玉稿激論集

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会社で喧嘩するということ

チャンネルをザッピングしていたら、半沢直樹が社内で誰かの胸ぐらを掴んで、ブチ切れていた。いや、、、こえーーよ!!(東京03の飯塚風に)

 

今年の2月から3月くらいにかけて、会社で何回か先輩やら同期やらと喧嘩めいたことをした。当時の僕は、「言っても言わんでも何も変わらんなら、思ったことを言った方がすっきりするし、ええやろ」ぐらいの気持ちだったのだが、複数回にわたる衝突の結果、思ったことを口にしたって、全然すっきりしないし、むしろ精神衛生上よろしくないということに気づいた。小学校の頃、先生が言っていた「本当のことを言われたとき、人は一番傷つく」という言葉は、真実の半分しか語っていないと思う。相手の痛いところを突く「本当のこと」は、諸刃の剣となって、自分にも傷跡を残す。相手を傷つけると知りながら、そういう言葉を口にしてしまった自分の矮小さが浮き彫りになるからだろう。

 

以来、僕は会社における喧嘩から足を洗った。俗に言う「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」ってやつだ。←意味不明だし、8月6日現在タイムリーかつ不謹慎だ。

 

そんな僕の決意をより固める出来事が、先日起こった。仕事のやり方をめぐって、僕の今の直属の上司と前の部署の上司が、なかなかに激しい喧嘩をしたのだ。

 

最初は「面白いことになった」と、同期にLINEで実況中継しながら、成り行きを見守っていたのだが、ヒートアップしてくるにつれて、どんどん気持ちが落ち込んできた。両者一歩も退かない、最終的には言葉尻を捕らえるような言い争いを目にして、「あー、嫌だ嫌だ」となってしまったのである。

 

嫌な気分になったのは、一つには、大人のマジ喧嘩を目の当たりにして、ショックだったからだ。人格がある程度形成された大人同士の喧嘩は、無邪気な子供のそれとは違う。批判がそのまま人格攻撃になる。妥協点を見つけることができたとしても、遺恨は残るだろう。これからも職場で否が応でも顔を合わせることになるのに。

 

「嫌だ嫌だ」となったのには、もう一つ理由がある。

 

「仕事のことでそんなにマジになるなよ」と思ったのだ。

 

こんなことを思ってしまうのは、あまり健康的なムードだとは言えないだろう。だいたい必死になっている人、一生懸命やっている人を冷笑するのは、最も恥ずべきことの一つだ。でも思ってしまったものは、仕方がない。 

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リアルの好きなシーン

 

最近、何かにつけて、「どっちでもいい」「どうでもいい」となることが多い。こだわりが強すぎて、他者にまで自分のこだわりを押し付けるような人間にはなりたくないけれど、プリンシプルのない人間に魅力があるのかと問われれば、甚だ疑問だ。

 

じゃあ僕はどんなプリンシプルを持てばいいのだろうか。数度にわたる衝突の末立てた、戦争放棄の誓いを翻して、賛成できないことや嫌いな人(これもいないんだよなあ)にはどんどん噛みつくべきなのだろうか。

 

いや、嫌だ。面倒くさい。

 

謝れば事が治まるのなら、さっさと謝りたいし、争いになるぐらいなら、少々賛成できないことでも受け入れる方が楽だ。

 

こういう態度をなんていうかご存知だろうか。

 

事なかれ主義だ。

 

僕は急進的事なかれ主義者になろう。

 

同志は募集しない。集まらないだろうし。