玉稿激論集

玉稿をやっています。

恐怖の電話

何かわからないことがあれば、電話して聞いたらいいじゃないという人がままいる。

 

マリーアントワネットかよと思う。

 

電話をかけるというのは、全ての手が封じられ、八方塞がりになったときの最終手段だ。

 

僕は電話をかけるのも、受けるのも大の苦手だ。言いたいことをしっかりと整理しないと、電話をかけてもしどろもどろになってしまうし、見ず知らずの人に通話口からいきなり「聞きたいことあんねんけど」などと、タメ口で話しかけられると、硬直してしまう。

 

最近期間限定で配属された部署で、座った席がたまたま電話の隣なので、電話をとる機会が増えた。

 

社内の人からだったら安心する。角のない「お疲れ様です」に胸を撫で下ろす。外部の人からだったら緊張する。外部の人というのは往々にして、僕が会社の全てを知っている前提で話を進める。話を聞きながら、「あ、これは違う部署にかけてもらうことやな」と思っても、止まらない。もちろんこっちから話を遮ることもできない。相手が一通り話し終えた後で、「あの、そういったことでしたら、専門でご相談を受け付けております部署がありますので、そちらの電話番号を申し上げますので」と「ますので」を連発した回答をし、受話器を置いた後に反省する。そんなことがよくある。

 

その点、Windowsのオペレーターはすごい。

 

先日、会社のパソコンのリカバリー作業をしていて、途中でWindowsに電話をかける段階があった。本来なら自動音声サービスに従って1とか2を押していったら終わるのだけど、どこでしくじったのか、Windowsのオペレーターに電話を繋がれた。自動音声サービスのわかりやすさに人間がもつ温かみが加わった説明により、僕が抱えていた問題は瞬く間に解決された。

 

でもWindowsのオペレーターを見習ったぐらいでは、電話の恐怖は終わらない。通話口から聞こえてくるのは日本語とは限らないからだ。

 

「Hello?」と言われ、「Hello?」と返す。また「Hello?」と言われる。僕ももちろん「Hello?」と返す。ここまでくると、もはやofficial髭男dismだ。何度でも言うよ、Hello。

 

外部に電話をかけるとき、通話の記録を作成しなければならないことがある。最初は面倒だなと思っていたけれど、しどろもどろになってしまう自分にとっては、むしろ好都合だということに気がついた。電話をかける前にあらかじめ自分の台詞、つまり当方の用件を通話記録書に書いておくのだ。先方と電話がつながったら、記録書を音読すればいい(ついに、「当方」とか「先方」とか言う歳になってしまった、悲しい)。

 

ただ、もちろんここにも罠はある。用件に気を取られてしまうあまり、名前も名乗らず「台本」を読み始めたりなんかすると、最悪だ。慌てて「あ、申し遅れました。私、〇〇の××課の〜と申します」と言うのだが、言いにくい会社名なうえに、僕は滑舌が悪く、しかも吃音まであるから、大惨事になってしまう。電波越しに先方の困惑が伝わってくる。

 

三島由紀夫の代表作『金閣寺』で、主人公の「私」が吃音のことを「自分と世界の間に鍵がかかっている感覚」と言っていた。言い得て妙かどうかは別として、かっこよく表現してくれて、感謝している。ちなみに、以前ググったところによると、吃音の原因は精神的なものらしく、治すには周囲のサポートが必須とのことだった。世界には是非とも僕をサポートしてもらいたい。

 

さっき、社内の人からの電話だったら安心すると書いたけど、例外があるのを忘れていた。偉い人からの電話だ。ときどき、何を血迷ったか僕の部署に偉い人から電話がかかってくる。初めて偉い人からの電話をとったとき、「〇〇です。××さん(僕の上司)いますか」と言われて、僕は「すみません、もう一度よろしいですか」と返してしまった。「〇〇です」。今度は3パーセントの怒りが込められた声が返ってきた。僕は猛スピードで頭の中のタウンページをめくり、そこで気付いた。「あ、偉い人や」と。これはもちろん僕の失態だが、偉い人も偉い人でどうかと思う。「会社でナンバースリーの〇〇です」とか言ってくれたらいいのに。人よりも努力して偉い人になったのだから、自信を持ってほしい。

 

ここまで読んだら、もうお気づきだと思うが、僕は会社に一人はいる仕事ができない奴だ。何事もそつなくこなすということができない。自分の能力の低さや不器用さについては、稿を改めて論じるかもしれない。

 

まあ、嘆いたところで何も始まらない。とりあえず土日しっかり休もう。

中国の人、韓国の人

仕事の関係で、中韓の人と接する機会が多い時期があって(なんか世界を股にかけているビジネスマンっぽいな)、色々面白いなと思うことがあったので、そのことについて書いてみる。

 

まず断っておくけれど、ここでは中国人とか韓国人という書き方はしないようにする。なぜか。「中国人」「韓国人」と書いた方が、「中国の人」「韓国の人」と書くより断然収まりがいいのに。そもそも僕は漢字と仮名が混ざった単語を好まない。例えば、「信ぴょう性」とか「払しょく」とか書かれているのを見ると、変な気持ち悪さを感じる(やっぱり気持ち悪いな。信憑性。払拭。これですっきり)。それでも「〇〇人」なる書き方を採用しないのは、それが異質なものを受け入れ理解しようとする態度とは、どこか非常に微妙かつ決定的な点で相容れないと思われるからだ。「〇〇人は〜」という文脈において語られる言葉が、ポジティブな響きをもつことは滅多にないように。だから、僕は漢字と仮名が混ざった語を使うことに若干の引っかかりを感じながらも、「中国の人」「韓国の人」と書く。「日本人」はそのままでいいかな。自分らのことだし。まあ、つらつら書いてきたけど、基準は曖昧だ。

 

異国の人の話をするときには、本題に入る前に様々なエクスキューズをしておかないといけないイメージがある。例えば、「私の書くことで差別が助長されるとしたら、それは全く私の本意ではない」のように。でも、やめておく。どんなことをどんな意図で書いても、そこから差別的なニュアンスを感じとられる可能性をゼロにすることはほぼ不可能であるからだ。ヌルいことを書くぐらいなら、思っているありのままを書いて批判される方がましだ(息巻き)。まあ、そもそもの思っていることがヌルい可能性があるんですけど。

 

前置きが長くなってしまった。おそらく本題より長いだろう。

 

日本人と似ているところがあると感じるのは、圧倒的に韓国の人だ。良くも悪くもコードを共有しており、だからこそ我々と同じようなことで、喜んだりイライラしたりするイメージがある。ただ、日本人よりもさらにせっかち(関西弁で言うところの「イラチ」)な人が多い印象だ。対応に手間取っていたら、指で机をトントンするし(もちろん、しない人の方が多いよ)。まあ、僕の仕事が遅かっただけのことかもしれないけど。

 

僕は中国語も韓国語もほとんど話せないけど、中国語に比べると、韓国語が通じた経験の方がはるかに多い。中国語は発音が難しく、簡単な言葉さえほとんど通じないのに対して、韓国語は簡単な言葉だったら、案外通じるのだ。簡単なコミュニケーションがとれることで、他者がもつ「異質さ」はいくぶんか目減りするだろう。そんなわけで、韓国の人は自分たちと似ているように感じるのかもしれない。

 

対して、中国の人は、日本人とは全然違う。あまりにも違う。中国からの観光客のマナーの悪さを批判する言説が散見される現代だが、マナーが「悪い」というよりもむしろ、マナーが「違う」という方が正確だと思う。「郷に入れば郷に従え」というのはわかるけれど、3、4日だけ観光することが、「郷に入る」ことになるのかは、疑問だ。

 

先日昼休みにファストフード店で順番待ちをしながら、スマホで情報収集をしていたら、後ろから肩をトントンと叩かれた。振り返ると、中国の人が僕に注文する順番が回ってきたことを身振り手振りで伝えてくれていた。異国の地においてさえ、こういう行動がとれるざっくばらんさが僕は嫌いではない。それがときには「無神経」とか「デリカシーがない」と批判される行動であったとしても。

 

こんなこともよくある。中国のお客さんに聞きたいことがあるときは、中国語の通訳さんを呼ぶ。途端に、通訳さんもお客さんもヒートアップして、激しい口論が始まる。でも、両者が伝えたいことを伝え終わると、あっという間に仲直りし、お互いに笑顔で「謝謝」と言い合っている。おそらく、僕から見たら喧嘩のように写ることも、彼らからすれば何でもないことなのだろう。こういう他者との衝突を厭わない態度には、ある種の清々しささえ感じてしまう。何せこっちは、他者とぶつかることをどうにかして避けたいと思っているのだから。

 

中国語のコミュニケーションを手伝ってくれるのは、通訳さんだけではない。僕が中国のお客さんとの意思疎通に難儀していると、横から日本語も中国語も話せる中国の人が入ってくることがままある。「あなたはこの方とどういう関係なんですか」と尋ねると、「何の関係もないですけど、私中国語話せるので」と言い、通訳を買って出てくれるわけだ。こういうことを彼らは特にいいことをやっているとも思わず、当たり前のこととしてやっているように見受けられる。いい奴だなあと思う。

 

ここまで、二つの国の人たちの印象をつらつらと書いてきた。ここからは、もう少し踏み込んで、僕の中にある異国の人に対する差別感情と向き合ってみたい。決して楽しくない、むしろ苦しい作業だけれど、いい機会だから。

 

SNSなどで、人種差別的な主張を目にすると、自分はこんなことを口にしないし、そもそも思いもしない人間だと思う。ただ、ふとした瞬間に、自分が本当にそう思っているのか、それとも無理矢理そう思おうとしているのかわからなくなることがある。そういうとき、ひどく困惑してしまう。もちろん、思いを心に留めておくことと、それを口に出したり、文字にしたりすることの間には、千里の隔たりがあるだろう。でも、自分の中に邪悪な根があるという事実が、僕を大きく揺さぶるのだ。

 

例えば、好きな有名人の話をしているとき、居合わせた人に「その人って在日の韓国人だよね」と言われたことがある。そのとき感じた「知りたくなかった」という気持ち。その後「〇〇 国籍」で検索したこと。別に懺悔するつもりはないが、Wikipediaの生い立ちの欄をスクロールしながら、ふと自問する。一体俺はこの人に日本国籍であってほしいのだろうかと。この問いに「ノー」と答えたいところなのだが、おそらく僕は深いところでこの問いに対して「イエス」と答えてしまうような人間なのだ。

 

一方で、差別をする人間にはなりたくないという思いは、平均以上に強いという自覚もある。それは別に「差別はよくないことだ」というコンセンサスが成立した社会の方が生きやすいからなどといった、大それた理由からではない。単純に、差別は愚かしいことだと思うからだ。

 

でも、その愚かしい一面がときに影を覗かせる。外国のお客さんと喧嘩をして腹を立てたときや、片言の日本語しか話せない店員さんを微笑ましいと思うと同時に、一抹の憐みを覚えるときに。

 

こういうものとどう折り合いをつけていけばよいのだろうか。答えは簡単に出ないし、これからも考えていかねばならない。

とんねるず 石橋貴明という男

色々と話題になっているので、標記の件について(←本当に便利な言い回しだよな)今回は書いてみる。

 

僕は年齢的にはいわゆる「とんねるず世代」ではないけど、なんやかんやで中学とか高校の頃はほとんど欠かさず「みなさんのおかげでした」(以下「みなさん」とする)を見ていた。木曜日にみなさんを見て、金曜日の教室や部室で「昨日のトークダービー面白かったよな」みたいな話をする。そんな牧歌的な日々を送っていた。大げさな言い方をすれば、とんねるずは青春(!?)の一部だったのだ。

 

とんねるずダウンタウンはしばしば比較される。歳も近いし、お笑い界を代表する2大コンビと見る向きもあるだろう。ただ、「どちらが好きか」と問われると、僕はやはりとんねるずと答える。もちろんこれは好みの問題に過ぎない。言うまでもなく、ダウンタウンもめちゃくちゃ面白い。でもYouTubeにみなさんとごっつええ感じの動画が転がっているとすると、僕は迷わずみなさんを見る。

 

そんなとんねるず派の僕からすると、とんねるずのレギュラー番組がダウンタウンと比べて全然少ない(というか、僕がリアルタイムで見ていたのはみなさんぐらいしかない)状況に対して、一抹の寂しさを感じたこともあった。でも、今から思うと、みなさんだけで十分だったと思う。というのも、みなさんにとんねるずの全てが詰まっていたからだ。食わず嫌い、ムダ・ベストテン、トークダービーモジモジくんきたなトラン、男気じゃんけん、このあとザ・ワールド、細かすぎて伝わらないものまね、買うシリーズ、とんねるずを泊めよう。ざっと思い出すだけでも、腹を抱えて笑った企画がこんなに出てくる。テキトーにやっているように見えて、貴さんがYahooのインタビューで言っていたように、本当に「命をかけて」いたからこそ、あれほど面白いものができていたのだろう。

 

もちろん、傍若無人に振る舞うとんねるずが嫌いな人が一定数いるのも理解できる。「あんなのは芸じゃない。ただのいじめだ」というのもその通りだろう。だって、嫌がる芸人に無理矢理高級外車を買わせたり、後輩の家のトイレの壁面にペンキを塗ったりするのだから。でも、僕はそういうのを見て笑ってしまうのだ。からからと笑ってしまうのだ。

 

これは、爆笑問題太田光がよく言っていることでもあるのだけど、笑いといじめというのは、切っても切り離せない関係にあると思う。人間とは(というより僕は)どうにも度し難いもので、赤の他人が理不尽な目に遭っている様を見ると、なんだか楽しくなってくるのだ。社会化されたところで、生物としてもっている根源的な残虐性は完全には払拭されないのだろう。バラエティ番組の「いじめ」を見て楽しむことは、そういう内なる残虐性を発散することにつながるだろう。作っている側がそこまで考えているかは不明だが。

 

しかし、困った連中もいる。フィクションであるバラエティのノリを実生活に持ち込み、我々をその真似事に巻き込んでくる奴らだ。彼らには、小田嶋隆シャルリー・エブド(フランスの雑誌。イスラム教の預言者を風刺する漫画を発行した)がテロ行為を受けたときに書いたコラム「ユーモアの大半はクズである」を読んでもらいたい。そう。ユーモアなんてほとんどがクズなのだ。それが相手に伝わらなかったときに、自分の面白くなさ、センスのなさを棚に上げて、「あいつはシャレのわからない奴だ」とか、「あいつには冗談が通じない」などと批判するのは、傲慢であるとさえいえるだろう。変なノリに反応しない人に、「ノリ悪いわー」と言うのも同じだ。「ノリが悪い」のではなく、つまらないから無視しているだけだ。

 

話が逸れてしまった。以前会社で「〇〇くん(僕)ってイジられキャラやね」と言われたことが心のどこかで引っかかっていたのかもしれない。言下に「いや、違います」と答えたのだけれど。←客観的に見て、冗談の通じない面白くない奴だな、マジで。

 

でも、社会が「いじり」とか「いじめ」に敏感になっているのは確かで、だからこそみなさんは終了したし、とんねるずはテレビから姿を消したのだと思う。そして、僕もほとんどテレビを見なくなり、YouTubeばかり見るようになった。ただ、見るのはYouTuberの動画ではない。違法転載されたみなさんと、貴ちゃんねるずだ。やっぱりとんねるずは、そして貴さんは面白い。

 

今話題になっているインタビューで、貴さんが現在の肩書を問われて、「元とんねるずですかね」と答えていた。往年のファンの中にはこの回答にショックを受けた人も少なからずいたらしいが、僕は特に何も思わなかった。来年還暦を迎える二人のおじさんが今さら不仲とか解散とかいうこともないだろう。大体、こんなことを言っておきながら、明日の貴ちゃんねるずに憲さんが来るみたいなことになるのが、とんねるずなのだから。

 

というか、とんねるずの2人(石橋貴明木梨憲武)のことをごく自然に、貴さん憲さんと書いていた。毎日YouTubeでみなさんを見ている僕にとっては、長いこと会っていない親戚なんかよりも2人の方がよっぽど親近感を持てる。国民的とはこういうことをいうのだろう。

安倍政権の総括

会見の前から予想していた通り、総理が辞任した。大方の予想が外れて(?)、私の予想が当たった格好だ。

 

内田樹氏がTwitterで、総理が辞任したときに備えて、新聞社から寄稿依頼を受けていたことを明かしたのが8月26日のこと。そこから私は総理辞任にベットしていた。

 

辞任前夜の段階で、官房長官が「総理は来年9月まで任期を全うする」と話したという記事も出ていたが、私は予想を変えなかった。「これからもコロナ対策を精一杯やっていきます」と言うためだけに、久方ぶりに記者会見を開くなんてことがあり得るのか、少し考えてみればわかるというものだ。「決めたわ、俺、体調悪いけど、もうちょい頑張ってみるわ」なんて総理から言われたら、関西人ではない私の口からだって「知らんがな」が出てしまう。

 

そんなわけで、いい機会だから、ここらで第二次安倍政権の総括をしてみることにする。

 

これまで安倍政権の動向を逐一チェックしていたわけではないので、専門的なことは書けない。第一、専門的な視点から安倍政権を論じている文章など、インターネットの海に無数に転がっているので、今更私が書く必要もないだろう。私は無党派層を自覚している一人の市民として、この8年間を振り返ることで「政治」なるものに多少なりとも向き合ってみたいのだ。思いつくままに書くので、時系列や事実関係があやふやかもしれないが、ご容赦願いたい。

 

というか、まず断っておきたいが、私はこの8年間ほとんど政治に興味を示さなかった。投票もろくに行かなかったし、テレビのニュース番組も実家に帰ったときに見るぐらいのものだった。子供の頃は、「太田総理」や「たかじんのそこまで言って委員会」をしばしば見たり、うだうだと不祥事の釈明をする政治家に腹を立てる程度には、政治に興味があったというのにだ。一体私に何があったのだろう。

 

やはり、年を経るなかで、いろんな人や物に影響を受けて、自分や自分と関係のある事柄にしか関心を持たなくなったというのは、大きいと思う。一度こういう考えに染まってしまうと、政治など本当にどうでもよくなる。報道される政治ニュースのほぼ全てが、自分に直接的な影響を及ぼさないとなると、そんなものにわざわざかかずらっていることに意味を見出せなくなるのだ。

 

ただ、無関心でいられるというのは、幸運なことともいえる。もし私が東日本大震災の被災地や米軍基地建設予定地の近くに暮らしていたら、そうはいかないだろう。今コロナ禍で大打撃を受けている飲食店を経営していたとしても、ある程度政治に関心を持たざるを得ないだろう。そこでは、どのような政策が決定されるかが生活と密接に結びついているのだから。いや、もしかすると、そんな状況であったとしても、政治というのはどこか自分からは程遠いところで行われている営みであり、それが自分に直接影響するということを実感するのは難しいかもしれない。どうなのだろう。

 

何でも人のせいにしてしまう者の一人としては、政治から目を逸らしていた理由として、この国の空気についても触れておかねばならない。思うに、この国には、どのような政治的主張をもっているのかというフェーズのずっとずっと前の段階で、そもそも「政治について語るのか」という段階がある。「政治の話と宗教の話(あと関西ではプロ野球の話)はしない」というマナーを多くの人が内面化していることで、ある種の心地良さがこの国に生まれているのは、事実だとしても、「政治を語るとかダサいわ笑」みたいな態度をとる人が多いことが、今日の腐敗を生み出した可能性も否定できないだろう。

 

今「腐敗」という言葉を使った。これは一つの政治的態度の表明に他ならない。上では自分のことを無党派層などと言っておきながら、実際のところ、私も現政権に対して思うところは少なからずあった。国有地の値下げに伴う文書改竄問題が取り沙汰されたときには、「それはあかんやろ」と思ったし、関与させられた職員が自殺したと聞いて、人並みに胸が痛んだ。閣議決定だけで憲法の解釈を変えたときも「その手があったか」と驚くと同時に、平均的な憤りを感じた。でも、だからといって、SNS政治的主張を開陳することもなければ、反政府デモに参加することもなく、選挙で自分の意志を投票することもなかった。私が何をしても変わらないだろうという諦観とともに、ただ座して眺めていた。

 

このような「どれだけ反対しても、選挙になったらどうせまた安倍さんが勝つのだから、何を言っても無駄でしょ」と私が思っていること自体、安倍政権支持者の思う壺だろう。私みたいな者が多数を占めている限り、彼らは安泰なのだから。

 

でも一体、どうしたら政治に興味を持てるようになるのだろう。総理が辞任したところで、私の日常は変わらない。朝起きて、歯を磨き、出勤して、退勤する。たまには飲みに行くが、基本的には一人でYouTubeを見ながらコンビニ飯を食って、眠くなったら寝る。何も変わっていないし、依然としてそこに「政治」が入り込む余地はない。

 

働いているとよく、「上は現場のことを全然わかっていない」と愚痴をこぼす人がいる。でもふと思う。現場とはどこなのかと。すべての場所が当人たちにとっては現場なのではないかと。組織は様々な事情を抱える無数の現場から成っている。そのような組織のなかで、最も大きなものの一つが国だろう。そんな巨大なものが誤った方に向かっているとして、何ができるのかと自分の無力さを感じてしまうのは無理もないと思う。

 

それでも政治に対して思うことがあり、変わってほしいならば、やはり政治にコミットするしかない。コミットすると言っても、私の場合それはデモに参加することでもなければ、六三四の剣のかっちゃみたいにゲバ棒を振り回すことでもなければ、盛んに政治的主張をつぶやくことでもない。とりあえず投票に行くことだ。面倒くさがらず、「選挙に出るようなやつには投票したくない」、「俺の一票では結果は何も変わらない」などとは言わずにだ。なんとも平明な結論だが。

 

安倍さんが辞めるとなって書き始めてから、ここまで来るのに結構時間がかかってしまった。辞任の予想が当たったことによるアゲアゲな気分だけで政治を語ることができるという、当初の思惑は外れてしまった。

 

まあ、ともあれ一つの時代が終わったのだ。冴えない日々が続くが、テンションを上げていこう。

祖母の引っ越し(フィクション)

人生はジェットコースターだ(月並みだけどいい書き出し)。

 

まあ、というわけで、高知の元エキゾチック美人の祖母が僕の実家の近くに引っ越して来る運びとなった。高知に資産価値550億円の家を残して(ちょっと盛った)。

 

もう80歳になるおばあさんに部屋を貸してくれる人がいたんですよ。いやー、世界は素晴らしい。で、その部屋というのが、昔僕の幼なじみが住んでいたということで、なんか不思議な縁を感じた次第。

 

「いや、実は80歳のおばあさんなんですよね」借り主について管理会社の人に尋ねられて、母が答えると、その人は少し考えた後に、「僕がいつか仕事で言ってみたい一言ランキング(最新版)」で一位をとった一言としても有名な、「一旦持ち帰らせてください」を言った。

 

「やっぱ貸してくれんよね」と思っていた父と母だったが、存外物事がスムーズに進んでいったというわけだ。

 

今回のサビは、それから遡ること数週間のときのことだ。

 

時を戻そう。時間の流れは運動だ。誰にも止めることはできないけれど。

 

久しぶりに実家に帰って、食卓を囲んでいたときに、母が僕に言った。

 

「ちょっと高知に電話かけてくれんかねぇ」

 

母はいつも自分で高知の祖母に電話をするので、少し怪訝に思いながらも、僕は電話をかけた。ワンコールかツーコールで祖母が出た。

 

「あらー、久しぶり」と言う祖母に対して、僕はいつも通り「あ、オレオレ。ちょい早急にまとまった金が要るけぇ、振り込んでや」などと軽口を叩き、母に受話器(スマホね)を渡した。

 

母も普段と変わらない他愛のない会話をして、受話器を置いた。

 

それから母は珍しくぽつりぽつりと話し始めた(いつもはズガガガーン!!と話している)。

 

「実はこの前さあ、お母さんにきついことを言ってしまったんよね。じゃけ今日は〇〇(僕)に電話してもらったんよ、助かったわ」

 

祖母は元気なのに、自分の身体の悪いところを探しては、母に電話で不安を打ち明けていたという。その度に母は祖母の話に耳を傾け、諭すように、「そんなに心配なんだったら、一回お医者さんに診てもらったらどう?もしあれなら私も高知行くし」と応じていたが、祖母の態度はいつも煮え切らないものだった。

 

「いやー、でもねえ…」

 

と。

 

「昔からあの人はああいうところがあるんよ」

 

ため息混じりに母は言った。母と祖母の間に長年そんなやりとりがあったなんて、僕は全く知らなかった。家族といえど、やはり他人なのだ。

 

80のおばあさんが、自分の健康状態をあれこれ心配するということは、ごくありふれた一般的なことだと思う。だから母も最初の方は親身になって、祖母の話を聞いていたのだろう。でも、何度となく繰り返されるネガティブかつ非生産的なやりとりに、さすがに少し辟易していたのだ。それでも、最近お腹の調子が悪いと言う祖母に、「まあ大丈夫だと思うけどさ、心配なら一回大きい病院で大腸検査を受けてみたら?」と優しく応じた。また始まったよと思いながら。

 

それに対する祖母の返答で、母はキレてしまった。

 

「まあ、でも…。誰かに付き添ってもらわないと不安。〇〇ちゃん(母)も忙しいから無理よね…」

 

「今まで積もってたものもあったからさあ、腹が立ったんよね。思わず言ったもん。『どうしてそんなこと言うの。お母さん、今まで私が言ってきたこと全然わかってくれてなかったんだね』って」

 

「お母さんになんかあったら、いつでもそっち行くよ、私だって。ずっとそう言ってきたじゃん」

 

「私、自分の母親のことが情けなくなったんよね」と言う母の目には涙が溜まっているように見えた。

 

正直言うと、僕は話を聞いたとき、「そんなことで怒らんでも別によくね?」と思った。上でも書いたように、年老いた人が自分の健康についてあれこれと思い悩むのなんて、自然なことだし、自分がもし親や祖母から複数回続けて弱音を吐かれたからといって、そんなに腹も立たないだろうと。これは僕が寛大な人間だとわけでは決してなく、腹が立つほど親身になって人の話を聞かないことの証左に過ぎないのかもしれないが。

 

まあでも思ったことをそのまま口に出すほど僕も無神経ではない。沈黙は金なりだ。意見は求められたときに言えばいい。

 

くどいようだけど、80になるおばあさんにここを直してほしいみたいなことを求めるのは、酷なことだし、祖母はおそらく変わらないから、これからも母は多分同じようなことで腹を立てることになると思う。父と僕はそんな毒にも薬にもならないことを母に言った。

 

祖母が僕の実家近くに引っ越して来る、1、2ヶ月前の話だ。

 

こんなんで祖母と両親はうまくやっていけるのだろうかと僕は少し不安になった。まして、祖母は生まれたときからずっと住んでいた街を離れて、引っ越してくるのだ。新しい環境に順応できるだろうか。見切り発車気味に決まった移住がどんな結果をもたらすのかはまだ誰もわからない。

 

「お母さんはとにかく一人が嫌やったんよ。まあ、お父さんが亡くなってから、長い間寂しい思いさせてきたからね」

 

そう言う母はどこか遠い目をしていた。特殊能力を使って、未来を見つめていたのかもしれない。

 

そんなこんなで、両親と祖母のドタバタ半同居生活が始まる。

 

僕からは一つだけ。

 

うまくいくと、いいよね。

 

最後にもう一つ。

 

ここのところ皆、医療従事者のために花火を上げたり、Forever Loveを歌ったり、戦闘機を飛ばしたりしている。でも、言うまでもなく、頑張っているのは、医療従事者だけではない。多くの人が日々頑張り、もがき、苦しんでいる。このブログは混迷を極める時代の中、日々たくさんの言葉を飲み込み過ぎて、過呼吸になっている、そんな全ての医療従事者でない人と、医療従事者に捧げたい。←サライ聴いておかしくなってます。無視してください。

 

 

 

会社で喧嘩するということ

チャンネルをザッピングしていたら、半沢直樹が社内で誰かの胸ぐらを掴んで、ブチ切れていた。いや、、、こえーーよ!!(東京03の飯塚風に)

 

今年の2月から3月くらいにかけて、会社で何回か先輩やら同期やらと喧嘩めいたことをした。当時の僕は、「言っても言わんでも何も変わらんなら、思ったことを言った方がすっきりするし、ええやろ」ぐらいの気持ちだったのだが、複数回にわたる衝突の結果、思ったことを口にしたって、全然すっきりしないし、むしろ精神衛生上よろしくないということに気づいた。小学校の頃、先生が言っていた「本当のことを言われたとき、人は一番傷つく」という言葉は、真実の半分しか語っていないと思う。相手の痛いところを突く「本当のこと」は、諸刃の剣となって、自分にも傷跡を残す。相手を傷つけると知りながら、そういう言葉を口にしてしまった自分の矮小さが浮き彫りになるからだろう。

 

以来、僕は会社における喧嘩から足を洗った。俗に言う「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」ってやつだ。←意味不明だし、8月6日現在タイムリーかつ不謹慎だ。

 

そんな僕の決意をより固める出来事が、先日起こった。仕事のやり方をめぐって、僕の今の直属の上司と前の部署の上司が、なかなかに激しい喧嘩をしたのだ。

 

最初は「面白いことになった」と、同期にLINEで実況中継しながら、成り行きを見守っていたのだが、ヒートアップしてくるにつれて、どんどん気持ちが落ち込んできた。両者一歩も退かない、最終的には言葉尻を捕らえるような言い争いを目にして、「あー、嫌だ嫌だ」となってしまったのである。

 

嫌な気分になったのは、一つには、大人のマジ喧嘩を目の当たりにして、ショックだったからだ。人格がある程度形成された大人同士の喧嘩は、無邪気な子供のそれとは違う。批判がそのまま人格攻撃になる。妥協点を見つけることができたとしても、遺恨は残るだろう。これからも職場で否が応でも顔を合わせることになるのに。

 

「嫌だ嫌だ」となったのには、もう一つ理由がある。

 

「仕事のことでそんなにマジになるなよ」と思ったのだ。

 

こんなことを思ってしまうのは、あまり健康的なムードだとは言えないだろう。だいたい必死になっている人、一生懸命やっている人を冷笑するのは、最も恥ずべきことの一つだ。でも思ってしまったものは、仕方がない。 

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リアルの好きなシーン

 

最近、何かにつけて、「どっちでもいい」「どうでもいい」となることが多い。こだわりが強すぎて、他者にまで自分のこだわりを押し付けるような人間にはなりたくないけれど、プリンシプルのない人間に魅力があるのかと問われれば、甚だ疑問だ。

 

じゃあ僕はどんなプリンシプルを持てばいいのだろうか。数度にわたる衝突の末立てた、戦争放棄の誓いを翻して、賛成できないことや嫌いな人(これもいないんだよなあ)にはどんどん噛みつくべきなのだろうか。

 

いや、嫌だ。面倒くさい。

 

謝れば事が治まるのなら、さっさと謝りたいし、争いになるぐらいなら、少々賛成できないことでも受け入れる方が楽だ。

 

こういう態度をなんていうかご存知だろうか。

 

事なかれ主義だ。

 

僕は急進的事なかれ主義者になろう。

 

同志は募集しない。集まらないだろうし。

オリンピックがなくなった世界線で

「今日大阪何人だと思う?」

「165ぐらいかな」

「攻めるねえ。ちなみに俺は116。実際の数に近い方が勝ちね。負けた方はラーメン奢る」

「え、なにそれ。ちょい待てって」

みたいな会話をする日が来るなんて夢想だにしていなかった。まるでジェットコースターのような人生だ。

 

どの時点で舵取りを間違えたのかわからないから、反省のしようがないけれど、いつの間にか僕たちはトーキョーニーゼロニーゼロがない方の世界に迷い込んでしまった。まあ私の不徳の致すところですね。

 

感染拡大地域に住む僕たちは、もう、なんというか、諦めている。「集まったらそりゃ『出る』よな」と。「今〇〇へ行くの危険ですよねー」なんていう段階ではないのだ。今この星で出歩き、電車に乗り、呼吸をすることがリスクなのだ。

 

何を書こうか迷っている。

 

先日同僚とゲーセンに行ったことを書いていいのだろうか。カラオケに行ってオレンジレンジを皆で歌ったことを書いていいのだろうか。「密」を気にする世界が、フリック入力をする指の動きを鈍らせる。

 

まあなんでもコロナのせいにするのはよくないですね。ぼちぼちやっていきましょう。