玉稿激論集

玉稿をやっています。

Go East

「この会社では東への異動、即ちゴーイーストするのは、出世なんですよ」
ー何の根拠もない先輩の一言

 約9年間暮らした関西を今般離れる運びとなった。転居地へ向かう新幹線で本稿を起こし始めている。なかなかにエモーショナルな状況だ。
 9年。それなりに長い期間である。関西弁も板に付いてきた。まあ、どこまでいっても似非感は否めないが。結局「どないやねん」も「知らんがな」も「言うてる場合ちゃう」も一度も使えなかったし*1
 他所から関西に来た人は多かれ少なかれ関西弁を話すようになる一方で、関西人はどこに行っても基本的に関西弁で通している。業務の引き継ぎと挨拶のために異動先に行ったときも、今度の上司は「◯日から来る?そんな早よ来んでええやろ」と関西弁で着任日を設定してくれた。この国ではおそらくどこに行っても関西人(及び阪神ファン*2)が幅を利かせている。それが良いことなのか悪いことなのかは別にして。
 関西は僕が根を張る地ではない。それが当面の結論である。というより、僕はどこにも根を張りたくない。アウトサイダーでありたいのだ。自ら閉じられた円環に収束しようとする不健康なムード(©️村上龍『愛と幻想のファシズム』あとがき)が充満するこの国にあって、ある種エキゾチックな立ち位置にいたいのである。どの店の常連にもなりたくない。個人経営の店ではなく、チェーン店で飯を食いたい。「いつもの」などとのたまう連中(本当に存在するかは定かではないが)を白眼視する側でありたい。
 などとスカしたことを言いながら、安息の地を探し求めているのもまた事実だ。しかし、働いている以上、それは叶わぬ夢だと半分以上諦めている。結局どこに住もうとも、最低でも週5日は出社して終日せこせこと働かねばならないし、休日は疲れていて何をする気もどこに行く気も起きないなんてことも屢々だ。「ここ行きたいな」と思っていても、殆どの場所は結局行かずじまいである。
 何はともあれ、移住に伴う煩瑣なあれやこれやはひと段落した。段ボール17箱。知らぬ間に積荷が増えている。
 
(後記)
 25年ぶりに住むことになる生まれ故郷には、何の懐かしさも感じなかった。遠くへやって来た感も特にないし、部屋の間取りも以前と殆ど同じであるから、寝起きの頭が引越したことに気付くのに三秒くらいかかった。
 部屋探しのために訪れた際には、ネームバリューの割には寂れているような印象を受けて、僕を気落ちさせたこの街*3も改めて歩いてみると、飲食店は少なくないし、高いビルディングもいくつか聳えている。根を張るイメージはまるで湧かないが、慣れ合わない程度には当地に馴染んでいきたい。

*1:たった今、この一文を書いているときに、隣の席から「ネイティブスピーカー」の「知らんがな」が聞こえてきたから、少しテンションが上がった。

*2:大阪から東京に単身赴任していた先輩(兵庫出身だが巨人ファン。甲子園近辺に住んでいる人の中には阪神を良く思っていない人が案外多い。)は関東にも阪神ファンが多いことに驚くと同時に嘆息したという。

*3:帰りに駅の大型書店に赴き、該地を特集した『るるぶ』を読み漁った。