母と祖母ごくたまに父
書くことによって、書き手が救われる文章というものがある。
読むことによって、読み手が救われる文章というものがある。
僕の文章は、そのいずれかに属することができるだろうか。
まあできてもできなくてもいいか。
Just write it. って感じっすね。
てか前さあ、俺の家系には血塗られた歴史とかないみたいなこと言ったじゃん。
色々調べた結果、今のところは血塗られた歴史はないんじゃけど、やっぱり人間と人間だから、色々根深いものはあるよなあ。
キョンキョンの元ダンが昔やっとった競輪のコマーシャルで、「ま、人と人だ。そう単純じゃねえよ」って言うやつがあったんじゃん。覚えとる人おるかな?
URLの貼り方わからんかったけ、興味ある人は各自YouTubeで検索してみて。
なかなかいいコマーシャルでしょ。
人と人だ。そう単純じゃねえよ。
正にその通りなんよ。
あのCM好きだったんだよな。俺も、兄貴も、親父も。
ちなみに、兄貴も親父も存命中な。
閑話休題。
今回、母と祖母っていうテーマで、書いていこうと思っとるんじゃけど、なかなか本題に入っとらん感じするっしょ。筆が彷徨っとる感じするっしょ。
正にその通りなんよ(本日二回目)。
話を聞けば聞くほど、根の深さを感じずにはいられないからね。
まあでも、頑張って書いてみるわ。エッセイチックに。
この話に出てくる祖母は、例の高知の元エキゾチック美人の祖母ね。
んじゃレッツらゴー。
僕は子供の頃から、今に至るまで、母に打たれた記憶はほとんどない。全くないと言えば、嘘になるけれど。
そりゃ、子供の頃の僕は、今にも増してわがままだったし、小学校の頃なんか、家の統治者たる父が単身赴任で家におらず、母に反抗しまくっていたんだから、母も手の一つや二つは出ただろう。
でも、総じて言うと、僕は甘やかされて育った部類の人間だと思う。
その理由はなんとなくわかる。
一つは、母がそもそも慈愛に満ちた人間だからだ。
もう一つの理由は、母の生い立ちに関係があると思う。
母は祖母に厳しく育てられてきた。
子供時代の母に対して、しばしば祖母は手を上げることがあったと言う。そのときの嫌な記憶が母には刻み込まれているのだ。
「やっぱり、叩かれたりすると、子供心にチッって思うことはあったよね」
「自分の子供にはそんなことしたくなかったよ」
母は以前語っていた。なぜ祖母が母に手を上げることがあったのか、その理由はわからない。いくら僕が遠慮がないといっても、そこはちょっと踏み込めない領域だ。
一人娘だった母は、祖父が働いている間、祖母と同じ空間で、長い時間を一緒に過ごしてきた。そこには僕が思っているよりもずっと濃い交流があり、二人しか知らない数々のストーリーがあるのだろう。そして、各々の思いは、各々の心の中に沈殿している。まるで、空き家の床に年々埃が積もっていくように。
ただ、二人は憎しみ合っているわけでは決してない。
母も祖母もお互いを深く思いやっている。
僕がわがままなガキだった頃、母を困らせていた僕に対して、祖母はよく言ったものだ。
「あんまり母さんのことを困らせないであげて」
単身赴任をしていた父に代わって、僕と兄を育てていた母をいつも案じていたのが、他ならぬ祖母だったのだ。
母も祖母のことをいつも気にかけている。
9年前に最愛の夫を亡くして以来、だんだんと弱ってきた祖母と一緒に、母は旅行や観劇に行ったり、数ヶ月に一度は、家に招いたりしてきた。
そしてここのところ、目に見えて痩せてきた祖母に対して母はこう言った。
「お母さんもさあ、これからは月に一回ぐらいのペースで、うちに来ればいいじゃん」
「私、克くん(僕の父)とかお兄さん(僕の父の兄)と比べて、お母さんに何もできてないような気がするんよね」
祖母は泣いていた。声を押し殺して泣いていた。
確かに、僕の父や叔父は頻繁に岡山の実家に住む祖母(僕からすると父方の祖母。この話に登場している、元エキゾチック美人の方の祖母ではない)を頻繁に訪ねている。その姿を見て、母にも何か感じるところがあったのかもしれない。
他にも色んなきっかけはあったのだと思う。
母は働いているカフェでの、こんな一幕を話してくれたことがある。
「常連さんでね、認知症のお母さんを連れてくる人がいるのよ。そのお母さんは、毎回うちには置いていないミックスジュースを注文してしまうのよ」
それでも、そのお客さんはお母さんに対して、全く苛立つ素振りも見せずに、いつも優しく応じる。
「お母さん、ここにはミックスジュースはないのよ、ごめんね」
「ああ、私ったら前もそんなこと言って、あなたを困らせたかもしれないわね」
「ううん、そんなことないよ。大丈夫だよ、お母さん」
そんなやり取りを見る度に、母は「親は大事にせんといけん」という思いを強くした。
ただ、色々とお互いに思うところはあるのだろう。最近そんなことを感じさせる、ちょっとした出来事があった。
祖母が広島の僕の実家に遊びに来ていたときのことだ。
祖母が広島を訪れる場合は、いつも、一週間から二週間滞在し、その間、僕の父と母と3人で生活することになっている。
ただ、今回は少し事情が違った。
途中から父が海外出張に行ったのだ。
「5日ぐらいの出張だから、僕が帰って来たら、また3人で飲み食いしましょうね」
そう言い残して、父は中国へ発った。
ところが、出張を終えて広島に帰った父を迎えたのは、母だけだった。そこに祖母の姿はなかった。
「今回はまあちょっとね、うん、帰ってもらうことにしたんよ」
母は父に何があったのかを話した。父はただ聞いていた。母が父に何を話したのか、僕はよく知らない。
父が出張から帰って来ると、母は決まって、父が不在の間に起こったことを、堰を切ったように話す。このとき父は母のサンドバックだ。母はまた、父が出張中、どんな仕事をしたのかといったことを聞きたがる。まるで、疲れ果てたボクサーにミット打ちを要求するトレーナーのように。
このときも父は母の話を聞いていた。
父は言う。
「俺もさあ、何も言えんわけよ。だってさ、例えば母さんがお義母さんの愚痴みたいなことを言っていたとしてさ、俺がそれに同調してなんか言うわけないじゃん。ていうか、そもそも母さんも俺に同調してもらいたくて話してるわけじゃないと思うしね」
僕も似たような思いをしたことがあるから、父の言っていることは少しわかる。誰かに対する愚痴を友達に聞いてもらっているときに、彼がそれに便乗して何かを言ってくると、「いや、お前が言うことじゃないだろ」とか思ってしまう。ずいぶん自分勝手だけど、そういうものなのだ。
父はさらに続ける。
「やっぱり母と娘っていうのは、特別な結びつきがあるのかもしれんよな。俺とか兄貴とかとお袋の関係とは全然違うと思うもん」
ふと僕は自分のことを省みる。僕と父の関係について。僕と母の関係について。彼らは僕のことを、本当のところどう思っているのだろうか。父の瞳の中に答えを探って見たけど、何も見当たらなかった。父の目が薄かったからでは決してない。
ずいぶんとまとまりのない話になってしまった。
母と祖母の関係性を、文章にすることによって、少しでも明確にしたいという思いから、ここまで書き進めてきたのだが、謎は一層深まった気さえする。
究極的には他人であるとは言え、親子という強い結びつきを持った二人の物語。
世界中に似たような話はたくさんあるかもしれないけれど、僕にとっては特別な物語である。
いつの日か、母や祖母がこの文章を読んだとき、ここに書き連ねられた僕の言葉は、2人の心のどこかに、すとんと居場所を見つける事ができるだろうか。僕としては、そうあってほしいと願う他ない。