玉稿激論集

玉稿をやっています。

赤い心

 時期尚早。一報を受けたときまず浮かんだのがこの四字熟語だった。選択肢ー無論私に何らの権限もないわけではあるがーの一人には勿論入っていたものの、このタイミングでの就任にはやはり驚かざるを得ない。
 何の話かと訝る向きはないとは思うが、念のため付言しておくと、新井貴浩のことである。此度我が広島東洋カープの新監督に大抜擢された新井貴浩のことである。
 つくづく数奇な運命を辿る男だと思う。
 兄貴分の金本知憲がチームを去った後に4番を任されたものの、期待されたほどの成績は残せず*1、チームを浮上させることは叶わなかった。
 金本の後を辿るように阪神へ移籍したのは、2007年のオフ。大好きなカープを去るのは苦渋の決断だったが、優勝争いをしたい気持ちが勝った。退団会見では大粒のーいや、本当に物理的に大粒のー涙を流しながら「カープが大好きなんで、辛かったです」と絞り出した。だったら何で裏切るんや。わけわからん、◯ねばいいのに。当時全ての広島県民が抱いた感慨だった。
 新天地でも苦難は続く。後一歩のところまで来ても、チャンピオンフラッグはまるで蜃気楼のように手の中をすり抜けていく。優勝したい。その一心が力みに繋がり、チャンスでなかなか一本が出ない。不甲斐なさを誰よりも感じているときに投げかけられるどぎつい野次は、心身に堪えた。あんなに大好きだった野球を心から楽しめなくなっていた。縦縞のユニフォームは何年経ってもしっくりこない。そして、やっぱりカープが好きだった。
「どのツラ下げて帰ってきたんや」
そう言われるとばかり思っていたカープ復帰後の初打席、マツダスタジアムは大歓声に包まれた。涙が溢れそうなのは退団会見のときと同じだが、あのときの涙とは意味が異なる。ここに骨を埋める。そう決意した瞬間だった。

 と、新井貴浩プロ野球人生をざっくり振り返ってみると、此度の人事への感慨もひとしおであるが、やはり冒頭の言が頭から離れない。早いのだ。コーチ経験もない彼に果たして監督が務まるのだろうか。彼のフィロソフィーでチームを立て直すことができるのだろうか。いや、そもそも新井貴浩にフィロソフィーがあるのだろうか。
 しかし、じゃあ誰だったら満足なのかと聞かれると答えに窮してしまう。以下、新監督の候補だった人物を一人ずつクサしていく。

 野村謙二郎。新監督の最右翼だった男。我々ファンの間でも「もう一回謙二郎にやらせてみよか」といった空気は確かに蔓延していた。現場を離れて外から野球を勉強したのだから、前政権時のような謎采配をすることもないだろうと。しかし、なんと言っても新鮮味に欠ける。それに、若干スパルタっぽいから、今の時代には合わないかも。落選。
 緒方孝市カープをリーグ三連覇に導いた前監督。実績もさることながら、現監督と比べて数段ビジュがいい。現役時代の画像なんかを見返してみると、私の好きなロックシンガーに似ていると思われるものだってある。ビジュアルは問題ないが、ビジョンについてはそうはいかない。チームの黄金期を作り上げたにもかかわらず、「名将」の称号を得ていないのは、フィロソフィーがなかったからではないか。一番にも二にもフィロソフィーが求められているチーム状態を上向かせられるとは残念ながら思えない。勿論新鮮味もないし、落選。
 前田智徳。孤高の天才。私の一番好きな野球選手。2013年に現役を退いてからは、野球解説者として人が変わったように饒舌になったものだから、寡黙だった頃の前田を好きだったファンの中には心離れした向きも少なくないようだが、やはり私は前田が好きである。しかし、いくら贔屓目で見ても、彼の監督になるイメージはなかなか湧かない。コーチ経験がないのは前田の実績を鑑みると、さほど問題ではないが、彼がチームをまとめて強くしていくことに長けているとはどうしても思えないのだ。何しろ天才の前に「孤高の」と付けられる男である。「名選手、必ずしも名監督ならず」を地で行く未来しか見えない。落選。
 石井琢朗。ダークホース。コーチとしてリーグ三連覇を支えた男。カープ以外での指導者経験も豊富だし、内野手出身だから野球観も確立されていそうではあるが、大きな問題が一つ。外様なのだ。即ち、彼がカープの生え抜きの選手ではなく、長じた後に横浜から移籍してきた選手であるということが監督就任にあたっては大きな枷となってしまうのだ。我が広島東洋カープは弱小球団であるにもかかわらず、スタンスだけは一丁前で、巨人軍同様純血主義を貫いている。血の掟はそうそう簡単には破られない。それに、娘さんがプロテニスプレイヤーを目指しているらしいから、今は野球にかまけている暇などないかもしれない。泣く泣く落選。
 黒田博樹。神様かつ仏様。カープからメジャー・リーグへ羽ばたいた後、ヤンキースからの20億のオファーを蹴ってカープに復帰し、チームを25年ぶりの優勝に導いた、カープファンなら足を向けて寝ることが許されない男。「いつかは黒田さんに」。皆心のどこかでそう思っているが、いかんせん生活拠点がロサンゼルスなのでこのタイミングでの監督就任は現実的ではない。それに、チームがズタボロのときに招聘していいようなお方ではない。優勝への礎が整ったときに初めて、我々も西海岸へ向かって三つ指を立ててお願いすることができるというものだ。

 こう考えると、消去法ではあるが、新井貴浩の監督就任も無理からぬような気がする。
 まあいっちょ、お手並拝見とさせていただきたい。掌を返す準備は整っている。
 本当に頼んます、新井さん。

*1:あんまり活躍していた印象がなかったのでこう記したが、ホームラン王を獲得していたことを忘れていた。調べてみると、打率も全然悪くない。悪し様に言ってしまって申し訳ない。