玉稿激論集

玉稿をやっています。

ディストピアと化した世界で

セラミックナイフが嫌いだ。

 

何も切れないような見た目をしているくせに、鋭い切れ味をしているのが、何とも不気味に思えるからだ。

 

刃物は刃物らしく、ギラギラとした刃を光らせて、「気安く触るなよ」というメッセージを発するというのが、刃物が危険物として身につけておくべきマナーだと思う。

 

今、帰宅途中の電車で書いている。目に映るすべての人がマスクを着けているこの光景も、もはや見慣れたものになってしまった。最近は外でマスクをしていない人を見ると、「おいおいこいつマジか」とさえ感じてしまうようになった僕は、一体何に蝕まれているのだろうか。マスクを着けることがマナーと化した「アフターコロナ」とか「withコロナ」とか呼ばれる世界は、全員がマスクをしている分だけ、ちょうどその分だけ、コロナ前の世界より息苦しくなってしまわないだろうか。

 

マスクを常に着けていることの弊害は、息苦しいことだけではない。個人的には、ニキビが増えていることが悩ましい。まあ、「大した悩みじゃない」って言われたら、それまでだけど。

 

息苦しいし、ニキビは増えるし、マスクをしていていいことなんか一つもないにもかかわらず、外出前には新しいやつを開封している。エレベーターの前まで行ってマスクをしていないことに気づき、部屋まで戻ったこともある。ウイルスは微細なものだから、マスクの隙間から容易に侵入してくるのに、マスクを着けずに外の空気を吸うと、なんとなくイガイガしたものが喉に入ってくる感じがする。ここまでくると、少しカルトじみている。

 

これほどまでに恐れられているウイルスなのに、僕の周りに感染者はいない。知り合いが感染者だという人にも会ったことがない。毎日テレビで報じられている感染者はこの世界のどこにいるのだろう。

 

コロナ騒動以来、明るいニュースはほとんどないような気がする。そんなに悪いことが頻発しているわけでもないけど、なんだか冴えない。騒動をきっかけに、色んなことがオンラインでできるようになったのは、確かに好ましい変化なようにも思えるけれど、まだ不慣れなところも多い。リモート出演しているバラエティタレントの空元気を見るのがしんどい。オンライン飲み会で、対面しているときとは異なる間やテンポで会話するのがやるせない。通信速度がどれだけ速くなったとしても、突き破ることのできない壁がそこにはある。 

 

いきなり帝目線になってしまって、大変恐れ多いのだけれど、「人心が乱れておる」と思う今日この頃である。車上荒らしに遭ったという先輩曰く、警察に被害届を出したら、「最近増えてるんですよ」と言われたらしい。国外に目を向けると、買い物袋を提げて帰る夜道には気をつけないといけないとも聞く。人心さえも蝕むウイルスを余は深く憂いている次第だ。

 

もしかしたら、こんな状況はそう長くは続かず、案外早くかつての日常が戻ってくるのかもしれないが、今はそんなことは想像できない。YouTubeで過去のスポーツスタジアムの映像やライブの様子を見ると、「こいつらこんなに密集してて大丈夫か」と思う。物事は大きく変わってしまったし、これから作られる新しい「当たり前」には豊潤なものが何もないことを思うと、いささか暗鬱な気分にもなる。

 

 

 

みたいなことをつらつら書いていたんだけど、どうやら大丈夫そうやね。今日も同期と王将行ったし。よかった。よかった。まあ、おそらく俺が1月頃患った、頭痛と発熱と喉の痛みと身体の怠さと寒気となかなか治まらない咳が、例のウイルスで、俺が弱めの抗体ばらまいたから、会社では誰も感染しなかったんじゃないかな。ノーベル平和賞ものですね、これは。戯言もこんな感じにして、明日もテレワーク頑張ろう。そろそろ何か始めなきゃなあ。