玉稿激論集

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場所の引力

 駅から程近いはずなのに、辿り着くまでには案外時間を要してしまった。土地勘が皆無の者にとって、渋谷の街は迷路そのものだった。
 ついにここに来た。感慨もひとしおだった。
 思えば、「聖地巡礼」と称して、好きなアニメの舞台となった土地だったり、歴史的事件の起きた跡地を訪れる連中を心中で見下していた。聖地などそうそうあるものではないし、巡礼にしたって半端な覚悟で出来やしないだろうと。そもそも単なる観光をかように称するのは、大袈裟であるのみならず、メッカやイェルサレムといったガチの「聖地」に、目をバッキバキにさせて(させていないか)「巡礼」する方々に対して礼を失していると。
 それでも気づいたら、此度の旅程に該地への訪問を組み込んでいた。いや、「気づいたら」などと云うのは、些かわざとらしい書きぶりである。正直に申し上げると、知人に会うために東京へ行くことが決まったときには既にして、そこへ赴こうとの決意を確かに固めていた。晴れて、己が馬鹿にしていた「聖地巡礼もどき」の仲間入りを果たす運びとなったのである。
 かのロック・シンガーのファンでない人にとっては、そこはただの歩道橋の一角でしかないと思う。通勤や通学の際に毎日通っていたとしても、そんなものがあるなんて気づかないかもしれないし、仮に気づいていたとしても壁の落書きくらいにしか思わないだろう。しかし、私は違う。
 ついに辿り着いた、待たせてすまない。
 そう思った。
 何が「ついに」なのかはわからないし、別に彼を待たせてわけでもない。だけど、思ってしまったものは仕方がない。
 在りし日の尾崎豊が焼け付くような夕日を振り返った歩道橋の上である。ファンの間では広く知れ渡った聖地で、『十七歳の地図』のサビが刻まれた銀板の横には祈りを捧げる尾崎豊レリーフが設えられている。
 そして、その周りに記された無数のー本当に数えきれないーファンからの直筆メッセージ。「また会いに来た」。「いつもありがとう」。「あなたの歌や言葉があるからなんとかやっていける」。単純だがその分だけ熱い言葉が並ぶ。
 尾崎豊のことを何とも思っていない向きからしたら、あるいはこの種のメッセージはすべからく「イタい」ものに映るのかもしれない。無理はない。私だって、太宰府天満宮に掛けられた絵馬の中に好きなアイドルグループの再結成を願うものを見つけたときは、少なからず冷笑したのだから。
 土台ファンなど皆イタいというわけだ。
 ただ、意外だったのは、そこを離れ難く感じたことである。情緒を解さず、何かを深く味わうのに不得手で、どんな名所を訪れてもすぐに飽いてしまう私にとって、それは新鮮な驚きだった。
 別に心の安らぎを覚えたわけではない。なぜか尾崎豊が見ていたのと同じ夕日をぼんやりと眺めていた。
 渋谷の街は次第に暮れなずんでゆく。11月の冷え込みは容赦がなく、無防備な耳がきりりと痛んだ。辺りが夕闇に沈み切ったときに時計に目をやると、知人との待ち合わせ時間が迫っているのに気づく。ようやく腰を上げ、歩道橋の階段を下りようとしたとき、女性の親子連れとすれ違った。
「やっと来れた」
すれ違いざま、確かにそう言ったのが聞こえた。
 忘れられない聖地巡礼だった。