玉稿激論集

玉稿をやっています。

輝ける石(改)

           1

 昼飯を食い終わったら、しばしトイレの個室に籠もる。催しているのもあるが、やるべきことがあるからだ。便座に腰掛けると同時にスマホを取り出してマッチングアプリを開き、ひたすら画面を右にスワイプし続ける、その日にもっている「いいね」を使い切るまで。
 始めた当初は次々に表示される女を自分なりに吟味し、気に入った女だけ右にスワイプし、そうじゃない女は左にスワイプしていたが、課金により毎日もたらされる「いいね」を持て余すようになってからは、何も考えずただ表示される女に承認を送り続けている。人差し指を右にスワイプすると、女はハートマークとともに画面から消え去る。一体どこに行くのだろう。
 通知欄にはマッチング成立を知らせるメールが複数入っている。アプリを始めて間もない頃こそ心躍ったかのメールだが、最近は何の感情も湧かない。この時点ではまだ何も始まっていないからだ。「はじめまして!マッチングありがとうございます、よろしくお願いします!」とだけメッセージを送る。その日マッチングした同じような顔をした女たちに句点や感嘆詞の位置をずらしただけの似たような機械的なメッセージを送る。
 感情のこもっていない言葉を言ったり書いたりするとき、頭の中のキーボードをカタカタ叩いてそのままエンターキーを押しているような感覚にとらわれる。スペースキーを押して変換することをしない。いやむしろ、半角のまま打っているかもしれない。話し言葉だとそれがバレるが、フリック入力でメッセージを送る分には問題ない。
 メッセージをスルーされるのには慣れている。ネバーギブアップ。狙撃の腕は下の下の下だとしても、数を撃つことが肝要なのだ。
 午後の仕事が始まるまではまだ時間があるから、これまでアプリで交流した女たちのことを思い出す。
 「りん」と名乗る女はプロフィール写真にテーマパークで撮影した写真を選んでいた。人気キャラクターをモチーフにしたカチューシャを付けて微笑んでいる。自己紹介の欄にはありきたりな判で押したようなことが書き連ねられていた。
 特に共通の趣味があったわけでもないが、メッセージのやり取りが続き、ひとかけらの勇気をもってLINEの交換を提案したところ、存外すんなりと承諾をしてくれ、勢いそのまま食事に誘ったらこれまたすんなりとオーケーをくれ、店の予約まで取り付けてくれた。難波に位置する小洒落た焼き鳥屋。レビューもそこそこ高い。
 「じゃあ、明日楽しみにしています!」のメッセージにようやっと既読がつき、返信があったのは、約束の時間の十分前だった。「店の前にいます、黒のワンピースを着てます!」。近くの家電量販店で時間を潰していた俺が店に着くと、果たして黒地に花柄のワンピースを召した女がスマホをいじっているところだった。
「はじめまして」
 幾分語尾を意識して声をかけると、女は顔を上げ、笑顔を作る。揃って店に入ると、カウンター席に案内された。
 写真以外で初めて目にした女のルックスはさほど好みではなかったが、薄暗い店の照明にも助けられ、特には気にならなかった。これまで写真と文字のメッセージでしか交流のなかった女が実際に存在しており、生命活動を行っていることに妙な感動を覚えていたというのもある。
 おそらく初対面の者同士の多くがそうであるように、我々の会話は終始盛り上がりに欠けていた。介護をしているという女の話はどう贔屓目に聞いても面白いとはいえなかったし、沈黙を嫌う俺がする話も情けなくなるほどに無内容でつまらないものだった。
「じゃあ、また機会があれば」
お手本のような社交辞令を交わして我々は帰路に着いた。
 マッチングアプリというのは大抵、課金をしなければメッセージのやり取りができない。無課金の状態でできるのは、表示される女を吟味することくらいで、たとえマッチングが成立して相手にメッセージを送り、返信があったとしても、そこにはモザイクがかかっており、見ることができない。月々一六五〇円支払って初めてこのモザイクの中身を知ることができるというわけだ。課金しないと相手からの返信が届かないというわけではなく、モザイクがかかった状態で届くというのは、人間の心理をよく理解した仕様だと思う。隠されているとどうしても中身を見たいと思ってしまう。大したことが書かれているはずもないのに。
 多くの人同様、俺も興味本位と暇潰しを兼ねてアプリを始め、惰性で課金を続けている。仲の良い同期のダイスケは飲みに行く度にニヤニヤしながら「最近アプリどうけ?」と尋ね、俺の自虐を込めたユーモラスなエピソードに腹を抱えて笑ってくれる。昔のアルバイト先で出会った彼女と今も上手くいっている彼からすると、そもそもマッチングアプリなんぞを使って出会いを求めていること自体が滑稽なのだろう。確かにマッチングアプリでの出会いというのは、学校や職場での出会いと比べて明らかにカーストが下で、俺も職場の先輩がマッチングアプリで知り合った女と結婚すると聞いたときには、我が身を棚に上げて大いに心中で嘲笑したものだった。皆「今はそういう時代だからね」などと口では言いつつも、己の生活圏内で適当なパートナーを見つけられない者をどこかで下に見ている。
 ただ当今マッチングアプリが栄えているのには、それなりに理由があるようにも思う。     
 見知らぬ誰かと出会い、仲良くなれる可能性があること以上に、俺が感じている魅力は気を使わなくていいということだ。職場でタイプの女がいたとしても、何の脈絡もなくいきなり連絡先を聞くのは非常識な振る舞いと捉えられるうえ、噂もすぐに広まるだろう。だから少しずつ共通の話題を見つけるなどして話しかける機会を増やしていく必要があるのだが、ある程度仲が深まったと判断できるタイミングで連絡先を尋ね、オーケーをもらえたとしても、まだスタートラインに立ったに過ぎず、相手を二人だけでの食事に誘うなんてことにはまだ千里の道を切り拓いていかねばならない。その過程こそが楽しく、恋愛の醍醐味なのだとの意見を否定はしないが、思いが成就しなかったときの失望や徒労感も相当なものだ。
「考えすぎやねん。タイプやと思うんならLINE聞いて飯誘ったらええやん」
ダイスケは苦笑しながら言う。実際彼は彼女がいる一方で、職場の女ともしばしば遊んでいる。俺が一段一段慎重に踏みしめる階段を、彼は二段飛ばし三段飛ばしで駆け上がってゆく。その脚力の強さは、高校時代に陸上部だったことが関係しているのだろうか。
 マッチングアプリのピッチに立ってプレイをしているということは、実際はどうかはわからないものの、名目上は出会いを求めていることになるのだから、メッセージのやり取りが続くようなら、「もっと〇〇さんと仲良くしたいので、LINE交換しませんか?」と何らの良心の呵責を覚えずに提案できる。そして、「今度ご飯でもどうですか」と何の緊張もせずに誘うことだって。さらに都合がいいことには、仮に断られたとしても、元々何の関係性もなかったのだから、然程―というかほとんど―精神的なダメージを受けずに済む。持ち札が一枚減ったのなら、またドローすればいいだけの話だ。
 とはいえ、ようよう食事の約束にまで漕ぎつけたのにいきなりキャンセルされたりしたら、やはり心中穏やかならざるものを感じる。「プロフィール欄に「お酒が好きなので、仲良くなったら一緒に飲みに行きたいです!」と書いていたユキという女だ。当日の昼間になっていきなり「同じフロアで働いている人にコロナ陽性者が出た」とあからさまな嘘をつかれたときには、嘆息した。誘いを断るのに感染症の濃厚接触者であることを用いる奴は全員嘘つきだというのは、太古の昔から決まっていることだろう。
 画面を右にスワイプし続けていると、これ以上の「いいね!」にはさらなる課金を要する旨のポップアップが表示された。俺は時計に目をやり、個室を出る。

 

           2

 太った醜い少女がこちらにピースサインを向けている。まだ子どもだった頃のわたしだ。今より身長は全然低かったけど、20キロ以上は重かったはずだ。もう二度とあんな醜い姿にはなりたくないし、なってはならない。フォルダの奥底に保存されたこの写真を定期的に眺めて初心に立ち返る。
 当時を思い出すと、今でも辛くなる。写真では楽しそうに笑顔でピースしている瞬間だけが切り取られ、その前後に辛いことがあったとしても、歴史としては残らない。ただ記憶としてだけ残る。
 クラスの男子たちからつけられたあだ名はひどいものばかりだった。デブ、ブタ、ゴリラと非類扱いされたと思えば、チャーシュー、ボンレスハムのように加工食品にされたこともあった。彼らはそんなことなど忘れ、今も元気にやっているのだろうが、わたしはあいつらに対する怒りや憎しみを今でも当時と然程変わらぬ温度のまま持ち続けている。
 目の前には、出前アプリで注文した豪勢な食事が並んでいる。牛丼、唐揚げ、ピザ、パスタ、フライドポテト、サラダ、シュークリーム、タピオカ。痩せた今でも月に1回はこうして狂ったような量を食べてしまう。罪悪感に苛まれるが、わざとリバースしたりはしない。戻すときのあの感覚が大嫌いだから。
 通知欄は男から未練がましいLINEが届いていることを知らせている。もうやり直すつもりはないと何度言ったらわかるのだろう。別れを切り出して以来、毎日毎日「死にたい」と送ってくるこの男は必ずやわたしより長生きするに違いない。 
 男は会社の先輩だった。もともと本社勤務だったが、女性関係で問題を起こしたらしく、わたしが勤める営業所に「飛ばされて」きたらしい。それだけモテるのだからどんな二枚目が来るのだろうという密かな期待はしかし、すぐに裏切られた。赴任当日に自己紹介をして回る彼は小太りで、顔のランクも下から数えた方が明らかに早く、わたしの触手は1ミリも動かなかった。異性とトラブルを起こしそうな男に特有のチャラさも全くといっていいほど感じなかった。なのになぜ―。
 ちやほやされるのに慣れていなかった―それがいけなかったと今ではわかる。でも、醜く太っていたためにろくに恋愛もしてこなかったわたしにとって、男に言い寄られるのはほとんど初めての経験だった。馬鹿みたいな話だが、彼氏ができたことに舞い上がってしまった。職場恋愛なんて別世界の話だと思っていたから。
 スウェットをめくって脇腹をさする。男から蹴られたときにできた痣がうっすら残っている。太ももの方の内出血はだいぶましになってきた。女上司と一緒に総務課に駆け込んだ結果、男はさらに別の所に異動させられたけれど、わたしの方もなんとなく居心地が悪くなって退職した。そこまでして男から離れようとしているのに、あいつは懲りずにまだ連絡を寄越してくるのだ。ブロックをすることも何度も考えたが、結局やめた。執念深い男のことだ、そんなことをしたら逆上して何をしでかすかわかったものではない。次々と送られてくるメッセージにひたすら既読をつけて放置していく。
 ピザを食べ終える頃に再び通知が来たのでスマホを見ると、また男からだった。しかし今度はメッセージではない。何やら写真を送ってきている。開いてみると、そこには頭痛薬の箱が写されており、続けざまに「今からこれを全部飲んで死にます」の文字。思わず吹き出してしまった。薬を大量に飲んで自殺というのは確かに聞いたことのある話ではあるけれど、箱ではなく瓶一杯に入った錠剤を手から溢れんばかりに取り出して一気に服用するというのがわたしのイメージだった。箱に入っているということは錠剤が一粒ずつ小分けにされているはずであり、男が死ぬ前にそれをプチプチと開けている姿を想像すると、滑稽で仕方なかった。死ぬ死ぬ詐欺をするにしても手口が雑過ぎる。箱には「〇〇ァリンプレミアム」の文字。今から死ぬのならプレミアムを飲む必要などないだろう。こいつは健康になろうとしているのか?今度アヤに会ったときに話すネタがまた一つ増えたと、わたしは一人ほくそ笑む。
 アヤに勧められて始めたマッチングアプリは、毎日どこの馬の骨とも知らない男がわたしに「いいね」したことを知らせてくれる。それを知ってか知らずかアヤは最近が会うたびに「ねえ、例のやつやってみない?」と誘ってくる。最初はあまり乗り気ではなかったけど、彼女が私の想像をはるかに超える額を稼いでいることを知ってからは、少し興味が湧いている。お金が欲しい。たくさん稼いでこの醜い鼻を整形したい。

 周囲の人間ー特に男たちーはわたしのことを薄っぺらくて中身のない女だと思っているだろう。でもどう思われたって別に構わない。自分のことは自分がわかっていればそれでいいのだから。わたしは誰よりも複雑で、その反面誰よりも単純で、誰よりもひねくれていて、その反面誰よりもまっすぐだ。こんなこと、誰にわかってもらう必要もない。ねえ、そうでしょ?

 

           3

 いつものチェーン店の焼き鳥屋でダイスケは腹を捩らせて笑っている。こいつも俺と同じタイミングでドリンクを注文しているものの、途中からは酒ではなくミックスジュースばかり頼んでいたということに、酔いがすっかり回った今になって気付く。笑ってくれることに気を良くして、俺もペラペラと事の顛末を話し続ける。
「いや、今思えば変だったんだよ。女の方から場所や時間を指定してきたんだけどさ」
「お気に入りのカフェでコーヒーでも飲みましょうなんて言われたものだから、僕も舞い上がってしまったんだけど、当日に指定されたのは何のことはない、駅前のスタバだったんだよ。あの時点で異変に気付くべきだった」
 

 アプローチをかけられたことに気を良くしていた俺は、約束の時間の二十分前には指定されたスタバに到着していた。コーヒーを飲みながら女を待つ。

「ケンジくんだよね…?」
振り返ると、秋物のベージュのコートを羽織った女が立っていた。アプリの写真とは違うような気もするが、今更どうすることもできない。
 イズミと名乗る女は挨拶もそこそこに、自分の境遇を喋り始めた。幼少期に母を亡くした後は、ほとんど一人で生きてきたこと、昔は太っていていじめられていたこと、付き合っていた男に破茶滅茶な暴力を振るわれていたことなんかをほとんど捲し立てる勢いで話していたものだから、途中からは相槌を打つのも億劫になってしまった。俺の見立てでは、元彼に暴力を振るわれていたのはおそらく本当だろうが、幼少期に母を亡くしているのは明らかに嘘だった。女には片親の者が纏うあの独特の陰が感じられなかったからだ。
 会話が途切れたタイミングで俺は女の仕事について尋ねた。出会う前のLINEのやり取りではデザイン関係の仕事をしているという話で、自分が描いたというデッサンの写真を送ってきたりもしていた女は待っていましたと言わんばかりに、喋り始める。
「昔から絵を描くのだけは好きだったんだよね」
「はあ、そうなんですね。僕は全く絵心がないので、絵が上手な人は本当に羨ましいです」
 他愛のない会話を続けていると、女は不意に
「ねえ、今日さ、これからのプランって考えてくれてる?」
この質問には些か戸惑ってしまった。確かにせっかく会うところまで漕ぎつけたのだから、飯を食う場所を考えたりしておいて然るべきだったと今では思うが、マッチングから実際に会うまでほとんど女主導で事が進んでいたから、当日も女の言う通りにしておけばいいとの考えでその日を迎えてしまった。否定で答えると女は、
「じゃあ、もしよければなんだけど、ここからすぐ近くにわたしの仕事場があるから、ちょっと寄ってみない?わたしの仕事に興味持ってくれたみたいだし、見てほしいなと思って」
 怪しげな雰囲気は感じたものの、ここで辞退したら流石に雰囲気が悪くなると思い、俺は了承して店を出た女の後を付いていく。日は照っているが、風が冷たい。女の会社は2、3分歩いたところに建つ古びた雑居ビルで、入った瞬間、そこに充満していた瘴気に俺は眩暈がしそうになった。果たして通されたのは、パーテーションにより三つに区切られた面接会場を思わせる部屋。言われるがままに椅子に腰かけると、女は傍らのキャビネットから何やら分厚い書類の束を取り出し、俺に差し出す。パラパラとめくると、女が事前に描いたと思われるデッサンが何枚か目に入った。指輪やネックレスのデザインを手掛けているのだろう。
「結婚指輪を薬指にする理由って知っている?」
自分の仕事について一通り説明した後、女は聞いてくる。知らないと答えると、女は両の手の平を合わせた後、中指だけを折り曲げ、俺にも同じようにするよう促す。
「ほら、こうやってやると、親指とか人差し指とか小指は離れるけど、薬指だけは離れないでしょ?薬指はずっと離れない二人の愛の象徴というわけ」
この女は初対面の男にどうしてこんな話をしているのだろう。俺はくらくらしてきた。

 

「なんでその話から自分がダイヤとかルビーを買う話になんねん」
ダイスケの問いかけに俺も首を傾げる。
「それが本当に思い出せないんだ。でも気付いたらダイヤのカタログを見せられていた。そんで僕に購入の意思がないことがわかると」
「急に詰られ出したんやな」
 

「今までのわたしの話聞いてた?」
俺が五十万円のダイヤを購入する意思がないことを告げると、女は途端に不機嫌になった。
「いや、まあ、そうですね…。そんな大金持っていないですし」
「そんなの嘘。貯金二百万円あるって言っていたじゃない」
俺は会う前に女が相性度チェックと称して送ってきたアンケートに貯金額の項目があったのを思い出す。余計な見栄を張ったのがこんな風に裏目に出てしまうとは。
「ケンジくんさ、今まで彼女とかできたことないでしょ。このままだとずっとできないと思うよ」
「今日もわたしと会うってなっているのに全然プランとか考えてなかったもんね」
「わたし、ケンジくんに何の魅力も感じないもん」
光る石を買わなかっただけでここまで言われるのかと少々面食らってしまったが、女の言葉が当たらずとも遠からずなところを絶妙に突いていたので、俺は少ししゅんとしてしまう。そこで、
「あの、一番安いやつっていくらぐらいなんですか」
と買う気もないのに聞いてしまった。すると女は顔をパッと輝かせて再びカタログをめくり出す。しかし案の定、女が新たに提示したものもとても俺に手が出るような代物ではなく、再度辞退を申し出ると、女はほとほと呆れ果てた表情を浮かべ、
「もういい、帰って」
と吐き捨てた。
その場を立ち去ろうとする俺を女は「あ、ちょっと待って」と呼び止める。
「今までのわたしとのLINEのやり取りとかさ、ここで全部消して。もう連絡とか取りたくないから。ブロックするのも忘れないでね」

俺の端末に保存されているトーク履歴を削除して欲しいという要求は不可解だったし、連絡をとりたくないなら自分でブロックすればいいとも思ったが、いちいちそんなことで言い争うのも不毛なので、言われたとおりにする。「それじゃあ…、ありがとうございました」と自分でも訳のわからぬ感謝を告げると、女は
「じゃあね、気を付けて帰って」
食い気味で無機質に言い放った。その氷のような冷たい瞳は直前にカタログで目にしたサファイアを想起させた。

 

「で、どうしてん?それから?」
ダイスケはほとんど勘づいているはずなのに、俺に結末を語らせようとする。なかなか悪い男だ。
「殺したよ、もちろん」
「あはははははははは」
ダイスケの笑い声が一際大きく店内に響き渡る。完全にツボにはまってしまったようだ。机をバシバシと叩き、足も床をドタドタと踏み鳴らしている。さながら音楽隊のようだ。
 ようやく落ち着きを取り戻したダイスケは、今度は打って変わって真剣な表情を見せる。
「ま、仕方ないな、そんなに舐められたんなら」
「うん、本当に。最早それ以外の選択肢が残されていなかった」
 脳裏には女を殺したときの映像が鮮明に残っている。無理もない。まだ1週間も経っていないのだから。手もまだ微かに痺れている。
 

 出口で振り返ると、女は気怠そうな顔でスマホをいじっているところだった。俺が鞄からハンドガンを取り出すと、怪訝な表情を浮かべたが、俺は構わず海外ドラマで観た連邦捜査官のように半身で銃口を女に向ける。回転式拳銃には六発の弾を装填していた。撃鉄を起こして焦点を女に合わせる。

 これまでのケース同様、この女も俺が持っているのはおもちゃの鉄砲だと思っているらしく、眉間に思い切り皺を寄せて怪訝な表情を浮かべていたが、天井に一発試し撃ちをすると、ようやく事態を把握したようだった。そう、これからお前は死ぬのだ。
 一歩近づくごとに、女の顔が恐怖で歪んでいくのがわかる。直前まであんなに偉そうなことを言っていた女が泣きそうな目で命乞いをしてくるものだから、俺は全能感に浸りそうになるが、必死で堪える。全能なのは決して俺なんかではない。俺が手にしているこの金属の塊に詰められた弾丸だ。
 女の唇が「ごめんなさい」と動いたように見えるが、集中している俺の耳には聞こえない。そもそも謝ったところで許さない。決して絶対に許さない。俺は引き金に掛けた人差し指に思い切り力を込める。瞬間、点火した弾丸が勢いよく発出される。
 外れた。しかし、女の身体は恐怖で硬直したのかその場から動かない。俺は気を取り直して深呼吸をし、もう一度狙いを定める。

 

「やっぱり狙撃の腕は下の下の下やな」
「しかも持っていたのが6発しか入らないリボルバーだったからさ、結局銃だけでは殺せなかったんだよ」
「じゃあ、またあれを使ったんやな」
「うん」
 

 全てが終わって息絶えた女の身体からは真っ赤な血が流れ出ていた。血管はエメラルドグリーンなのにどうして血はこんな色をしているのだろう。後片付けしながらそんなどうでもいいことを考えていた。
 雑居ビルを出ると、雪が舞っている。昼間の太陽に照らされたそれは、先刻カタログで見たどの宝石よりも美しく光り輝いていた。