玉稿激論集

玉稿をやっています。

小田嶋隆に寄せて(加筆・修正版)

 冒頭にて訃報ジョークを飛ばした駄文をブログに上梓して約一週間。何の因果もあろうはずがないが、小田嶋隆死去のニュースが飛び込んできた。瞬間絶句してしまう。
 僕はTwitterアカウントを削除して久しいー実のところそれほど久しくもないーが、それでも世間を騒がす事件が起こったときには氏の反応が気になって、わざわざ検索エンジンに「小田嶋隆 ツイッター」などと打ち込んでは、そのクリスプなつぶやきに目を通すことが屢々あった。この頃はほとんどツイートしていなかったし、アイコンにも痩せ細った近影が写されていたから、体調が優れないのだろうとは思っていたものの、まさかこんなに早くこの世を去るとは夢想だにしていなかった。
 しかし、こうなると、当世に僕の敬する作家というのが一人もいなくなってしまった感がある。
 初めて読んだ著作『ア・ピース・オブ・警句ー地雷を踏む勇気』の前書きからし*1、引き込まれた。今手元にないから記憶を辿るより他ないが、「毎週苦心して書いたコラムをまとめた本書を手にして、満面の笑みを浮かべている。日本語を読むことのできる全ての人類に読んでもらいたい」といったことが記されており、元より自分のことを天才だと言い切る人に惹かれるタチの僕は、この段階ですでに「当たりの作家」との邂逅にそれこそ満面の笑みを浮かべる展開にもなったのである。
 以来、学生時代は彼の本をそこそこに買い漁り、毎週水曜日にウェブ媒体に掲載されるコラムも欠かさず読んでいた。酒席などにおいて、世間を騒がせているスキャンダルについての見解を問われた際に、まるで自分の意見みたくして該コラムに記された氏の見解を得々と口にし、その場を沸かせたことも少なくない。それくらい影響をモロに受けていたのだ。
 笑い声を上げてしまうくらい面白い文章なのに、読み終えたときにはその才能にある種の畏怖さえ感じさせるというまことに稀有な書き手だった。
 西村賢太が享年五十四歳、小田嶋隆が享年六十五歳。前者は死ぬまで酒を飲み続け、後者は若年時にアルコール依存症の診断を受けているとはいえ、人生というのは案外に短いものらしい。
 だから悔いのないよう生きねばなどというサムい台詞を吐くつもりはない。
 しかし、静かな夜である。部屋に籠っていると、物寂しささえ募ってきそうな感じである。とりあえずコンビニに行こう。
 今日は少し多めに飲んでもいいだろう。勿論節度は保つつもりだ。そもそも上述の二人みたく身体を壊すまで飲む度胸などないのだからして。

(後記)
 日経ビジネス電子版に昨年十一月に掲載された「晩年は誰のものでもない」において、小田嶋隆はアマチュアの書き手の文章を添削した経験をこう述懐している。

 一流企業のそれなりの地位にいる管理職のおっさんが、情感にあふれた珠玉のエッセーを書いてきたり、本職では医療事務にたずさわっている女性が、意表を突いた着眼でさらりと笑わせる小洒落たコラムをものしたりしていて、プロであるはずの私にしてからが、直すところのなさに往生したものだった。

 小田嶋によると、彼我の違いは一つだけだ。

 私のような職業的な書き手と彼らのようなアマチュアの凄腕に差があるのだとすれば、「職をなげうっているかどうか」だけだ。

 さらにこうも謙遜してみせる。

 いかに達者な文章を書くからといって、ライターという稼業が、独立研究機関の研究職や航空会社の地上勤務の職を蹴飛ばしてまで挑む価値のある仕事であるのかといえば、はなはだ疑問だと申し上げざるを得ない。

 続いて、ライターが買い叩かれている現状や、質の低いテキストがアクセス数を稼ぎ、マネタイズに成功している事態を慨嘆したうえで、彼は「こんなバカなことが長く続くはずがない」と断じ、文章の質が正当に評価される時代の到来を予言している。
 そして、こう締め括る。

 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。
 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある。

 殆ど誰にも読まれぬブログをこれで二年以上続けている僕にとって、これ以上のエールはないと感じ入る一方で、こうも思う。
 即ち、これは「勝者の余裕」ではないかと。書き手としてトップを走り続けてきた彼が言うからこそ、それは虚しさを伴わずに僕に響くのではないかと。
 おそらく、彼ほど自分の仕事に誇りを持っていた人もいないのではないかと思う。
 できることなら、僕もかの文章添削講座に参加して本人に真意を問いたいところだが、肝腎の小田嶋がもういない。

 

*1:因みに、文章に「からして」を使うのは間違いなく小田嶋隆の影響である。尤も、彼の場合は文末にこの語を頻繁に用いていた印象があるが。

告解

 肉親からの着信履歴に妙な胸騒ぎを覚えた。単純な用件ならショートメッセージで伝えればいいものを、そうしていないのが何とも不穏だ。折り返しの電話に出た先方は明らかに何かを言い淀んでいる様子。またぞろ誰かが死んだか危篤か。心の準備は整っていないが、とりあえず深呼吸する。
「あのさぁ…」
僕は相槌も打たず、ただ耳を傾ける。伝える側もそれなりに心の負担がかかるのが訃報というものの常であるから、急かすことはしない。候補は何人かいるが、ここでそれを発表するほど僕も落ちぶれてはいない。まあしかし、人の生き死に(正確には「生き死に」ではなく、「死に」の方だけだが)には本当にいつも心が参ってしまう。何も救いがない。それなりに一生懸命働いてきて、それなりに大切に思ってくれている人もいて、それなりに愛した人もいたはずなのに、最期に訪れるのが死だなんて、結句は棺桶に収容されて丸焼きにされるなんて、はたまた焼き上がった骨を海に散らされたり、鳥につつかれるなんて(まあ、そこは本人の希望次第、遺族の気分次第ではあるが)、何とも締まらない。といって、不老不死がいいのかと問われれば、「不老にはそれなりに惹かれるけど、不死はねえ」との答えにもなってしまう。何故というに、死によって解決される物事もまたあるだろうと思っているからだ。別段死への希求がある訳ではないがーこの素晴らしき人生にあって、あろうはずもない(←イチローの引退会見風に)ー、一般論として申し上げると、死は全てを解決しがちなのだ。死によって解決を見た、というより終結せざるを得なかった事柄は、それこそ枚挙にいとまがないだろう。
 と、一瞬の間にそこまでの考えを広げた後でもあったから、続いたのが
「抗体検査したらさあ、陽性だったんだよね」
 とのコンフェッションには、些か拍子抜けをしてしまった。
 陽性だった。この言に対して、「何が?」と問う必要がなくなってから、どれくらい経ったのだろう。沈む夕日をいくつ数えたろう(©️長渕剛『乾杯』)。「コロナはネガティヴ(陰性)だけど、心はポジティヴ」というのは、僕の手による標語だが、まさか血を分けた肉親がポジティヴ(陽性)でそれに伴い当然にネガティヴな思いに打ち沈んでいる事態を迎えようとは夢想だにしていなかった。しかし、あくまで驚きは隠しておく。ああ、そっちの方ねと。確かに体調悪そうだったし。とりあえず誰も死んでいないようでよかったとの安堵も湧き上がってくる。
 しかし、これはこれでなかなかに面倒な事態に巻き込まれた感は否めない。罹患した肉親が気の毒なのは勿論としても、件の流行性感冒が画期的かつ厄介なのは所謂「濃厚接触者」を発生させる点にあるのはご承知の通りであり、ゴールデンウィーク終盤に帰省していた僕が紛れもなくそこに該当してくる事実を思うと、たださえ連絡をとりたくない会社に、このご時世では一番したくない報告をするのは憂鬱至極だし、そのせいで上司も煩瑣な手続きに追われてしまうことになるかと思うと、どうにも申し訳ないうえ、職場復帰した際の周囲の目や、積もりに積もった仕事を想像すると、ここはいっちょ、覚悟というか悪度胸を固めねばならぬとの結論に至るまでに然程時間はかからなかった。
 それだから、
「抗体検査、お前も受けてくれんかねえ」
との、申し訳なさ気な雰囲気を醸し出した頼みも言下に断ったのには、上述の事情もあったのだが、いま一つ大きな理由があった。
 僕にしてからが、若干、いや、ハッキリと体調を崩していたのだ。
 体調を心配する肉親に対しては、「全然大丈夫」などと答えておきながら、実のところ、バリバリに熱っぽかったのである。帰りの新幹線の中から違和感を生じ始めていたノドは明確に痛んでいたし、会話の最中も咳を堪えるのに難儀した。即ち、PCRを受けたくなかったのは、自分も感染しているという事実に、即ちニュースで毎日発表される「数」に自分も早晩カウントされる現実に向き合うのが、どうにも耐えられなかったからでもあるのだ。
「〇〇駅で無料の検査会場があるらしいから、明日そこに行ってくれんかねえ」
「それで会社には明後日の朝連絡して…」
先方はなおも食い下がり、細々とお願いをしてくるが、僕の心はもう決まっていた。
 一体に、俺ほど素直で人の言うことをよく聞く人間もそうはいないとの自覚を持つ僕でも、何年かに一回、何かの拍子にテコでも動かなくなる。物を動かすのにこの上なく適した原理であるところの、あのテコでも動かなくなるのだ。此度もかの宿痾が部屋の片隅から顔を覗かせていたのだから、この程度の嘆願では決意が揺らぐわけもない。
 食欲はいつも通りだった。イオンで買った中華丼をビールで流し込む。ビールの味がいつもと違うように感じたが、鼻詰まりによるものと決め込む。仕事が二日後なのが不幸中の幸いだった。とりあえず明日は絶対安静だ。
 熱は三十八度を超え、咳もひどく、身体もだるかった。コンビニで購入したスポーツドリンクやらヨーグルトやらカップ麺やらを飲み食いして、一日を凌ぐ。自分が感染源となって、職場でクラスターが発生する事態も容易に想像がついたが、自らの行動記録をバカ正直に申告するなどという殊勝な気概はとうに捨て去っていた。何せ、こちらは悪度胸を固めているのだ。それはもうカチコチに。
「悪度胸を固めて出勤する」というのもよく訳のわからぬ事態ではあるが、ともあれ僕は頭がボーっとする中、翌朝いつも通りの時間に家を出た。
 職場では「まだ」クラスターは起こっていない。

(後記)
 コロナ禍が始まった頃、国境警備(?)の仕事をしていた。当初は「震源地」と目されている国からの観光客も制限せずに受け入れていたと記憶している。無論、彼我ともにノーマスクである。するうち、十四日以内に都市Xに滞在歴のある者は上陸できなくなったが、まさか観光客にGPSを付けている訳でもないから、所詮そんなものは先方の自己申告に依るところが大であり、殆どというか、全く意味をなしていなかったように思う。そんな中で、発熱、咽頭痛、頭痛、寒気、倦怠感、咳及び鼻詰まりの症状に襲われた。
 周囲にはただの風邪とか、インフルエンザのなりかけと嘯きー仮令そうだとしても普通に休むべきだがー出勤を続けていたものの、あれこそコロナウイルスだったのではないかと今でもよく思う。しかも天然の、初代の新型コロナウイルスである。オミクロンだのBA.2だのの、現今の変異を繰り返して弱毒化した「養殖もの」のコロナとは、もう、コロナが違うのである。その「一級品」の方を思いきり吸い込んでいるとなれば、どんな抗体よりも心強い。そんじょそこらの抗体とは、もう、抗体が違うのだ。
 まあ、真相は定かではないが、あのときに患った乾いた咳は二年以上を経た今でも寛解には至っていない。今でも何となくノドがイガラっぽい。
 これが治まったときに漸く、僕の中でのコロナ禍が終わるのだろう。
 
(おわりに)
 伝説の三冠王落合博満は、そのプロ生活において、節目となるヒットー500本目、1000本目、1500本目、そして2000本目ーを全てホームランで飾ってきた。優勝請負人と呼ばれた江夏豊は、あの王貞治から三振を奪って、シーズン最多奪三振記録を塗り替えた。
 何が言いたいかというと、CoCo壱番で、いや、ここ一番で、力を発揮するのがプロフェッショナルだということだ。
 僕の場合はどうだっただろうか。ホームランを打てただろうか。三振を奪えただろうか。
 百本目となる記事である。

週末日記(ニ)

五月二十七日(日)

 七時起床。眠気激しく、二度寝。十時再起床。
 十一時過ぎコンビニへ赴き、朝(昼)飯、二リットルの水、パイプ用洗剤を購入、同時に水道料金も支払う。
 帰室し、サンドウィッチとマウントレーニアのカフェラテを食した後、風呂掃除。パイプユニッシュが大活躍する。これほど効果覿面ということは、絶対何かヤバいものが入っている。まあ、何はともあれ、懸念事項(パイプの詰まり)が一つ解消される。
 自室にて昨晩からの作業を再開。何てことはない、トレーシングペーパーを用いたブックカバー作りだが、紙を折り畳み、そこに本を収納する単純作業に結構な時間没頭する。案外に自分は内職向きなのかもしれない、手先は篦棒に不器用だが。
 作業中のバック・グラウンド・ミュージックは、浜田省吾のアルバム『愛の世代の前に』。かれこれ中学生の頃から聴いているが、改めて完璧なアルバムとの感想を抱く。スキップできない名曲がこれ以上ない順番でラインナップされているアルバムとしては、該アルバム以外では尾崎豊の『十七歳の地図』と『回帰線』ぐらいしか思い浮かばない。
 大人への反逆を歌ったシンガーとしては、尾崎豊がその嚆矢とされがち(?)だが、浜田省吾こそがかのフィールドの開拓者のように自分には思われる。「教室じゃ俺いつも窓の外を見てるだけ」、「退屈で死にそうな授業」、「Highschool Jail」等の歌詞が出てくる『独立記念日』(上述のアルバムの収録曲)は、彼のヘビーリスナーだった尾崎豊に間違いなく影響を与えたことだろう。
 中学生の頃、駅前の小さな本屋の店頭に貼られていた「浜田省吾ライブDVD『MY FIRST LOVE』近日発売」とのチラシに何故か惹きつけられた。それまでも聴いたことはあったが、特にハマりはしなかったのに。部活帰りに当時も今も大金の五千五百円を握り締めて購入したDVDは、それこそ擦り切れるまで見たし、部屋にはポスターを貼って飽かずに眺めた。無論聞いている音楽について話の合う友人は皆無だった。まあ、これは今でもさして変わらないが、この頃は好きなミュージシャンを聞かれて割に躊躇いなく答えられるようになったのは、特段悪い変化でもないだろう。
 作業終了後、NHKにて日本ダービーの観戦。言葉を交わしたことのあるジョッキー二名を応援するも、勝たず。やはり武豊は強い。
 昼寝をしていないことに思いが及び、少し焦燥感に駆られる。若干眠いので、ひとまず消灯して午睡。体内時計のアラームのみ一時間後に設定。
 十七時過ぎに目覚める。体内アラームが正常に起動したことに、「作戦通り」との笑みを浮かべる。勿論漫画『Death Note』の夜神月本歌取りである。一息ついて、イオンにて晩飯の調達。暑い。
 日没後、気温が幾分か下がったのを確認してから、ランニング。3.6キロ。一時に比べて頻度は減じたが、これでもう1年半以上習慣的に走っている。継続がいつしか強大な力に転化するのを願う。などと、訳のわからぬ抽象的なことをほざいているようでは何も進歩はないだろう。
 ところで、己にはさしたる大志もないくせに、目標へ邁進している他人にそれっぽい発破をかける悪癖が自分にはある。過日も目標の実現を「遅かれ早かれ」目指すとした知人に対して、「遅かれではあかんやろ」などと無責任な言辞を弄してしまった。まあ、その時の偽らざる思いだったから致し方ないか。   
 自分ももっと速く、もっともっと速く走りたい(などと、訳のわからぬ抽象的な以下略。)。
 帰室後、すぐさま入浴、洗濯、計量。マイナス0.3キロ。些か軽量に過ぎる感あり。
 前の前の職場には自分とほぼ同じ身長で、自分の二倍近い体重の同僚というか先輩がいた。別に太っていたわけではない(まあ、そういった面もなくはなかったが)。はちゃめちゃに筋トレをしていたのだ。週五日ジムに通い、120キロを超えるベンチを上げ、メジャーリーガーでもないのに決まった時間にプロテインを補給する該先輩と自分は、性別と二足歩行ぐらいしか共通点がなかったにもかかわらず、なぜか意気投合した。
 奇妙な疫病の流行の煽りを受けて閑散を極めていた職場にあって、バカ話にでも興じようと先輩の机に赴くと、宮沢賢治の詩集を読んでいた。
「『永訣の朝』が好きなんです」
「妹が死んだときに詠んだやつでしたっけ?」
「そうです、なんで知っているんですか?」
「いや、まあ、なんとなく」
漫画『六三四の剣』で主人公・六三四が該詩に何故か感動して落涙していたからなぞと言っても、わかってもらえないだろう。
「『春と修羅』とかもいいですよね。あとあれタイトル忘れたけど、未来圏からの風がどうたらとかいうやつ。あれもかっこいい」
こういう会話が所謂「マウンティング」を抜きにできる人が職場にいたことが新鮮な驚きだった。
 緊急事態宣言中、会社から「街に出るときは気を張って街に出ましょう」などとという開いた口が塞がらぬ達しが出た際にも、退勤後サイゼリヤにて先輩と酒宴を開いた。勿論自分は定期的に先輩に対し、「気、張ってますか?」と確認することを怠らなかった。
 自分の異動が決まった際も、堺の焼肉屋でサシ飲みした。会計時、「今日は払いますよ」と言う先輩に、「いや、申し訳ないです」と財布を取り出すと、「あ、じゃあ、お願いします」と伝票を渡されそうになったから、思い切って「ラリー下手か!育ち悪いんですか!?」とぶち撒けると、大いに笑ってくれた。結局、二軒目も多目に払ってもらったから、締めのラーメン代だけは自分が出した(はず)。
 晩飯。上海焼きそば、油淋鶏、出汁巻き玉子、ほうれん草の胡麻和え。缶ビール二本。
 そろそろブログも切り上げて、明日に備えて寝なければ。仕事がアホほど溜まっている。書類に痛罵を浴びせかける五日間がまたぞろ始まる。
 天才芸人・粗品が開発した、この上なく腹が立ったときにするツッコミが「お前のこと誰が好きなん!?」だ。彼はさらにこう続ける。
「いや、お前のこと誰が好きやねん!?」
「ええことないねやろ、普段生活してて、なあ」
「お察しします!」
「お前親大切にせえよ」
「親だけや、お前の味方は」
 粗品の影響かどうかは不明だが、ここのところ書類に小声で毒づく際の決まり文句として、「お前何だったらできんねん!?」が定着しつつある。折角だから、粗品の「おまだれ」的に二の矢、三の矢も開発したい。

週末日記

五月二十一日(土)
 六時半起床。二度寝。八時に近所の喫茶店でモーニング。満席に近く、カウンターに案内される。待っている間も客足は絶えず、ついには外に列が出来始める。小倉トースト、茹で卵、ヨーグルト。普通に美味いが、朝っぱらから並んでまで食うほどのものではない。
 帰室後、読書をして時間を潰す。
 十時五十分より、ミッドランドスクエアにて、『シン・ウルトラマン』を鑑賞。五段階評価でニ・七といったところか。自分は『シン・ゴジラ』の方が好みだ。
 帰途、『力丸』にて味噌ラーメンと唐揚げの定食。満足。
 帰室後、二時間昼寝。起きて後、イオンにて晩飯を購入。雨天の為、ランニングは敢えなく中止。
 入浴後、計量。マイナス0.6キロ。
 晩飯。半額寿司、味噌串カツ二本、魚のフライ、ほうれん草のおひたしを缶ビール二本と赤ワイン三分の一本で流し込む。

五月二十二日(日)
 六時半起床。二度寝しようとしたが眠りが訪れず、敢えなく読書。藤井太洋Gene Mapper-full build』。
 コンビニにて朝飯を購入。鮭おむすび、チーズクリーム入りのパンケーキ、ホットコーヒー。
 食後、ようやっと睡魔。昼前まで二度寝
 昼過ぎに部屋を出て、駅前のジュンク堂へ。目当ての本はなかったが、立ち読みが捗る。夭折した歌人の作品集を手に取る。帯によると、該歌人の人生は映画化もされているとのこと。いじめられ、正規の職にも就けず自殺した者をイケメン俳優が演じていることに違和感を覚える。まあ、イケメンでモテていたら自殺なぞしなかっただろうというのは、流石に安直に過ぎるか。
 ところで、著者略歴の欄には、死没したことは記されているものの、自殺とは書かれていないのは、一体どこに対する配慮なのだろう。最近急死した芸人のニュースでも、同様の配慮がなされていた。件のネットニュースの画面をスクロールすると、「いのちの電話」の番号まで案内されている。ここまでくると、自ら命を絶ったのがバレバレだ。
 特に好きではない人であっても、有名人の自殺の報を聞くといつも気分が打ち沈む。自分でさえそうなのだから、周りの芸人たちの哀しみは計り知れない。後輩芸人のTやAが気丈にラジオで話すのを聞くのはなかなか辛かった。何せ病気で死んだわけではない。自殺なのだ。これはもう、どうやっても笑いに昇華できないだろう。放送事故になってもいいから、嗚咽を上げて泣いてほしかった*1
 昼飯は駅地下で親子丼。八百円。上げ底
 徒歩でイオンへ向かい、晩飯の調達。レジにて年齢確認さるる。この街では初めてだ。見た目がガキに見えたとしても、買っているもので判断してほしいものだ。
 帰室後、広島対中日戦をテレビ観戦。辛勝。堂林もやればできる。勝利を確認した後、昼(夕)寝。
 十八時起床。ランニング日和だが、ちと暑いので、日が暮れるまで読書時々YouTube
 十九時よりランニング。二キロ。まあ、走らぬよりはマシ。
 帰室後、入浴、洗濯、計量。なぜかプラス0.6キロ。
 晩飯。春巻き、ヤンニョンチキン、ほうれん草の胡麻和え、納豆、玉ねぎ入りの薩摩揚げクラフトビール、レモンサワー、生ビールの順にこなしながら、藤井太洋Gene Mapper-full build』を読了。良い線を行っている。
 続いて、Amazonより届いていた文學界2018年1月号所載の『黄ばんだ手蹟』を読む。満足。これにて西村賢太の創作(小説)のうち、商業誌に発表済のものは今週末に発売される遺作『雨滴は続く』を除いて全て読んだことになる、多分*2
 晩年の西村賢太作品は、師・藤澤清造への思慕や小説書きとしての矜恃を綴った内省的なものが多く、暴力・暴言描写は随分と鳴りを潜めている(過激な描写に喜ぶ読者を西村自身はあまりよく思っておらず、「縁なき衆生」と切り捨ててさえいる)。これらの作品群と所謂「秋恵もの」の間に勿論優劣が存在する訳はないが、前者において描かれている、藤澤清造への苛烈なまでの思慕の純粋さには、自分も強く惹きつけられる。
 勢い余って、『四冊目の『根津権現裏』』も復読する。
 振り返ると、そこそこ本を読んだ一日。

*1:話は逸れるが、昔、明石家さんまのラジオのリスナーが、さんまが失恋話を面白おかしく話すのを聞いて、「悲しいときは悲しいって言ってください」と便りを送ったところ、なんと本人から返事があったらしい。『明石家電視台』に出演していた該リスナーが披露するその手紙にはこう書かれていた。「ありがとう、こんなつまらない男に…」

*2:「商業誌に発表」との限定を設けたのは、西村賢太がデビュー前に自費出版した『田中英光私研究』があるからだ。これも出来るなら入手したいが、高値が付いているうえ、ネットで確認する限りは全て落札済みなので、とりあえずは雌伏を決め込んでいる。

残酷の才能

 何となく有給休暇をとった日に、布団に寝そべりながら、大谷翔平の二本のホームランをリアルタイムで拝めたのは僥倖だった。解説を務めていた元メジャーリーガーの岩村明憲は、スロー映像を見ながら大谷の打撃をこう分析していた。
「バットでボールの内側を叩けていますよね。状態が良い証拠です」
成程、確かにバットの真芯は白球の内側を捉えている。だからこそ痛烈な打球が左中間に飛んでいくと云う訳だ。
 ただ、大谷がどこまで意識して「ボールの内側を叩いて」いるかは定かではない。何せ、ボールは時速150キロ超のスピードで放たれているのだ。体感速度は恐らくそれ以上だろう。ボールの内側にコンタクトするようなスイングが意図的にできるとはとても思えない。そもそもボールがちゃんと「見えて」いるのかさえ定かではない*1。それでもどういうわけか、大谷のホームラン数は並み居るメジャーリーガーの中でもトップクラスだ。
 大谷ぐらいの選手になると、どのように身体を動かせば打球を遠くへ飛ばせるのかについて、ある程度言語化することもできるだろう。大谷はホームランを打つ「コツ」を掴んでいる、多分。しかし、大谷が説明するような動きをしたとして、一体彼以外の誰があれほどの活躍をできるだろうか。
 昔、島田紳助が『行列のできる法律相談所』で、王貞治がホームランを量産できたのは、一本足打法だったからではないし、イチローが誰よりも多くヒットを打てたのは、振り子打法だったからではないといった話をしていた。「そんなんで打てるようになるなら、皆真似するやろ」と*2。こう云ってしまえば、元も子もないが、彼らは天才だから打てるのだ。「あの人らバッターボックスに足を埋められたとしても、打ちよるで」。
 あいつらはモノが違う。剣道をやっていた頃、よく抱いていた感覚だ。僕自身、短くない期間習っていたから、全くの雑魚ではなかったとは思うが、ついぞ強豪の仲間入りを果たすことはできなかった。同じタイミングで面を打っているはずなのに、審判の旗はいつも彼らの側に上がる。こちらのフェイントが全く通用しない。テキトーにあしらわれている感じ。勿論強豪校の連中は僕らとは違い、毎日死ぬような練習を、それこそ血反吐を吐くような練習をしている。でも、自分が同じような練習をしたとして、彼らに比肩するほど強くなれるというイメージがどうしても湧かなかった。
 如何ともし難い実力の差があるのはわかっていたけれど、どうにかそこに辿り着きたかった。部活を終えて帰ってきて、近所の石段を意味もなくダッシュした。ペットボトルに砂を詰めて、素振りをしていたこともある。ひょろっこい身体にあって、ふくらはぎと腕の筋肉だけが妙に発達した。
 忘れられない試合がある。誰もビデオに撮ったりはしていなかったはずだから、僕の記憶の中にあるだけだが、今でもときに思い出す。その日は一回戦目から県で一番強い奴と当たることになっていた。トーナメント表を見た途端に、己のくじ運の悪さを呪う。友達も見ているだろうから、とにかく不様な試合だけはしまい。そんな心持ちで臨んだ一戦だった。
「始めっ」
主審の声が鳴り響くとともに、立ち上がって気合を入れる。オリャーー。壁のようなガタイをした相手は、どっしりと構えている。ひとまず僕は打ち込む。小手からの面。当たり前のように竹刀で受けられ、鍔迫り合いに突入する。さて、次はどう仕掛けていこうか、そう思った瞬間だった。
「やめっ!」
奴が少し力を込めただけで、僕は場外に吹っ飛ばされていた。反則一回。
 強え。僕はほとんど苦笑いしていたと思う。これが案外に良かったのかもしれない。迷いが吹っ切れた。もう思い切りやるだけだ。試合が再開されると同時に一気に技を畳み掛ける。試合は途端に乱戦の様子を呈する。県ナンバーワンはやはり伊達じゃない。一つ一つの技のキレが段違いだ。それでも僕も負けじと応戦する。一瞬の虚を突いて相手の面を狙う。世界がスローモーションになる。僕の竹刀が奴の防具を完璧に捉えた。思い切り体当たりすると同時に、再び吹っ飛ばされる。床に倒れ込んだが、三人の審判は確かに僕が背中に付けているタスキの色と同じ旗を上げていた。県ナンバーワンから一本を取ったのだ。

「いや、お前、マジで勝てると思ったんじゃけどなあ」
華麗なる逆転負けを喫した僕に、友人が言った。見事な面で一本を取った直後、再び乱戦に持ち込まれた僕はよくわからないうちに胴で一本を返されて試合を五分にされ、最終的にはまたぞろ相手の怪力により竹刀を落とされてしまったがために、二回目の反則を取られ*3敢えなく負けてしまったのが、友人からするとどうにも勿体ないように写ったらしい。僕はというと、意外にもすっきりしていた。確かに負けたのは悔しいが、何かを掴んだ感覚があった。あのスローモーションの世界。あれこそが強豪たちがいつも見ている世界なのかもしれない。自分も「あちら側」に行けるかもしれない。漠然とそんな感覚に捉われた。

 しかし、事はそんなに上手くは運ばなかった。一流アスリートが云うところの「ゾーン」はそれから僕に訪れることは殆どなかったように思う。結局は中途半端な成績しか残せず、部活を引退することになった。
 剣道から離れてもうかれこれ10年が経つ。でもあのときの感覚が忘れられない。自分にも光るものがあるかもしれないという淡い予感。剣道ではついぞ掴めなかったあの瞬間を僕は今も探し続けている。

*1:因みに、我が広島東洋カープに在籍していた石原慶幸は、サヨナラホームランを放った試合のヒーローインタビューで、「目を瞑って振ったら当たった」と発言していた。

*2:論理の飛躍があるような気もするが、とりあえず措いておこう。

*3:反則二回で一本になる。

俺の価値観を問うな

 職業柄、「そういう決まりになっているので」と応対する場面が屢々ある。だからどうしようもないと思いますと。それで大抵の場合、相手は引き下がってくれる。時には不満気な表情を浮かべもするが。
 だから先日電話をしてきた客ー正確には関係者ーが「どうして許可にならないのですか?」と聞いてきたときも、同様の応対をしたわけであるが、相手は納得しない。
「何ていう法律ですか?正式名称を教えてください」
「少々お待ちください」
嘆息しながら、電話を保留する。オルゴール音で『ラヴァーズ・コンチェルト』が流れ始めたのを確認した後、異動してきて以来一度も開いておらず、最早ブックエンドの役目しか果たしていなかった真っ赤な法令集に手を伸ばす。保留の時間が長引くようなら折り電をするというのが、自他を共に束縛する鉄則であるこの世界にあって、俺はひとまず大きな伸びをした。ああ、めんどくせえ。一本の電話を取ってしまったばかりに、煩わしい仕事が増える。いつもの展開だ。この部署に限らず、社会人というものは、どういうわけか電話が鳴ってもワンコールは「寝かせる」習性を持っている。ワンコールも「寝かせず」、むしろ本格的に鳴り出す前の「カチッ」という音に神経質に反応して受話器を取る俺が貧乏籤を引いてしまうのは、自然な成り行きである*1
 法令集をパラパラと捲り、目当てのページに辿り着くまでにどれくらいの時間を費やしただろう。保留を切って相手に「〇〇法第〇条第〇号第〇項です。もう一度申し上げます、〇〇法第〇条第〇号第〇項です」と言って事態は一件落着の筈だった。しかし、さらに此奴は食い下がる。
「その法律の趣旨は?」
「確認します」
保留。ラヴァーズ・コンチェルト。とりあえずもう一度大きく伸びをした後、今度は腕組みをし、誰にアピールするわけでもないが考えるふりをする。趣旨ねえと。保留、解除。
「趣旨とかは特にわからないですが、まあそう云う決まりなので」
押し切り体制に入る。マウントポジションはとれていないが、これで終わりだ。王手、チェック、リーチ、からの詰み、チェックメイト、ロン。受話器は既に耳からの離陸体制に入っている。安全よし、前方よし、天候よし。フライトレーダーの確認も怠らない。後は電話機に向けてランディングするだけだ。しかし、敵は攻撃の手を緩めない。
「あなたの考えを聞かせてください」
アナタノカンガエヲキカセテ。異星人から発射された音速の新型ミサイルに脇腹を抉られた俺は、思い切り顔を顰める。意識が遠のいてゆく。
 朦朧とした意識の中、俺の頭には一つの映像が浮かんでいた。先日死去した元都知事の記者会見。とある記者に戦没者を祀る神社に参拝するかと問われて、「勿論」と答えた後、彼はこう続けた。「君は俺が参拝するのをどう思う?君の考えが聞きたいな」
 俺は泉下の都知事閣下と話しているのだろうか。いや、そんなわけはない。ということは、俺は都知事でもない奴に価値観を正されているのだろうか。怒りが身を焦がす。ありったけの弾薬を装填し、リロードする。ターゲット・ロックオン。RDY TO FIRE.
「No one can question my value.」
俺の口から放たれたミサイルが奴に命中する。ゲーム・エンド。名古屋、春。クレーマーに明日は来ない。

(後記)
実際は「何人も俺の価値観を正すことなどできない」とは流石に言えず、テキトーに出任せを並べ立てた。奴はそれに対しても噛み付いてきたが、何を言われたかは正確には覚えていない。ただ、最終的に云うことがなくなったのか、とち狂ったのか、ー後者でないのを祈るばかりだー「もしあなたに権限があるのなら」と前置きした上で、こんなことを言ってきた。
「このおかしな法律を変えるように働きかけてほしい」
電話一本で繋がる職員に法律を変える権限があると本気で考えているのだとしたら、もう出来ることは一つしか残されていない。
「はい」
ウェルダンでも、レアでも、ブルーでもない生返事。分かり合えぬ悲しさと眠気に襲われる午後三時。

*1:本題とは関係ないが、愚痴ついでに云うと、「お前らいい加減電話とらんかい!!」と激昂する日を俺は密かに夢想しているのだ。そうなって全てに終止符が打たれる事態を心のどこかで待ち望んでいるのだ。しかし、そんな日は恐らく来ないだろう。そして俺は明日からも電話を取り続けるだろう。「お前だってワンコール寝かしたらいい」という意見は傾聴に値するが、「苦手なことから逃げていたらいつまで経っても成長しない」と云う熱苦しい精神論こそ、俺がいざとなったときに縋り付いてきたものだからだ。