玉稿激論集

玉稿をやっています。

鉄鎖からの脱却

 普段アップしているぐらいの長さの記事であっても、書いた後は疲れており、「もう何も書くことないな」という思いとともに布団にくるまり惰眠を貪る展開と相成るのだが、如何せん定期的に更新をするというのは自分と約束したことであるし、己との約束を破ってしまうのは精神衛生上甚だ良くないことであるので、何日か経てまたぞろネタ探しに入ってみると、「あ、これ書けそうだな」と思う瞬間というのは存外日常生活において溢れているとはいかないまでもそれなりの数転がっているものであり、そんなときは柄にもなく早く書きたくてそわそわしさえするものの、いざ書こうとすると先刻の勢いは何処へやら、まるで何も思い浮かばないなんてことになるにつけ、己の想念をリーダブルな形にまとめることの難しさを思い知るとともに、そもそも自分が思いついたネタは面白くも何ともない代物だったのかもしれぬとの疑いも自然と生じてくる訳だが、かような苦悩・懊悩(と言うには些か大袈裟な展開)を経て公開に漕ぎ着けている記事のクオリティがあの程度なのかと言われれば、返す言葉もなくただ平身低頭して許しを乞うのみばかりである一方、「今度こそは」と息巻きながら当記事を書き始めているのもまた事実であるゆえ、以下において面白い話をすることを読者諸氏に約するなどして自ずから思い切りハードルを上げてみたうえで、それを飛び越えるのではなく下をくぐり抜ける未来しか見えなくなってきたあたりで、とりあえず長い一文で始めるという当初の目標は達せられたように思われるため、そろそろ本題に入ることとする。

 無駄に色んなものにがんじがらめになっていると最近よく思う。冒頭で述べた「定期的にブログを更新する」というのからしてそうだ。誰に頼まれたわけでもない。「己との約束」などといえば確かに聞こえはいいし、それを破ることには些かの良心の呵責を伴うこともあろうが、見方を変えれば己に対する債権だからこそいつでも放棄できるし、己が負っている債務だからこそ、その不履行は何らの問題も生じさせないのではなかろうか。何というか、ブログを更新しないぐらいで支障をきたしてしまう精神構造の方にこそ問題があると思う次第なのである。

 他にもある。特にフィジカル面。体重が増えてきたから、ジャンキーな食事から健康的なそれに切り替えたり、そもそもの食べる量を減らしたり、ジョギングをはじめたりするのは結構なことだ。しかし、物事には限度というものがある。古代の哲学者だって中庸がいいと言っているではないか。だのにすぐ極端な方に走ってしまう。朝飯はおろか最近は昼飯さえまともに食べないこともあり、先日の飲み会で同僚に「〇〇さんが何かを食べているの、久しぶりに見ました」と言われた始末だ。まあ大して腹の減っていないときは昼飯を無理して食べる必要もないだろうが、小腹が空いているのなら何か食べればいいのだ。簡単なことなのにできない。

 土日に走ることにしてもそうだ。毎週末走っているなどというと、「フルマラソンとか目指しているんですか」と聞かれもするが、そんなことは断じてないのだ。好きで走っているわけではないのだから。夕刻とともにメランコリーが訪れる。「ああ、嫌だなあ。寒いし眠いし、今日はやめとこうか」と何度思ったことか。それでも結局走っている、精神衛生のために*1

 鎖が自分を絡めとっているのではなく、鎖に自ら巻かれに行っている。そんな感覚がある。どんどん狭く、どんどん不自由になっている。遊びがない。不健康極まりないムードだ。

 鎖からの脱却に難儀しているのは、習慣化している行いを辞めることに根源的な恐れを抱いているからだ。大層なことをしている訳でもないのに、連続記録を更新している気になっている。チェーンのように繋がれた不滅のレコード。それが途切れるのがどうにも厭ったらしい。

 


(後記)

 『阿片常用者の告白』は非常に面白かった。特に、作者が初めて阿片を服用するところとか、テンションが上がって阿片への思いをぶちまけるところなんかは、声を出して笑ってしまった。

私は飲んだのだ。ーそして一時間後、おお!なんたる恵みか!なんたる激変か!内なる精神の奈落のどん底からのなんたる高揚か!心内の世界のなんたる黙示か!…今、ここに、万能薬が…一切の人間苦悩を癒す…鎮痛剤があった。(90ページ)

嗚呼!公正、霊妙、偉大なる阿片よ!貧しき者、富める者いずれの心にも、その決して癒えることなき傷…を和らげる香油を齎らす者よ!雄弁なる阿片よ!力強き雄弁をもって怒りの炎を掠め取るものよ。…汝こそ、これらの贈り物を人間に与える唯一者。汝、楽園の鍵もてる者よ、嗚呼、公正、霊妙、偉大なる阿片よ!(111、112ページ)

 何言ってんだこいつと笑いながら楽しく読んだのだが、改めて考えると、自分はド・クインシーを馬鹿にできないような気がしてきた。

 自虐が今の自分にとっての「阿片」だと思う。惑溺するのは確かに快楽だが、どこかで歯止めをかけなければなるまい。

 誇り高い人間になるのを諦めてはならない。

 

 

 

*1:「精神衛生」の一言で片付けるのもアレなので、もう少し詳しく心の中を覗いてみよう。今日はサボろうかなと思っても、一度の怠慢が引き起こし得る災厄をあれこれ想像してしまう。サボり癖がついたらどうしようとか、ランニングシューズを新調したことが無駄になったらどうしようとか。そんな不安を抱えて鬱々とするぐらいなら、着替えて走りに行った方が早い。走るのは辞められないのはかような思いからだ。