玉稿激論集

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レジ袋の都市伝説

7月からほとんどの店でレジ袋が有料化された。ついにこの日がやって来てしまった、と感慨もひとしおだ。悪い意味で。

 

とはいえ、そこまで大きく変わったことはない。よく行く近所のスーパーはもともと有料だったし、変化といえば、コンビニで「レジ袋、ご利用ですか」と聞かれるようになったことくらいだ。

 

もちろん「はい、お願いします」と答えている。レジ袋はすばらしいからだ。

 

まず、僕のように、コンビニやスーパーで、弁当やら惣菜やらを買って、家で食べる者にとっては、レジ袋がそのままゴミ袋になる。食べ終えて空になった容器をそのまま捨てると、臭いも気になるし、コバエとかも寄ってくるだろうが、レジ袋に入れて密封して捨てれば、その心配はない。

 

三角コーナーに入れる袋としても最適だし、遊びに行った帰りに、汚れた衣類を詰め込むことだってできる。

 

重たいものを入れてもそうそう破れることはないし、防水性にも優れている。

 

こんな風に書いていると、そもそもどうして今まで無料でレジ袋をもらえていたのか不思議に思えてくる。失って初めてわかるありがたみというか。

 

ただ、僕の周りには「エコバッグ」なるものを持っている人が多く、彼らからすると、買い物に行くたびにレジ袋をもらうというのは、どうにも「もったいない」行動に思えるらしい。

 

でも、ちょっと待ってほしい。どれだけ強調しても、強調しすぎということはないと思うが、たったの3円である。1年365日毎日もらったとしても、1000円ちょっとだ。僕の給料は時給で換算すると、おそらく1000円から2000円の間に収まるから、1時間働くだけで、1年分のレジ袋の元がとれるのだ(ちなみに先日このことに気づいた僕には、「よし、この1時間はレジ袋のために頑張ろう」と思いながら働いた1時間がある)。

 

話はお金のことだけに留まらない。手ぶらで買い物に行けることに、僕は大きな価値を置いている。買い物に行くたびに、小さく折り畳まれたエコバッグを持ち、買い物先でそれを広げ、帰って来たらまた小さく折り畳む。こういうひとつひとつの「動作コスト」とでもいうべきものが、レジ袋をもらうことによって、カットできるのではないだろうか。

 

こういう話をしていると、最終的にエコバッグ派が持ち出してくるのが、環境の話だ。曰く、毎回レジ袋をもらうなんて、エコじゃないと。環境のことを考えるなら、エコバッグだと。こうくるわけだ。

 

確かに、僕が地球環境のことを考えて行動していないというのは、一点の曇りもない真実だ。まあ、でも、とりあえずそれは一旦置いておくとして、レジ袋をもらわずエコバッグを使うことが、どのように環境によいのかについては、もう少し詳しい説明をしてほしい。でないと、陰謀論の存在を疑いたくなるから。

 

レジ袋同様、便利だからという理由で、このテの話題になると、よくする話がある。どこで聞いたのかも思い出せない、都市伝説的な話だ。こんなの。

 

レジ袋を作るのに使用される石油は、石油のなかでもかなりランクの低いもので、言うなれば「レジ袋くらい」にしかなれない石油なのだ。その言わば「石油の搾りかす」を使ってレジ袋を作ることは、エコでさえある。そう、人はレジ袋を作るために、石油を掘らないのだ。エコバッグを作るために掘ることはあっても。  

 

信じるか信じないかは、あなた次第だ。

 

消費税みたいに、これからレジ袋も値上がりしていくだろう。僕は都市伝説の正しさが証明されるまで、粛々とレジ袋を買い続けるだけだ。