玉稿激論集

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鬼のいぬ間に(fiction)

6時間目の授業が永遠に続いてほしいと思っているのは、このクラスでわたしだけだろう。別に勉強が好きなわけではもちろんない。でも、放課後に待ち受けている地獄の時間のことを考えると、嫌いなな数学の授業中にあってさえ、矢沢永吉の名曲のタイトルが思い浮かぶ。時間よ止まれ。

そんな気分を察したのか、隣の席の美咲がノートの切れ端を渡してくる。そこに記された「大丈夫?具合悪いん?」の文字が引き金となって、わたしの鼻がつんとする。駄目だ、泣いてしまう。ああ、この授業が終わったら、この授業が終わったら。咄嗟に下を向いて歯を食いしばったから、涙はこぼれなかったと思う、多分。

「カホウテイリはしっかり頭に入れておけよー。これを覚えておいたら、サンカクカンスーの問題が一気に解けるようになるぞ」

「来週からはビブンに入るからなー。ちゃんとヨシューしておくように」

教師の湯浅の日本語が下手で、理解するのに難儀する。彼はいつからか、わたしには理解できない言葉を使うようになっている。他の教師連中にしたってそうだ、皆どうしたのだろうか。

「おい、藤島。聞いているのか、おい」

急に声をかけられて虚をつかれたわたしは思わずぴしっと背筋を正して、

「あ、大丈夫です」

と答えるが、教室に響いた自分の声にあまりにも感情がこもっていないことに我ながら苦笑しそうになる。

「大丈夫ならいいんだが。じゃあ、ちょっと早いけど、今日はここまで。号令お願いしまーす」

湯浅の促しを受けて、日直が気怠そうな声で「起立」と言い放つと、皆が思い思いに立ち上がり、椅子の脚と床が擦れ合う「ガガガ」という心地悪い音がそこかしこで生じ、教室全体で質の悪いハーモニーとなる。最後の最後にわたしが立ち上がったのを確認した日直がこれまた気怠そうに、

「気をつけ、れーい」

を言い終わったとき、わたしはタイムマシンが開発されたらな、などと訳のわからぬ夢想をしている。

 

 

 

木曜日の練習はランニングから始まる。学校の周りをぐるっと一周するコース、通称「ガク」(上から見たら長方形になっているから、こんな名前がつけられたのだろう)を5周するから、そのまま「ガク5」と名付けられたメニュー。走るのは苦手だが、ランニングの時間がある分、その後の防具を着けての地獄の練習時間が短くなるのは、せめてもの救いだ。走りながら部の連中と喋れるのもいい。

運動着に着替えたわたしがアキレス腱を伸ばしていると、剣道部の中でも1番の仲良しである葉月がこちらに向かってくる。これから地獄の時間が始まるというのに、顔には何故か満面の笑みが浮かんでいる。

「キシちゃん、キシちゃん!」

「聞いて!」

明らかに上擦った声をした彼女が朗報を携えていることは確かだったが、それがどんなものかとんと見当のつかないわたしは、返事もそこそこに彼女の声帯が震え、空気を揺らすのを待つ。

「今日、鬼来ないかもよ!」

「え、ほんとに!」

鬼とは、剣道部の顧問を務める森山先生のことだ。わたしたちは先生のことを陰で「鬼」と呼んでいる。理由は単純で、鬼のように恐ろしいからだ。

そもそもわたしの通う学校(地方の中高一貫の女子高)に剣道部ができたのは、中2の秋のことだった。帰宅部だったわたしや葉月たちは興味本位で「剣道同好会」(当初はそんな甘っちょろい看板を下げていたのだ)に入ったのだが、それが今日につながる地獄の日々の幕開けになるとは知る由もなかった。というのも、当初はなかなか楽しかったのだ。制服でも運動着でもない胴着と袴を身につけるというのは、それ自体が新鮮な体験だったし、竹刀を振り回してチャンバラごっこをして心を躍らせるのは、何も男に限った話ではない。同好会ということで、体育館で練習することができなかったので、教室の机と椅子を両端に寄せて、そこで当時の顧問だったおじいちゃんの先生(一応剣道の有段者だったらしい)の掛け声に合わせて、素振りをしたりしていた。

人数が増えてきて、同好会から部に格上げになるタイミングでおじいちゃん先生は定年退職し、次にやってきたのが大学を卒業して教師になったばかりの鬼だった。鬼は男の中では決して恵まれた体型ではないにもかかわらず、その類稀なる才能と血の滲むような努力で、強豪校といわれる大学でレギュラーの座を掴み、全国大会でも好成績を残していた。鬼を初めて見たとき、わたしたちはときめいたものだ。何しろ、そこそこ二枚目なのだ。淡い恋心を彼に対して抱く者も少なからずいたように思うし、剣道部ではない連中には体育教師の鬼のことを真剣に狙っている者が今でもいると聞く。

ただ、ここまでにも何度か言っているように、鬼が来た日から地獄の日々が始まった。鬼は何を思ったのか(まあ、彼からしたら当然のことなのだろうが)、わたしたちを強くしようとした。そのために、自らが培ってきた経験や知識や技術のすべてをそれこそ全身全霊をもって、わたしたちに文字通り叩き込んだ。誤解なきように言っておくが、鬼からいわゆる体罰を食らったことは一度もない。試合の結果が不甲斐ないものであっても、鬼に手を上げられたことは一度もなかったし、練習中に怒鳴り声を上げて叱咤されたこともない。ただ防具を身につけてわたしたちに稽古をつける段になると、人が変わる(すなわち鬼になる)、そんな人なのだ。来る日も来る日も鬼から「合法的な」しごきを受け続けた当然の結果として、わたしたちは強くなった、急速に、そして急激に。何せ剣道を始めたのは中学校の終わりだったにもかかわらず、高校2年のときには県大会でベスト4にまで進出し、今年行われた県大会では見事優勝して、インターハイへの切符を手にしたのだ。

わたしたちが鬼を恐れ、日々の練習の前には憂鬱になるあまり涙をこぼすようになっても逃げ出さなかったのは、否が応にも高まる周囲の期待を裏切りたくないためだけではなかった。それは何よりも勝負で勝つ楽しさを知ってしまったからだった。日本プロ野球界初の外国人監督としても知られ、広島東洋カープを昭和50年に初のリーグ優勝に導いたジョー・ルーツは、万年最下位に沈んでいたカープの選手たちを前にして、「君たちは勝利への執念が足りない。なぜなら勝つ喜びを知らないからだ」と発破をかけたらしい。果たしてルーツの言は正しかったと、わたしも身をもって知ってしまった。コートの中に入ったら誰も助けてくれない、実力だけがものを言う世界で、独特な緊張のためいつもの練習のようには動かない身体から技を繰り出して相手を打ち負かす喜びは一度知ってしまうと、病みつきになるものだった。いつの間にかわたしの中に勝利に飢える獣が棲みついていた。

とはいえ、インターハイ出場が決まってからは、これまでも十二分に厳しかった練習が、輪をかけて苛烈になっており、わたしたちは精神的にも肉体的にもだいぶ追い込まれていたので、葉月から今日の練習には鬼が来ないかもしれないと聞いて、わたしも小躍りする。

「森山先生ってさ、今年から生徒指導の担当になってるじゃん」

走りながら葉月が事情を説明してくれる。わたしは10回に1回、葉月は5回に1回ぐらいの割合で、鬼のことをちゃんと「森山先生」と呼ぶ。単純計算で葉月はわたしの倍、鬼のことを尊敬していることになる。まあ、恐れているだけかもしれないが。

「で、3組の西村さんがタバコ吸ってるのバレたらしくてさ、3組の担任と鬼と西村さんが一緒に職員室に入って行くのを桃子が見たらしいの」

「多分今から西村さんをこってり絞るから、今日は来るとしても、練習が終わった後に少し顔出すぐらいじゃないのかなあ。まあ、たまにはわたしたちだけじゃなくて、他の子たちも指導しないとね」

葉月は気管が強く、スタミナもあるため、普段のわたしのスピードよりも速く走りながらでもこうやって喋ることができる。わたしは彼女に着いていくのに必死で、「うん」とか「確かに」などと相槌を打つので精一杯だ。

「だからキシちゃん、今日はちょっと早めに練習を終わりにしない?ねえ、お願いしますよ、キャプテン」

いつも人一倍真面目に練習に取り組んでいる葉月がそんなことを言うのが意外で、わたしは走りながら声を上げて笑った。

体育館に着くと、先に走り終えていた部員たちの間でも今日は鬼が来ないとの情報がすでに出回っているらしく、皆その話題で持ちきりだった。鬼は今頃タバコを吸っているのが発覚した西村さんの親に連絡をとっているだろうとのこと。後輩の一人が西村さんに対する感謝を述べたので、その場がどっと湧く。

ただ、インターハイが迫っている以上、鬼が来ないからといって、手を抜いた練習をするわけではない。皆が胴着と袴姿になったタイミングを見計らって、わたしは号令をかける。「整列!」

瞬間、場の空気が引き締まる。 (続く?)