玉稿激論集

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死を思う

 過日、就寝中に死の恐怖に襲われた。夜中目が覚め、己の行く末を憂い、生きているのがどうしようもなく辛くなったなどいう精神の異常を特段きたしているわけではない。物理的に己の命が終焉しそうな感覚に捉われたのだ。

 金縛りには昔からしばしばかかかっていた。寝床で本格的に就寝する前にソファで一寝入りしたときなどは特に。身体が動かない感覚を覚えるのは、霊的なものの影響などでは断じて無く、単に身体は寝ているにもかかわらず頭は起きている、即ち意識があることに起因するらしい。初めてかかったときはかなり焦ったが、慣れてくると「ああ、いつものね」とスカしたポーズを精神的にとれるようにもなり、金縛り界のマニュアルの1ページ目にも太字で書かれているところの「まず手の小指を動かすことから試みよ」を忠実に実行して、漸次身体全体を自己の統制下に復帰させてゆくのもなかなか堂に入った感じでこなせるようにもなっていた。

 ところが、先に僕を襲った金縛りはちょいと趣向を異にしていた。というか、そんな洒落た変化などではなく、奴は激烈にグレードアップして帰ってきた。「この街も変わんねえなあ。忘れちまったか、俺だよ、俺。金縛りだよ!!」と。

 僕自身は金縛りとの再会にさほど心は躍らなかったが、さして焦ることもなく、教科書通りに全身が硬直していくにまかせ、しかる後に少しずつ身体のコントロール権を奪還していく準備をしていた。しかし、今回ばかりは様子が違った。まず、激しい耳鳴りがしたのである。

 隠すことでもないし、ある種の手負い感も醸し出したいので発表させてもらうと、十数年前に遭ったとある災難がきっかけで、僕の左耳からは常にモスキート音が鳴り響く形に相成っている。当初は不快極まりなかったが、慣れとは恐ろしいもので、最早殆ど気にすることなく日常生活を送れている。ふとした時に「やっぱり耳鳴りしてるなあ」と思うくらいだ。もしかしたら、意識したときだけ耳鳴りがしていて、それ以外のときは本当はモスキート音など鳴り響いていないのかもしれない。というより、ここでいう「本当」とは何を意味するのか。俺に聞こえていないのなら、それは何も鳴っていないのと同じではないか。いや、でも…と、哲学的思索が頭を巡ったのも一度や二度ではない。

 その耳鳴りが左耳のみならず脳中にキーンと鳴り響いたのである。いや、正確を期すならば、キーーーーンと鳴り響いたのである。ただ、ここまでは多少の五月蠅さは感じつつもまだしもよかったのだ。死の恐怖に襲われたのは、実こそこの後の展開においてだった。

 頭が爆発しそうになったのだ。ものの譬えではない。あの名状し難い感じはそれぐらいしか言いようがない。まず硬直した身体の中を「何か」が頭蓋骨に包まれたハードディスクドライブ(脳)目がけて一直線にせり上がってきた。「何か」としか表現できない己の筆力が憎いところだが、仕方がない。あれは血流などではなかったし、その晩食したものをリバースする感覚ともまた違っていた。それは強烈に死を意識する体験だった。放っておくと、この「何か」によって自分が漫画『北斗の拳』にてケンシロウに秘孔を突かれた敵キャラのように破裂してしまいそうな感じがする。当然僕は焦ったが、上述した通り金縛りにあっているから、身動きもとれず、焦燥感はさらに募るものの、時限爆弾のタイムリミットは刻一刻と近づいてくる。かような非常事態においては、小指を動かすことなどどうでもよい。僕は万力を込めて口を開け、咆哮(というほどでかい声でもなかったと思うが)とともに布団から身を起こした。口を開けたかったのは他でもない、そうすることで己を侵食しつつある「何か」を身体から空気中に解き放ちたかったからだ。

 しかし、喉元過ぎればなんとやらで、一息つくと、明日も出勤せねばならぬことに思い至り、再び横になって目を閉じてはみたものの、強烈な体験の後ということもあって、意識だけはいやに冴え渡っている一方、身体はどっと疲れているのだから、当然の帰結として再度金縛りにあい、そこから耳鳴り及び破裂死の恐怖のダブルコンボに見舞われた。

 結局、普段の起床時間までこの負のループから抜け出すことは叶わなかった。

 僕はこれまで死に対してもっと穏やかで静かなイメージを抱いていた。細胞が一つずつスイッチをオフにしていき、彼らが皆消灯する。漠然とそんなイメージを抱いていた。あるいはそういった死もあるのかもしれないが、僕の場合事はそう上手く運んでくれそうにもないことを思うと、些か暗鬱な気持ちになる。

 ポジティブな収穫といえば、己の激烈な生存本能を確認できたことくらいか。まだ死ねない、もっと生きていたい。なぜかそう思えたことが小さな救いだった。