玉稿激論集

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チャンピオン(fiction)

 夢の対決は実現しないまま終わった方がいい。「現実」が「夢」を超えるなんて、そんな滅多なこと起こりやしないのだから。
 無敗の俺たちが戦ったら果たしてどちらが勝つのかという格闘技談義を肴に酒を飲む時間こそが楽しいのであって、二人の対決は我々大衆の期待を上回らないはずだ。もうこの物語は「てっぺん」を叩き出している。
 そんなことをほざいている奴もいるらしい。

 マサヤは負けたことがない。路上で喧嘩に明け暮れた日々も負けなかったし、ひょんなことから地下格闘技界にデビューしてからも敵なしだった。その腕を名トレーナーに見込まれ、プロデビューして早八年。未だ誰にも負けていないし、自分が負ける想像すらつかない。
「試合中によく笑っていられるね、怖くないの?」
今まで何度となく聞かれてきた。自覚はないものの、映像を見返したら確かに笑っている。並のファイターは試合中クリーンヒットを喰らったときに、効いていないことを相手にアピールするためにわざと笑ったりするらしいが、マサヤにはそんなつもりは毛ほどもない。ただ自分は勝負が佳境に入ると、どうにも笑いを堪えられぬタチなのだ。俺は根っからの戦闘民族だ。DNA、いや、細胞からして、もうモノが違うというわけだ。相手が強ければ強いほどわくわくするあの大ヒット漫画の主人公と同じように。
 ただ、喧嘩上がりのマサヤのファイティングスタイルは専門家からの評判はあまり芳しくない。パンチの基本がなっていないだとか、技を出したあとにスキができるだとか、蹴りのイロハもわかっていないだとか、好き放題言われている。
「パンチってのは、関節のジョイントを全て合わせて打つことで、ダメージを最大化できるんですけどねぇ」
「マサヤ選手はがむしゃらに腕をぶん回しているだけですから、どうにももったいない。真面目にボクシングを習ったら、もっと強くなるですがね」 
ボクシングの元世界王者が言っていたことだが、マサヤは意に介さない。ボクシングとキックボクシングは似て非なるものだし、いちいち説明するのが面倒だから黙っているが、彼には彼なりの理論があって、それに基づいているからこそ、今日まで無敗なのだ。結果を見たら、誰もが自分を一番だと認めざるを得ないだろう。俺こそが真のチャンピオンだ。
 の、はずだった。
 他団体で頭角を表したあいつを当初マサヤは歯牙にもかけていなかった。勢いのある若手なんていくらでもいるし、そんなのはこれまで幾度となく潰してきた。というか、マサヤに潰されたのならかなり上出来で、そのほとんどは彼に挑戦する前に力尽きてしまう。あいつもそんな奴らうちの一人だろう。そのくらいにしか思っていなかった。
 そもそも、マサヤは他の選手について関心がない。試合が決まったらトレーナーに言われるがままに対戦相手の映像を眺めたりするが、正直退屈している。何が悲しくて、どこの馬の骨とも知れぬ者同士の試合を俺が眺めなくてはならないのだ。大体、相手の強さなんてのは、どれだけビデオを眺めたところでわかるものではない。試合当日にリングで対面してはじめて感じ取れるものなのだ。あるいは俺のような感覚を持っているファイターの方が稀なのかもしれないが。
 だからあいつの試合映像を一回見てみろと言われたときも、マサヤは全く気が進まなかった。それでもジムの練習仲間に半ば無理矢理テレビの前に連れて来られる。
「どう思う?めちゃ強くない?」
スパーリングパートナーのライトが目を輝かせながら尋ねてくる。選手であると同時に格闘技オタクでもある彼はマサヤの反応が気になって仕方ない様子だ。
「確かに上手さはある」
マサヤはそうとだけ答える。実際それが彼の虚心な思いだ。上手いし、速い。でも、強くはない。素質は間違いなく一級品だが、まだまだ自分の敵ではない。これからさらに強くなるのかもしれないが、俺だってそれ以上に強くなるのだから。早くも見飽きて練習に戻るため腰を上げようとしたマサヤはテレビに写ったあいつの表情を目にして、瞬間ピタリと動きが止まる。
 殴り合いの中、あいつも笑っていた。それも凡百のファイターが浮かべる例の「効いてない」アピールのスマイルではなく、純粋に戦うことを楽しんでいる戦闘民族の笑みをあいつもたたえている。こいつならもしかしてー。
 ケンシンかー。覚えておこう。そんなふうに思ったのは初めてだった。

 ケンシンはマサヤとはあらゆる点で正反対だった。ストリートファイトからの叩き上げで現在の地位まで登り詰めたマサヤに対し、幼少時から父より空手の英才教育を受け、あらゆるアマチュアタイトルを総なめにして、キックボクシングの世界に殴り込んできたケンシン。地元ではどうしようもない不良として疎まれ、「粗大ゴミ」呼ばわりまでされたマサヤと、空手の日本チャンピオンを父にもち、「神の子」と称されるケンシン。マサヤがパワーで相手を捻じ伏せる一方で、ケンシンはスピードとテクニックで相手を翻弄する。マサヤは右利きだが、ケンシンはサウスポーだ。ファン層も全く違う。マサヤは同性からの野太い声援を背に戦うが、ケンシンはいつも黄色い声援を浴びている。団体も別々だった。マサヤが由緒ある団体に所属しているのに対し、ケンシンが所属しているのは新興の団体だ。ベスト体重もマサヤが60キロで、ケンシンは55キロだ。
 本来は交わるはずのない二人だったのだ。

 なのにいつからだろう、誰が言い始めたのかもわからない。マサヤ対ケンシンが夢のカードとして語られるようになった。尤も、格闘技界もといスポーツ界ではこういうのは珍しくない。さる世界的なボクシング雑誌だって、全ての選手の階級が同じだったら誰が一番強いかを定期的に記者の投票で決めているし、どんな競技であれ「歴代ナンバーワン」が誰であるのかについて語り合いたいというのが、ファン心理というものだろう。それが現役の選手同士ならば、過去の名選手と現在のトップ選手の対決などに比べて、その実現可能性も格段に高いゆえ、その種の話題が持ち上がり、大いに盛り上がるのは、これは当然といえば当然の話である。
 しかし、マサヤ・ケンシン戦の実現にはあまりにも多くの障壁が立ちはだかっていた。    
 まずどちらの団体が主催するのかという問題があった。格闘技に限らず、プロスポーツはエンターテイメントである以上、金にならなければ意味がない。二人の対決ほど世間の耳目を集めるイベントはそうそうないから、その面での心配は全くないものの、集まった金をまずどちらの団体の手元に収めるのか。両団体はなかなか妥協点を見つけることができなかった。
 ドーピング検査を行う機関についても、マサヤがいつも使っているところにするか、ケンシンのそれにするかがネックになった。両陣営がそれぞれの機関の検査の正当性に疑義を唱え、交渉は難航を極めた。
 そして何より規定体重だ。マサヤのベスト体重はケンシンより五キロも重い。明らかに階級が違うのだから、そもそも二人の対戦は非現実的だと主張する専門家も少なくなかった。
 しかし、二人の無敗神話が続くにつれて、夢の対決を望む声は日増しに大きくなってゆく。さらにここ一、二年でケンシンの方にちょっとした動きがあった。
 マサヤとの対戦を熱望していると公言するようになったのだ。メディアのインタビューは言うに及ばず、勝利後のマイクパフォーマンスでもマサヤの名前を出すようになった。
「マサヤさん、ぼくは逃げないので。是非格闘技界を盛り上げる一戦をお願いします!」
マサヤは沈黙を貫く。もともと派手なマイクパフォーマンスは苦手だし、ぶっきらぼうなメディア対応が自分のブランディングだ。黙っていると、あいつは逃げているなどと訳知り顔でほざく素人が沸いてくるが、一向に構わない。俺は組まれた試合を戦うだけだ。
 試合はマサヤにとって一番の娯楽であると同時に唯一の生きがいでもある。きつい減量に耐えられるのは、勝利の後に高級焼肉を鱈腹食えるからではなくー勿論それもあるにはあるがーその先に大観衆の前で殴り合いをする快感が待っているからだ。リングの上は治外法権で、ルールの範囲でなら、相手をどこまでも痛めつけることが許される。その様を見て観衆は歓喜する。客観的に見たら、異様な空間だ。まあ、人間の精神はコロッセオに集っていた古代ローマの時代からさほど変わっていないのだろう。
 しかし、マサヤは物足りなさを感じ始めている自分に気づいている。チャンピオンの彼に挑んでくるのがどんな選りすぐりのファイターであれ、彼とは「モノ」が違う。シマウマがどれだけウエイトトレーニングを積んだところで、ライオンには勝てない。俺がやっているのは弱いものいじめと大差ないのではないかという疑問に彼は捉われる。勝つのは嬉しいし、殴り合いは相変わらず何にも変え難い快感を俺にもたらしてくれる。なのにこの渇きは一体何だ。自問自答の沼に嵌まり込む前に彼は頭を振り払う。あれこれ考えるのは自分の性分に合っていない。

 ケンシンの評価は鰻上りだ。無敗記録を更新しているのもあるが、試合内容が素晴らしい。必ず盛り上がりを作って、その上で相手をノックアウトする。格闘技ファンの中にはもうケンシンはマサヤを越えたと言う者も少なくない。
 マサヤにも一つの変化が生じていた。あれほど他人の試合には興味を示していなかったのに、ケンシンの試合だけはチェックするようになったのだ。別に格闘技オタクのライトのように、ケンシンの高等テクニックの習得を目指しているわけではないし、いつか対戦するときのためにあらかじめ研究しておこうなどという殊勝な考えがあった訳でもない。
 初めて彼の試合を見たときに感じた淡い期待とさえ呼べぬような予感。こいつはシマウマなんかではなく、俺と同じくライオンなのではないかという予感だ。それが正しいのかを確かめずにはいられなかった。
 もう一つには、柄にもなく同情してしまったからだ。こいつが抱えている孤独は俺のそれよりもさらに奥が深いと思わずにはいられなかった。メディアに対しては天真爛漫なふりをし、交友関係もマサヤなんかより断然広いが、その実こいつは誰よりも一人ぼっちだ。月並みな表現だが、天才の孤独というやつなのだろう。試合が終わって花道を引き上げるときに浮かべている表情からは、いつも悲愴感が漂う。マサヤも同じだ。二人が負けないのは、実力はもちろんのこと、それ以外の別の力が働いているような気がしてならない。それは運命などというチャチなものではない。むしろ「生まれ」といった方がしっくりくる。幸か不幸か、マサヤもケンシンも「勝つ星」に生まれついてしまった。
 ケンシンとの対戦を熱望する自分の気持ちにマサヤは気づいている。しかし、口には出さない。大願を口にしてそれが叶わなかったときの失望に耐えられるとは思えないからだ。

 二人の対戦はケンシンがキックボクシングを引退し、ボクシングに転向することが決定すると、呆気なく決まった。ケンシンがこの世界でやり残したことはただ一つ、マサヤに勝利することのみであり、無敗の看板を引っ提げて神童は新たな領域に踏み込むのだ。そんなストーリーをケンシン陣営は喧伝している。結構なことだとマサヤは思う。彼がヒールなのは何もこの試合に限った話ではない。
 ルールが58キロ、3分3ラウンドで決定すると、ケンシン有利を主張する声は一段と大きくなる。この分だとスピードに勝るケンシンが着実にポイントを稼いで判定勝利を収めるだろうというわけだ。
 試合が決まったマサヤの口数はさらに少なくなる。その並々ならぬ殺気は周囲の者をして、気軽に彼に話しかけるのを躊躇わせるほどで、スパーリングパートナーで数少ない友人でもあるライトは、不穏な雰囲気を感じざるを得ない。こいつが負ける未来なんて一ミリも想像がつかないのに、この胸騒ぎは何だろう。格闘技ファンとしては世紀の一戦を誰よりも心待ちにしているはずとはいえ、親友が憑き物に憑かれたように自らを擦り減らしている様には胸を締めつけられる。強気な発言ばかりがクローズアップされ、いつも誤解されているが、マサヤは誰よりも繊細で、すぐプレッシャーに押し潰される自分を鼓舞するためにそうしているだけなのをライトは知っている。

 試合を直前に控えた二人は記者会見に臨む。相手の印象を問われ、マサヤはいつもの調子で答える。 
 なんかちょこまか動く奴だよな。せこせこ逃げ回るのは結構だけどさ、俺を倒すつもりならデカい一発がないと話にならねえよ。あんなタッチするみたいなパンチだったり、撫でるようなキックじゃあ、俺はびくともしないからね。ラウンド数?ルール?体重?そんなの関係ねえよ、なめてんのか。1ラウンドで寝かせてやる。
 ケンシンの番が回ってくる。こちらもいつもの調子だ。
「ずっとリスペクトしていたマサヤさんとついに戦えるなんて、本当に嬉しいです。このマッチメイクに尽力してくれた全ての人に感謝します」
「ぼくもマサヤさんも無敗だけど、これまで背負ってきたものが全く違う。ぼくはあくまでもチャレンジャーとして戦いたい。皆はぼくが有利だって言うけれど、決してそんなことはないと思っています」
「確かなことは」
「ぼくはマサヤさんほど力のあるパンチも打てないし、マサヤさんほどタフでもないし、マサヤさんに比べて体格も劣るし、経験値でも遠く及ばない」
「でも」
とケンシンは続けない。
「だからぼくが勝つ」
マサヤはケンシンが言っていることの意味を掴めない。妙な理屈をこねる野郎だとだけ思う。
 運命のゴングは一週間後に鳴らされる。