鉄の女
神田松之丞っておるじゃん。
最近名前変えたんかいね。
あの人の講談を一本まるまる見たことある?
まあ俺はないんじゃけど。
だってめっちゃ長いじゃん。
でも、抜粋した動画とかを見てるとさ、汗を滴らせながら、マジで熱く語っとってさ、ああいうのいいなあって思ったんよね。
声に出して読んだときに、講談っぽくなる文章ってイカすよな。俺も書いてみたいわ。
時は今から遡ることぉ〜、5年前!バシッ!(←机を叩く音)
橋家に事件がぁ〜、起こったのであります!バシッ!(←扇子みたいなやつがないけテレビのリモコンで机を叩く音)
うん、やめとくわ。とりあえず謝っとく。ごめん。
新しいことに挑戦するのもいいけど、初心忘るべからずよな。Just like starting overや。ワイは猿や。プロゴルファー猿や!!
別に酔っとるわけじゃないんよ。
もうこの記事ピーク迎えたな。
まあでも、こんな掴みもたまにはありやな。
アリヤナグランデ。
ほら、もう下がる一方っしょ。
そんなわけで今回は5年前ぐらいに起こった事件の話をする。
こっからは真面目にいくよ。
夜、知り合いから急にかかってくる電話は嫌だと母はよく言う。
「悪い知らせが多いもん、だって」
両親がその知らせを受けたのも夜のことだった。
祖母(父方の)が畑で足を踏み外して、数メートル下の地面に落下したという知らせは、すぐに一族中を駆け巡った。
「だいぶ大きなケガじゃけぇねえ、ばあちゃんもしかしたら寝たきりになるかもしれん」
電話口で母は言った。
我々とは種族が異なるのではないかと思わせるくらい、身長の低い祖母ではあるが、これまで大きな病気もケガもなく、健康そのものだったので、僕らは一様にショックを受けた。
本当に人生は何が起こるかわからない。一寸先は闇。どんなことでも起こる。
とりあえず、僕らは休みを合わせて、祖母の見舞いに行くことにした。
祖母の姿は痛々しいものだった。
漫画『六三四の剣』で、二刀流の老剣士、古沢兵衛にボコボコにされた有働が、首につけていたのと同じもの(まあつまりギプスなんだけど)をつけていた(付いてこれん人はモグリな)。
「うっかりしとってねえ」
祖母は溜息混じりにそう言った。
でも、彼女は自分のケガの重大さをわかっていなかった。
「ちょっとリハビリ行きましょうか」
看護師が祖母を車椅子に乗せて、病室を出て行ったタイミングで、担当医が入ってきた。
そのときの僕は第一印象で、この医者のことを頼りになりそうな人だなあなんて思っていたんだけど、今思い返してみると、愛知県知事みたいな顔をした、やたらと声のでかい、腕に毛を生やした、あまり清潔感のないただの中年男だった。
本当に無駄に声がでかかった。
知事は言った(以下は大きな声で音読しましょう)。
「数箇所、複雑骨折されてますね」
「完治する可能性は極めて低いです。よくても車椅子生活を余儀なくされるでしょう」
そして、あろうことか、こう言い放ったのだ。
「もし、今まで通り歩けるようになったなら、僕土下座しますよ」
そんなことまで言われていたにもかかわらず、僕はさして怒りも感じず、「そんなものなのか」と諦めかけていた。要するに、知事の威勢に圧倒されていたわけだ。情けない話だが。
僕らは失意の中、帰路に着いた。
結論から言うと、知事は間違っていた。
80歳を超えた祖母は驚異的なスピードで回復していった。
知事が土下座しなければいけないレベルにまで。
祖母の生命力を見くびってはいけない。
転落したとき、祖母は足を動かすことができなかった。
「あれまあ、やってしまったわ」
若干混濁する意識の中、そんなことを思ったらしい。
「でも、あのとき打ちどころが悪くて、気を失ったりして、そのまま雨に降られたりなんかしてたら、今ここにはおらんかったかもしれんね」
祖母は歯を食いしばった。そしておもりのようになった脚を引きずって、ほふく前進を開始した。まるでグリーンベレーの部隊長のように。
そしてなぜか奇跡的に開いていた家の裏口(普段鍵をかけているはずのここが開いていたのは、本当に奇跡だったなと今でも皆口にする。祖母は「亡くなったお父さんが開けてくれたんよ」と言っていたが、そんなことはありえない。でもそう思いたくなるほどの奇跡だったし、それが祖母の命を救った)を通って、食卓までたどり着いた。テーブルの上には電話がある。手が届けば救急車を呼べる。
祖母は身体を精一杯捩った。決して長くはない手が受話器に届いた。
隊長は、なぜか救急車を呼ばず、近くの親戚に電話した。「救急車呼んで」と。
今世紀最大の二度手間だった。
こうやって書いていても、祖母の生命力に感服する。あのばあちゃんが寝たきりになるわけないじゃないか。
「ばあちゃんだけは誇りに思っていいで」
あれ以来、叔父がよく言っている。
先日久しぶりに祖母に会った。
さらに小さくなっていたが、相変わらず元気だった。
なにせ、よく食べるし、よくしゃべる。
僕と祖母が会話するのを聞いていた父は、「まるで漫才やな」と笑っていた。
別れ際、祖母は僕の手をぎゅっと握り、
「また帰っておいでねぇ。帰ってきたらまた問答しようねぇ」
と言ってきた。
僕は素っ気なく答えた。
「もういいよ、十分だって」
ばあちゃんにはいつまでも元気でいてほしい。