玉稿激論集

玉稿をやっています。

とんねるず 石橋貴明という男

色々と話題になっているので、標記の件について(←本当に便利な言い回しだよな)今回は書いてみる。

 

僕は年齢的にはいわゆる「とんねるず世代」ではないけど、なんやかんやで中学とか高校の頃はほとんど欠かさず「みなさんのおかげでした」(以下「みなさん」とする)を見ていた。木曜日にみなさんを見て、金曜日の教室や部室で「昨日のトークダービー面白かったよな」みたいな話をする。そんな牧歌的な日々を送っていた。大げさな言い方をすれば、とんねるずは青春(!?)の一部だったのだ。

 

とんねるずダウンタウンはしばしば比較される。歳も近いし、お笑い界を代表する2大コンビと見る向きもあるだろう。ただ、「どちらが好きか」と問われると、僕はやはりとんねるずと答える。もちろんこれは好みの問題に過ぎない。言うまでもなく、ダウンタウンもめちゃくちゃ面白い。でもYouTubeにみなさんとごっつええ感じの動画が転がっているとすると、僕は迷わずみなさんを見る。

 

そんなとんねるず派の僕からすると、とんねるずのレギュラー番組がダウンタウンと比べて全然少ない(というか、僕がリアルタイムで見ていたのはみなさんぐらいしかない)状況に対して、一抹の寂しさを感じたこともあった。でも、今から思うと、みなさんだけで十分だったと思う。というのも、みなさんにとんねるずの全てが詰まっていたからだ。食わず嫌い、ムダ・ベストテン、トークダービーモジモジくんきたなトラン、男気じゃんけん、このあとザ・ワールド、細かすぎて伝わらないものまね、買うシリーズ、とんねるずを泊めよう。ざっと思い出すだけでも、腹を抱えて笑った企画がこんなに出てくる。テキトーにやっているように見えて、貴さんがYahooのインタビューで言っていたように、本当に「命をかけて」いたからこそ、あれほど面白いものができていたのだろう。

 

もちろん、傍若無人に振る舞うとんねるずが嫌いな人が一定数いるのも理解できる。「あんなのは芸じゃない。ただのいじめだ」というのもその通りだろう。だって、嫌がる芸人に無理矢理高級外車を買わせたり、後輩の家のトイレの壁面にペンキを塗ったりするのだから。でも、僕はそういうのを見て笑ってしまうのだ。からからと笑ってしまうのだ。

 

これは、爆笑問題太田光がよく言っていることでもあるのだけど、笑いといじめというのは、切っても切り離せない関係にあると思う。人間とは(というより僕は)どうにも度し難いもので、赤の他人が理不尽な目に遭っている様を見ると、なんだか楽しくなってくるのだ。社会化されたところで、生物としてもっている根源的な残虐性は完全には払拭されないのだろう。バラエティ番組の「いじめ」を見て楽しむことは、そういう内なる残虐性を発散することにつながるだろう。作っている側がそこまで考えているかは不明だが。

 

しかし、困った連中もいる。フィクションであるバラエティのノリを実生活に持ち込み、我々をその真似事に巻き込んでくる奴らだ。彼らには、小田嶋隆シャルリー・エブド(フランスの雑誌。イスラム教の預言者を風刺する漫画を発行した)がテロ行為を受けたときに書いたコラム「ユーモアの大半はクズである」を読んでもらいたい。そう。ユーモアなんてほとんどがクズなのだ。それが相手に伝わらなかったときに、自分の面白くなさ、センスのなさを棚に上げて、「あいつはシャレのわからない奴だ」とか、「あいつには冗談が通じない」などと批判するのは、傲慢であるとさえいえるだろう。変なノリに反応しない人に、「ノリ悪いわー」と言うのも同じだ。「ノリが悪い」のではなく、つまらないから無視しているだけだ。

 

話が逸れてしまった。以前会社で「〇〇くん(僕)ってイジられキャラやね」と言われたことが心のどこかで引っかかっていたのかもしれない。言下に「いや、違います」と答えたのだけれど。←客観的に見て、冗談の通じない面白くない奴だな、マジで。

 

でも、社会が「いじり」とか「いじめ」に敏感になっているのは確かで、だからこそみなさんは終了したし、とんねるずはテレビから姿を消したのだと思う。そして、僕もほとんどテレビを見なくなり、YouTubeばかり見るようになった。ただ、見るのはYouTuberの動画ではない。違法転載されたみなさんと、貴ちゃんねるずだ。やっぱりとんねるずは、そして貴さんは面白い。

 

今話題になっているインタビューで、貴さんが現在の肩書を問われて、「元とんねるずですかね」と答えていた。往年のファンの中にはこの回答にショックを受けた人も少なからずいたらしいが、僕は特に何も思わなかった。来年還暦を迎える二人のおじさんが今さら不仲とか解散とかいうこともないだろう。大体、こんなことを言っておきながら、明日の貴ちゃんねるずに憲さんが来るみたいなことになるのが、とんねるずなのだから。

 

というか、とんねるずの2人(石橋貴明木梨憲武)のことをごく自然に、貴さん憲さんと書いていた。毎日YouTubeでみなさんを見ている僕にとっては、長いこと会っていない親戚なんかよりも2人の方がよっぽど親近感を持てる。国民的とはこういうことをいうのだろう。