玉稿激論集

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男一匹選んだ死の道(改)

 久しぶりに会った人に「前髪作った?」と聞かれた。思いもよらぬ質問だったし、「前髪を作る」なる行為が意味するものを掴みかねたため、答えに窮してしまったが、改めて考えてみると全く身に覚えのないことでもない。おそらくあれのことを「前髪を作る」というのだろう。
 ここ2年ぐらいで髪型を大幅に変えた。「前髪を作る」ようになる前は、高校球児並の短髪だった。当時の僕は年甲斐もなく半ば本気で屈強な米国軍人に憧憬の念を抱いており、「アーミーカット アメリカ」などと検索して出てくる画像のような髪型を夢見て床屋に足を運んでいたが、出来上がった己のソフトモヒカンの頭及び生来のモンゴロイドチックなフェイスと理想像たるアーミーカットの米国軍人の画像を見比べては、そこに存在するあまりにも多くの、そしてあまりにも大きな、如何ともし難い差異にしばしば嘆息したものだった。かようなヘアスタイルは、ガタイのいい、屈強な男にこそ相応しいのであって、自分みたいな正反対の者が迂闊に手を出していい代物ではない。
 屈強になりたい、男として強くありたい。というより、男たるもの強くあらねばならない。昨今の価値観からするといかにもオールドファッションなマッチョ思想が、僕の中には深く根付いている。これはおそらくコンプレックスの表れなのだろう。世の平均的な男性よりと比べて、僕は明らかに小柄でひょろっこい。そのことでいじめられた経験などはないが、「もう少し背が高ければ」とか「もう少し筋力があれば」と思ったことは確かにある。比べて僕の友人たちはどうだろうか。僕よりも背が高く、うんとガタイのいい彼らは僕のような憂いを抱くはずもなく、何となれば自らの「男らしくない」一面も積極的に肯定しているようにさえ見える。持てる者の余裕のなせる業である。酒に強くなくても、少食でも彼らには何らの問題もない。恵まれた体躯があるのだから。
 自分はそんなわけにはいかないのだ。ここのところ僕はある程度健康にも気を使い*1、連続飲酒を避け、月曜日と金曜日は肝臓を休ませるようにはしているものの、それ以外の曜日は必ず酒を2本以上飲むように心がけている。「心がけている」という表現からもわかるように、僕にだって別段酒を飲みたくない火曜日なり水曜日なりがあるのだが、それでも酒を飲むのは、断酒の状態に身体が慣れてしまい酒に弱くなってしまうことを恐れるためだ。僕のような見た目からしてひ弱な男が酒も飲めないとなると、もう、何というか、一巻の終わりであることは誰に言われなくとも自分が一番わかっている。
 飲みの席で誰よりも飯を食うのも、貧乏人であるゆえそういう機会に美味いものを食い溜めておきたいからというのに加え、ある種の義務感に駆られてのことでもある。その席にいる誰よりも多く飲み食いして初めて、僕はその座にいる他の男たちと同じ土俵に立てるのだ。
 世はジェンダーレスが叫ばれるようになって久しく、最近では女性の社会的地位の向上のみならず、男性の「男性性からの解放」も大いに持て囃されているところだ。誠に結構なことである。でも、同時にこうも思ってしまう。男らしくない男ーひ弱な男、酒を飲めない男、少食な男、車を運転できない男、金を稼げない男、仕事のできない男、理屈ばかりこねる男ーに一体何の魅力があるのかと。かような男のことを「男らしさの呪縛から解放された」と評するのなら、そんな負け惜しみ野郎はこちらから願い下げだ。そういう集団に混ざってじめじめと非モテやら好きな二次元のキャラクターについて語らうなどという愚行を僕は犯したくないし、これまでも決して犯してこなかったつもりだ。そう、男たるもの二次元のキャラクターを、実在しないものを、嫁呼ばわりしていてはつまらない。*2。たとえモテなくとも、目を逸らさずに過酷な現実に向き合わねばならないのだ。
 僕は「進歩的な」彼らから惨めな目で見られようとも、そこから解き放たれることが良しとされる「男らしさ」にこれからも固執していく所存だ。男らしくない前髪を横流しにし、幅の狭い肩と、少しキャッチボールをしたくらいで痛めてしまう脆い肘を精一杯張りながら。

 

(後記)

 一口にフェミニズムと言っても様々な立場があるだろうから、「フェミニズムに対するスタンス」なるものを表明するのは困難だが、フェミニズムに通じている先輩の話を聞くと、大いに共感すると同時に、己の無知蒙昧だったり内なる差別意識だったりに気付かされることもしばしばだ。共感するのはそれが理に適っているからだ。「『きのう何食べた?』って同性愛カップルの話でしたっけ?」と聞く僕に対し、「『君の名は』を異性愛カップルの物語とは言わないよね」と先輩。確かにその通りだし、はっとさせられる。
 この先輩は僕に少なからぬ影響を与えていて、僕の書架*3には彼に勧められて読んだ本がそれなりの数並んでいるのだが、どういうわけかフェミニズムに関する書籍はほとんど見当たらない。書店にてそういった系統の本を手に取った経験は一度や二度ではないが、どうもしっくりこなくて、元あった場所に戻す。 
 フェミニズムは論理的に筋が通っている。けれどなぜか骨身に沁みない。こういうものと向き合うのはなかなかに厄介な作業だ。それはそのまま己の歪んだ「骨身」と向き合う作業にならざるを得ないから。

 

(注)記事タイトルは『ワンピース』の頂上戦争で、クザンがルフィに言うセリフです。

*1:健康を気にするというのがこれまた非常にダサく、男の風上にも置けない振る舞いではあるが、そこはまあ、ご容赦願いたい。僕とて早死にを望むものではない。

*2:尊敬する男がやっていたら冷める言動ランキング第一位の振る舞いだ。

*3:正しくは段ボールです。