玉稿激論集

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Xデー(fiction)

 リョウヘイによると、2012年に地球が滅びるらしい。地球の裏側の文明が太古の昔に残した予言について話すおどろおどろしく彼の表情は、大いに芝居がかっている一方、心のどこかで漠とした不安を抱いているようにも見える。無理もない、まだ小学生なのだから。
 カイリはというと、Xデーの到来する西暦2012年に思いを馳せている。今が2005年だから、あと七年、七年もある。なんだまだまだ生きられるじゃんと思う。リョウヘイのように悲観する気持ちにはならない。
 十二歳の少年にとって、七年先というのは遥か彼方の未来である。まだ小学校にも入っていなかった七年前が遠い昔なのと同じだ。カイリは自分が十九歳になる想像がつかない。大げさに言うと、その日まで生きながらえる想像が全くもってつかない。大人は口を揃えて「一年があっという間だ」と言うけれど、カイリにしてみれば、一年は言うに及ばず、一か月だって、一週間だって、何となれば一日だって、とてつもなく長い。
 実のところ、我々大人が一年なり一日なりをあっという間に感じてしまうのは、変わり映えのしない単調な毎日を送っているからだったり、少年時代のように世界を新鮮な驚きをもって見つめることができなくなるからだったり、単純に十歳のときの一年間が人生の十分の一を占めている一方で、四十歳のときのそれは人生の四十分の一しか占めていないからだったりするわけで、特に我々と変わるところのないカイリも遅かれ早かれこの真実に気づくものと思われる。でも、彼はまだ気づいていないし、気づく必要もない。
「地球が滅びるって、隕石が衝突したりするわけ?」
「確かめちゃくちゃ寒くなるはず」
「少しは涼しくなってほしいから、ちょうどよかった」
冗談を飛ばしながら、カイリは汗を拭う。もう九月になるというのに、ひどく暑い。ランドセルの肩の部分が汗でぐっしょり濡れているのがわかる。
「2012年っていったら、俺たち十九歳だぜ」
「高校卒業して、俺は働いているだろうなあ。父さんの店で板前だ」
リョウヘイの家は小料理屋を営んでいて、カイリも家族で一度行ったことがある。小学生ながらそこの仕事の手伝いをしており、将来は料理人を目指しているリョウヘイがかしこまった感じで注文を聞きにきたときは、妙に照れ臭かった。
 ちなみにこの小料理屋も数年の後には経営が傾き閉店を余儀なくされ、時を同じくして中学生になっていたリョウヘイもこの街を離れることになるのだが、そんなことを現時小学生の彼が知る必要はどこにもない。
「というかさ、十九歳までさ、俺たち生きていられるかな?」
カイリは漠然と感じていた疑念を口にしてみる。
「え、どういうこと?」
「どういうことってそのままの意味だけど」
「カイリ、お前どっか身体悪いのか?」
「そういうわけじゃないけど」
カイリはもどかしさを感じる。リョウヘイに対してではない。ぼんやりと考えていることをちゃんと言葉にできない自分に対してだ。
 帰り道の途中にあるリョウヘイの家の前まで辿り着くと、彼は扉からランドセルだけを投げ込んですぐに戻ってくる。今日はこれから二人でナオキの部屋へゲームをしに行くのだ。両親が共働きのカイリは一度家に帰る必要がないから、そのまま向かう。

「そういえばさ、なんでナオキが骨折したか知ってる?」
リョウヘイが尋ねてくる。確かに月曜日、久しぶりに登校したナオキは、左腕にギプスを嵌めていた。クラスの皆が口々にその理由を聞いても、ひょうきん者のナオキはその度にふざけた回答を連発して周囲に爆笑の渦を巻き起こすだけで、真相を語っていないようにも見えたが、カイリはさして気にも留めていなかった。
「あれ実はお父さんに折られたらしいよ」
「えっ」
「俺も父さんと母さんが話してるのを盗み聞きしただけなんだけどさ、先週の土曜日かな、ナオキの家に警察が入って行ったのを見ていた人がいるらしくて」
ナオキの家がいわゆる「普通」の家庭ではないことはカイリにもなんとなくわかっていた。学校も休みがちのナオキは自分やリョウヘイなんかとは比べ物にならないくらい狭い部屋に家族四人で住んでいるし、働いてるのはお母さんだけで、部屋に遊びに行ったら大抵の場合、酒に酔ったお父さんがいた。
 ナオキと遊んだことを話したときの両親の反応も芳しいものではなかった。「あの子と遊んだらダメ」とまでは言われなかったが、ナオキと仲良くすることは息子の教育上よろしくないと父も母も思っているのは見え見えだった。
 それでもカイリがナオキと遊んでいたのは、何よりもナオキがいい奴だったからだ。大事にしていたドラゴン・クエストのバトル鉛筆を失くして泣いている彼を慰め、放課後も一緒になって学校中を探し回ってくれたのはナオキだけだったし、先生に叱られるような悪さを仲間内でしたときも率先して罪を被るのはいつもナオキだった。また、恵まれない家庭の子どもが醸し出すある種「危険な」雰囲気をナオキもまた纏っているのが、カイリにはどうにも羨ましかった。この年代の男子は、いや、男はいくつになっても、自分が持たないものを持つ男に憧れるのだ。
 そのナオキがどうやらお父さんに骨を折られたらしい。
「え、じゃあ、ナオキのお父さんは逮捕されたってこと?」
「どうなのかなあ、その辺はちょっとわからない」
「でもあいつのお父さんっていい人だったよなあ」
「そうそう。この前も皆でゲームやったばっかりだし」
カイリは子どもの骨を折る親がいる事実をうまく飲み込めない。彼は父からゲンコツを喰らわせられたことは何回かあるけれど、それ以上の暴力を受けたことはない。大体において、親とは、大人とは、子どもの骨を折るなどという悪いことはしないものだ、なぜなら彼らは親であり、大人であるのだから。そんな何の根拠もないトートロジーを彼は信じ切っている。

 アパートの部屋のピンポンを鳴らすと、「はーい」とナオキの声が聞こえたが、瞬間ガチャリと開いたドアの前に立っていたのは、ナオキのお父さんだった。黄ばんだタンクトップの下にステテコを履いた長身のその人は、カイリとリョウヘイを見下ろしてニッと笑う。発するにおいと鼻の頭の色から、酒を飲んでいることが伺い知れる。
「おう、お前ら久しぶりだな」
大して久しぶりでもないのにそう言うお父さんの後ろには笑顔のナオキが立っている。
「上がって、上がって」
「お前、なんで今日学校休んだんだよー」
「いやー、朝寝坊してさ、起きたら昼過ぎてたから、もう行っても意味ないかなあって思って」
わざとっぽく頭を掻きながら答えるナオキにカイリはランドセルから取り出した宿題のプリントを差し出す。いつものことだ。リョウヘイと三人でゲームボーイ・アドバンスのゲームに興じるのもいつものことだし、門限があるリョウヘイが先に帰り、両親が共働きのカイリはそのまま残って、ナオキと二人でゲームをするのもいつものことだし、ナオキの家の昨日の晩御飯の残りを少しつまむのもいつものことだ。お父さんもいつものとおり、気のいい酔っ払いだった。
 なんでこの人はナオキにこんな大怪我を負わせたのだろう。
 暗い夜道を帰りながらカイリは考えるが、わからない。なんだか、わからないままでもいいような気もしている。
 今日も長い一日だった。この調子だと、地球滅亡のXデーはそうそう来そうもないとカイリは思う。

 結局、七年後に地球が滅びたはずもなく、カイリも当初の自己の予想に反して何事もなく十九歳を迎える運びとなるのだが、そんなことをこの時の彼は知る由もない。また、大人も親も単に歳を食っているだけで、自分たち子どもと変わるところがないと身をもって知るXデーもこの時の彼からすると、まだまだ遠い未来である。