玉稿激論集

玉稿をやっています。

愚直に、真っ当に

マスクをつけたまま走ると、身体に必要以上の負荷がかかる。

 

でもまあ仕方がない。エチケットなのだから。

 

こんな時世になるまで、マスクをつけたままランニングするのは、元バンタム級世界王者辰吉丈一郎にのみ許された特権であったことも鑑み、肺機能がしんどくなったときは厚かましくも己を彼と同一視する。すると少しだけ興に乗れる。

 

と言いつつも、僕は辰吉の全盛期を生で見ていない。彼が当時の国内最速記録で世界チャンピオンになったことや、驚異的な視聴率を叩き出した薬師寺保栄との伝説の一戦についてもWikipediaYouTubeを適当に漁って知った次第であり、彼を本気で崇拝するファンからすれば風上にも置けないだろう。中学生の頃、彼に密着したドキュメンタリー番組をたまたま目にしただけの、「にわか」だ(「にわかファン」ですらなく)。

 

ただ、10年以上が経った今でもこのドキュメンタリー番組はどういうわけか鮮烈に記憶に残っている。

 

当時の辰吉は年齢のせいで最早国内で試合を組むことができない状況にあったのだが(今ググったところによると、この国では37歳でボクサーのライセンスは失効するとのこと)、現役にこだわりストイックに自分を追い込む日々を送っていた。彼の1日はボクシングジムの門を叩いた16歳の時から欠かすことなく続けているというランニングから始まる。前首相が着けていたような小さな小さなマスクを当時から着けて、プロボクサーを夢見るキラキラネーム寄りな名前の2人の息子と走り、それが終わると縄跳びやミット打ちやスパーリングに明け暮れていた。

 

密着している番組スタッフにどうしてそこまで自分を追い込めるのか、一体何を目指しているのかを問われた辰吉は、「もう一度世界チャンピオンになることや」と即答する。

どう考えても無謀な挑戦だった。ライセンスが剥奪されてそもそも試合が組めないのに加え、全盛期はとうに過ぎている。しかもバンタムいえば今も昔も強豪ひしめく激戦の階級だ。

 

番組の終盤、久方ぶりの試合のために辰吉はタイに赴く。僕は最早食い入るように画面を見つめていた。

 

しかし、結果も内容も散々なものだった。往年のキレとスピードとパワーを失った彼は、無名の相手ボクサーに圧倒され、KO負けを喫した*1

 

それ以来辰吉は一度も公式戦を組まれていないが、50歳を越えた今でも引退することなくトレーニングを続け、来るべき再戦に備えているという。

 

一面から見たら何とも無様で滑稽な話だ。50過ぎて夢なんか語ってんなよと。でもどういうわけか、僕は生き恥を晒しているとさえ思える彼を笑うことができないのだ。

 

どれだけインテリ面を決め込んでも、結局自分には根性論に心を突き動かされるところが残っている。教えを乞いに来た格闘家に対して彼が「自分だけ成功したいなんて奴なんてどんだけおるよ。掃いて捨てるほどおるやろ。でもそこで真面目に真っ当にやってる人間がおんねん、ごく稀に。そういう奴が天下とりおんねん」と語る映像を見返して、やる気を起こすような単純さが未だに僕の中に残っているのだ。

 

中島敦の『李陵』で描かれる3人の魅力的な主人公、李陵、司馬遷、蘇武のうち、自分が特に蘇武に惹かれるのも似たような理由からだと思う。蘇武のように愚直に生き、蘇武のようにいつかは報われたい。そう強く願う。

 

辰吉のように、蘇武のようにー。

 

そんな支離滅裂なことを考えながら走っている。ありとあらゆる目的地までの遠さを噛み締めつつ。

 

一方でこんなことも思う。

 

この足が動く限り、どこにだって行けるだろうと。目指す場所がどれだけ遠かろうと、歩くよりは走った方が早くそこに辿り着くだろうと。

*1:無名と言ってもおそらくそんなに弱い相手ではなかった。書きながら辰吉のWikipediaを辿ったところによると、この時の相手はどうやら当時のタイでランキング1位だったから。ちなみにそこから該選手のWikipediaにジャンプしたところによると、彼は辰吉との対戦の7ヶ月後、日本で行われた試合中に意識を失い、19歳の若さでこの世を去っている。何とも人生色々だ。