玉稿激論集

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痛みを伴う携帯買替

 携帯を買い替えずに四年半使い続けるのが果たして珍しいことなのかはわからない。ただ僕はそうしてきた、それだけのことだ。思えば奴にも相当ガタがきていた。充電器に繋いでいても接触が悪いのか一向に右上の電池マークは緑にならないし、何度再起動してもLINE電話が使えないなんてこともザラにあったうえ、ここ最近は写真を撮るのもままならない状態だった。買った当初は眩いほどの光を放っていたシャンパンゴールドの機体もいつの間にかくすんでおり、どれだけメガネ拭きでゴシゴシ磨いても完全には消えないフィンガープリントが刻印されている。それはタトゥーの除去手術を終えた某タレントを思わせた。どれだけ技術が進歩しても消せない傷があり、それは我々が生涯背負っていかねばならない性質のものなのだ。薄汚れたスマホの背中を見るたび、ため息がこぼれた。

 だから先日外出した折、昼飯に熱々のごぼう天そばをかき込んだ後、大手家電量販店に足を向けたのも左程突飛な展開ではなかったのである。緊急事態宣言下の割にはそこそこの賑わいを見せている目当てのエリアに踏み入れ、値踏みするように腕組みをしながら新機種を眺めていると、案の定店員さんから声をかけられた。

「とにかく料金が安いやつがいいんです」

そう言う僕に対し、店員さんは魔法使いさながらにタブレット端末を使いこなしながら呪文みたいな説明を繰り広げる。これまで払ってきた月額料金は法外な額だった。初期費用はかかるが長い目で見ると買い替えたほうが断然得である。おそらくこの2点に要約されることをしっかり時間をかけて説明された後に契約手続に入り、そこで手を替え品を替え人を替えて提示される多様なオプションやらキャンペーンをやんわり辞退しながら、出される書類に言われるがままに署名していたら、案外容易に新機種を手にいれることが叶ったのである。

 ただ、これは思い出すに些か羞恥心を伴う経験でもあった。

 第一に、自分がいかに店員さんとコミュニケーションをとるのが下手であるかを思い知らされた。別にその人と他愛のない世間話で盛り上がれなかったなどというわけではない。そもそも初対面の店員さんに対して馴れ馴れしく話す芸当を披露する輩を僕は内心で白眼視こそすれ、憧憬の念を抱いたことなど一度もない。我々客と店員さんは一定の距離感を保って然るべきであって、互いの私事に踏み込んだり、サムい冗談を飛ばすなど以ての外だ。だがそうだとしても、最低限の意思疎通が図れないことには話が進まないというのもまた事実であり、その能力が自分には著しく欠如しているように思われてならないのだ。例えば、こちらの発言に先方が眉を顰めたことが幾度かあった。別に不適切な言辞を呈したのではない。単純に理解不能なことを言ったのだ(口にした本人にしてからが「俺の言っていること意味わからんな」と思っていたのだから、先方も同じように感じていたに違いない。)。でも、僕にだって言い分がある。何というか、ああいう時に「ここまででご不明点等ございますか」などと尋ねられると、何か質問をせねばとの謎の義務感に駆られ、結果意味がご不明なことを口走り、相手方を困惑させてしまうのだ。かような手合いは僕のみではないだろう。会社に来る客の中にもあの手の輩は少なからずいる。

 疑り深い田舎者であることも、店員さんとのコミュニケーションの円滑化に水を差す一因だ。多様な割引プランやら電気代まで安くなるパックやらを提案されても、こんな美味い話があるわけないと思ってしまう。だってそうじゃないか。この人は自分に何の得があって僕だけがいい思いをする提案をしてきているのか。ノルマ?業績?俺が契約したら給料上がるんすか?僕のご不明点は寧ろこういう下世話なところにこそ本丸があるのだ。

 携帯を買い替えるのが億劫な理由としては、データ移行の煩わしさが上位にランクインしていたのだが、これには左程時間もかからず、その点ではストレスフルではなかったものの、やはりここにも思わぬ落とし穴が待ち受けていた。従前の機器から新たなそれへとデータを移す際には、それら2台を並べる必要があり、店員さんに携帯の待ち受け画面を見られてしまったのである。

 おそらく1年以上変えていない待ち受け画面。そこに写されているのは、コロナビールの瓶のドアップだ。シュメール人が発明したとされる黄金の液体を背景にして映える「Corona Extra」のカリグラフィー。自分としてはそこそこ気に入っていたものだから、赤の他人に見られるのがこんなに恥ずかしい体験だとは夢想だにしなかった。言い訳をさせてもらうと、そもそも僕はビールの缶に描かれているロゴが好きなのだ。日本のメーカーでいうと、サッポロ黒ラベルや、キリンラガー。海外のメーカーでいうと、ハイネケンカールスバーグバドワイザー等々。どれも優れた意匠だ。だから仮に例えば、ギネスビールの缶のドアップを待ち受けにしていたのなら、自分の趣味を初対面の他人に知られた恥ずかしさくらいは感じたかもしれないものの、あれほど恥ずかしい思いはしなかっただろう。

 コロナビールを待ち受けにしたのは、勿論今般のコロナ禍を受けてのことである。コロナビールのロゴを気に入ってというよりかは、寧ろ断然昨今の時勢を受けてのことである。そしてその待ち受けが長期政権を保っているのは、ー他に適当な画像がないこともあるがー偏に僕がそれを気に入っているからだ。だってなんかイカすくない?コロナで世間が塞ぎ込んでいるのにさあ、「コロナエスクトラ」って書かれた瓶の写真を壁紙に設定するなんてさ。ただのコロナじゃないんよ、コロナ“エクストラ”よ、エクストラ。

 浅ましい、あまりにも浅ましい。かような心根を赤の他人に覗かれたように感じたのは、一寸死にたくなる体験だった。

 他人はお前のことをそんなに見ていない、自意識過剰だというのは、恐らくその通りなのだろう。でも僕がどう感じるかの方がはるかに重大なのだ。この際他人の気持ちなどどうでもいい。因みに、次のエピソードも骨格は今のやつとほとんど変わらないから、いい加減飽きてきた向きはこの辺りで読むのをやめるのをお勧めします。嘘です、日本語が読める人は読んでください、面白いので。

 今回月額料金の安い機種に買い替えるにあたってのデメリットとして説明されたのは、これまでのメールアドレスが使えなくなることだったが、該アドレスには興味のないアパレルブランドからの告知やら、いつ登録したかも定かでない転職サイトからの案内やらの不要なメールばかり届いていたので、新しいアドレスを設定できることは寧ろ好都合なことであった。しかし、この段になってまたぞろ僕の持病が発症する運びと相成ってしまった。

 中学生や高校生がメールアドレスを設定する際に悩むというなら、まだわかる。僕もその時分は大層頭を悩ませたうえで自分なりにセンスのいいと感じられる文字列を組み合わせ、数少ない友人に「〇〇です、携帯変えたけ登録よろしく」などいうメールを送りつけていた。しかし悲しいかな、僕はもうそんな歳ではない。しかも殆ど使うことのないメールアドレスなのだから、テキトーに名字の語呂と一致する四桁の数字と名前の一部をローマ字にしたものを設定しておけば何の問題もなかったのだ。だのに、それでは折角の門出が盛り上がりに欠けると思ったのか、ここでも僕は暴挙に出てしまう。

 ドイツ語を組み込もうとしたのである。

 我々が「第二外国語は◯◯語でした」と発言するとき、それは何らの意味も持たない言明となる。言うなれば、新生児が訳もなくアーとかウーとか口にするのと変わるところがない。それほど大学にて履修する「二外」は全くもって身にならない。

 僕の第二外国語はドイツ語だった。

 数少ないドイツ語で綴れるセンテンスの一つがーこれも大学卒業後に調べたものだがー「昨晩ビールを飲み過ぎた」であり、とち狂った僕はこれをそのままアドレスに組み込もうとしたのだが、いざ綴ってみるとスペリングがあやふやな単語も多く、Googleで検索しながら店員さんからすればおそらく意味不明な文字列を契約書に書き連ねていたから、当然奇異の目で見られもしたうえ、思いの外長くなって設けられていた枠を超えそうだったので、この一文をアドレスにするのは断念した。

 くどくなって申し訳ないが、ここで突飛なアドレスにすることは諦めて、平凡なアドレスにしておけばよかったのである。しかし、あの日の僕はどうにもドイツ語のアドレスを設定したくて堪らなかった。「センスのいいドイツ語、センスのいいドイツ語…」と思案を巡らせていると、ある妙案がぱっと思い浮かんだ。

 漫画『MONSTER 』で連続殺人鬼ヨハンが書き記していたところの「Sehen Sie mich!」である。何故これが思い浮かんだのか、そして何故これを「妙案」と思ったのか、今振り返ると全くわからない。ヨハンに憧れるみたいな厨二病な面はないと自負しているし、ましてやメールアドレスに「私を見て」などの文言を入れるなど、狂気の沙汰だ。やはりあの日の僕はどうかしていたとしか思えない。しかし何はともあれ、「sehensiemich@…」と打ち終えて、「設定」のタブを指でタップすると、予想外の驚くべき出来事が起こった。

 「このアドレスは既に使用されてます」とのポップアップが標準されたのだ。この展開には店員さんも流石に目を丸くし、僕はといえば精神的には椅子から転がり落ちてしまった。自分のようなイタい奴がこの世界に(おそらくドイツに)もう一人いるのだ。まだ見ぬカールだかシュミットだかマルクスだかハインリヒだかと僕は、その瞬間魂で握手していた。この上なく醜い傷の舐め合いだ。

 結局平凡なアドレスを設定して無事契約が完了した。

 新機種にして1週間が経過する。冒頭に記した各種のネガティヴな状況は改善され、ストレスなく携帯を使用できる有り難さを日々実感しているところだ。月末に引き落とされる料金だってぐんと安くなるだろう。本当にいい事づくめである。

 しかし、今回この果実を勝ち得るために、相当な犠牲を払ってしまった。改革には常に痛みが伴う。そのことを忘れないために、ここに備忘として己の生き恥を晒すのである。