玉稿激論集

玉稿をやっています。

激しく倒れよ

「倒れるなら絶対ここがいいですよ」
先輩がそう言ったものだから、
「役者がたまに言う、舞台の上で死にたいみたいなやつですか?」
と返すと、言下に否定された。
「そんな格好いいものではないです。職場で社員が倒れたとなったら、上層部を人を増やす方向に動かざるを得なくなるってことです」
なるほど、一理ある。しかし、人間の身体というのは、存外に丈夫にできていて、倒れようと思ってもなかなか倒れてくれない。印刷物を取りに行くため、自席からコピー機へ歩を進める僕の足取りは、我ながら重いのは確かだが、倒れるというのには程遠い。
 そんなわけで、ここのところ、よく働いている。
 まあ、残業が多いのは効率の悪さに依るところも大いにあるのだが、やること大杉漣なのも事実だ。
 取り急ぎ、愚痴を並べ立てさせていただく。
 何から始めましょうか。
 まあ、まずは、一にも二にも、三にも四にも人が少ない。これに尽きる。元々少なかったのに、他部署への応援に駆り出されるわ、異動になるわで、あれよあれよと、ひとりまた一人と去って行った結果、ちょうど一年前に当部署に異動してきた僕と、同じ時期に採用された後輩が最古参という、ちょっと有り得ない事態が出来している。
 いや、なんで血の入れ替えしてくれとんねんって話なのである。まるで、鬼の新指揮官が就任したプロ野球チームだ。え、俺らって星野監督就任一年目の阪神だっけ?それとも落合GM就任一年目の中日?野球にそれほど明るくない向きも、そういった疑念が頭に浮かぶような有様なのだ。いや、事態はもっと深刻だ。なぜというに、星野や落合がやったのはあくまでも、血の「入れ替え」だからだ。当然の話だ。古い血を抜いた以上、新しい血を入れないと、組織は倒れてしまう。献血をした後しばらくグッタリするのは、血液を抜いてから、また新たな血液が体内で生成されるまでに一定の時間を要するからだ。だのに、新しい人員を補充することなく、ただ人を減らすなんて、まるで鷲巣麻雀だ。負ける度に血を抜かれる、あの鷲巣麻雀だ。
 しかし、本当に脆弱な体制だと思う。各業務の担当者が一人しかいないから、その人が休んだら勿論のこと、ちょっと窓口に出ただけでも、おおわらわしてしまう。まあ、全員が「広く、浅く」業務に習熟すれば解決する話なのだが、如何せんそんな暇もないときている。
 そして、客である。
 暇さえあれば、電話をかけてきて要領の得ぬ質問をし、調べればすぐわかることを調べずにこちらの手を煩わす、我々の仕事を増やすのに一ミリの余念もない、あの、客である。
 何だってあの連中は、これ以上ないバッド・タイミングで、これ以上ない面倒な話柄を、これ以上ない横柄な態度で、我々に持ちかけるのだろうか。ある意味、神の領域に達しているとさえ言える(いや、言えない)。過日も、うららかな昼下がりに手にした受話器から、「今後、同じことで問い合わせるのは二度手間、三度手間になるから、今ここで全部説明してくれ」と、当方の事情も顧みることなく、延々40分も対応させられた。通話口から響く声が手となって、僕の首根っこをグッと掴む。話す言葉がそのまま仏になったという空也上人の逆パターン。逆・空也だ。
 と、お気づきの向きもあるだろうし、既にして己でも覚っているが、これだけ文句が言えるのなら、まだまだ倒れるなんて境地には程遠い。心配御無用である(誰もしていないだろうけど)。
 平成のグレイテスト・ショーマンこと、島田紳助は若い頃、色紙にサインをするときに「激しく倒れよ」と書き添えていた。
 長じた後に彼が添える一言は「夢中とは夢の中」に変じたそうだが、前者の方がグッとくる。
 激しく倒れよ。
 ただ倒れるだけでは飽き足りないのである。どうせ倒れるのなら、激しく、激烈に倒れねばならない。