玉稿激論集

玉稿をやっています。

ルーティーン(fiction)

「受賞おめでとうございます!」
「今の気持ちを一言、お願いします!」
眩いばかりのフラッシュが私に向けて放たれている。パシャパシャ。カシャカシャ。
「またか」と苦笑してしまいそうにもなるが、もう少し喜びに浸っていたい。夢でもいい、夢でもいいから。

 目が覚めると同時に、日常が流れ始める。昨日と比べて特に変わったことはないけれど、疲労は蓄積されている。
 洗面台の鏡に写る自分の姿をスマホのカメラで写真に収めるのが、ここ数年のルーティーンだ。いつか撮影した写真を連続写真のようにして一気に眺めたい。そうすれば、変わり映えのしなかった毎日が微妙な変化に溢れていたことに気づけるかもしれないから。
 顔を洗い、身支度を整え、出発しようとして、はたと立ち止まる。いけない、いけない、今日も忘れるところだった。数ヶ月前から始めた猫背を直すためのストレッチ。効果があるかはわからないけど、今日も一応やっておく。背筋を伸ばして歩いて行けるように。
 ドアを開けた途端、全身がひんやりする。だいぶ寒くなってきた気もするが、日中暖かくなることを見越してか、コートを羽織っていない人もちらほら目につく。
 いつもの横断歩道の前で左に目を向けると、ビルのエントランスの窓ガラスに自分の全身が写っているのに気がつく。昨日と同じスニーカー。昨日と同じズボン。昨日と同じコート。おそらく表情も昨日と同じだろう。でも一つだけ昨日と違うことがある。私は時計を確認して、昨日は左に曲がった角をそのまま直進する。
 家を早めに出られたときは、近所のカフェに立ち寄って、コーヒーを飲みながら執筆することにしている。寝ている間に整理されたはずの頭に浮かんでは消える物語の展開を捕まえて、言葉にしていく。頭の中では傑作と思えたアイデアも実際文章にしてみると、とてもつまらないものになってしまう。ああ、私が考えていたのはもっと面白いことなのに。
 コーヒーは黄色いカップに淹れられている。質感からするに、職人の手による陶磁器だろう。改めて見るとなかなかセンスがいい。持ち手の上側は少しだけ太くなっていて、持ったときに親指の収まりがよくなるよう工夫してある。私は創意と心づかいに溢れたまだ見ぬ陶芸家に思いを馳せる。彼は、彼女はどこで、どんな暮らしをしているのだろうかと想像を巡らせる。可能な限り。空想が広がり、現実との境界が曖昧になるまで。しかしある程度のところまで行くと、私の想像力はその翼をはためかせるのをやめてしまう。
 カップを置いて、声にならないため息を一つつく。ぼんやり外を眺めながら、ポケットのスマホを取り出す。
 小説はメモに書いている。はるか先の未来、何光年も離れた星に住む二人の物語。お互いをタブレットの画面の中でしか見たことがない二人は、それぞれの星での争いに勝ち抜き、遂に光速で進む宇宙船のチケットを手に入れて、中間地点で出会うことになる。しかし、光速といえどそこにたどり着くまでには何年もかかってしまう。「光さえも遅く感じてしまう、そんな境地があるのじゃ」。思いを募らせる少年は、幼少期に聞いた祖父の言葉の意味をようやく理解する。
 ありふれた物語だ。どこかで聞いたような話だ。それでも私がせっせと指を動かすことで作り出すこの物語には、世界を変える力があるはずだ。そう信じている。

 外に出ると同時に、空想の世界に置いていた軸足が一気に現実に引き戻された。雑踏をかき分けながら、行くべき場所へと歩を進める。この道が自分の夢に繋がっているかはわからないけど、とりあえずは歩くしかない。輝く未来に一瞬で到達できる光速の宇宙船なんてないのだから。