玉稿激論集

玉稿をやっています。

告解

 肉親からの着信履歴に妙な胸騒ぎを覚えた。単純な用件ならショートメッセージで伝えればいいものを、そうしていないのが何とも不穏だ。折り返しの電話に出た先方は明らかに何かを言い淀んでいる様子。またぞろ誰かが死んだか危篤か。心の準備は整っていないが、とりあえず深呼吸する。
「あのさぁ…」
僕は相槌も打たず、ただ耳を傾ける。伝える側もそれなりに心の負担がかかるのが訃報というものの常であるから、急かすことはしない。候補は何人かいるが、ここでそれを発表するほど僕も落ちぶれてはいない。まあしかし、人の生き死に(正確には「生き死に」ではなく、「死に」の方だけだが)には本当にいつも心が参ってしまう。何も救いがない。それなりに一生懸命働いてきて、それなりに大切に思ってくれている人もいて、それなりに愛した人もいたはずなのに、最期に訪れるのが死だなんて、結句は棺桶に収容されて丸焼きにされるなんて、はたまた焼き上がった骨を海に散らされたり、鳥につつかれるなんて(まあ、そこは本人の希望次第、遺族の気分次第ではあるが)、何とも締まらない。といって、不老不死がいいのかと問われれば、「不老にはそれなりに惹かれるけど、不死はねえ」との答えにもなってしまう。何故というに、死によって解決される物事もまたあるだろうと思っているからだ。別段死への希求がある訳ではないがーこの素晴らしき人生にあって、あろうはずもない(←イチローの引退会見風に)ー、一般論として申し上げると、死は全てを解決しがちなのだ。死によって解決を見た、というより終結せざるを得なかった事柄は、それこそ枚挙にいとまがないだろう。
 と、一瞬の間にそこまでの考えを広げた後でもあったから、続いたのが
「抗体検査したらさあ、陽性だったんだよね」
 とのコンフェッションには、些か拍子抜けをしてしまった。
 陽性だった。この言に対して、「何が?」と問う必要がなくなってから、どれくらい経ったのだろう。沈む夕日をいくつ数えたろう(©️長渕剛『乾杯』)。「コロナはネガティヴ(陰性)だけど、心はポジティヴ」というのは、僕の手による標語だが、まさか血を分けた肉親がポジティヴ(陽性)でそれに伴い当然にネガティヴな思いに打ち沈んでいる事態を迎えようとは夢想だにしていなかった。しかし、あくまで驚きは隠しておく。ああ、そっちの方ねと。確かに体調悪そうだったし。とりあえず誰も死んでいないようでよかったとの安堵も湧き上がってくる。
 しかし、これはこれでなかなかに面倒な事態に巻き込まれた感は否めない。罹患した肉親が気の毒なのは勿論としても、件の流行性感冒が画期的かつ厄介なのは所謂「濃厚接触者」を発生させる点にあるのはご承知の通りであり、ゴールデンウィーク終盤に帰省していた僕が紛れもなくそこに該当してくる事実を思うと、たださえ連絡をとりたくない会社に、このご時世では一番したくない報告をするのは憂鬱至極だし、そのせいで上司も煩瑣な手続きに追われてしまうことになるかと思うと、どうにも申し訳ないうえ、職場復帰した際の周囲の目や、積もりに積もった仕事を想像すると、ここはいっちょ、覚悟というか悪度胸を固めねばならぬとの結論に至るまでに然程時間はかからなかった。
 それだから、
「抗体検査、お前も受けてくれんかねえ」
との、申し訳なさ気な雰囲気を醸し出した頼みも言下に断ったのには、上述の事情もあったのだが、いま一つ大きな理由があった。
 僕にしてからが、若干、いや、ハッキリと体調を崩していたのだ。
 体調を心配する肉親に対しては、「全然大丈夫」などと答えておきながら、実のところ、バリバリに熱っぽかったのである。帰りの新幹線の中から違和感を生じ始めていたノドは明確に痛んでいたし、会話の最中も咳を堪えるのに難儀した。即ち、PCRを受けたくなかったのは、自分も感染しているという事実に、即ちニュースで毎日発表される「数」に自分も早晩カウントされる現実に向き合うのが、どうにも耐えられなかったからでもあるのだ。
「〇〇駅で無料の検査会場があるらしいから、明日そこに行ってくれんかねえ」
「それで会社には明後日の朝連絡して…」
先方はなおも食い下がり、細々とお願いをしてくるが、僕の心はもう決まっていた。
 一体に、俺ほど素直で人の言うことをよく聞く人間もそうはいないとの自覚を持つ僕でも、何年かに一回、何かの拍子にテコでも動かなくなる。物を動かすのにこの上なく適した原理であるところの、あのテコでも動かなくなるのだ。此度もかの宿痾が部屋の片隅から顔を覗かせていたのだから、この程度の嘆願では決意が揺らぐわけもない。
 食欲はいつも通りだった。イオンで買った中華丼をビールで流し込む。ビールの味がいつもと違うように感じたが、鼻詰まりによるものと決め込む。仕事が二日後なのが不幸中の幸いだった。とりあえず明日は絶対安静だ。
 熱は三十八度を超え、咳もひどく、身体もだるかった。コンビニで購入したスポーツドリンクやらヨーグルトやらカップ麺やらを飲み食いして、一日を凌ぐ。自分が感染源となって、職場でクラスターが発生する事態も容易に想像がついたが、自らの行動記録をバカ正直に申告するなどという殊勝な気概はとうに捨て去っていた。何せ、こちらは悪度胸を固めているのだ。それはもうカチコチに。
「悪度胸を固めて出勤する」というのもよく訳のわからぬ事態ではあるが、ともあれ僕は頭がボーっとする中、翌朝いつも通りの時間に家を出た。
 職場では「まだ」クラスターは起こっていない。

(後記)
 コロナ禍が始まった頃、国境警備(?)の仕事をしていた。当初は「震源地」と目されている国からの観光客も制限せずに受け入れていたと記憶している。無論、彼我ともにノーマスクである。するうち、十四日以内に都市Xに滞在歴のある者は上陸できなくなったが、まさか観光客にGPSを付けている訳でもないから、所詮そんなものは先方の自己申告に依るところが大であり、殆どというか、全く意味をなしていなかったように思う。そんな中で、発熱、咽頭痛、頭痛、寒気、倦怠感、咳及び鼻詰まりの症状に襲われた。
 周囲にはただの風邪とか、インフルエンザのなりかけと嘯きー仮令そうだとしても普通に休むべきだがー出勤を続けていたものの、あれこそコロナウイルスだったのではないかと今でもよく思う。しかも天然の、初代の新型コロナウイルスである。オミクロンだのBA.2だのの、現今の変異を繰り返して弱毒化した「養殖もの」のコロナとは、もう、コロナが違うのである。その「一級品」の方を思いきり吸い込んでいるとなれば、どんな抗体よりも心強い。そんじょそこらの抗体とは、もう、抗体が違うのだ。
 まあ、真相は定かではないが、あのときに患った乾いた咳は二年以上を経た今でも寛解には至っていない。今でも何となくノドがイガラっぽい。
 これが治まったときに漸く、僕の中でのコロナ禍が終わるのだろう。
 
(おわりに)
 伝説の三冠王落合博満は、そのプロ生活において、節目となるヒットー500本目、1000本目、1500本目、そして2000本目ーを全てホームランで飾ってきた。優勝請負人と呼ばれた江夏豊は、あの王貞治から三振を奪って、シーズン最多奪三振記録を塗り替えた。
 何が言いたいかというと、CoCo壱番で、いや、ここ一番で、力を発揮するのがプロフェッショナルだということだ。
 僕の場合はどうだっただろうか。ホームランを打てただろうか。三振を奪えただろうか。
 百本目となる記事である。