玉稿激論集

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越えられぬ壁

「動物とか全然、少しも、全く、好きじゃなかったよね?」
「その通り。でも、好きなふりはできる」
ー旧友との会話の断片(2022年3月)

 獣医の友人は診察時に訳のわからぬことをがなり立てるクライアントに対して、「うちでは診れませんので、お引き取りください」と言い渡すらしい。「あなたとは信頼関係が築けそうにないですから」と。「お前むかつくな」と言ってきた奴を出入り禁止にしたこともあるらしい。なかなか強気な商売姿勢だ。
「だから俺が働いている医院は大層レビューが低いんだよ」
彼は笑いながら言う。俺と同い年でもう副院長を務めているとのこと。
「でも君の場合、患者と言語でのコミュニケーションをとる必要がないというのは、楽なんじゃないかな。言わば、飴と鞭の関係しかない訳だろう」
「その通り。患者が物を言わないのは本当に素晴らしい」
話しながら彼の掌や手首に目がいく。患者によってつけられたと思しき歯形や引っ掻き傷が複数見てとれる。当たり前の話だが、獣医とて決して楽な仕事ではないらしい*1。しかし生傷の痛みを加味しても、客に強気でいられる仕事を羨ましく思ったのは事実だ。
 職業柄、「気に入らないのなら、帰っていただいて結構です」などとはなかなか言えない。ご多分に洩れず、変な客を呼び寄せてしまった己の引きの悪さを呪いながら、「いやー…」とか「まあ、そのー…」などと濁しつつ嵐が去るのを待つより他ない。理不尽な要求を並べ立てる者に対しては毅然とした対応をすべきであるというのは、確かに正論だが、下手に怒らせて恨みを買うのは避けたいし、クレームを入れられた社員を果たして会社が守ってくれるのかは甚だ疑問であるから、波風を立てないのが賢い振る舞いということになるのだ。何とも情けない話だが。
 こちらが惚れ惚れするくらい間違っていることを延々と話し続ける客というのが確かに存在する。話していると、ただ徒労感だけが募る。同じ日本語で会話しているはずなのに、意思疎通がうまくいかない。もしかしたら先方だって俺に対して同じような感情を抱いているかもしれない。外国人と話すときにしばしば立ちはだかる「言葉の壁」よりもずっと高い壁が聳えているように感じる。越えられそうにないし、特に越えたいとも思わない。
 本当に敵わないなと思うのは、彼らがマジだからだ。目がバキバキになっている。これは別に感情的になっている相手方を冷笑しているわけではない(まあ、少しはそういうのもあるけれど)。彼らの目はどす黒い光を放っている。どういうわけか生きるか死ぬかの勝負をしているつもりでいる。そんな奴らに半端な気持ちで働いている一会社員が勝てるはずがない。
 バックヤードで悪口の限りを尽くして客を罵る同僚というのが、どこの職場にもいる。気持ちはわからなくないし、聞いている分には面白いのだが、俺はそこまでの嫌悪の情を客に抱いたことがない。むしろ恐怖が勝つのだ。見ず知らずの他人に対してあそこまで敵意を剥き出しにできる者。一体どんな人生を歩んできたのだろう。辛い過去があったりするのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。とにかく自分の前から一刻も早く立ち去ってほしい。
 やけに愚痴っぽくなってしまった。我が生において、越えられぬ壁は確かに乱立しているが、中にはどうにかよじ登っていけるものや、思い切り蹴ったら案外簡単に壊れるものもあるだろう。今はとりあえず目の前の壁(引越し、引き継ぎ、異動先への挨拶、お土産、手持ちの案件の処理、電気の解約、ネット環境、大型ゴミの処分、部屋の掃除、梱包などなど)をぶち壊したい。

*1:噛む、引っ掻く等の狼藉を働く患者に対して彼がやむを得ずする行いについては、一応彼の名誉のためここでは書かないことにしておく。