の『天声人語』では、コロンブスが新大陸を「発見」した1492年と、ギネスにも認定された金本の記録である1492試合を結びつけて、見事なコラムが書かれていた。曰く、両者とも不断の努力によって前人未踏の領域に到達したと。着想を得たとき、執筆者は小躍りしたことだろう。

 

ただ、金本とコロンブスのように全く無関係なものの方が、結びつけて語るのが実は容易なのではあるまいか。読む側は視点の独自性に目を奪われるあまり、多少のこじつけには寛容になるからだ。その最たる例は駄洒落だ。駄洒落は音が類似している語を並べただけのものであるから、「当然、意味上のつながりを欠いている(永井均、『マンガは哲学する』、岩波現代文庫195〜196ページ)」。それでも上手い駄洒落を聞くと、我々は思わずくすっと笑ってしまう。乱暴な言い方をさせてもらうなら、面白ければなんでもいいのである。

一方、何となく関係がありそうなものを結びつけて語るとなると、一気にハードルが上がる。視点の斬新さなどない文章に対しては、読む側も論理が一貫しているかをちゃんと意識するし、論理的に筋の通った文章を書くのは最も骨の折れる仕事の一つだからだ。でも、それこそが今から私がやろうとしていることなのだ。

 

ここ数年来、ぼんやりと考えていることがある。日常生活で感じたことや、本・ネットから得た情報を奇貨として、考えを深め整理しようと試みるも、なかなかうまくまとまらない。まとまらないのは、論を構築する大工(私)の腕が悪いからだけでなく、設計図(まあ、それを描いたのも私なのですが)に欠陥があって、そもそもまとまるはずのない論を無理矢理組み立てようとしているからかもしれない。後者の場合、すなわち設計図が破綻していた場合、何となく関係がありそうなものを結びつけて「論理的に筋の通った文章を書く」などといった私の野望は、脆く崩れ去ることとなる。でも、何事もやってみないとわからない。

以下で私は、自分の思考の断片を余すところなく、できることなら縦横無尽に語っていきたい。そして散りばめられた思考の「瓦」や「石垣」から、城を築きたい。堅固な城でなくていい。砂上の楼閣でいい。いや、もはや建造物でなくてもいい。

訳のわからぬことを言い始めたので、そろそろ本題に入ろう。

 

(2)政教分離の話から

政教分離の原則」とは、読んで字の如く、国家は宗教に関わってはならないという考えであり、日本国憲法第20条第3項においても、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定められている。では、何が「宗教的活動」に該当するとされてきたのかについては、判例を参照する必要がある。本節では、議論の都合上、津地鎮祭事件の判例を見ていこう。

 

この裁判では、津市が体育館の建設工事を始める際に、市民の税金を支出して地鎮祭(安全祈願の儀式)をとり行ったことが、上述の憲法第20条第3項が禁じている「宗教的活動」にあたるとの主張がなされた。しかし、最高裁は同条同項が規定する「宗教的活動」を次のように規定した。すなわち、

 

憲法20条3項にいう宗教的活動とは、…当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいう」(最大判昭52・7・13)。

 

そのうえで、

 

「本件起工式は、工事の無事安全を願うといった、社会の一般的慣習に従った儀礼を行うというもっぱら世俗的なものにすぎないと認められ、…宗教的活動にはあたらない」(同上)

 

と判示して、原告の主張を退けた。

 

この判決が出されるにあたっては、数人の裁判官から反対意見が提示された。中でも藤林益三の反対意見はなかなかに激烈で(津地鎮祭訴訟 上告審←ここから閲覧できます)、法律家が書いた文章とは思えない趣きがある。藤林は地鎮祭を「宗教的」ではなく「世俗的」とした判決に異を唱え、

 

「工事の無事安全に関する配慮が必要なだけならば、現在の進歩した建築技術のもとで、十分な管理がなされる限り、科学的にはこれにつけ加えるべきものはない。しかるに、工事の無事安全等に関し人力以上のものを希求するから、そこに人為以外の何ものかにたよることになるのである。これを宗教的なものといわないで、何を宗教的というべきであろうか」

 

と喝破する。熱量のこもった書きぶりであり、若干自分に酔っている感さえ漂う。嫌いではない。でも、そんなことより、藤林の反対意見を読んで私の目を引いたのは、彼の判断の前提となっている冒頭の次の主張だ。

 

「国家の存立は、真理に基づかねばならず、真理は擁護せられなければならない。しかしながら、何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また国民でもない。いかに民主主義の時代にあつても、国民の投票による多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えないであろう。真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。真理は、自証性をもつ。しかし、自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは、歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである」

 

色々と突っ込みどころの多い文章である。藤林は一体何を根拠に、「真理は、自証性をもつ」などといっているのだろう。これほど強い主張をするのであれば、何らかの根拠を提示すべきであるにもかかわらず、彼はそれをしていない。おそらく彼にとっては当たり前のことだからだろう。しかし、彼の主張は本当に「当たり前のこと」なのだろうか。本当に真理は多数決では決せられないのか。

 

(3)1+1=2である理由

前節で長々と裁判の経過を辿ったのは、実は最後の問いを導き出すためだった。遠回りの感は否めないが、必要な道だった。何せ、「縦横無尽に」論じると決めたのだから。

 

本節では、真理がどのように決せられるのかを、ウィトゲンシュタイン野矢茂樹を参照しながら考え、前節の最後に出た問いにアプローチしたい。

 

ウィトゲンシュタインが『哲学探究』において提示したパラドクスで、野矢茂樹により「規則のパラドクス」と呼ばれているものがある。それは次のようなパラドクスだ。

 

「規則は行為の仕方を決定できない。なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させることができるからである」(ウィトゲンシュタイン、『哲学探究』、第201節)

 

哲学探究』でウィトゲンシュタインが挙げている例では、「+2」という規則を教えられた生徒が「2、4、6、8、10…」と続けていく。ところが、何を思ったのか、千を超えたところからこの生徒は「1000、1004、1008…」と続けてしまう。「どうして急にやり方を変えるんだ」と言う教師に対して、彼は「えっ、「+2」というのはこういうことじゃなかったんですか?」と応じるわけだ(野矢茂樹、『心と他者』、中公文庫、249ページ)。

 

私が「+2」という規則を教えられたとすると、私は上述の生徒とは違い、千を超えたところからであっても、「ちゃんと」、「1000、1002、1004…」と続ける。では、私とあの生徒の違いはどこにあるのだろうか。「+2」という規則を教えられたときに、私は「1000の次は1002だな」と考え、件の生徒は「1000の次は1004だな」などと考えたわけではない。私にしても彼にしても、千を超えたときどうするかについては考えることなく「+2」の計算を始め、「…、994、996、998、1000」と順調に歩を進めてきた。そして私は千の次の数を「1002」と書き、彼は「1004」と書いた。私以外のほぼ全ての人も、千の次の数を「1002」と書くだろう。では、「1004」と書いた彼は間違っているのだろうか。これは一言では答えられぬ問いだ。

 

日常生活で、「そういうことなんだったら、そう書いておいてくれたらよかったのに」と思うことが私にはしばしばあるが、「間違い」を指摘された彼も同じようなことを思うのではないだろうか。すなわち、「1000の次が1002になるのなら、最初から『+2(1000以降は1002、1004、1006、…と続けよ)』と書いておいてくれよ」と。でも、仮に彼の言うように規則を書き換えたとしても、問題は解決しない。なぜなら、規則を書き換えたところで、彼が今度は二千を超えた時点(別に二千でなくて、任意の時点でよい)から突如「2000、2004、2008、…」と書き進める可能性を排除できないからだ。我々がそこで再び彼に待ったをかけても、「じゃあ最初から『+2(1000以降は…、2000以降は…と続けよ)』と書いておいてくれよ」と応じられるだろう。以下同じことの繰り返しだ。

 

「+2」という規則は様々な解釈の可能性に開かれており、そこにどんな注釈を加えても、規則から逸脱した(当の本人は「逸脱」しているつもりなど毛頭ないのだが)行動をとる者を想定できる。おそらく、規則「+2」に対する私の行為の仕方は、圧倒的多数の支持を得、例に挙げた生徒の行為の仕方は、皆に非難されるだろう。いや、もしかしたら彼は非難されることを見越して、自らの「本音」を隠して生きていくかもしれない。いつの間にかこの世界において、彼が思い描くのとは違う「規則『+2』に対する行為の仕方」が、成立してしまっている以上、自ら「逸脱」の烙印を求める道理などないからだ。でも、実は、この世界でスタンダードとなっている「規則『+2』に対する行為の仕方」は、無限の解釈の可能性に開かれたこの規則の中で、どういうわけか圧倒的多数の支持を集めているだけのものなのだ。

 

だから、私が少数派になる可能性ももちろんある。「1000、1002、1004、…」と書き進めていると、多くの人から奇異の目で見られたとき、その世界では、規則「+2」は、千を超えたら「1000、1004、1008…」とするのが、そのスタンダードな従い方であるのかもしれない。私は、「誤った者として道を正され、説得ないし再教育を施される。そしてさらに…ことの軽重に応じた処置がとられることになるだろう。軽い場合には無視され、重い場合には、私は異常として隔離ないし排除されるのである(同上262ページ)」。

 

書いていたら、ガリレイのことが頭をもたげたので、少し触れておこう。ガリレイはほとんどの人が天動説を唱えるなか、「それでも地球は回っている」と地動説を唱え、迫害を受けたのだが、結局彼の考えが正しかったのは、歴史が証明している。前節で紹介した藤林の、「多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えない」、真理は「歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである」という考えは、このような科学的事実にはある程度当てはまるだろう。だが、我々がどうすべきかを定める規則なり規範なりからすると、彼の主張はやはり的外れなのではないだろうか。

 

1+1のような単純極まりない計算式を前にしてさえ、「えっ、3ですよね」とか、「今日は雪が降っているから4です」などとのたまう輩が存在する可能性はある。しかし、どういうわけか、この世界は1+1=2と考える人が圧倒的多数を占めており、3とか4と答える者を少数の異常者とみなす。そうすると、1+1=2という「真理」は、実は多数決によって決せられたといえるのではなかろうか。そんな直観に反する疑問を抱かざるを得ない。

 

規則や規範について話していると、頭の片隅の記憶が疼きだす。やはり倫理についても触れておかねばなるまい。

 

(4)倫理がなしえぬこと

「どうして倫理学に興味をもってくれたのですか」

研究室を選択する際に行われたオリエンテーションのときにそう問われ、「倫理とかを勉強しておかないと、将来道を踏み外してしまいかねないので」と答えた私に対して、教官は「倫理学を勉強した人間が道徳的になるわけではないという研究結果は出ていますけどね」と応じた。果たして彼の言は正しかった。確かに私は倫理学を学ぶ前より、不道徳な考えを肯定できるようになっている。

 

「よい行為とは何か」を探求するのが倫理学であると、いつぞやの講義で聞いた。私もそう思うし、この見解に真っ向から異を唱える人は少ないだろう。一般的に「よい行為」「悪い行為」とされていることはたくさんあるが、倫理学においてはそこに疑いの目を向けて、深くその行為について考えることが求められるのだ。例えば、「自分がされて嫌なことは他人にすべきでないというのは本当か」であったり、「嘘をつくのは悪いことか」といったことが問われる。

 

中でも根源的な問いだと私が感じるのは、「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いだ。「なぜ道徳的であるべきか」とも言い換えられるこの問いは、倫理や道徳の由来を明らかにすることを目指す。様々な論者が多様な見解を披露している。曰く、「義務だから」とか、「最大多数の最大幸福の実現のため」とか、「回り回って自分の利益になるから」とか、「そもそも私が道徳的であるべき理由などない」とか、千差万別だ。「皆がそう言っているから」を第一の理由とする論者を私は寡聞にして知らないが、それはとりあえず措いておこう。ここでの私の関心は、「悪いことをしてはいけない」ー例えば「人を殺してはいけない」ーという倫理が成立している場合においてさえ、なお残るそこからの「逸脱」の可能性についてである。

 

「人を殺してはいけない」。これは、我々のほとんどが認めている、この世界のいわば「ルール」である。この世界では、どれだけ嫌いな人や憎い人がいたとしても、その人を殺してはならないことになっており、もし殺してしまったら然るべき罰を受けることになる。それでもいい、死刑になってもいいし、後ろ指をさされてもいいし、良心が痛んでもいい、それでも俺は人を殺すと主張し、殺人を実行しようとする者がいたとしたら、もはや誰も彼を止められないだろう。でも、少なくとも彼は「人を殺してはいけない」というルールを我々と同じように解釈している(その上で人を殺す選択をしている)だけまだましである。ここで、もっと深刻な問題となるのは、「人を殺してはいけない」というルールから、前節で例に挙げられた生徒が規則「+2」に対してそうしたように、我々が思いも寄らぬ結論を導き出す者である。「太陽が眩しかったから人を殺した」と言う者のように。「だったら『人を殺してはいけない(太陽が眩しいときも)』って書いておいてくれよ」と彼は口を尖らせる。彼の言っていることは我々からしたら訳がわからぬが、彼は彼なりの論理に従って行為しただけなのだ。

このような我々とは全く異なる論理に基づいて行為する者を前にしたとき、倫理に一体何ができるだろうか。「よい行為」と「悪い行為」を完璧に峻別した「倫理」なるルールブックがあるとしても、そこから逸脱(これまた当の本人は「逸脱」しているつもりは露ほどもないのだが)した行動をとる者が存在しうる。私は強烈なもどかしさを覚える。彼のような異常者こそ、倫理によって行動を制御すべきなのにそれは叶わない。このとき、倫理はあまりにも無力だ。

 

ここで、今一度規則のパラドクスを振り返っておこう。

 

「規則は行為の仕方を決定できない。なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させることができるからである」

 

倫理もまた、「規則」に含まれるだろう。ここに至るまで何度か「逸脱」という語を使ってきたが、そもそもどのように行為しても規則なり倫理なりに一致するのだから、そこに逸脱の余地などないのだった。かと言って、今更「逸脱」以外の語も思い浮かばないので、もうそのままにしておく。一応鍵括弧をつけているから、ご容赦願いたい。

「いかなる行為の仕方もその規則と一致させることができる」のは、ここまで見てきた通りだが、「行為の仕方」がまるで違う「異端者」に閉ざされているものがある。我々とのコミュニケーションの可能性だ。

 

「話せばわかる」と諭してくる犬養毅を、クーデターを起こした軍人は「問答無用」と撃ち殺した。おそらく、軍人からすると、犬養は話の通じない他者だったのだろう。意思疎通できぬ他者ーそれを極限まで突き詰めると、上で述べた訳のわからぬ論理で人を殺す異常者に行き着く。彼とうまくコミュニケーションをとれる自信が私にはない。私も彼も日本語を使うが、会話は全く噛み合わないだろう。私は彼とのコミュニケーションを諦め、自分と同じような論理に基づいて行為する集団ーこの世界でなぜか圧倒的多数を占めている「我々」と呼ばれる集団ーに立ち帰る。そしていざとなれば彼を社会から隔離・排除することに加担するかもしれない。

 

前節及び本節では、かなり極端な事例を扱ってきた。私はここらで場面を日常に移したくなってきている。

 

(5)誤読しえぬもの

仕事でわからないことを優しい先輩に質問すると、大抵の場合納得のいく答えを得られる。納得がいかない場合、私は「でもそんなことどこに書いてあるんですか」と質問を重ねる。先輩はファイルに綴じた分厚い書類を開きながら、「ここにこうやって書いてあんねん」と仕事のイロハが記されたマニュアルの文言を指し示してくれる。世界は素晴らしい。

しかし、ごくたまにそれでも納得できず、しどろもどろに質問しようとしていると、「で、結局何がわからへんの?」と逆質問される。優しいはずの先輩の眉間に一筋の皺が入るのが見え、私は自分の理解の悪さに辟易する。

「いや、おっしゃることはなんとなくは理解できるんですけど、マニュアルにも…とは書いてないじゃないですか」

「そんなことわざわざ書いてへんよ、だって大前提やん」

「はあ、そうですか」

私は引き下がざるを得ない。これ以上人を煩わせるのは本意ではない。でも、頭はもやもやしたままだ。大前提だとしても、いや、大前提だからこそ、明記しておくべきではないか。

 

先日こんな話を聞いた。

同僚が客から電話で相談を受けてあれこれ説明していると、その様子を見ていたお世辞にも優しいとはいえない先輩から電話が終わった後、「さっき…とお客さんに説明してるのを聞いてましたけど、そんなことどこに書いてあるんですか?何か根拠があるんですか?」と詰められたらしい。意地の悪さが清々しい。そんな風に思っていたのなら、電話の途中に伝えてくれればいいのに。詳しい話を聞くと、確かに同僚の対応にも責められるべき点はあったが、件の先輩が思うような対応がベストなのかも疑問だった。マニュアルには、同僚がやったようにせよとも、先輩が言ったようにせよとも書いていない。というか、そこでは大まかな前提が示され、いくつかの事例が挙げられているだけであり、同僚が体験したのと全く同じシチュエーションは想定されていない。では、起こりうる全ての事象を網羅したマニュアルを作成したら、問題は解決するのだろうか。答えはノーである。再び私の頭の中に規則のパラドクスが顔を覗かせている。「いかなる行為の仕方」も規則と一致させることができる以上、完璧なマニュアルも我々の行為を決定せず、同僚と先輩の対立はいつか再び起こるだろう。2人のうちどちらかが間違っているのではない。そもそもマニュアルは誤読不能であり、いかようにも解釈されるのだ。

 

そうは言っても、私の周りでは、

「この場合はこういう手続きをすべきでしょ」

「いや、でも外を見て下さいよ、きれいな虹がかかっているじゃないですか…」

といったやり取りは、これまでされてこなかったし、これからもされないだろう。対立があった場合に、どうにか妥協点を探れる他者の方がそうでない他者よりも私の周りには圧倒的に多い。マニュアルから導出される我々の行為の仕方も、概ね一致している。

でも、「言葉が通じない」他者は私の前にいつでも現前しうる。このとき、私もその他者にとって「言葉が通じない」他者であろう。我々はどうすべきだろうか。まさか殺し合うわけにもいくまい。ただ互いに沈黙して袂を分かつのみだ。

 

(6)結語

住み慣れた街だと普段通る道は大体決まっているので、散歩すると新鮮な発見がある。「ああ、この道はここに繋がっていたのか」と。頭の中も同様だ。日常でなんとなく感じていた引っかかりを掘り下げると、意外な考えに結びついたり、懐かしい記憶が呼び起こされたりする。ただ、それを誰かに伝えるとなると、常に困難が伴う。道端のガラクタを処分したり、砂利道を舗装してアスファルトを流し込んだりしなければならない。

道を一本開通させるだけでも難しいのだから、城を築くのは至難の業だった。冒頭では砂上の楼閣でもいいと述べたが、工事をしていると欲をかいて、どうしても堅牢な城を志してしまう。おかげで大工たちにはブラック労働を強いることになった。ここに感謝と謝罪の意を表明する。

城の耐震強度は、地震が起こらないとわからない。少々の地震では揺るがなくても、地殻変動が起こるほどの衝撃には流石に耐えきれないかもしれない。いや、もしかしたら風が吹いただけで脆く崩れ去ってしまうかもしれない。それでもいい。むしろ、そういう事態をー自分の考えがまるっきりひっくり返るような事態をー私は密かに待ち望んでいる。焼け野原からでも、大工たちは何度でも立ちあがる。

理解できぬものを求めて

100年ぐらいかけてやっとのこと、『青色本』(ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、大森荘蔵訳、筑摩書房)を読了した。いやー、訳わからんかった。意味のわからない文字列を最初から最後まで目で辿っただけのことを「読了」というのかについては、措いておく。今は、しばしばそうするように、自分で自分を褒めてやりたい。

 

古典とか名作とか呼ばれるものを多少なりとも読むようになったのは、大学に入ってからだ。それまでの僕にはおよそ読書の習慣などなく、もちろん「世界の名著」的なものを読んだ経験も皆無で、日本の近代文学にしても、国語の教科書に載っている『走れメロス』『羅生門』『山月記』ぐらいしか知らなかった。ウイニングイレブンウィトゲンシュタインじゃなくてね)に飽きたら、たまに伊坂幸太郎東野圭吾を読んで、大どんでん返しに心を躍らせる、極めて健全な高校生だったのだ。それが何の因果か文学部に入ると、義務感のようなものに駆られたこともあって、また、文学部生としての謎の矜恃も手伝って、難解な哲学書とか古典作品に手を出したりするようになってしまったのである。これがそもそもの間違いの始まりだったのかもしれない。

 

難解極まりない文章を読むのは苦行だったが、自腹を切って買ったものをそのままおいておくことは生来の貧乏性が許さなかったので、どうにか読破してきた。読み終わってもすっきりせず、頭に霧がかかった。「よくわからんなあ」と思いながら本棚にしまう。それでも何回かに一回はそっち系統の本を買うようになった。なぜ僕は自ら苦行を選択するような愚行を犯してしまったのだろうか。勤勉な学生だったから?違う。

 

本の内容がどれだけ難しいものであっても、ごくたまに腑に落ちる箇所に行き当たることがあった。さらに稀に、その箇所が刺さる。瞬間心臓を掴まれたような気分になる。本を読んでいてそんな風に感じたことがそれまでにあっただろうか。当たり前だと思っていたことがひっくり返り、世界の見え方が一変するほどの驚き。日常生活において後ろ暗いものとして抑え込んでいた感情が肯定されたことによる安堵。理解できぬものの中に潜む幾筋かの光明が、自らの血肉なっていくような実感。それらの積み重ねが今日この日の僕を作り上げたというのは、少し言い過ぎだとしても、逆にいうと少ししか言い過ぎではないだろう。大学に入ってから読んだ本が自分の脳内に多大なる影響を与えたのは、紛れもない事実だ。僕はこんな人間ではなかった。気づけば、伊坂幸太郎東野圭吾を読まなくなっていた。展開が早く、構成がしっかり練られている彼らの小説は確かに面白い。内容が淀みなく頭に入り、すいすいと読み進められる。伏線がきちんと回収されて、物語の幕が閉じる。そこにわかりにくさなどない。ゆえに、どこか物足りない。いつの間にか僕は、わかりにくいもの、理解できぬものを求めるようになっている。でも、これがいい変化なのかと問われると、甚だ疑問だ。

 

さえない日々を送っていると、「一体どこで自分は道を誤ったのだろう」と考えることがある。原因を探り、自分の現状を何かのせいにしたくなる。上で「間違いの始まり」などと書いたのも、そういった気持ちの表れだ。本を読んで身につまされたのか知らないけど、お前の現在地は「ここ」じゃないか。物事が何一つとしていい方向に動いていないのは、むしろお前がそんな本を読んで、小難しいことを考え、頭の中で理屈ばかりこねくり回しているからではないのか。内側からそんな声が響く。反論するのはなかなか骨が折れる。

 

「何が正しくて、何が間違っていたかなんて結局のところわからない」などと言うつもりはない。どんなことにも「正解」はあるはずだし、あってほしいと願うからだ。

 

考え方を変えてみるのもありかもしれない。

 

これからは、自分のこれまで選んできた道、そしてこれから自分が選ぶ道を「正解」と呼ぶようにしよう。「選んだ道を正解にするよう努める」のではない。そんな大変なことはしたくない。むしろ選んだ道がそのまま正解になる、間違えようがない、ぐらいの心持ちで生きていきたい。リャン面待ち、いや国士無双十三面待ちの人生。悪くないだろう。

 

大学に入る前までの僕では、こんな考えに至ることはなかった。それだけは確実だ。

生き恥を晒す生き方(あとがき)

ワンピース33巻で「生き恥をさらすくらいなら死ぬ方がいい」「右に同じ」と、ゾロとサンジが息巻くと、ロビンは「男ってこういう生き物よ…」と嘆息する。ジェンダーレス(!?)の現代の価値観には甚だそぐわない会話だ。まあ、僕としては、死ぬくらいなら生き恥をさらす方がいいと思っているから、調子こいた名前のブログで、ふざけた小話を書いた次第だ。命に危険など迫っていないにもかかわらず、積極的に生き恥をさらしてしまった。死んだ方がいいのかもしれない。

小説には大抵の場合、別の作家による解説が加えられているが、著者本人があとがきを付している作品というのは、それほど多くないように思う。そんな中、村上龍はほとんど(全部?)の作品であとがきを残している。

村上龍は好きな作家の一人で、これまでそれなりの数の彼の著作を読んできたのだが、中にはストーリーそのものよりもあとがきの方が印象に残っているものがあるほど、あとがきがいちいちかっこいい。小説家としての矜恃・使命、そしてこの国の社会を思うが故の諦観がそこには表れている。

僕はというと、特に何かの使命感に駆られて書いたわけでもなければ、憂国の気分をそこに込めていたわけでもない。ただ自分のごちゃごちゃした思いを、まず無数の点として散りばめ、その中のいくつかをどうにか線として結びつけたかったのだ。きれいな直線は引けず、不格好なぐにゃぐにゃ線になってしまったけれど、完全に失敗したとまでは言い切れない程度の仕上がりにはなったのではなかろうか。

 

最近折に触れて思い出す言葉がある。M・ウエルベックの『服従』の冒頭でのこんな一節だ。

「ただ文学だけが、他の人間の魂と触れ合えたという感覚を与えてくれるのだ。その魂のすべて、その弱さと栄光、その限界、矮小さ、固定観念や信念。魂が感動し、関心を抱き、興奮しまたは嫌悪を催したすべてのものと共に。文学だけが、死者の魂ともっとも完全な、直接的でかつ深淵なコンタクトを許してくれる。そして、それは友人との会話においてもありえない性質のものだ、友情がどれだけ深く長続きするものであっても、現実の会話の中では、まっさらな紙を前にして見知らぬ差出人に語りかけるように余すところなく自分をさらけ出すことはないのだから」(河出文庫服従』11ページ)

話を聞いてくれる人に対して、息つく間もなく話してしまうことがたまにある。そんなとき、もうすべてのことを話してしまいたい欲求に駆られている自分がいる。でも結局そんなことは不可能だ。自分の中には、その時点ではどう言い繋いでもしっくりこない思いがある。内面を隅々まで覗き込んで、その思いを言語化したくなる。僕が文章を書く理由の一つだ。 

少なくない数の小説が、読者の共感を集めるのは、我々が言語化したくてもできない思いの中には、普遍性を備えているものがあるからだろう。桜井和寿的に言うならば、「誰も皆問題を抱えている」(『HANABI』)のだ。そして、僕はというと、ウィトゲンシュタイン的に「問題はその本質において最終的に解決された」(岩波文庫論理哲学論考』11ページ)という瞬間を求めている。

 

まだまだまだ道半ばだ。

 

ブログでせこせこ書き、それを「生き恥」などと称して予防線を張っているうちは楽なものだ。でも、そこに僕が探し求めている「解決」などないだろう。

シャングリラ3(fiction )

(1)

風呂に入らずに寝ると、翌朝絶対に後悔する。昨晩洗い流されるはずだった汚れが身体にまとわりついている感じとともに目覚める。ただ、すぐ風呂に入るというのも億劫なので、眠くもないのに俺は目を閉じた。こうしていれば睡魔は再び寄ってくる。

ようやく風呂に入る気になったときには、すでに10時を回っていた。シャワーで済まそうとの考えも一瞬脳裏をよぎったが、身体が芯まで冷え切っている感じがしたので、湯船に湯を張ることにした。水が出る蛇口と湯が出る蛇口の両方を目一杯開く。体感で2分半数えた後、水が出る蛇口だけを閉じ、俺は脱衣所のない独房のような部屋で服を脱いで風呂場に向かった。開きっぱなしの蛇口は依然として熱湯を放出し続けている。俺は片足を湯船に突っ込み、ちょうどいい塩梅になっているのを確認して、蛇口を閉めた。湯は、寝そべったらどうにか肩まで浸かれるぐらいには溜まっていた。

冷えた身体に開いた毛穴という毛穴から温かい湯が浸透してくるのを味わい、束の間俺は多幸感に包まれる。囚人は3日に1回しか風呂に入れないというのを聞いたことがあるが、確かに現世で罪を犯した者が毎日この多幸感を味わっていいはずもなく、3日に1回ぐらいがちょうどいいなどとぼんやり考えているうち、早くものぼせ気味になってきたので、俺は肩まで浸かるのをやめ、半身浴に切り替えた。

寒い部屋で一晩寝た身体はなかなか温まらない。いや、正確に言うと、どれぐらいの間湯船に身を浸せば身体が温まったことになるのかがわからなかった。すでにぽかぽかしてはいるのだが、溝落ちの深くには決して消えない「冷え」の源があって、それは湯が伝える熱気に包まれるのを頑なに拒んでいるようだった。

便所と風呂の間にカーテンをかけ、風呂の栓を抜くと同時にシャワーで髪やら身体やらを洗い始める。まとわりついているのは汚れだけではない。暗い過去や先日の不快極まりない出来事。自分の不甲斐なさ。将来への不安。それらもまとめて洗い落とす。昔バラエティ番組で、好きな芸人が「自分は風呂に入る度に一回芸人を辞めている」と言っていた。その意味がわかった気がした。

 

(2)

後輩が今晩部屋を訪れることになり、鍋をすることで我々は一致を見たが、考えてみると、いや、みなくとも俺は鍋などもっていなかった。鍋のための食材ももちろんない。冷蔵庫に入っているのは水と米と数種の調味料だけ。それなのになぜ俺は自ら鍋をすることを提案したのだろう。久しぶりの知人の来訪に浮き足立っているのだろうか。鍋を買ったら後輩が喜ぶから?わからない。

 

振り返ると、昔から他人が喜ぶことをしたいという欲求は強かったように思う。それ自体はもちろん悪いことではない。ただ俺の場合ー他の人々もそうなのかもしれないがーその行為の目的は徹頭徹尾、自分が満足することだった。自分のしたことで他人が喜ぶーあるいは喜んでいるふりをするーのを見ると、自分を満たしている空白の一部が埋まる気がした。透明人間になる薬の効果が切れ、自分が世界に徐々に現れていく感じ。その体感は自分に何を与えても決して味わうことはできない。というのも、そもそも俺には欲しいものなどなかったからだ。

子供の頃から「何か欲しいものある?」と聞かれても、うまく答えることができなかった。一瞬いいなと思うものがあっても、心の奥底を覗くと、空洞が広がっており、思いは気づかぬうちに霧消していた。自分の欲するものがわからない俺は、必然的に欲しいものを手に入れられなかった。

以前知人がとある映画の主人公を「容れ物のようだ」と評して批判したことがある。確かに、「自分」をもっておらず、状況次第では慈悲にあふれ、雨が降り出すと泣き叫び、子どもと一緒に原っぱに遊びに行くと、笑顔を振りまく彼女の姿は、俺からしても違和感があった。ただ、俺はその様を表する言葉を持ち合わせていなかった。まさに「容れ物」という表現がぴったりだった。

その言葉は空っぽになったペットボトルを思わせた。床に投げるとカランコロンと転がる、可塑性をもった物体。水を入れると「水の入ったペットボトル」になるし、コーラを入れると「コーラの入ったペットボトル」になる。何者でもない故に何者にでもなることができる。無限の可能性をもつなどといえば聞こえはいいが、それ自体では無個性な存在。それを知人は「容れ物」と評したのだろう。仮に最初から砂糖や塩が入っていれば、何を加えようとも砂糖味や塩味になる。ここで砂糖や塩で例えられるものは、人間でいうと個性であり、我々の個性を形成するのは、各人の思いだったり、欲望だ。そうすると、それらを持たない俺もまた「容れ物」なのではないだろうか。ふとそんな不安に駆られることがあった。

 

部屋の掃除を終えた後、服を着替え、ランニングをすることにした。これは唐突な思いつきだった。先ほど風呂に入ったとき、鏡を見ると薄汚い肥満男が写っていた。瞬間これが俺であるはずがないと思う。しかし、俺が右手を上げると同時に、鏡の中のデブは左手を上げ、左目を閉じると、右目を閉じたため、おそらく俺自身が薄汚い肥満男なのだろうと結論づけた次第だ。

別に1日走っただけで痩せることはないし、痩せたところで何かいいことが起きるわけでもないが、薄汚い肥満男であるよりは、健康的に痩せた男である方が、未来が明るくなるように思われた。俺は重たい身体を揺らしながら走る。久しぶりの運動の割には、存外速く走れるのが嬉しかった。

道路は珍しく渋滞しており、歩道からは車内の様子が見渡せた。気難しい顔でハンドルを握っているサラリーマンや後部座席の子どもをあやす母親。泣き叫びながら運転手の男を叩き続けている女もいる。交差しない無数の人生と無数の宇宙がそこにあるなどと偉そうなことを考えていた罰は、すぐに当たった。

国道沿いにある繊維工場を右に曲がった瞬間、右ふくらはぎが自分の意志とは全く無関係な痙攣を起こした。激痛が走り、俺はその場で立ち尽くす。どこかで足を伸ばさねばならない。ふくらはぎの内側にある筋肉を思い切りつねり上げられているような痛み。それは時間の経過とともに薄れていくが、完全に消え去ることはなかった。折り悪く雨が降るなかを、俺は半ば片足を引きずりながら歩いて帰った。

 

足を痛めたことで、鍋を買いに行くというミッションは当初より一気に難易度が上がった。今日1日は、まともに歩くことは叶わないだろう。しかも約束の時間は迫ってきている。人生がうまくいかない。俺はいらいらしながら家具店に向かった。

味気ない一本道を歩く。人が歩いたところが道になるケースもあるが、この街はその逆で、支配者がまず道をつくり、そこを人に歩かせている。人が歩くことによりできた道ではないから、どことなく無機質で、歩きにくかった。道は適度に曲がりくねっている方がいい。そう思った。

20分程歩くと、目的地の家具店に着いた。だだっ広い店内。神に挑むことを途中で諦めたような高い天井。ここから最適な鍋を探し出すのは至難の業ではないかという暗い予感は、まんまと的中した。鍋が売られている一角には、大小様々な土鍋が陳列していたが、俺が求めているのはこういう鍋ではない。こんな鍋でしゃぶしゃぶをするとなると、ミニコンロなどない俺の部屋では、冷める度に台所で加熱し直さなければならない。プラグをコンセントに差し込むことで加熱を継続することができるタイプの鍋が、俺には必要だった。が、なかなか見つけられない。待ち合わせ時間は刻一刻迫ってきている。しかも、食材と酒を買うというタスクがまだ残っている。俺は再びいらいらしてきた。

目当ての鍋を探し当てたのは、店に入って30分ほどたった頃だった。それを持ってレジに向かっていると、パウダービーズが詰まった大きなクッションが目に入る。なんでも「人をダメにする」がコンセプトで、売れ筋の商品らしかった。そこで、後輩が座る椅子が部屋にないことに思い当たる。俺は踵を返し、折り畳み式の座椅子も小脇に抱えた。なんでこんなことまでしているのだろうか。わからなかった。会計は1万円を超えていた。

 

帰り道は苦行だった。重い荷物に、痛む足。冬が迫っているのに、額には汗が滲む。俺はぜいぜい息を吐きながら、往路の約倍の時間をかけて、ようやくマンションにまでたどり着いた。

久しぶりに重たいものを持った腕は、悲鳴を上げていた。腱鞘炎の一歩手前とでもいうべきか。なんでこんな痛みを感じなければならないのかわからず、三度いらいらしてくる。部屋に上がり込むなり、座椅子を床に、鍋をベッドの上に放り出した。鈍い音が鳴り響く。俺は何も持たず、手ぶらで、立ち尽くしている。