玉稿激論集

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トカゲを飼っていた話

どこまで話したっけ。

 

昨日の続きから話したいけど、最近物忘れがひどくてねえ。

 

とりあえず引っ越してから、小学校に入ったところぐらいから話すわな。

 

というか、最近あそこらへんの道を久しぶりに通ったんよ。すっかり様変わりしてたなあ。高速道路を作ってる最中らしいよ。ミスチルの『ランニングハイ』思い出したわ。また僕を育ててくれた景色が何気ない壁になったよ。

 

ガキの頃の話をしていたのに、すぐ話が脱線してしまうな。どんな子どもだったけ。もう数十年前の話だから、記憶が曖昧なんよね。でも、確実に今よりは調子に乗っていたと思う。人生負けが込んでくると、なかなか乗りたくても調子に乗れんものよね、悲しいけど。

 

で、あんまり思い出せることは多くはないんだけどさ、そんな中でも鮮明に覚えていることがあるからさ、今日はその話をするよ。もういつもは寝る時間だけど。

 

今まで世に言うペットというものを飼ったことがないんだよね。小学校の数ヶ月だけ飼ったあのトカゲを除いては。

 

学校に行く途中で捕まえたんよね。逃げようと必死で指を噛んできたことも、鮮明に思い出せる。僕は宝物を手に入れたような気分になって、その日は学校の授業もそっちのけで、机の引き出しにトカゲを入れ、逃げないようにずっと見張っていた。

 

その日から、新しい家族が一人(一匹)増えた。毎日学校が終わって家に帰ってくると、ランドセルを放り出し、近所の空き地へ餌のバッタを捕りに行く。そんな日々を送っていた。振り返っても本当に楽しかった。

 

捕まえてきたバッタをゲージに入れ、トカゲが生きたバッタを丸飲みにしていく様を、僕は毎日飽きることなく眺めていた。子どもというのは残酷なものなのだ。その残酷性はまだ僕の中に残っているのだろうか。それとも、年月の経過とともに消滅してしまったのだろうか。まるで熱したフライパンの上でラードが溶けていくように。

 

小学生の頃のことなんて、今となってはほとんど思い出せないのだけど、そのトカゲを飼っていた記憶だけはやけに鮮明だ。それだけ愛着をもって育てていたのだろう。毎日ゲージから出して一緒に遊んでいた。触りすぎて日に日に弱ってしまい、手から離れずじっとしている様を見て、自分に懐いているのだと勘違いするくらいには、無邪気な子どもだった。

 

まあ、もう、だいたい結末はわかるよね。  

 

夏休みのある朝、起きたらトカゲは死んでいた。そのときのトカゲの目を忘れることができない。僕を憎んでいるように見えたからだ。とても安らかな死顔とは思えなかった。突然捕まえられたかと思うと、狭いゲージに閉じ込められ、毎日べたべたと触られ、真綿で首を絞められるように息絶えたのだから、当然といえば当然だろう。

 

僕は近所の公園の木の下にトカゲを埋めた。

 

あれ以来、ペットは飼っていない。