玉稿激論集

玉稿をやっています。

酒、頭痛、眠り

大量の頭痛薬を飲む夢から覚めると、頭の痛みはすっかり治まっていた。寝ぼけた頭にプラシーボ効果という言葉が思い浮かぶ。効果のない錠剤でも医者に効くと言われて処方されると、そういうものなのかと思い込み、いつの間にか病気が治っているという、あれだ。夢の中での俺は、口の中に頭痛薬を入れたかどうかわからなくなってしまっており、何個も何個も錠剤をプチプチと開けては口に突っ込み、大量の水でそれを体内に流し込んでいた。現実の世界で酒を飲んで頭痛を感じていたことがトリガーとなって、夢の中でも頭痛を引き起こし、夢の中で頭痛薬を服用すると、現実で感じていた頭痛が治まった格好だ。人生はうまくできている。

 

携帯を見ると、午前3時過ぎだった。あと3時間は寝ることができる。枕元の水で喉を潤してから、再び目を閉じる。水が胃に沁み渡り、どういう経路を辿ったのかはわからないが、膀胱に到達し、申し訳程度の尿意を催すが、無視して眠り続ける。深く、深く、意識が遠のくまで。潜水士が海と一体化するように。

 

酒、頭痛、眠り。密接に関わり合う3つの概念。出発点はいつも酒だ。

 

⑴酒

振り返ると、大学入学以来、ほとんど毎日欠かすことなく酒を飲んできた。飲み会の記憶はそこまで多くない。家で一人で飲んだ回数の方が圧倒的に多い。

 

毎日飲んでいると、自分が酒が好きなのかどうかもあやふやになってくる。歯を磨いたり、洗濯をしたりする感覚とあまり変わらない感覚で、帰り道のセブンでビールを一本買う。こんな話をすると、「毎日ビールを飲むんだったら、スーパーで6本セット買えばいいのに」とか言ってくる人もいる。「そっちの方が安くすむじゃん」と。その通りだ。あまりにも正しい。しかし、その正しさの先にあるのは、スーパーのしょぼい冷蔵庫で冷やされたビールのような生ぬるい幸せだ。彼が本来持つ刺激がない。

 

コンビニのビールは一本217円。スーパーで安いときに買ったら、6本セットは1100円ぐらいで買える。だから確かに毎日飲むのであれば、6本セットの方が安くつく。でも、財布から酒なんかのために千円札を出すときの心理的負担はいかばかりか。要するに、合理性を超えたところにも我々の生活は成り立つのだ。僕がこういう不合理な考えをするようになったのは、決して酒の飲み過ぎのためではない。

 

酒に弱い方ではないと思う。飲み会などで多く飲んだ翌朝は、会話の断片の記憶が辿れないことこそあれど、「どうやって家に帰ったか覚えてない」といった経験はない。酒癖だって悪くないはずだ、多分、いや絶対。でも、もちろんいくら飲んでも大丈夫ということでもない。酒量が増えると、足がふらついてくる。指先にアルコールが浸透していく感じがする。百薬の長などとほざく向きもあるが、体内に毒が回っている感覚だ。毎日飲んでいる僕の身体には毒が回り切っているだろう。そしてそれはいつの日か僕にとどめをさすことになるかもしれない。何もかもがもう手遅れだ。

 

まあ、おそらく、とてつもなく広義のアル中予備軍ではあるのだろう。でも、強がりも込めて言わせてもらいたい。酒なんかいつでもやめられる。

 

アルコール同様、一人暮らしを始めて以来ほぼ毎日摂取していたものがある。袋菓子だ。食事を済ませてもなんとなく物足りなくて、袋菓子を開ける生活を長らく続けてきた。袋菓子はうまい。本当に美味い。人間の欲望に忠実に作られたそれを食べると、脳髄をキックされたような気がする。「お前、こういうの好きなんだろ」という悪魔の囁き。「はい、好きです、すみません」いとも簡単に屈服してしまう自分。情けない。

 

ただ、ここのところ、健康志向が高まっているので、思い切って袋菓子を断ってみた。全然余裕だ。何らの問題もない。だから酒だっていつでもやめられるのだ。

 

⑵頭痛

もともと多い方だったとは思うけど、酒を飲み始めてから頭痛薬を服用する機会は一気に増えた。頭痛薬は効く。ときに劇的に。飲み下した瞬間に頭痛が治まったことだってある。

 

頭痛には根がある。その根がどんなにか細いものであっても、一度張ったらなかなか自然にはとれない。寝て起きてもなんとなくすっきりしない何かが残っている。種を蒔くのはたいていの場合、酒だ。

 

アルコールは口から摂取し、食道を通って胃に到達する。そこに頭が登場する場面はない。だのになぜ僕は度々頭痛に苛まれるのだろう。血液にアルコールが混じりそれが脳に達するから?科学はそんな答えを与えてくるだろうが、まるで現実感がない。何もかもから独立した痛み。頭痛がひどいとき、とある小説の登場人物がこめかみを指しながら言った「本当の地獄はここにあるんですよ」という台詞が思い出される。

 

本当の地獄は頭の中にある。まさにその通りだと思う。振り返ると、どうしようもない人生を送ってきた。恥の記憶も数知れない。それはなんの脈絡もなく僕を襲う。駅までの道を歩いているとき。会社でコーヒーを飲みながら一休みしているとき。全てをかき消すため僕は叫びたい衝動に駆られる。でも、そんな必要はないのだ。周りから見たら、一人の男が歩いているだけだ。コーヒーを飲んでいるだけだ。彼らが僕の地獄を知らないことは、大きな慰めになる。

 

⑶眠り

中学生の頃、学校の方針で毎日3行日記を書いて担任に提出しなければならなかった。3行しかないのに、いつも書くのに難儀していた記憶がある。別に担任に自分のプライベートを教えることに抵抗を感じていたわけではない。単純に何も考えず日々を過ごしていたからだ。

 

クラスの中には毎日凝った内容の日記を書いている奴もいたが、僕の日記はほぼ全部、いや、全部「今日は」から始まるつまらないものだった。でも一つだけ、書いた内容を鮮明に思い出せる日記がある。

 

定期テストが終わった日、僕は「今日は疲れていたので、家に帰って2時間昼寝をした。起きてもまだ眠たかったので、読書をしながらまた2時間寝た。夕食後もテレビを見ながら1時間寝た。人生の3分の1は睡眠だと改めて思った」みたいなことを書いた。担任からは「寝過ぎです。生活のリズムが崩れますよ」のようなコメントが残されていたと思う。

 

当時は本当に泥のように眠ることができた。夜寝たら翌朝まで一度も目が覚めることはなかったし、目覚まし時計がけたたましく鳴っているのに、気づかずに寝過ごすこともしばしばあった。

 

最近は夜寝ると朝起きるまでに必ず一回は目が覚める。尿意を催していることはあまりない。単純に目が覚めてしまうのだ。そんなとき、暗闇の中でひたすらネガティブな考えが頭を渦巻く。過去、現在、未来の全てが暗いものに思われる。工事中の道路と同様に、頭の中の地獄は夜間に整備され、堅牢になるのだ。

 

酒によっても深い眠りはもたらされない。むしろ、酒を飲んだときこそ、眠りに落ちてもすぐに目が覚める。酒は僕を眠りの海へ誘ってくれるが、千鳥足の僕はその海の深くに潜ることができず、いつまでも浅瀬を徘徊している。

 

⑷まとめ

酒、頭痛、眠り。常にその3つがセットになっているわけではない。酒を飲まなくても頭が痛くなることはあるし、酒を飲んでも頭は痛くならず、目が冴えることだってある。必要条件とか十分条件みたいな話をしたいけど、寝起きの頭には骨が折れる仕事だ。

 

あーだるい。今日も1日が始まる。

 

 

凡庸の恐怖

大阪都構想が否決された。住民投票投票権もないし、都構想の詳細も知らなかった僕としては、別にどっちに転んでもよかった。まあ、強いていうならば、可決されたときの反対派のインテリ学者連中の吠え面を見たかったというのはある。でも、否決されてからの賛成派の負け惜しみも悪くないから、よしとしたい。

 

こういう政治的なイシューに対して、ハッシュタグとかを付けたうえで政治的主張を繰り広げ、その挙句炎上する有名人がここのところ散見される。「何も知らねえくせに黙ってろ」と批判する声もあれば、「海外では芸能人が政治的主張をするのは普通」などと、フランスを例に出して擁護する声もある。

 

有名人だってもちろん、様々なことを主張する自由はある。でも、一芸に秀でた才能溢れる人が畑違いのことに口を挟むことで、凡庸さをさらけ出してしまい、我々を失望させることはままあると思う。

 

死ぬほど稼いだ後でさえ、「矢沢、今、金が欲しいのね。なんでかわかります?安心感が欲しいんですよ。金がないと、ベーシックなものがないと、自分のやりたくないことをして、魂を売ることになりますから」みたいな人生哲学を語る矢沢永吉を見ると、我々はこの人は音楽だけにとどまらず、様々な事柄に対して独特な(いわばYAZAWA なりの)視点から語ることができるのだと思ってしまう。それがそもそもの間違いの始まりなのだ。

 

50歳だか何歳だかの記念コンサートで、矢沢は代表曲『I love you, ok』の「振り返れば長く辛い道もお前だけを支えに歩いた」の部分で、感極まって泣いていた。なぜか。長い間支えてくれたパートナーや友のことを思ったからではない。彼曰く、この「お前」とは、他でもない「YAZAWA」のことなのだ。グレーターになっていくにつれて、本当の自分とは乖離していく世間のイメージ。湧き上がる周囲の期待。騙された末の借金地獄。それでも、YAZAWAだけを羅針盤に航海を続けてきたからこそ、彼はグレイティストになれたのだ。かくも何かを極めた人の話というのは、奥深い。

 

イチローの話もしておこう。彼は2009年のワールド・ベースボール・クラシックの決勝で、試合を決めるヒットを打った打席でのとある一球を、こう回顧している。「あの球を振って結局ファウルになったんですけど、そこで僕は思ったんですよ、この勝負いただきましたってね。別に際どいコースの球をファウルにできたからそう思ったわけじゃないんですよ。僕はあの球をヒットにできると思って打ちにいった。そういう感覚を持った自分がいたことが、僕にヒットを打てるという確信を抱かせてくれたんです」当時あの伝説の試合を部活をサボって観戦した者としては、彼がここまで考えて打席に立っていたことに感じ入ってしまう。たとえ後付けだったとしても。

 

通常の打者は、バットの芯でボールを捕らえ損ねて打球が伸びずに詰まることを負けとみなすが、イチローは「詰まるのが負けという発想は捨ててください」と言い放つ。「僕にはわざと打球を詰まらせて、野手のいないところに落とし、ヒットにする技術がある」と。こんな深遠な打撃理論、洋の東西を問わず聞いたことがない。でも、だからといって、イチローがそのバッティング理論並みに突飛でしかも含蓄のある教育論や仕事論を語れることにはならないのだ。

 

どうしてこんな話をしているかというと、矢沢が豊田真由子議員のパワハラ騒動について語った新聞記事を解説しているワイドショーの動画を見てしまったからだ。あんまり思い出したくないけど、「パワハラの証拠を出すために、録音機を使った男もどうかと思うよ」みたいなことを言っていた。あまりに凡庸だし、時代遅れな考えだ。我々ファンは(別にファンじゃないけど)こんな言葉を矢沢の口から聞きたくないのだ。(ちなみに同じ記事の中で藤井聡太四段のことを尋ねられて、矢沢は「藤井くん、いいね。too謙虚だよ、too謙虚」とか言っていた。これまた浅薄な発言だが、too謙虚はおもろいなと思った。)

 

イチローYouTubeで「教えてイチロー先生」とか「イチローの人生すごろく」などと題された企画で、凡庸な見解を語っている。見ることはおすすめしない。まあ、面白いやつもあったけど。

 

というか、言い忘れていたし、言うまでもないことだけど、僕もご多聞にもれず凡庸な人間だ。矢沢とかイチローと違って、一芸に秀でてもいない。残念なことだ。

 

何も書くこと思いつかんな。←唐突

 

ここから自分がいかに凡庸かを語るなかで、才能がないということを諦めきれない姿を炙り出し、熱い議論を展開しようと目論んでいたのだが、できなかった。

 

凡庸であるということを突きつけられるのは、ある種の恐怖ではあるけれど、自分がありふれた人間であるということは、安心感ももたらしてくれる。

 

いやー、でもなあ、諦めきれんよなあ。

インテリ嫌いの頭の中

首相による日本学術会議の会員の任命拒否問題が収束しそうにない。まあ、当然だろう。任命拒否の理由も「総合的、俯瞰的観点から」とか訳わからないことを言っているし。

 

でも、世間は日本学術会議に厳しい。「税金で運営しているんだから、文句言うな」という筋違いの批判もあれば、「中国の軍事研究に協力しているからだ」といったデマも溢れている。もう、針のむしろだ。

 

僕としては、任命拒否に抗議しない人がいるのが不思議でならない。何と言っても、学問の自由の危機なのだ。

 

でも、日本学術会議に批判的なことを言う人たちの気持ちに寄り添ってみることも肝要だろう。というわけで、以下寄り添い。寄り添いサーカス。

 

 

 

任命拒否に抗議する記者会見で、「学問は集団の営み」だって、とある学者が言っていた。でも、集団って誰のことなのか。結局お前らは頭の悪い奴や勉強のできない奴や、勉強のしない奴を仲間に入れないじゃないか。そんな奴の「集団」なんて言葉信用なるものか。また、それを見た著名な脳科学者が「身体性のある言葉ですね」なんてコメントしていやがった。訳がわからねえ。言葉に「身体性」なんてあってたまるか。言葉はどこまでいっても言葉だ。そこに身体性を備えようとする魂胆も、そこから身体性を感じとるセンスも虫酸が走る。いい加減にしてほしい。

 

大体な、「法律の手続き」に問題があるなんて言うけどな、俺たちは法律の手続きにも、学問の自由とやらにも興味はないんだよ。ただ、現場のことなんてわかってないのに、知ったような口で理屈をこねくり回すお前らがむかつくだけなの。わからねえよな、馬鹿の気持ちなんて。そうやって一生小難しい本でも読みながら、俺たちのことを見下してろ。限りなく狭い世界でヒエラルキーごっこをしながら、「集団の営み」でもやってる気になってろ。でも忘れんなよ、俺たち馬鹿な大衆は一生お前らのことを支持しねえし、月曜からは働かなくちゃいけねえから、そろそろお前らが任命されなかったことなんか、忘れちまうってことを。あと、学者でもねえのに、ハッシュタグなんかつけてお前らに賛同している奴がいるけどな、多分クズだよあいつらは笑。

 

あと、今日ネットのトレンド見たぞ。お前らまた政権批判するときに、「ヒトラーみたい」とか言ってたな。いや、本当にお前らヒトラーとかムッソリーニとかファシズムとか好きよな。ヒトラーは馬鹿な俺らでもなんとなく知ってるぞ、なめんなよ。昔ニュースの映像かなんかでヒトラーが子どもと遊んでいるのを見たことあるからな。あいつもいいとこあるじゃねえか。嘘だって。あいつがマジでやばいクソ野郎ってことは俺らだって知っている。でもな、この国に第二のヒトラーが現れるなんて話、まるで現実感がねえし、現れることでお前らが潰されるんだったら、それはそれでありだなぐらいには思ってるよ。

 

俺らのことを反知性主義者って呼びたきゃ呼べばいい。自分に知性がないことなんて、こちとら百も承知だ。知性なんかあっても腹は膨れねえからな。

 

てかさあ、自分と考えの違う奴を反知性主義者って呼ぶの、マジでどうかと思うわ。どうせ「いや、別に考えが違う人を反知性主義者って呼んでいるのではなく…」って御託並べるんだろ。はいはい、わかった、俺の負けだよ。これで満足か?一生やってろ。

 

なんかマジで日本学術会議に腹が立ってきたから、寄り添いサーカスもこれくらいにしておこう。

 

いやーしかし、本当に馬鹿が考えることは酷いもんですね。僕は日本学術会議の任命拒否問題に断固として抗議します笑。

ぐちゃぐちゃな思い

アンナ・カレーニナ』の冒頭には、「幸せな家庭というのはワンパターンだけど、不幸な家庭は多種多様だ」みたいなことが書いている。確か。

 

以下フィクション。フィクション大魔王。

 

会社の同期やら後輩と話していると、自分がワンパターンな幸せな家庭に育ったことが、僥倖(©️藤井聡太)に思えることがある。

 

彼らとパーソナルなこと話しているときに、「僕の家親父(おふくろ)がいないんすよ」と言われると、「やっぱりそうだよな」と思うことがしばしばある。片親の人というのは、独特の雰囲気をまとっている。平々凡々な家庭で育った僕よりしっかりしているし、僕にはない影がある。そして僕はなぜかその影を見抜くのが得意なのだ。まあ、後付けじゃんと言われたら、それまでだけど。

 

そんな話を聞いたとき、なるべく「なんでご両親は離婚したん?」と尋ねるようにしている。だって気になるじゃん。ほとんどの人が嫌な顔をせず、事情を教えてくれる。「結構聞くねー」と苦笑する人もいるけど。「親父がおかんに暴力してたんすよ」「暴力ってグー?パー?」「両方す」「じゃあなんでお父さんについていったん?」「おかんは大学卒業させたるって言ってくれてて」「じゃあなおさらやん」「でもおかん過労死するなって思ったんで」「ええ奴やな」「そうなんすよね」「おとんはおかんに慰謝料を数百万払ったんすよ」「へえ」「でも、おかんは新しくできた彼氏にそれを全部騙し取られたんすよ」「あれまあ笑」

 

そういう複雑な家庭環境で育った人というのは、たいてい高卒か専門卒だ、どういうわけか。同期であっても後輩であっても、彼らは僕よりずっとしっかりしているし、僕より全然仕事ができる。「〇〇(僕)は記憶力だけはいいよなあ」と同期は笑う。僕は彼より脱出ゲームアプリで早く脱出できたことがない。「え、まだそこなん?笑」と煽ってくる。「うるせえ、専門卒笑」「は、なんやって笑」「ごめん、間違えた。〇命館卒だったけ?〇志社卒だっけ?」「立〇舎や笑」ちなみに、僕の名誉のために言うと、僕は彼らに「みんはや」では一度も負けたことがない。まあ、あれは知識ゲーだからね。。

 

彼らといると、平々凡々な幸せな家庭で育ったことにある種のコンプレックスを感じる。幸せな日常というのは、凪みたいなもので、荒波が立つ海と比べてどうにも刺激が少ない。もちろん荒波にもまれた連中は「凪の方がいいに決まっている」と思うだろう。でも、ビニールハウスで育った僕には、彼らのもつ何かが欠落している。この「何か」を一言で言い表すことはできない。買いたいものがあるわけでもないのに、僕はせこせこ貯金をしているが、同期は貯金なんかほとんどせずシャコタンレクサスを買っている。僕が二の足を踏むことを、多くの場合、彼らは躊躇わずにする。そう、僕は本当に二の足しか踏んでいない。この前も夜走っていて、ふくらはぎがつるのが怖いから、走るのをやめて歩いた。歩いていてもふくらはぎがつるのが怖くなって、しまいには次の一歩が踏み出せなくなり、束の間歩道に立ち尽くしていた。何の話をしているんだか。いや、でも彼らは、今でも何も恐れず全力疾走ができるのだ。多分。あらゆる意味で。

 

彼らは往々にしていい奴で、ときに少しだけ凶暴だ。「お前学生のころ、いじめる側だっただろ」と僕は言う。「俺は違うけど、あいつはどうかな」なんて、YAZAWAのような返しをされる。彼らはヤンキーとはまた違う。マイルドヤンキーなんてダサい言葉で呼ぶのは失礼だし、もってのほかだ。一つ確かなのは、僕とは育ってきた世界が大きく異なるということだ。その違いが心地良くもあり、ときに寂しくもある。

 

僕はもちろん自分のことをヤンキーだなんて思ったことなどない。じゃあ何なのか。エリートだとも全く思わない。まあ、ヤンキーの対義語がエリートというわけではないと思うけど。

 

今の仕事を辞めたくて仕方ないなんてことはないけど、ふと「なんで俺はこんなところに来たのだろう」と不思議に思うことがある。「俺はここでくすぶっていていいのか」と。高台の上にある実家から遠い空を見て、早くここを抜け出してやると思っていた学生時代。頭が悪いなりに頑張って、名門といわれる大学に入ることもできた。そして、確かに今、遠いところには来た。でも、ここがあの頃思い描いていた場所とはどうしても思えないのだ。そもそも僕は何を思い描いていたのだろうか。明確なビジョンがなかったことは確かだ。僕はエリートになりたかったのだろうか。わからない。でも、エリートと呼ばれる人を見て、劣等感を覚えるのは事実だ。

 

この前、会社(地方局)に本部の社員が視察にやってきた。「事務室に入ってきたら、仕事を中断して立ってお迎えしましょう」もちろん言われた通りにする。わざとだるそうにするみたいなことをする年齢もとうに過ぎた。視察に来た偉い人の後ろには、見たところ僕と同年代の男がパリッとしたスーツを着て控えている。埃っぽい制服に身を包んだ僕は、えもいわれぬ感情を抱く。違う。「えもいわれぬ」なんて嘘だ。これは敗北感というのだ。自分が敗れた、もしくは放棄した戦いに勝った男の姿をそこに見る。おそらく、スーツの男は僕に対して何らの優越感も抱いていないだろう。大抵の場合、勝者は自分の勝利に無自覚だからだ。

 

でも、ブルーカラーからホワイトカラーになったとして、それで幸せになれるのだろうか。まあ、幸せというのも曖昧な概念だ。仏教には、「悟りを迷うのが凡夫で、迷いを悟るのが仏」という教えがあるらしい。同様に考えると、幸せが何かを迷っているうちはまだまだなのだ。もし、迷うことの中にさえ幸せを感じることができたら、少しは生きやすくなるのかもしれない。

 

バガボンド の好きなシーンで、武蔵が「俺はもう殺し合いの螺旋からは降りた」みたいなことを言う。かっこいいと思った。僕も降りたいと思ったし、もう降りているとも思った。でも、僕と武蔵はまるで違う。武蔵が強さを極めている一方で、僕は何も極めていない。何も極めていない奴の「降り」なんて、ただの敗走だ。

 

一方でこうも思う。本当に自分は螺旋から「降りた」のかと。敗北感を覚えるということは、どこかでまだ執着を捨て切れていないことの表れではないのか。それがいいことかどうかはわからないけど。

 

わからない。本当に何もわからない。

夜に駆ける

中田敦彦曰く、老いとは病気らしい。

 

老いを止めるためには、まず、食事の量と回数を減らさなければならない。豊かな先進国で暮らす我々は、往々にして食べ過ぎている。特に、肉、魚、乳製品を。こんなものを食べているから、老いるのだ。なぜか。

 

(以下フィクションです。)

 

自分の身体の中で、細胞が額に鉢巻きを巻いてトレーニングをしている様を想像してほしい。生命活動を行っている間、細胞は額に汗しながら毎日コツコツと自己鍛錬に励んでいるわけだ。すると、当然のことながら、疲れて腹が減る。だから、我々は飯を食い、細胞に栄養を補給するのだ。

 

ただ、ここで、栄養価の高すぎる肉や魚や乳製品を補給された細胞は思う。「いやー、何もせんでもマッチョになったわ」と。「わざわざ筋トレするのダルくね?」。

 

こうして、細胞はサボることを覚え、鉢巻きを外してソファで寝転ぶようになる。久しぶりに起き上がった細胞は気付く。「あれ、身体なまってね?」。こんな事態が我々の身体全体で巻き起こるとどうなるか。筋力がなくなり、あちこちを痛めやすくなり、免疫が低下する。そう、これが老いの正体なのだ。  

 

だから、老いを止めるためには、細胞にサボることなくトレーニングを続けてもらわなければならない。すなわち、適度な(←これ大事)負荷を細胞にかける必要がある。そのためには、食事の量を減らし、常に心地よい空腹感を覚えていることや、適度に運動することが、肝要だ。それが細胞にとっての負荷となり、彼らを自己鍛錬に向かわせるのだから。

 

「じゃけぇさあ、最近はあんまり肉とか食っとらんのよ。こんな生活しよったら多分150ぐらいまで死ねんわ」

 

数少ない仲の良い同期と昼飯を食いながら、僕は言う。場所はマクドナルド。テリヤキマックバーガーセット。ポテト。ドリンクはもちろんファンタグレープだ。僕はテリヤキバーガーに入っている14グラムのスライスレタスをよく噛んで食べる。

 

話はオチたけど、もう少し。

 

「肉と油っこいものを我慢するくらいなら、早死にした方がマシ」と長いことを思っていた。人生は長さじゃない、濃さだと(©️美味しんぼ19巻「食は三代?」の山岡さん)。でも、歳をとるにつれて、健康の大事さが身に染みるようになってきた。身体の調子が悪いと、明らかに幸福度(←カルトか?)は下がるからだ。そう、僕はいつの間にか、自分が馬鹿にしていた、健康に気を使って節制する大人になってしまっていたのだ。

 

最近は、会社から帰って、少し休憩したら走っている。それもこれも細胞の、ひいては僕の老化を止めるためだ。疲れるけど、続けていこうと思っている。鏡にはデブが映っていることだし。

 

老いに抗うことには、醜さがつきまとう。でも、醜さの中にだって、尊さや美しさがあるだろう。だから僕は明日も、人通りのない夜道をふくらはぎが爆発しないように気をつけながら、走る。

恐怖の電話

何かわからないことがあれば、電話して聞いたらいいじゃないという人がままいる。

 

マリーアントワネットかよと思う。

 

電話をかけるというのは、全ての手が封じられ、八方塞がりになったときの最終手段だ。

 

僕は電話をかけるのも、受けるのも大の苦手だ。言いたいことをしっかりと整理しないと、電話をかけてもしどろもどろになってしまうし、見ず知らずの人に通話口からいきなり「聞きたいことあんねんけど」などと、タメ口で話しかけられると、硬直してしまう。

 

最近期間限定で配属された部署で、座った席がたまたま電話の隣なので、電話をとる機会が増えた。

 

社内の人からだったら安心する。角のない「お疲れ様です」に胸を撫で下ろす。外部の人からだったら緊張する。外部の人というのは往々にして、僕が会社の全てを知っている前提で話を進める。話を聞きながら、「あ、これは違う部署にかけてもらうことやな」と思っても、止まらない。もちろんこっちから話を遮ることもできない。相手が一通り話し終えた後で、「あの、そういったことでしたら、専門でご相談を受け付けております部署がありますので、そちらの電話番号を申し上げますので」と「ますので」を連発した回答をし、受話器を置いた後に反省する。そんなことがよくある。

 

その点、Windowsのオペレーターはすごい。

 

先日、会社のパソコンのリカバリー作業をしていて、途中でWindowsに電話をかける段階があった。本来なら自動音声サービスに従って1とか2を押していったら終わるのだけど、どこでしくじったのか、Windowsのオペレーターに電話を繋がれた。自動音声サービスのわかりやすさに人間がもつ温かみが加わった説明により、僕が抱えていた問題は瞬く間に解決された。

 

でもWindowsのオペレーターを見習ったぐらいでは、電話の恐怖は終わらない。通話口から聞こえてくるのは日本語とは限らないからだ。

 

「Hello?」と言われ、「Hello?」と返す。また「Hello?」と言われる。僕ももちろん「Hello?」と返す。ここまでくると、もはやofficial髭男dismだ。何度でも言うよ、Hello。

 

外部に電話をかけるとき、通話の記録を作成しなければならないことがある。最初は面倒だなと思っていたけれど、しどろもどろになってしまう自分にとっては、むしろ好都合だということに気がついた。電話をかける前にあらかじめ自分の台詞、つまり当方の用件を通話記録書に書いておくのだ。先方と電話がつながったら、記録書を音読すればいい(ついに、「当方」とか「先方」とか言う歳になってしまった、悲しい)。

 

ただ、もちろんここにも罠はある。用件に気を取られてしまうあまり、名前も名乗らず「台本」を読み始めたりなんかすると、最悪だ。慌てて「あ、申し遅れました。私、〇〇の××課の〜と申します」と言うのだが、言いにくい会社名なうえに、僕は滑舌が悪く、しかも吃音まであるから、大惨事になってしまう。電波越しに先方の困惑が伝わってくる。

 

三島由紀夫の代表作『金閣寺』で、主人公の「私」が吃音のことを「自分と世界の間に鍵がかかっている感覚」と言っていた。言い得て妙かどうかは別として、かっこよく表現してくれて、感謝している。ちなみに、以前ググったところによると、吃音の原因は精神的なものらしく、治すには周囲のサポートが必須とのことだった。世界には是非とも僕をサポートしてもらいたい。

 

さっき、社内の人からの電話だったら安心すると書いたけど、例外があるのを忘れていた。偉い人からの電話だ。ときどき、何を血迷ったか僕の部署に偉い人から電話がかかってくる。初めて偉い人からの電話をとったとき、「〇〇です。××さん(僕の上司)いますか」と言われて、僕は「すみません、もう一度よろしいですか」と返してしまった。「〇〇です」。今度は3パーセントの怒りが込められた声が返ってきた。僕は猛スピードで頭の中のタウンページをめくり、そこで気付いた。「あ、偉い人や」と。これはもちろん僕の失態だが、偉い人も偉い人でどうかと思う。「会社でナンバースリーの〇〇です」とか言ってくれたらいいのに。人よりも努力して偉い人になったのだから、自信を持ってほしい。

 

ここまで読んだら、もうお気づきだと思うが、僕は会社に一人はいる仕事ができない奴だ。何事もそつなくこなすということができない。自分の能力の低さや不器用さについては、稿を改めて論じるかもしれない。

 

まあ、嘆いたところで何も始まらない。とりあえず土日しっかり休もう。

中国の人、韓国の人

仕事の関係で、中韓の人と接する機会が多い時期があって(なんか世界を股にかけているビジネスマンっぽいな)、色々面白いなと思うことがあったので、そのことについて書いてみる。

 

まず断っておくけれど、ここでは中国人とか韓国人という書き方はしないようにする。なぜか。「中国人」「韓国人」と書いた方が、「中国の人」「韓国の人」と書くより断然収まりがいいのに。そもそも僕は漢字と仮名が混ざった単語を好まない。例えば、「信ぴょう性」とか「払しょく」とか書かれているのを見ると、変な気持ち悪さを感じる(やっぱり気持ち悪いな。信憑性。払拭。これですっきり)。それでも「〇〇人」なる書き方を採用しないのは、それが異質なものを受け入れ理解しようとする態度とは、どこか非常に微妙かつ決定的な点で相容れないと思われるからだ。「〇〇人は〜」という文脈において語られる言葉が、ポジティブな響きをもつことは滅多にないように。だから、僕は漢字と仮名が混ざった語を使うことに若干の引っかかりを感じながらも、「中国の人」「韓国の人」と書く。「日本人」はそのままでいいかな。自分らのことだし。まあ、つらつら書いてきたけど、基準は曖昧だ。

 

異国の人の話をするときには、本題に入る前に様々なエクスキューズをしておかないといけないイメージがある。例えば、「私の書くことで差別が助長されるとしたら、それは全く私の本意ではない」のように。でも、やめておく。どんなことをどんな意図で書いても、そこから差別的なニュアンスを感じとられる可能性をゼロにすることはほぼ不可能であるからだ。ヌルいことを書くぐらいなら、思っているありのままを書いて批判される方がましだ(息巻き)。まあ、そもそもの思っていることがヌルい可能性があるんですけど。

 

前置きが長くなってしまった。おそらく本題より長いだろう。

 

日本人と似ているところがあると感じるのは、圧倒的に韓国の人だ。良くも悪くもコードを共有しており、だからこそ我々と同じようなことで、喜んだりイライラしたりするイメージがある。ただ、日本人よりもさらにせっかち(関西弁で言うところの「イラチ」)な人が多い印象だ。対応に手間取っていたら、指で机をトントンするし(もちろん、しない人の方が多いよ)。まあ、僕の仕事が遅かっただけのことかもしれないけど。

 

僕は中国語も韓国語もほとんど話せないけど、中国語に比べると、韓国語が通じた経験の方がはるかに多い。中国語は発音が難しく、簡単な言葉さえほとんど通じないのに対して、韓国語は簡単な言葉だったら、案外通じるのだ。簡単なコミュニケーションがとれることで、他者がもつ「異質さ」はいくぶんか目減りするだろう。そんなわけで、韓国の人は自分たちと似ているように感じるのかもしれない。

 

対して、中国の人は、日本人とは全然違う。あまりにも違う。中国からの観光客のマナーの悪さを批判する言説が散見される現代だが、マナーが「悪い」というよりもむしろ、マナーが「違う」という方が正確だと思う。「郷に入れば郷に従え」というのはわかるけれど、3、4日だけ観光することが、「郷に入る」ことになるのかは、疑問だ。

 

先日昼休みにファストフード店で順番待ちをしながら、スマホで情報収集をしていたら、後ろから肩をトントンと叩かれた。振り返ると、中国の人が僕に注文する順番が回ってきたことを身振り手振りで伝えてくれていた。異国の地においてさえ、こういう行動がとれるざっくばらんさが僕は嫌いではない。それがときには「無神経」とか「デリカシーがない」と批判される行動であったとしても。

 

こんなこともよくある。中国のお客さんに聞きたいことがあるときは、中国語の通訳さんを呼ぶ。途端に、通訳さんもお客さんもヒートアップして、激しい口論が始まる。でも、両者が伝えたいことを伝え終わると、あっという間に仲直りし、お互いに笑顔で「謝謝」と言い合っている。おそらく、僕から見たら喧嘩のように写ることも、彼らからすれば何でもないことなのだろう。こういう他者との衝突を厭わない態度には、ある種の清々しささえ感じてしまう。何せこっちは、他者とぶつかることをどうにかして避けたいと思っているのだから。

 

中国語のコミュニケーションを手伝ってくれるのは、通訳さんだけではない。僕が中国のお客さんとの意思疎通に難儀していると、横から日本語も中国語も話せる中国の人が入ってくることがままある。「あなたはこの方とどういう関係なんですか」と尋ねると、「何の関係もないですけど、私中国語話せるので」と言い、通訳を買って出てくれるわけだ。こういうことを彼らは特にいいことをやっているとも思わず、当たり前のこととしてやっているように見受けられる。いい奴だなあと思う。

 

ここまで、二つの国の人たちの印象をつらつらと書いてきた。ここからは、もう少し踏み込んで、僕の中にある異国の人に対する差別感情と向き合ってみたい。決して楽しくない、むしろ苦しい作業だけれど、いい機会だから。

 

SNSなどで、人種差別的な主張を目にすると、自分はこんなことを口にしないし、そもそも思いもしない人間だと思う。ただ、ふとした瞬間に、自分が本当にそう思っているのか、それとも無理矢理そう思おうとしているのかわからなくなることがある。そういうとき、ひどく困惑してしまう。もちろん、思いを心に留めておくことと、それを口に出したり、文字にしたりすることの間には、千里の隔たりがあるだろう。でも、自分の中に邪悪な根があるという事実が、僕を大きく揺さぶるのだ。

 

例えば、好きな有名人の話をしているとき、居合わせた人に「その人って在日の韓国人だよね」と言われたことがある。そのとき感じた「知りたくなかった」という気持ち。その後「〇〇 国籍」で検索したこと。別に懺悔するつもりはないが、Wikipediaの生い立ちの欄をスクロールしながら、ふと自問する。一体俺はこの人に日本国籍であってほしいのだろうかと。この問いに「ノー」と答えたいところなのだが、おそらく僕は深いところでこの問いに対して「イエス」と答えてしまうような人間なのだ。

 

一方で、差別をする人間にはなりたくないという思いは、平均以上に強いという自覚もある。それは別に「差別はよくないことだ」というコンセンサスが成立した社会の方が生きやすいからなどといった、大それた理由からではない。単純に、差別は愚かしいことだと思うからだ。

 

でも、その愚かしい一面がときに影を覗かせる。外国のお客さんと喧嘩をして腹を立てたときや、片言の日本語しか話せない店員さんを微笑ましいと思うと同時に、一抹の憐みを覚えるときに。

 

こういうものとどう折り合いをつけていけばよいのだろうか。答えは簡単に出ないし、これからも考えていかねばならない。