玉稿激論集

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愚でなき兄と(fiction)

 兄と会うのは3年ぶりだった。3年というと、件の疫病が流行するずっと以前から私と兄の交流は絶えていたことになるから、彼と私との間になんらかの確執があったように思われるかもしれないが、そんなことはなく、互いに不干渉でいるうちにいつの間にか長い時間を経てしまっただけで、私としては久方ぶりに兄からの連絡を受けて再会が決まった折には、若干の高揚感さえ覚えたのである。
 とはいえ、覚えたのは高揚感のみではない。同窓会をやりたがるのは人生がうまくいっている者である。この命題が最早当今常識にさえなっているほど普遍的に真なのと同様、命題「没交渉の弟と会いたがるのは順風満帆な人生を送っている兄である」もまた、いつの時代のどの兄に対しても真なのだ。東京に住む彼が今般出張で訪れるのは神戸なのだから、私が住む京都など素通りしてそのまま該地に赴けばよいものをわざわざ声かけをしてきたのは、さぞかし万事如意な日々を送っているからだろうと、相も変わらずうだつの上がらぬ私は持ち前の僻み根性を抑えきれないでもいたのだ。
 この兄というのが、子供の頃から何につけ器用にこなす兄だった。あるいはこの表現は些か不正確かもしれない。幼時の兄が世間一般からして万能だったかどうかなどわからないから。いや、おそらく万能などではなかっただろう。ただ、彼はどんなことでも私より上手にこなした。共に習っていた空手では一度も負かしたことはなかったし、テレビゲームなどでもあまりに私の負けが混むから、わざと手を抜いてもらったりしていた(このことに気づいたのは後年になってからで、当時の私は兄に勝ったことに狂喜乱舞していた)。兄が難なく合格した県下で最も偏差値の高い高校にも私はちゃんと落ちて、そこに通う者は「県下で2番目に賢い高校」と謳っているものの、進学実績を虚心に眺めると5、6番手に落ち着いてしまう高校に通った。当時、多くの文系生徒同様、生物を受験理科科目として選択していた私は、メンデルの遺伝の法則を学んだとき、教師が板書する「優性遺伝子」だの「劣性遺伝子」だのの文字列から、兄と己を連想し、兄のことも知る友人には自らを「劣性」と称して自虐などもしていた(勿論遺伝学でいうところの「優性」「劣性」はかような優劣を意味する用語ではない。この頃では誤解を避けるため、優性を「顕性」、劣性を「潜性」と呼称を改めたとも聞く)。自らに宿された「劣性遺伝子」ゆえに捻くれた性格になった私がそれでも兄との間に軋轢を生じさせなかった―当然平均的な兄弟喧嘩はあったものの―のは、偏に兄の性格による。その良く言えば鷹揚な、悪く言えば己の勝利に無自覚な、音で表すなら「ぼよーん」とした性格は、躍起になって張り合う私をふと我に返らせるものがあった。
 自身の変化についても触れておかねばなるまい。分別のつかない餓鬼の頃は兎に角負けず嫌いで、兄のみならず自分より秀でた能力を持つ者に憎悪ともとれる視線を向けていた私だったが、様々な局面(空手にせよ、勉強にせよ、カードゲームにせよ)で負けが混んでくると、己の身の程を知らされた格好となり、負けず嫌いな性向はなりを潜めるようになった。過去に私の負けず嫌いに迷惑を被った者たちは、私が「丸くなった」ことを歓迎した。彼らは決して間違ってはいない、負け癖がつくことと丸くなることの間に大した隔たりがないのだとしたら。
 殊に学業に関していうと、いつの間にか残酷なまでの差が開いてしまっていた。県下一偏差値の高い高校に通っていた兄がその後も優秀な成績を継続して収め、当たり前のようにストレートで京都にある国立の総合大学の法学部に合格した一方で、私が浪人の末なんとか入学許可を得たのは、関西のとある私立大学の文学部だった。因みにこの大学も巷間では「関西で4本の指に入る」などと噂されていたが、私は高校のときみたく不都合な真実を知るのが億劫で、虚心に当の4大学の偏差値なり就職実績なりを調べることをしなかった。調査の結果、4つの大学の名前の頭文字を繋げた文字列を口にするとなんとなく語感がいいからそれなりに名が知られているだけであって、これらの大学が並み居る関西の私立大学の中でさして優秀なわけでも何でもないなんてことが判明しようものなら、もう目も当てられない。
 多分に負け惜しみを込めた言い方になるが、面白味のないほどにエリート街道を進む兄は、大学卒業後は国内最大手の人材派遣会社に総合職として採用され(私は根っからの僻み根性でもってこの会社を内心で女衒呼ばわりしていた)、ヘッドハンティングなる物騒な仕打ち―これはサラリーマンにとっては大層名誉なことらしい―を何度か受けて数社を渡り歩いた結果、昨春から何やらオプティミスティックな響きを持つ会社に勤め始めたと田舎の母に聞かされていた。一方私の方はというと、当然兄のように飛び級でもって大学を4年で卒業することはなく、きっちり5年をかけて卒業した後は、地元に戻るでもなく、はたまた多くの同年代の者がそうしたように花の都大東京にさしたる目的なく踏み入れるでもなく、大学に入るまでは縁もゆかりもなかった関西に拠点を置いている、就職活動をするまではまるで聞いた事のなかった小さな会社で事務職に就いていた。仮にも大学を出ている男がいきなり事務をさせられるというのは確かにあまり聞く話ではないが、私としてはありがたかった。営業をするのが嫌だったからである。他人に対して数多の思うことがあるにもかかわらず、内心で人を見下すということさえ、天罰によるしっぺ返しを恐れて躊躇するほど臆病にできている私にとって、日常的に理不尽なことを要求する客と現場で対面する仕事はこの上なくストレスフルに思えたから、残業手当が付かない分いくばくか賃金は安くなるものの殆どストレスフリーな事務職にやりがいは感じずとも、さしたる不満もなかった。だから今年度から営業部に異動することが決まったときには、大いに落胆した。車の運転、コテコテの関西弁を用いる見ず知らずの他人との折衝。こういった不得手かつ不慣れなことをせねばならぬのは当初の予期以上にストレスフルであり、酒量が大幅に増加した。
 ただ実をいうと、そのストレスフルな状況に、働いてからこの方縁のなかったやりがいめいたものを感じてしまったのも事実なのである。事務職をしているときは毎日遅くまで残業している者共を奇異の目で眺めながら定時退社をキメていた私がこの春から彼らと同じように残業するようになったのは、そうしないと仕事が片付かないからというのに加え、ワーカーズ・ハイ(夜遅くまで働くことに快感を覚える状態)になったことに大いに依っている。出先で客にどやされるのは確かに辛いが、そんなきつい仕事を日々こなすことは社内でちまちま事務仕事をしている連中に対する優越感へすぐと転化し、「連中は現場のことをまるでわかっておらぬ」などの愚痴さえこぼすようになった。
 さりとて、感じたことのないストレスに晒されるようになったのもこれまた事実であり、それが前述の通り大幅な酒量の増加を招いた。酒豪で知られる作家が生前遺した小説において、「酒が好きで酒を楽しめる者はアル中にならない。アル中になるのは酒が必要な者だ」といったことを書いていたが、全くもってその通りである。仕事の行き詰まりが臨界点を超えると、脳細胞の一つ一つがアルコールを求め始める。脳が汗をかいている。そうなると私はどれだけ仕事が残っていても、パソコンを閉じて会社を後にし、帰りにしこたま酒を買い込む。そしてそれは兄と再会する前日も同様だった。土曜日の正午前に京都駅にて兄を出迎えることになったが、私はしっかり缶ビールとハイボールを2本ずつ空けて、泥のような眠りについた。

 駅の中央口に現れた兄に変わったところはなかった。ディーゼルのTシャツに履き慣らしたチノパン、keenのスニーカーというさっぱりとした出立ち。私より一回り大きい上背。こちらに近づいてくる足取りは軽い。
「やあ、なんだか随分と痩せたんじゃないのか」
それが兄の第一声だった。これに私は約半年前から始めたランニングの効果が灼かに現れている旨を告げる。
「そうか、君はいずれフルマラソンにでも出場するつもりなのかい」
「いや、そのつもりはないよ。42・195キロなんて走っていたら、途中で走ることに飽きちまうし、第一そんなに長い距離を走ると、細胞に負荷がかかりすぎてかえって老化につながるんだ。俺は健康になりたいだけだからね」
「相変わらず君は理屈をこねくり回しているのだな。でも父さんや母さんは心配していたぞ、君が痩せすぎていると。僕が久しぶりに君に会うと伝えると、何か美味いものでも食わせてやってくれだとさ」
「それはありがたいや。俺は食べることを何より楽しみに生きているからね。ところで、ご馳走してもらう身がこんなことを言うのはおかしいけれど、何か食べたいものはあるのかい?」
「うむ、せっかく京都に来たのだから、おばんざいはどうかな」
「おばんざい?」
「京都に住んでいるのにおばんざいも知らないのかい?おばんざいだよ、おばんざい。まあ、僕も詳しく説明しろと言われたらできないけれど」
そう言うと兄はおもむろにスマートフォンを取り出して調べ物を始め、烏丸にある「おばんざい」の店の予約を取り付けた。その店は件の疫病の煽りを受けて開店休業の状態だったらしく、今すぐ来店しても構わないとのことだった。兄の提案で我々は七条から店まで歩いて行く運びになる。西本願寺を横目に見ながら、烏丸を目指す。
「京都に住んでいる頃はろくすっぽ寺社仏閣に行かなかったなあ。離れてみて思うよ、もっと色々観光しておけばよかったと。おばんざいを食べたら御所の方まで腹ごなしに歩いてみるっていうのはどうだい」
「別に構やしないけど、御所なんぞ行ったところであまり見るところはないんじゃないかな」
「そんなことないさ。大体京都に住んでいない者にしてみれば、この古風な街並みを歩くだけでも楽しいものなのだよ」
私も見知らぬ町を歩き回ることが好きだから、言わんとすることは何となくわかった。先日も久方ぶりに帰省した際、地元の繁華街を初めて歩いてみたのだが、新鮮な驚きがたくさんあった。中高生の頃はヤクザが闊歩しているイメージの強いそのエリアについぞ足を踏み入れず、大学進学を機に地元を離れた私は阿呆のように大口を開けて立ち並ぶビルを見上げたものだった。
「そんなことより東京から神戸くんだりまで来るなんて、一体何の仕事をするんだい?しかも緊急事態の最中に」
「緊急事態宣言下だから来たのさ」と応じる兄はさながら漫画の主人公のような顔つき。
「まあ、東京も京都も神戸も宣言が発令されているのだから、その間の移動はそんなに問題にはならないと俺も思うけど、そりゃ一体どういうことさ?」
「最近この国でもようやっとコビッドのワクチン接種が始まったけど、遅々として進んでいないだろ。だからこれからは、海外にならって大規模接種会場で接種を行うことに決まったんだよ。で、そのパイロットケースが神戸で実施されるから、プロジェクトの立案者の一人である僕も神戸に赴かねばならなかったというわけだ」
「へえ、そりゃすごいや」
感心する私に兄はスマートフォンを取り出して、当該プロジェクトについて伝えるニュース映像を見せてくれた。そこには短いインタビューを受ける彼の姿がある。私は兄のメジャーデビューを心から祝うと同時に、兄が私に会いに来た理由の一端を知った思い。因みに、後日聞いたところによると、両親はかの映像をリアルタイムで座して見たらしい。
 いずれにせよ、コビッドにより世界は大いに変わってしまった。その変化の多くに私はアンビバレントもしくはネガティブな感情を抱いていたが、唯一私がポジティブな変化と捉えたのは、会社の飲み会が消滅したことだった。あの、ほぼ全ての者が望んでいないにもかかわらず折に触れて開催される行事を私もその他大勢同様忌み嫌っていたから、今般の疫病の大流行により好きでもない者と酒を酌み交わしたり、幹事として店選びに頭を悩ませることがおそらく半永久的になくなったのを寿いでいた。
「まあ、幹事というのは上手くやれば合法的に会社の金を横領できるけど、下手をすれば無駄な身銭を切ることになるものな。ところで君の仕事の話も聞かせておくれよ。新しい部署に配属になったんだって?」
私は頷き、近況を簡単に述べる。
「しかし、ここらの客というのも厄介なのが多いだろう。僕の友達で君と同じようにこの辺りで営業をやっている奴がいて、そいつが以前言っていたことなのだけど、彼は先輩に『〇〇に行くときは犬に気をつけろ』と言われたらしい。意味がわからないだろ?つまり、〇〇を車で走っていると、ふいに犬が飛び出してくることがあるらしく、―犬ったってチワワとかダックスの類じゃないぜ。昔母さんの実家近くにいたような野犬の類さ―それを轢こうものなら、たちまち車を数人に取り囲まれて因縁をつけられるというわけだ。この国でそんなことがあるなんて、僕も俄かには信じ難いけどね」
〇〇については私も似たような話を聞いたことがある。某ファストフード店でアルバイトをしていたとき、ヘルプとしてその辺りの店舗に派遣されたことがあったのだが、普段からそこで働いているある店員は、客にレジスターを投げつけられた体験を面白おかしく話してくれた。「まあ、この辺は日雇いが多いですからねえ」と嘆息しながら。
「あの辺は何というか、眠気覚ましに食べるガムというか」
と言った私を兄は怪訝な目で眺める。
「ブ〇ックブラッ〇だよ」
頭の良いはずの兄が私の意味するところを理解する間に、ジャマイカ籍のあの世界記録保持者なら100メートルを駆け抜けただろう。

 お盆の上には大小合わせて10個の器が据えられている。つやがかった白飯、ジュレののった豆腐、麩の田楽、鯛の煮付け、だし巻き卵、キュウリの酢の物、冬瓜のおひたし、二色ソーメン、冷製ポタージュ、天ぷら。これがおばんざいかと感心して眺めていると、店員さんがご参考までと我々の傍らに品書きをおいてくれる。
真ん中を小さな紙片で留められている箸を割り箸の要領で引き離そうとしてもなかなかうまくいかない。難儀している私を差し置いて兄は早速煮魚に手を伸ばしている。
「割り箸みたくやってたんじゃ、いつまで経っても食べられやしないよ。引っこ抜く要領でやってみればいい」
しかし言われたように今度は紙片から箸を引っこ抜こうとして力を込めても、びくともしない。まるで知恵の輪のようだ。
「2本一気に引き抜こうとするからできないのさ。1本ずつ引き抜いてごらん」
果たしてその言に従い、1本ずつ引き抜くと、箸は紙片の束縛からたちまち自由となる。これでやっと飯にありつける私の顔には自然と笑みが浮かぶ。
「君はサルのようだ」
「僕が通っていた大学の霊長類研究所のサルができたならニュースになるようなことを、君も喜びと共に達成している」
兄も優しい目をしながら苦笑する。
 天ぷらの具材を確認するため、予め渡されていた品書きに目を落としたところ、そこに「鱧の天ぷら」の文字を発見した私が思わず、おそらく兄ぐらいにしか通じないであろう内輪ノリで、我々の間ではお馴染みの台詞である
「京都で鱧は獲れない」
を言い放つと、これにも兄は苦笑しながら、
「京都に出回る鱧のほとんどは瀬戸内海産だ」
と応じる。
「しかしまあ、君は本当にあのシーンが好きなのだな。京都の地でその台詞を言えて感慨もひとしおだろう。でも、あのグルメ漫画のファンの中に君の言を理解して乗っかることのできる者が果たしてどれくらいいるものか」
だから兄のような人材は文字通り有難いのだ。
「いやあ、しかし美味しかった。2000円も使う外食なんて久しぶりだよ。最近は僕も家で一人スーパーの半額の惣菜ばかり食べているからね」
冷たい麦茶を飲み干した兄がそう言うものだから、私は眉を顰める。
「どうしてだい?細君がいるじゃないか」
確か今年で結婚六年目のはずである。
「彼女も仕事が忙しいらしくてさ、ここのところずっと家を留守にしているよ」
「そうなのか。でも神戸に行くのなら神戸牛ステーキを食べることができるなあ、羨ましいよ」
これに対して兄が何気なく
「一人でそんな美味いものを食べても楽しくないじゃないか」
と返したとき、私は先日一人で食した3000円の鰻丼の芳醇な旨味を思い起こし、反論しようかとも思ったが、我々をいつの間にか引き裂いていた大河のような断絶を前にすると虚しい気持ちになり、頭の中で咄嗟に用意した屁理屈を呑み込んだ。
 結局割り勘をして我々は店を後にした。

 その後は当初の予定通り、御所に向かい、そのだだっ広い庭園をとぼとぼと歩き、晩は鴨川を望みながら焼肉を肴にノンアルコールビールを飲んだ後は、長岡京に住む旧友の家に泊まるという兄を駅まで見送った。3年ぶりに会う兄に私はさしたる懐かしさを感じなかったし、それは先方とて同様だろう。でも確実に我々は年をとっていて、しばしば年に見合った話題について―あるいはこれは私だけかもしれないが―歯を浮かせながら口にした。蛇足としてそのうちの一幕を記して、この小話を終わりにしたい。
 ノンアルコールビールなるものを飲んだのはその日が初めてだった。酒類の提供が中止されているため、せめて気分だけでも酒を飲んでいる感じを味わおうと注文したのだが、これは失敗だった。ビールだけには人一倍こだわり、発泡酒を飲まないのは勿論のこと、日課の晩酌は水滴を落とし切った上で冷凍庫に放り込んだグラスを準備して臨み、この頃は注ぎ方にまで心を傾けるようになった私にとって、カラメル色素がいやに喉にまとわりつくそれを飲むのは、心地の良い経験ではなかった。真の麦酒との共通点は尿意を催すだけのその液体をちびりちびりやっていると、一瞬沈黙が流れたので、私は何気なく先日兄の結婚式が開かれた場所である花小路あたりを訪れたことを話そうと、「この前結婚式場に行ってきたんだ」と言うと、兄はこれを盛大に勘違いし、
「なんと、ついに君も結婚するのか」
と返してくる。確かに言葉足らずだったので、慌てて訂正すると、
「なんだ、そんなことか。てっきり君が式場の下見に行ったのかと思ったよ。ところで、ついでに聞くと言っちゃあなんだけど、良い人はいるのかい?」
と、こちらがあまり話したくない話題を振ってくる。これに私が否定で応じるとさらに、
「結婚願望はあるのかい?」
と尚も続けてくるのである。
「まあ、俺も人と話すのは好きだから、気の合う者と暮らすのは楽しそうだと思うよ」
「田舎に帰ったら親戚連中に聞かれるだろう、結婚しないのかって。彼らは皆君のことが心配なのだろう」
「ああ、聞かれるさ。気持ちはわからなくないけれど、あれはやめてほしいものだよ。俺はその都度傷ついているんだ」
「今度彼らに会ったら言っておいてくれないか、あいつも実は傷ついていたのだと」
軽い冗談で言ったつもりだったが、兄の笑い声と反比例するように、私は涙腺が刺激されているのを感じる。
 全く空を見上げれば雀でさえ、足元を見下ろせば虫けらでさえ、つがいを見つけているというのに、こんな歳になっても独り身である自分には、おそらく何かしらの欠陥があるのだ。そんな私に「まだ結婚しないのか」などと尋ねるのがいかほど残酷なことなのか先方は理解していないのだろう。こんな泣き言を口にすると、「そんなつもりはない」「聞き流せばよい」「何事も真剣にとらまえすぎだ」「冗談が通じない」「お前ぐらいの年代で独身の者は皆聞かれることだ」となるのだろうし、その通りだと私も頭では理解できるが、私が彼らにより損なわれたのもまた紛れもない事実なのだ。つがいを見つけのうのうと暮らしている勝者による死体蹴りになぜこちらがにこにこして応じなければならないのか。話しているうちにそんな考えが頭に浮かび、無性に腹が立ってきた(因みに私のような男は昨今では「非モテ」と呼ばれるらしく、その研究についての本を先日立ち読みした。共感を覚える箇所があることに安心すると同時に、己の悩みが凡百であるのを突きつけられた気もした私はそっと本を閉じ、その場を後にしたのだった)。
 だから兄が「まあ、彼らももうじき何も言わなくなるさ」と諭すように言ったとき、私は思わず、
「なぜだい?2、3年もすれば死ぬからかい?」
と口走ってしまった。これに兄は苦笑しながら、
「そういうことを言っているわけではないよ。あと数年すればそれは本当に触れにくい話題になるということだよ」
と、これまた惨たらしい未来を提示するが、私は構わず、
「なるほどそういうことかい。いずれにしても俺は彼らに心からの謝罪を要求したいね」
などと、自分にされた嫌なことはとことん根に持つ本性を覗かせて吐き捨てた。そのそばから、心に暗い靄がかかるのを感じる。こんなことを口にすると、どうせ後で酷く悔いてしまうのだ。私は決して彼らのことが嫌いではないのだから。仮に今私が死んだとして、その死を心から悼む者が彼らや目の前の兄の他にどれだけいるだろうか。そのような者は皆無ではなかろうか。生前から己の死を悼む者を想定できる人生は、人並みに恵まれているのかもしれない。でもやはり親族だけでは飽き足らないのだ。私には親族以外で己の死を悼むであろう者が必要なのだ。

 焦げ付いた網から昇った煙は立ち消えることなく、目の前を漂い続けている。視界がどうにも晴れてこない。
「やあ、そろそろ8時になるから今日はここいらでお開きにしようか」
兄は店員さんを呼んでチェックを請求し、14000円をスマートに支払った。

 寺町通に出ると、普段炭水化物を一切摂らないと公言しているストイックなミュージシャンが、年に一度自分へのご褒美として食べるという老舗のラーメン屋が目に入った。焼肉だけでは些か物足りなさを感じていた我々は閉店間際のそこに滑り込み、大きな器に入った豚骨ラーメンを啜った。そこで何を話したのかはあまり覚えていない。ただやたらと兄が私の仕事についてあれこれ尋ねてきたことは記憶の片隅に残っている。
 そのとき小心者の私は、早くも先刻の自らの発言を悔やむフェーズに突入していたのだ。
 焼肉を奢ってもらった身として、申し訳程度に兄の分も含めたラーメン代(しかもその日はキャンペーン中で500円という破格だった)を支払い、彼を地下鉄の入り口まで見送ると、私は緊急事態宣言などお構いなく24時間煌々と灯をともしているコンビニエンスストアに直行する。そして、ノンアルコールビールなどでは露ほども酔えぬ頭に渦巻く悔恨や邪念や不安を一時でも忘れさせてくれるかの成分が入った飲料をしこたま買い込むのであった。