玉稿激論集

玉稿をやっています。

カズオになくて賢太にあるもの

定期的にブログを更新しようと思っていても、なかなかうまくいかない。記事にできそうなネタが思い浮かぶと、一応下書きをしてみるものの、公開に至るものは一部に過ぎず、ほとんどは塩漬け状態のまま放置されている。週に1回ぐらいは怒りに任せて書き殴りたいのだが、そんなに腹の立つこともないので、難儀している。

 

やはり感情(特に怒り)が乗っているときは、フリック入力する指が滑らかに動く。出来はともかくとして、書いているときは楽しい。

 

読むにしても、書き手なり主人公なりの感情が発露しているものが好みだ。好きな小説を聞かれたとして、思い浮かぶのは一人称の作品ばかりだし、他人におすすめの作品を聞くときも「一人称で」などと注文をつけたりする。まあ、そっちの方が絞られるから、聞かれた相手も答えやすいだろう。

 

疫病の流行を受けて立ち読みが禁じられている近所のブックオフで、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』を購入したのも、パラパラとページをめくって一人称小説であることを確認してからのことだった。存外読みやすかったし、そこそこ感動もしたが、致命的な欠陥があった。

 

控え目に言って、あまり面白くなかったのだ。

 

池澤夏樹による解説を読んで、その原因ー面白くなかった原因というか、僕の好みではなかった原因ーがわかった。以下引用する。

 

「作家には、作中で自分を消すことができる者とそれができない者がある。三島由紀夫は登場人物を人形のように扱う。全員が彼の手中にあることをしつこく強調する。会話の途中にわりこんでコメントを加えたいという欲求を抑えることができない。司馬遼太郎はコメントどころか、登場人物たちの会話を遮って延々と大演説を振るう。長大なエッセーの中で小説はほとんど窒息している。…カズオ・イシグロは見事に自分を消している。映画でいえば、静かなカメラワークを指示する監督の姿勢に近い。この小説を読みながら小津安二郎の映画を想起するのはさほどむずかしいことではない」(『遠い山なみの光』、早川書房、272、273ページ)

 

池澤と違って、「自分を消す」作家は私の好みではない。読んでいて面白くない。歩いた街並みや、山頂から見下ろした景色ばかり丁寧に描写されても困る。そんなに絶景が見たいのなら、わざわざ本など読まずに、旅行に行くなりGoogleで画像検索をする。残念ながら私には読解力が欠如しているから、風景の描写から登場人物の心情を想像することなどできない。悲しいことがあったからといって、作中で雨など降らせないでほしい。いつまでも黙って向かい合ったまま茶をしばいていないで、思うことがあるのなら罵り合いや殴り合いを始めてほしい。私は行間など読めないし、読む気もない。どれだけ目を凝らして行間を見つめてもそこには何も書かれていないからだ。

 

上述のブックオフには、財政が逼迫していることもあり行く機会が増えた。田舎なので蔵書数は少なく、売られている西村賢太作品の約半数(といっても3点)を私が買い占める格好となってしまった。

 

カズオ・イシグロとは対照的に、西村賢太の作品は、私小説ということもあって、彼の考えていること、感じていることがありのままに描かれている印象を受ける。クズさや格好悪さや不様さまでもがさらけ出されている。単純に好みの問題でしかないが、私は西村賢太の方がカズオ・イシグロより面白いと思うし、私の「好みの問題」こそが全てなのではないかという気さえしている。ボクサーで例えるなら、カズオ・イシグロの戦法は相手との距離を保ちながらジャブを細かく当てるアウトボクシングで、西村賢太の戦法はパンチをもらうことを厭わず相手との間合いを詰め、大きく振りかぶったパンチを繰り出すゴリゴリのインファイトだ。その衒いのなさというか、スカしていない感じが読んでいて気持ちがいい。

 

私としても、スカさずに、矢吹丈のように両手をだらんとぶら下げたノーガードのスタイルで間合いを詰めていきたいところだ。でも、それはなかなかに難しい。どこまでいっても文章が上達した実感はほとんど得られない一方で、記事数を重ねていくとどうしても、「うまいこと書きたい」という邪な思いが芽生えてしまい、なんとなればそれは対象から距離をとる態度として結実しがちであるからだ。かと言って、インファイトをすることは、殴られることやパンチを空振りして不様な姿を晒すことを意味するから、どうにも踏ん切りがつかない。

 

ここに来てとんだ袋小路だ。

 

前に行っても崖、後ろに下がっても崖だ。あんじょう、性根入れて歩くしかない。

真理、倫理、論理ー我が集大成ー

(1)畳みきれない風呂敷を広げる序文

一見関係のない物事の間につながりを見出せると、それを成し得た自分の視点の独自性を、話すなり書くなりして誰かに伝えたいと思うのは、自然な欲求だろう。例えば、元阪神タイガース金本知憲が連続フルイニング出場(毎日休まず試合に出続けるってことね)の記録が途切れたとき、朝日新聞の『天声人語』では、コロンブスが新大陸を「発見」した1492年と、ギネスにも認定された金本の記録である1492試合を結びつけて、見事なコラムが書かれていた。曰く、両者とも不断の努力によって前人未踏の領域に到達したと。着想を得たとき、執筆者は小躍りしたことだろう。

 

ただ、金本とコロンブスのように全く無関係なものの方が、結びつけて語るのが実は容易なのではあるまいか。読む側は視点の独自性に目を奪われるあまり、多少のこじつけには寛容になるからだ。その最たる例は駄洒落だ。駄洒落は音が類似している語を並べただけのものであるから、「当然、意味上のつながりを欠いている(永井均、『マンガは哲学する』、岩波現代文庫195〜196ページ))。それでも上手い駄洒落を聞くと、我々は思わずくすっと笑ってしまう。乱暴な言い方をさせてもらうなら、面白ければなんでもいいのである。

一方、何となく関係がありそうなものを結びつけて語るとなると、一気にハードルが上がる。視点の斬新さなどない文章に対しては、読む側も論理が一貫しているかをちゃんと意識するし、論理的に筋の通った文章を書くのは最も骨の折れる仕事の一つだからだ。でも、それこそが今から私がやろうとしていることなのだ。

 

ここ数年来、ぼんやりと考えていることがある。日常生活で感じたことや、本・ネットから得た情報を奇貨として、考えを深め整理しようと試みるも、なかなかうまくまとまらない。まとまらないのは、論を構築する大工(私)の腕が悪いからだけでなく、設計図(まあ、それを描いたのも私なのですが)に欠陥があって、そもそもまとまるはずのない論を無理矢理組み立てようとしているからかもしれない。後者の場合、すなわち設計図が破綻していた場合、何となく関係がありそうなものを結びつけて「論理的に筋の通った文章を書く」などといった私の野望は、脆く崩れ去ることとなる。でも、何事もやってみないとわからない。

以下で私は、自分の思考の断片を余すところなく、できることなら縦横無尽に語っていきたい。そして散りばめられた思考の「瓦」や「石垣」から、城を築きたい。堅固な城でなくていい。砂上の楼閣でいい。いや、もはや建造物でなくてもいい。

訳のわからぬことを言い始めたので、そろそろ本題に入ろう。

 

(2)政教分離の話から

政教分離の原則」とは、読んで字の如く、国家は宗教に関わってはならないという考えであり、日本国憲法第20条第3項においても、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定められている。では、何が「宗教的活動」に該当するとされてきたのかについては、判例を参照する必要がある。本節では、議論の都合上、津地鎮祭事件の判例を見ていこう。

 

この裁判では、津市が体育館の建設工事を始める際に、市民の税金を支出して地鎮祭(安全祈願の儀式)をとり行ったことが、上述の憲法第20条第3項が禁じている「宗教的活動」にあたるとの主張がなされた。しかし、最高裁は同条同項が規定する「宗教的活動」を次のように規定した。すなわち、

 

憲法20条3項にいう宗教的活動とは、…当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいう」(最大判昭52・7・13)。

 

そのうえで、

 

「本件起工式は、工事の無事安全を願うといった、社会の一般的慣習に従った儀礼を行うというもっぱら世俗的なものにすぎないと認められ、…宗教的活動にはあたらない」(同上)

 

と判示して、原告の主張を退けた。

 

この判決が出されるにあたっては、数人の裁判官から反対意見が提示された。中でも藤林益三の反対意見はなかなかに激烈で(津地鎮祭訴訟 上告審←ここから閲覧できます)、法律家が書いた文章とは思えない趣きがある。藤林は地鎮祭を「宗教的」ではなく「世俗的」とした判決に異を唱え、

 

「工事の無事安全に関する配慮が必要なだけならば、現在の進歩した建築技術のもとで、十分な管理がなされる限り、科学的にはこれにつけ加えるべきものはない。しかるに、工事の無事安全等に関し人力以上のものを希求するから、そこに人為以外の何ものかにたよることになるのである。これを宗教的なものといわないで、何を宗教的というべきであろうか」

 

と喝破する。熱量のこもった書きぶりであり、若干自分に酔っている感さえ漂う。嫌いではない。でも、そんなことより、藤林の反対意見を読んで私の目を引いたのは、彼の判断の前提となっている冒頭の次の主張だ。

 

「国家の存立は、真理に基づかねばならず、真理は擁護せられなければならない。しかしながら、何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また国民でもない。いかに民主主義の時代にあつても、国民の投票による多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えないであろう。真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。真理は、自証性をもつ。しかし、自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは、歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである」

 

色々と突っ込みどころの多い文章である。藤林は一体何を根拠に、「真理は、自証性をもつ」などといっているのだろう。これほど強い主張をするのであれば、何らかの根拠を提示すべきであるにもかかわらず、彼はそれをしていない。おそらく彼にとっては当たり前のことだからだろう。しかし、彼の主張は本当に「当たり前のこと」なのだろうか。本当に真理は多数決では決せられないのか。

 

(3)1+1=2である理由

前節で長々と裁判の経過を辿ったのは、実は最後の問いを導き出すためだった。遠回りの感は否めないが、必要な道だった。何せ、「縦横無尽に」論じると決めたのだから。

 

本節では、真理がどのように決せられるのかを、ウィトゲンシュタイン野矢茂樹を参照しながら考え、前節の最後に出た問いにアプローチしたい。

 

ウィトゲンシュタインが『哲学探究』において提示したパラドクスで、野矢茂樹により「規則のパラドクス」と呼ばれているものがある。それは次のようなパラドクスだ。

 

「規則は行為の仕方を決定できない。なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させることができるからである」(ウィトゲンシュタイン、『哲学探究』、第201節)

 

哲学探究』でウィトゲンシュタインが挙げている例では、「+2」という規則を教えられた生徒が「2、4、6、8、10…」と続けていく。ところが、何を思ったのか、千を超えたところからこの生徒は「1000、1004、1008…」と続けてしまう。「どうして急にやり方を変えるんだ」と言う教師に対して、彼は「えっ、「+2」というのはこういうことじゃなかったんですか?」と応じるわけだ(野矢茂樹、『心と他者』、中公文庫、249ページ)。

 

私が「+2」という規則を教えられたとすると、私は上述の生徒とは違い、千を超えたところからであっても、「ちゃんと」、「1000、1002、1004…」と続ける。では、私とあの生徒の違いはどこにあるのだろうか。「+2」という規則を教えられたときに、私は「1000の次は1002だな」と考え、件の生徒は「1000の次は1004だな」などと考えたわけではない。私にしても彼にしても、千を超えたときどうするかについては考えることなく「+2」の計算を始め、「…、994、996、998、1000」と順調に歩を進めてきた。そして私は千の次の数を「1002」と書き、彼は「1004」と書いた。私以外のほぼ全ての人も、千の次の数を「1002」と書くだろう。では、「1004」と書いた彼は間違っているのだろうか。これは一言では答えられぬ問いだ。

 

日常生活で、「そういうことなんだったら、そう書いておいてくれたらよかったのに」と思うことが私にはしばしばあるが、「間違い」を指摘された彼も同じようなことを思うのではないだろうか。すなわち、「1000の次が1002になるのなら、最初から『+2(1000以降は1002、1004、1006、…と続けよ)』と書いておいてくれよ」と。でも、仮に彼の言うように規則を書き換えたとしても、問題は解決しない。なぜなら、規則を書き換えたところで、彼が今度は二千を超えた時点(別に二千でなくて、任意の時点でよい)から突如「2000、2004、2008、…」と書き進める可能性を排除できないからだ。我々がそこで再び彼に待ったをかけても、「じゃあ最初から『+2(1000以降は…、2000以降は…と続けよ)』と書いておいてくれよ」と応じられるだろう。以下同じことの繰り返しだ。

 

「+2」という規則は様々な解釈の可能性に開かれており、そこにどんな注釈を加えても、規則から逸脱した(当の本人は「逸脱」しているつもりなど毛頭ないのだが)行動をとる者を想定できる。おそらく、規則「+2」に対する私の行為の仕方は、圧倒的多数の支持を得、例に挙げた生徒の行為の仕方は、皆に非難されるだろう。いや、もしかしたら彼は非難されることを見越して、自らの「本音」を隠して生きていくかもしれない。いつの間にかこの世界において、彼が思い描くのとは違う「規則『+2』に対する行為の仕方」が、成立してしまっている以上、自ら「逸脱」の烙印を求める道理などないからだ。でも、実は、この世界でスタンダードとなっている「規則『+2』に対する行為の仕方」は、無限の解釈の可能性に開かれたこの規則の中で、どういうわけか圧倒的多数の支持を集めているだけのものなのだ。

 

だから、私が少数派になる可能性ももちろんある。「1000、1002、1004、…」と書き進めていると、多くの人から奇異の目で見られたとき、その世界では、規則「+2」は、千を超えたら「1000、1004、1008…」とするのが、そのスタンダードな従い方であるのかもしれない。私は、「誤った者として道を正され、説得ないし再教育を施される。そしてさらに…ことの軽重に応じた処置がとられることになるだろう。軽い場合には無視され、重い場合には、私は異常として隔離ないし排除されるのである(同上262ページ)」。

 

書いていたら、ガリレイのことが頭をもたげたので、少し触れておこう。ガリレイはほとんどの人が天動説を唱えるなか、「それでも地球は回っている」と地動説を唱え、迫害を受けたのだが、結局彼の考えが正しかったのは、歴史が証明している。前節で紹介した藤林の、「多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えない」、真理は「歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである」という考えは、このような科学的事実にはある程度当てはまるだろう。だが、我々がどうすべきかを定める規則なり規範なりからすると、彼の主張はやはり的外れなのではないだろうか。

 

1+1のような単純極まりない計算式を前にしてさえ、「えっ、3ですよね」とか、「今日は雪が降っているから4です」などとのたまう輩が存在する可能性はある。しかし、どういうわけか、この世界は1+1=2と考える人が圧倒的多数を占めており、3とか4と答える者を少数の異常者とみなす。そうすると、1+1=2という「真理」は、実は多数決によって決せられたといえるのではなかろうか。そんな直観に反する疑問を抱かざるを得ない。

 

規則や規範について話していると、頭の片隅の記憶が疼きだす。やはり倫理についても触れておかねばなるまい。

 

(4)倫理がなしえぬこと

「どうして倫理学に興味をもってくれたのですか」

研究室を選択する際に行われたオリエンテーションのときにそう問われ、「倫理とかを勉強しておかないと、将来道を踏み外してしまいかねないので」と答えた私に対して、教官は「倫理学を勉強した人間が道徳的になるわけではないという研究結果は出ていますけどね」と応じた。果たして彼の言は正しかった。確かに私は倫理学を学ぶ前より、不道徳な考えを肯定できるようになっている。

 

「よい行為とは何か」を探求するのが倫理学であると、いつぞやの講義で聞いた。私もそう思うし、この見解に真っ向から異を唱える人は少ないだろう。一般的に「よい行為」「悪い行為」とされていることはたくさんあるが、倫理学においてはそこに疑いの目を向けて、深くその行為について考えることが求められるのだ。例えば、「自分がされて嫌なことは他人にすべきでないというのは本当か」であったり、「嘘をつくのは悪いことか」といったことが問われる。

 

中でも根源的な問いだと私が感じるのは、「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いだ。「なぜ道徳的であるべきか」とも言い換えられるこの問いは、倫理や道徳の由来を明らかにすることを目指す。様々な論者が多様な見解を披露している。曰く、「義務だから」とか、「最大多数の最大幸福の実現のため」とか、「回り回って自分の利益になるから」とか、「そもそも私が道徳的であるべき理由などない」とか、千差万別だ。「皆がそう言っているから」を第一の理由とする論者を私は寡聞にして知らないが、それはとりあえず措いておこう。ここでの私の関心は、「悪いことをしてはいけない」ー例えば「人を殺してはいけない」ーという倫理が成立している場合においてさえ、なお残るそこからの「逸脱」の可能性についてである。

 

「人を殺してはいけない」。これは、我々のほとんどが認めている、この世界のいわば「ルール」である。この世界では、どれだけ嫌いな人や憎い人がいたとしても、その人を殺してはならないことになっており、もし殺してしまったら然るべき罰を受けることになる。それでもいい、死刑になってもいいし、後ろ指をさされてもいいし、良心が痛んでもいい、それでも俺は人を殺すと主張し、殺人を実行しようとする者がいたとしたら、もはや誰も彼を止められないだろう。でも、少なくとも彼は「人を殺してはいけない」というルールを我々と同じように解釈している(その上で人を殺す選択をしている)だけまだましである。ここで、もっと深刻な問題となるのは、「人を殺してはいけない」というルールから、前節で例に挙げられた生徒が規則「+2」に対してそうしたように、我々が思いも寄らぬ結論を導き出す者である。「太陽が眩しかったから人を殺した」と言う者のように。「だったら『人を殺してはいけない(太陽が眩しいときも)』って書いておいてくれよ」と彼は口を尖らせる。彼の言っていることは我々からしたら訳がわからぬが、彼は彼なりの論理に従って行為しただけなのだ。

このような我々とは全く異なる論理に基づいて行為する者を前にしたとき、倫理に一体何ができるだろうか。「よい行為」と「悪い行為」を完璧に峻別した「倫理」なるルールブックがあるとしても、そこから逸脱(これまた当の本人は「逸脱」しているつもりは露ほどもないのだが)した行動をとる者が存在しうる。私は強烈なもどかしさを覚える。彼のような異常者こそ、倫理によって行動を制御すべきなのにそれは叶わない。このとき、倫理はあまりにも無力だ。

 

ここで、今一度規則のパラドクスを振り返っておこう。

 

「規則は行為の仕方を決定できない。なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させることができるからである」

 

倫理もまた、「規則」に含まれるだろう。ここに至るまで何度か「逸脱」という語を使ってきたが、そもそもどのように行為しても規則なり倫理なりに一致するのだから、そこに逸脱の余地などないのだった。かと言って、今更「逸脱」以外の語も思い浮かばないので、もうそのままにしておく。一応鍵括弧をつけているから、ご容赦願いたい。

「いかなる行為の仕方もその規則と一致させることができる」のは、ここまで見てきた通りだが、「行為の仕方」がまるで違う「異端者」に閉ざされているものがある。我々とのコミュニケーションの可能性だ。

 

「話せばわかる」と諭してくる犬養毅を、クーデターを起こした軍人は「問答無用」と撃ち殺した。おそらく、軍人からすると、犬養は話の通じない他者だったのだろう。意思疎通できぬ他者ーそれを極限まで突き詰めると、上で述べた訳のわからぬ論理で人を殺す異常者に行き着く。彼とうまくコミュニケーションをとれる自信が私にはない。私も彼も日本語を使うが、会話は全く噛み合わないだろう。私は彼とのコミュニケーションを諦め、自分と同じような論理に基づいて行為する集団ーこの世界でなぜか圧倒的多数を占めている「我々」と呼ばれる集団ーに立ち帰る。そしていざとなれば彼を社会から隔離・排除することに加担するかもしれない。

 

前節及び本節では、かなり極端な事例を扱ってきた。私はここらで場面を日常に移したくなってきている。

 

(5)誤読しえぬもの

仕事でわからないことを優しい先輩に質問すると、大抵の場合納得のいく答えを得られる。納得がいかない場合、私は「でもそんなことどこに書いてあるんですか」と質問を重ねる。先輩はファイルに綴じた分厚い書類を開きながら、「ここにこうやって書いてあんねん」と仕事のイロハが記されたマニュアルの文言を指し示してくれる。世界は素晴らしい。

しかし、ごくたまにそれでも納得できず、しどろもどろに質問しようとしていると、「で、結局何がわからへんの?」と逆質問される。優しいはずの先輩の眉間に一筋の皺が入るのが見え、私は自分の理解の悪さに辟易する。

「いや、おっしゃることはなんとなくは理解できるんですけど、マニュアルにも…とは書いてないじゃないですか」

「そんなことわざわざ書いてへんよ、だって大前提やん」

「はあ、そうですか」

私は引き下がざるを得ない。これ以上人を煩わせるのは本意ではない。でも、頭はもやもやしたままだ。大前提だとしても、いや、大前提だからこそ、明記しておくべきではないか。

 

先日こんな話を聞いた。

同僚が客から電話で相談を受けてあれこれ説明していると、その様子を見ていたお世辞にも優しいとはいえない先輩から電話が終わった後、「さっき…とお客さんに説明してるのを聞いてましたけど、そんなことどこに書いてあるんですか?何か根拠があるんですか?」と詰められたらしい。意地の悪さが清々しい。そんな風に思っていたのなら、電話の途中に伝えてくれればいいのに。詳しい話を聞くと、確かに同僚の対応にも責められるべき点はあったが、件の先輩が思うような対応がベストなのかも疑問だった。マニュアルには、同僚がやったようにせよとも、先輩が言ったようにせよとも書いていない。というか、そこでは大まかな前提が示され、いくつかの事例が挙げられているだけであり、同僚が体験したのと全く同じシチュエーションは想定されていない。では、起こりうる全ての事象を網羅したマニュアルを作成したら、問題は解決するのだろうか。答えはノーである。再び私の頭の中に規則のパラドクスが顔を覗かせている。「いかなる行為の仕方」も規則と一致させることができる以上、完璧なマニュアルも我々の行為を決定せず、同僚と先輩の対立はいつか再び起こるだろう。2人のうちどちらかが間違っているのではない。そもそもマニュアルは誤読不能であり、いかようにも解釈されるのだ。

 

そうは言っても、私の周りでは、

「この場合はこういう手続きをすべきでしょ」

「いや、でも外を見て下さいよ、きれいな虹がかかっているじゃないですか…」

といったやり取りは、これまでされてこなかったし、これからもされないだろう。対立があった場合に、どうにか妥協点を探れる他者の方がそうでない他者よりも私の周りには圧倒的に多い。マニュアルから導出される我々の行為の仕方も、概ね一致している。

でも、「言葉が通じない」他者は私の前にいつでも現前しうる。このとき、私もその他者にとって「言葉が通じない」他者であろう。我々はどうすべきだろうか。まさか殺し合うわけにもいくまい。ただ互いに沈黙して袂を分かつのみだ。

 

(6)結語

住み慣れた街だと普段通る道は大体決まっているので、散歩すると新鮮な発見がある。「ああ、この道はここに繋がっていたのか」と。頭の中も同様だ。日常でなんとなく感じていた引っかかりを掘り下げると、意外な考えに結びついたり、懐かしい記憶が呼び起こされたりする。ただ、それを誰かに伝えるとなると、常に困難が伴う。道端のガラクタを処分したり、砂利道を舗装してアスファルトを流し込んだりしなければならない。

道を一本開通させるだけでも難しいのだから、城を築くのは至難の業だった。冒頭では砂上の楼閣でもいいと述べたが、工事をしていると欲をかいて、どうしても堅牢な城を志してしまう。おかげで大工たちにはブラック労働を強いることになった。ここに感謝と謝罪の意を表明する。

城の耐震強度は、地震が起こらないとわからない。少々の地震では揺るがなくても、地殻変動が起こるほどの衝撃には流石に耐えきれないかもしれない。いや、もしかしたら風が吹いただけで脆く崩れ去ってしまうかもしれない。それでもいい。むしろ、そういう事態をー自分の考えがまるっきりひっくり返るような事態をー私は密かに待ち望んでいる。焼け野原からでも、大工たちは何度でも立ちあがる。

理解できぬものを求めて

100年ぐらいかけてやっとのこと、『青色本』(ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、大森荘蔵訳、筑摩書房)を読了した。いやー、訳わからんかった。意味のわからない文字列を最初から最後まで目で辿っただけのことを「読了」というのかについては、措いておく。今は、しばしばそうするように、自分で自分を褒めてやりたい。

 

古典とか名作とか呼ばれるものを多少なりとも読むようになったのは、大学に入ってからだ。それまでの僕にはおよそ読書の習慣などなく、もちろん「世界の名著」的なものを読んだ経験も皆無で、日本の近代文学にしても、国語の教科書に載っている『走れメロス』『羅生門』『山月記』ぐらいしか知らなかった。ウイニングイレブンウィトゲンシュタインじゃなくてね)に飽きたら、たまに伊坂幸太郎東野圭吾を読んで、大どんでん返しに心を躍らせる、極めて健全な高校生だったのだ。それが何の因果か文学部に入ると、義務感のようなものに駆られたこともあって、また、文学部生としての謎の矜恃も手伝って、難解な哲学書とか古典作品に手を出したりするようになってしまったのである。これがそもそもの間違いの始まりだったのかもしれない。

 

難解極まりない文章を読むのは苦行だったが、自腹を切って買ったものをそのままおいておくことは生来の貧乏性が許さなかったので、どうにか読破してきた。読み終わってもすっきりせず、頭に霧がかかった。「よくわからんなあ」と思いながら本棚にしまう。それでも何回かに一回はそっち系統の本を買うようになった。なぜ僕は自ら苦行を選択するような愚行を犯してしまったのだろうか。勤勉な学生だったから?違う。

 

本の内容がどれだけ難しいものであっても、ごくたまに腑に落ちる箇所に行き当たることがあった。さらに稀に、その箇所が刺さる。瞬間心臓を掴まれたような気分になる。本を読んでいてそんな風に感じたことがそれまでにあっただろうか。当たり前だと思っていたことがひっくり返り、世界の見え方が一変するほどの驚き。日常生活において後ろ暗いものとして抑え込んでいた感情が肯定されたことによる安堵。理解できぬものの中に潜む幾筋かの光明が、自らの血肉なっていくような実感。それらの積み重ねが今日この日の僕を作り上げたというのは、少し言い過ぎだとしても、逆にいうと少ししか言い過ぎではないだろう。大学に入ってから読んだ本が自分の脳内に多大なる影響を与えたのは、紛れもない事実だ。僕はこんな人間ではなかった。気づけば、伊坂幸太郎東野圭吾を読まなくなっていた。展開が早く、構成がしっかり練られている彼らの小説は確かに面白い。内容が淀みなく頭に入り、すいすいと読み進められる。伏線がきちんと回収されて、物語の幕が閉じる。そこにわかりにくさなどない。ゆえに、どこか物足りない。いつの間にか僕は、わかりにくいもの、理解できぬものを求めるようになっている。でも、これがいい変化なのかと問われると、甚だ疑問だ。

 

さえない日々を送っていると、「一体どこで自分は道を誤ったのだろう」と考えることがある。原因を探り、自分の現状を何かのせいにしたくなる。上で「間違いの始まり」などと書いたのも、そういった気持ちの表れだ。本を読んで身につまされたのか知らないけど、お前の現在地は「ここ」じゃないか。物事が何一つとしていい方向に動いていないのは、むしろお前がそんな本を読んで、小難しいことを考え、頭の中で理屈ばかりこねくり回しているからではないのか。内側からそんな声が響く。反論するのはなかなか骨が折れる。

 

「何が正しくて、何が間違っていたかなんて結局のところわからない」などと言うつもりはない。どんなことにも「正解」はあるはずだし、あってほしいと願うからだ。

 

考え方を変えてみるのもありかもしれない。

 

これからは、自分のこれまで選んできた道、そしてこれから自分が選ぶ道を「正解」と呼ぶようにしよう。「選んだ道を正解にするよう努める」のではない。そんな大変なことはしたくない。むしろ選んだ道がそのまま正解になる、間違えようがない、ぐらいの心持ちで生きていきたい。リャン面待ち、いや国士無双十三面待ちの人生。悪くないだろう。

 

大学に入る前までの僕では、こんな考えに至ることはなかった。それだけは確実だ。

生き恥を晒す生き方(あとがき)

ワンピース33巻で「生き恥をさらすくらいなら死ぬ方がいい」「右に同じ」と、ゾロとサンジが息巻くと、ロビンは「男ってこういう生き物よ…」と嘆息する。ジェンダーレス(!?)の現代の価値観には甚だそぐわない会話だ。まあ、僕としては、死ぬくらいなら生き恥をさらす方がいいと思っているから、調子こいた名前のブログで、ふざけた小話を書いた次第だ。命に危険など迫っていないにもかかわらず、積極的に生き恥をさらしてしまった。死んだ方がいいのかもしれない。

小説には大抵の場合、別の作家による解説が加えられているが、著者本人があとがきを付している作品というのは、それほど多くないように思う。そんな中、村上龍はほとんど(全部?)の作品であとがきを残している。

村上龍は好きな作家の一人で、これまでそれなりの数の彼の著作を読んできたのだが、中にはストーリーそのものよりもあとがきの方が印象に残っているものがあるほど、あとがきがいちいちかっこいい。小説家としての矜恃・使命、そしてこの国の社会を思うが故の諦観がそこには表れている。

僕はというと、特に何かの使命感に駆られて書いたわけでもなければ、憂国の気分をそこに込めていたわけでもない。ただ自分のごちゃごちゃした思いを、まず無数の点として散りばめ、その中のいくつかをどうにか線として結びつけたかったのだ。きれいな直線は引けず、不格好なぐにゃぐにゃ線になってしまったけれど、完全に失敗したとまでは言い切れない程度の仕上がりにはなったのではなかろうか。

 

最近折に触れて思い出す言葉がある。M・ウエルベックの『服従』の冒頭でのこんな一節だ。

「ただ文学だけが、他の人間の魂と触れ合えたという感覚を与えてくれるのだ。その魂のすべて、その弱さと栄光、その限界、矮小さ、固定観念や信念。魂が感動し、関心を抱き、興奮しまたは嫌悪を催したすべてのものと共に。文学だけが、死者の魂ともっとも完全な、直接的でかつ深淵なコンタクトを許してくれる。そして、それは友人との会話においてもありえない性質のものだ、友情がどれだけ深く長続きするものであっても、現実の会話の中では、まっさらな紙を前にして見知らぬ差出人に語りかけるように余すところなく自分をさらけ出すことはないのだから」(河出文庫服従』11ページ)

話を聞いてくれる人に対して、息つく間もなく話してしまうことがたまにある。そんなとき、もうすべてのことを話してしまいたい欲求に駆られている自分がいる。でも結局そんなことは不可能だ。自分の中には、その時点ではどう言い繋いでもしっくりこない思いがある。内面を隅々まで覗き込んで、その思いを言語化したくなる。僕が文章を書く理由の一つだ。 

少なくない数の小説が、読者の共感を集めるのは、我々が言語化したくてもできない思いの中には、普遍性を備えているものがあるからだろう。桜井和寿的に言うならば、「誰も皆問題を抱えている」(『HANABI』)のだ。そして、僕はというと、ウィトゲンシュタイン的に「問題はその本質において最終的に解決された」(岩波文庫論理哲学論考』11ページ)という瞬間を求めている。

 

まだまだまだ道半ばだ。

 

ブログでせこせこ書き、それを「生き恥」などと称して予防線を張っているうちは楽なものだ。でも、そこに僕が探し求めている「解決」などないだろう。

シャングリラ3(fiction )

(1)

風呂に入らずに寝ると、翌朝絶対に後悔する。昨晩洗い流されるはずだった汚れが身体にまとわりついている感じとともに目覚める。ただ、すぐ風呂に入るというのも億劫なので、眠くもないのに俺は目を閉じた。こうしていれば睡魔は再び寄ってくる。

ようやく風呂に入る気になったときには、すでに10時を回っていた。シャワーで済まそうとの考えも一瞬脳裏をよぎったが、身体が芯まで冷え切っている感じがしたので、湯船に湯を張ることにした。水が出る蛇口と湯が出る蛇口の両方を目一杯開く。体感で2分半数えた後、水が出る蛇口だけを閉じ、俺は脱衣所のない独房のような部屋で服を脱いで風呂場に向かった。開きっぱなしの蛇口は依然として熱湯を放出し続けている。俺は片足を湯船に突っ込み、ちょうどいい塩梅になっているのを確認して、蛇口を閉めた。湯は、寝そべったらどうにか肩まで浸かれるぐらいには溜まっていた。

冷えた身体に開いた毛穴という毛穴から温かい湯が浸透してくるのを味わい、束の間俺は多幸感に包まれる。囚人は3日に1回しか風呂に入れないというのを聞いたことがあるが、確かに現世で罪を犯した者が毎日この多幸感を味わっていいはずもなく、3日に1回ぐらいがちょうどいいなどとぼんやり考えているうち、早くものぼせ気味になってきたので、俺は肩まで浸かるのをやめ、半身浴に切り替えた。

寒い部屋で一晩寝た身体はなかなか温まらない。いや、正確に言うと、どれぐらいの間湯船に身を浸せば身体が温まったことになるのかがわからなかった。すでにぽかぽかしてはいるのだが、溝落ちの深くには決して消えない「冷え」の源があって、それは湯が伝える熱気に包まれるのを頑なに拒んでいるようだった。

便所と風呂の間にカーテンをかけ、風呂の栓を抜くと同時にシャワーで髪やら身体やらを洗い始める。まとわりついているのは汚れだけではない。暗い過去や先日の不快極まりない出来事。自分の不甲斐なさ。将来への不安。それらもまとめて洗い落とす。昔バラエティ番組で、好きな芸人が「自分は風呂に入る度に一回芸人を辞めている」と言っていた。その意味がわかった気がした。

 

(2)

後輩が今晩部屋を訪れることになり、鍋をすることで我々は一致を見たが、考えてみると、いや、みなくとも俺は鍋などもっていなかった。鍋のための食材ももちろんない。冷蔵庫に入っているのは水と米と数種の調味料だけ。それなのになぜ俺は自ら鍋をすることを提案したのだろう。久しぶりの知人の来訪に浮き足立っているのだろうか。鍋を買ったら後輩が喜ぶから?わからない。

 

振り返ると、昔から他人が喜ぶことをしたいという欲求は強かったように思う。それ自体はもちろん悪いことではない。ただ俺の場合ー他の人々もそうなのかもしれないがーその行為の目的は徹頭徹尾、自分が満足することだった。自分のしたことで他人が喜ぶーあるいは喜んでいるふりをするーのを見ると、自分を満たしている空白の一部が埋まる気がした。透明人間になる薬の効果が切れ、自分が世界に徐々に現れていく感じ。その体感は自分に何を与えても決して味わうことはできない。というのも、そもそも俺には欲しいものなどなかったからだ。

子供の頃から「何か欲しいものある?」と聞かれても、うまく答えることができなかった。一瞬いいなと思うものがあっても、心の奥底を覗くと、空洞が広がっており、思いは気づかぬうちに霧消していた。自分の欲するものがわからない俺は、必然的に欲しいものを手に入れられなかった。

以前知人がとある映画の主人公を「容れ物のようだ」と評して批判したことがある。確かに、「自分」をもっておらず、状況次第では慈悲にあふれ、雨が降り出すと泣き叫び、子どもと一緒に原っぱに遊びに行くと、笑顔を振りまく彼女の姿は、俺からしても違和感があった。ただ、俺はその様を表する言葉を持ち合わせていなかった。まさに「容れ物」という表現がぴったりだった。

その言葉は空っぽになったペットボトルを思わせた。床に投げるとカランコロンと転がる、可塑性をもった物体。水を入れると「水の入ったペットボトル」になるし、コーラを入れると「コーラの入ったペットボトル」になる。何者でもない故に何者にでもなることができる。無限の可能性をもつなどといえば聞こえはいいが、それ自体では無個性な存在。それを知人は「容れ物」と評したのだろう。仮に最初から砂糖や塩が入っていれば、何を加えようとも砂糖味や塩味になる。ここで砂糖や塩で例えられるものは、人間でいうと個性であり、我々の個性を形成するのは、各人の思いだったり、欲望だ。そうすると、それらを持たない俺もまた「容れ物」なのではないだろうか。ふとそんな不安に駆られることがあった。

 

部屋の掃除を終えた後、服を着替え、ランニングをすることにした。これは唐突な思いつきだった。先ほど風呂に入ったとき、鏡を見ると薄汚い肥満男が写っていた。瞬間これが俺であるはずがないと思う。しかし、俺が右手を上げると同時に、鏡の中のデブは左手を上げ、左目を閉じると、右目を閉じたため、おそらく俺自身が薄汚い肥満男なのだろうと結論づけた次第だ。

別に1日走っただけで痩せることはないし、痩せたところで何かいいことが起きるわけでもないが、薄汚い肥満男であるよりは、健康的に痩せた男である方が、未来が明るくなるように思われた。俺は重たい身体を揺らしながら走る。久しぶりの運動の割には、存外速く走れるのが嬉しかった。

道路は珍しく渋滞しており、歩道からは車内の様子が見渡せた。気難しい顔でハンドルを握っているサラリーマンや後部座席の子どもをあやす母親。泣き叫びながら運転手の男を叩き続けている女もいる。交差しない無数の人生と無数の宇宙がそこにあるなどと偉そうなことを考えていた罰は、すぐに当たった。

国道沿いにある繊維工場を右に曲がった瞬間、右ふくらはぎが自分の意志とは全く無関係な痙攣を起こした。激痛が走り、俺はその場で立ち尽くす。どこかで足を伸ばさねばならない。ふくらはぎの内側にある筋肉を思い切りつねり上げられているような痛み。それは時間の経過とともに薄れていくが、完全に消え去ることはなかった。折り悪く雨が降るなかを、俺は半ば片足を引きずりながら歩いて帰った。

 

足を痛めたことで、鍋を買いに行くというミッションは当初より一気に難易度が上がった。今日1日は、まともに歩くことは叶わないだろう。しかも約束の時間は迫ってきている。人生がうまくいかない。俺はいらいらしながら家具店に向かった。

味気ない一本道を歩く。人が歩いたところが道になるケースもあるが、この街はその逆で、支配者がまず道をつくり、そこを人に歩かせている。人が歩くことによりできた道ではないから、どことなく無機質で、歩きにくかった。道は適度に曲がりくねっている方がいい。そう思った。

20分程歩くと、目的地の家具店に着いた。だだっ広い店内。神に挑むことを途中で諦めたような高い天井。ここから最適な鍋を探し出すのは至難の業ではないかという暗い予感は、まんまと的中した。鍋が売られている一角には、大小様々な土鍋が陳列していたが、俺が求めているのはこういう鍋ではない。こんな鍋でしゃぶしゃぶをするとなると、ミニコンロなどない俺の部屋では、冷める度に台所で加熱し直さなければならない。プラグをコンセントに差し込むことで加熱を継続することができるタイプの鍋が、俺には必要だった。が、なかなか見つけられない。待ち合わせ時間は刻一刻迫ってきている。しかも、食材と酒を買うというタスクがまだ残っている。俺は再びいらいらしてきた。

目当ての鍋を探し当てたのは、店に入って30分ほどたった頃だった。それを持ってレジに向かっていると、パウダービーズが詰まった大きなクッションが目に入る。なんでも「人をダメにする」がコンセプトで、売れ筋の商品らしかった。そこで、後輩が座る椅子が部屋にないことに思い当たる。俺は踵を返し、折り畳み式の座椅子も小脇に抱えた。なんでこんなことまでしているのだろうか。わからなかった。会計は1万円を超えていた。

 

帰り道は苦行だった。重い荷物に、痛む足。冬が迫っているのに、額には汗が滲む。俺はぜいぜい息を吐きながら、往路の約倍の時間をかけて、ようやくマンションにまでたどり着いた。

久しぶりに重たいものを持った腕は、悲鳴を上げていた。腱鞘炎の一歩手前とでもいうべきか。なんでこんな痛みを感じなければならないのかわからず、三度いらいらしてくる。部屋に上がり込むなり、座椅子を床に、鍋をベッドの上に放り出した。鈍い音が鳴り響く。俺は何も持たず、手ぶらで、立ち尽くしている。

シャングリラ2(fiction)

(1)

子どもの頃から勉強が大嫌いだった。特に算数。どこでつまずいたかははっきりしている。分数の足し算だ。わたしはいまだに1/2+2/3とかの計算ができない。どうやっても3/5以外の答えが思い浮かばないのだが、おそらく間違っているのだろう。分数の計算みたいな誰もがたやすくできることでつまずいてしまうと、そこから先の勉強にまるっきりついて行けなくなった。皆ができることができないことに劣等感も多少はあったけど、小学校ぐらいの頃は勉強をしないというのがある種のステータスにもなっていたから、授業中もある種の優越感を味わいながら寝ていた。

 

今思うと家庭環境にも問題はあった。お父さんには生まれてから一度も会ったことはないし、お母さんもわたしと同じで勉強が大の苦手だったから、わたしに勉強を教えることができなかった。そもそもお母さんは仕事や男遊びで家にいないことが多く、わたしはいつも狭い部屋で放課後の長い時間を一人で過ごしていた。幸せでありふれた一般の家庭と比べると、確かに不幸な家庭だったと思う。

 

義務教育とかいうので中学校は卒業できた。でも、わたしの学力で入れる高校というのはなく、周りの同級生が高校に行くなか、わたしと仲の良い友人の何人かは宙ぶらりんな生活を始めた。友人の中には援助交際をしたり、風俗で働いたりして荒稼ぎする子もいたけど、わたしにはそんな仕事で大金を得てまで買いたいものもなく、相変わらず家でダラダラ漫画を読んだりゲームをする日々を過ごしていた。お母さんが交通事故で死ぬまでは。

 

バイト先で出会った先輩と同棲するようになって、妊娠した。17歳のときだった。彼は「結婚はできない。堕してくれ」と頼んできたけど、どうしても生みたかった。自分の中に新しい命があるのにどうしてそれを殺すことができる。どんなに小さくてもそれは「ラン」とか「イデンシ」とかいう味気ないものではなく、わたしの子どもなのだ。生まれてくる前からわたしは名前を決めていた。大好きな漫画の主人公と同じ名前。彼のように頭のいい子になって、わたしみたいに勉強で苦労してほしくない。

ライトは祝福されて生まれてきた。

 

(2)

結局ライトの父親とはうまくいかなくなり、別れた。最後まで籍は入れていなかったから正しい呼び方ではないと思うけど、周りが「モトダン」って言うのを、いちいち否定することなく流していたら、いつの間にかわたしもそう呼ぶようになっていた。

 

「実はモトダンとの間に子どもがいて…」

と言ったとき、トモヤくんは少しもいやな顔をしなかった。

トモヤくんとは友達の紹介で知り合った。彼女を欲しがっているということだったし、わたしもライトと2人きりの生活に心細さを感じ始めていた頃だったから、会って話してみることにした。口数は少ないが優しそうな人だった。

「今度ライトくんにも会わせてくださいよ」

そう言う彼とまた会いたかった。

4回目のデートのとき、トモヤくんから交際を申し込まれ、自然な流れでわたしたちは付き合うことになった。その後はライトも交えて何回も3人でデートした。ライトはトモヤくんによく懐くし、トモヤくんもライトのことを可愛がってくれる。トモヤくんとなら幸せになれる。そう思った。

 

就職を機にトモヤくんは会社の近くに引っ越し、3人で暮らせる部屋を借りてくれた。トモヤくんの会社の給料はお世辞にも高いとはいえず、生活は決して楽ではなかったけど、毎日3人で夜ご飯を食べられるのが幸せだった。トモヤくんは毎日ビールを1本だけ飲む。普通のときは発泡酒。少しいいことがあったらスーパードライ。わたしが昼から煮込んだおでんの大根を頬張るライトとトモヤくん。わたしたちは紛れもなく家族だった。

 

ただ、自分から結婚してほしいとは言い出せなかった。女から結婚を迫るみたいな話はあまり聞いたことがないし、トモヤくんに変なプレッシャーをかけたくなかったからだ。でもやっぱり結婚したかった。彼のことが好きだったいうのももちろんあるけど、もう一つ理由があった。ライトのことだ。

ライトはもうじき5歳になる。普通なら保育園に行く年齢だ。でもわたしが収入の安定しないシングルマザーのせいで、これまでずっと保育園に行かせてやれなかった。もしトモヤくんと結婚したら、ライトに外の世界を見せてあげることができる。そんなことを考えていた。

トモヤくんが結婚を考えるようになってくれた直接のきっかけは、わたしの妊娠というありふれたものだった。わたしとトモヤくん、そしてライトは抱き合って喜んだ。幸せな未来しか見えていなかった。

 

(3)

身体の調子が優れないから、産婦人科で診察してもらった。診断結果を伝えに来た女医さんが神妙な面持ちをしていたことまでは覚えているのだけど、そこから先の記憶は曖昧だ。あまりに辛いことが起きると、記憶の断片が失われるというのは本当だった。どうしてよりによってわたしが。ちゃんと健康にも気を使って生活していたし、食事も身体にいいものを毎日食べていた。無数の「どうして」が頭の中で渦巻く。

なんで妊娠するのは女なんだろうとふと思った。妊娠するのが女である以上、死産するのももちろん女だ。男は妊娠もしないし、死産もしない。ただ種をばら撒くだけ。そんな当たり前のことがどうしようもなく不公平に思えた。トモヤくんは中絶のための手術代を出してくれたし、一緒に悲しんでもくれた。でもそれだけだ。わたしが感じている「ほんとうの」悲しみや喪失感や罪悪感は、男のトモヤくんには絶対にわかりっこない。わかってもらいたくもない。

子どもができたとき、「これでトモヤくんはわたしから逃げられない」という気持ちが心に浮かんできたから、なんとなく後ろ暗くなってすぐかき消した。でも、今になってみると、それぐらいのこと思ってもよかったじゃんって思う。そんな思いをかき消していい人間であろうとしても、こうやって死産するんだったら、かき消すだけ無駄だ。

もう何もかもどうでもよくなっている。トモヤくんとのことや、ライトのこれからのこと。考えなきゃいけないことはたくさんあるけれど、今は何も考えたくない。

 

別れを切り出してきたのはトモヤくんからだった。わたしからしたら些細なことでいつものように喧嘩になって、「もう我慢できへん。出て行ってくれ」と言われた。800円の買い物をお釣りのでない千円分の商品券でしただけだ。まあ、うまくいっているときからわたしはこういうミスが多くて、そのたびにトモヤくんを苛立たせていた。それが一線を超えてもう耐えられないと本気で思ったのか、単に別れるきっかけを探していたのかはわからない。算数ができない人間には本当に苦労が多い。

出て行けと言われたんだからもう出て行くしかない。ここはトモヤくんの家だし。でも、一体これからどこに行けばいいんだろう。わたし一人だったらなんとでもなるけど、ライトがいる。わたしの宝物。わたしに出て行けということは、ライトも出て行けということだ。トモヤくんはひどい。ライトが君に何をした。この言い分がわがままで身勝手で独りよがりなことは、わたしが一番わかっている。トモヤくんとはいい思い出もたくさんあるし、感謝していることももちろんある。でも、彼がライトを路頭に迷わせたというただ一つのことだけで、彼を一生恨める気がした。

部屋を出るとき、トモヤくんはわたしには何も言わず、ライトにだけ「またな」と声をかけた。ライトは黙ってただうなずいていた。

マンションを出たわたしはライトの手をしっかりと握る。何があってもこの手を離さない。そう誓った。

シャングリラ(fiction)

(1)

「次いつ宅飲みするんすか?」

「まあ、いつでもいいっすよ。でも部屋が散らかってるんでね、掃除をしないといけないのが面倒ですわ」

夜勤終わりの後輩に聞かれ、俺はそう答える。古びた事務所の中。床は黒ずみ、椅子はガタ付き、そこら中に書類が散らかっている。眠い、朝だから。

 

「そんなこと言っておきながら、僕が行くってなったら、楽しみになって、部屋もめっちゃきれいにするんじゃないですか」

見透かしたような切れ長の目で彼は言う。まあ、当たらずとも遠からずというところだ。一人で暮らしている分には、部屋を掃除する必要というのはほとんど生じない。布団の上でほとんどの用を済ますことができる以上、埃もさほど舞わないし、舞ったとしても気にしなければいいだけの話だ。誰かが来訪する段になって、虚心に眺め渡すと、たいそう散らかっている(汚れているのではなく)ことに気がつき、掃除に取りかかる。別に知人の来訪を楽しみにしているわけではない。部屋を訪れた彼らに引かれたくないから、一応片付けておく。それだけのことだ。

 

「ちょっとおもろい話があるんすよ、〇〇さんの家行ったとき話しますね」と言う後輩は、また何か女関係でやらかしたのだろう。彼は社内で気に入った女子社員がいると、先輩後輩問わず積極的にアプローチする。俺の見る限り、あまりうまくいっている様子はないが、決してへこたれない。次から次へと声をかけている。俺たちが列をなしている客に向かっていつも言い放つ台詞「Next !(次の方!)」をそのまま座右の銘にしているかのようだ。そんな自分とはまるっきり異なった性格の後輩と、俺は不思議と気が合った。彼がなぜ俺を慕っているのかはわからないが。

 

「なんかいい知らせがあるんすか?」

「いや、悪い知らせです」

「どうせ自分がまいた種でしょ」

そう言うと、後輩は苦笑いしたように見えた。

そうして後輩は退勤時間を迎え、俺は始業時間を迎えた。

 

(2)

その日は仕事が休みで、俺はいつもの休日と同じように怠惰な朝を過ごそうとしていた。遅くに起きて、テレビを見ながらまずいコーヒーを飲む。テレビのつまらなさに気づいたら、YouTubeを見る。眠くなったら再び布団に潜り、気がついたら午後3時になっていて落胆するいつも通りの休日。そんな休日を過ごせるという、全く淡くない筋金入りの期待は、昼過ぎに入った一本の電話により脆く崩れ去った。

 

「今、仕事終わったんですけど、宅飲みするの今日の夜でいいすか」

タクノミ?宅飲み?ああ、そんな話もしてたなとそこで思い出す。今日飲みたくて仕方がないというわけではないが、断る理由も見当たらない。俺は了承を伝えて、電話を切った。今夜は鍋を食おうと思った。そのために鍋を買おうと思った。

 

予定が入ると、人生は音を立てて動き出す。俺は布団から起き上がり、ベランダの窓を開けた。冷たい空気が部屋に流れ込み、それと同時に数日間部屋に溜まっていた淀みがのろのろと外を吐き出されていく。部屋に吹き込む気持ちのいい風が床の埃を舞い上げるなか、俺は久しぶりに掃除機をかけた。

 

散らかった部屋には不要なものが溢れていた。何ヶ月も前の公共料金の請求書から、就職試験のときに使用していた参考書まで。それらを全て処分すると、部屋はなんとも無機質な空間となって、俺の前に現前した。座禅を習慣としている知人が以前この部屋を訪れたとき、「こんな部屋ではいい"座り"はできない」などと言っていた意味が、今になって少しわかったような気がする。当時は部屋をきれいにしなければ悟らないのなら、悟らなくていいと思っていたし、今にしたって悟りの境地に至りたいという願望はないが、座禅を組んで無みたいなものと向き合うのなら、目の前の風景はできるだけ整頓されていた方がいい。まあ、俺には関係のない話だが。

 

(3)

スーパーで鍋の具材を買って帰ると、後輩はすでに一人で部屋に座って缶ビールを飲んでいた。「遅くなるかもしれないから、郵便受けに鍵を入れといた。俺がいなかったら勝手に入っといてください」と言ったのは自分だから、驚きはしない。でも、なぜか「ほんまに勝手に入ってるやん」と思う。俺が逆の立場なら入るだろうか。多分入らない。まして勝手に酒を飲むなどしない。「育ちの違い」の一言では片付けられない大きな隔絶がここにはある。そんなことを考えながら、俺は冷凍庫で冷やしたグラスを後輩に差し出した。ビールは缶で飲むよりグラスに入れた方がうまいからだ。グラスが冷えていると、なおよい。

 

「実は僕、女と同棲してたんすよね、もう別れたんですけど…」と後輩が話し始めたのは、我々の会話が途切れたためだけではなかった。そもそもの事の成り行きからして、彼はこの話をするために今ここにいるのだった。

 

後輩には入社する前から同棲していた恋人がいた。一歳年上の中卒の女。女は別れた旦那との間にできた子を連れていた。後輩は女との快楽のために二十歳そこらで血の繋がっていない子どもから「パパ」と呼ばれる人生を選んでしまう。当初はうまくいっていた。血の繋がりはないとはいえ、毎日一緒に過ごしていたら、愛情は湧く。おもちゃを買ってやったりしたし、手を繋いで遊園地にも行った。決して派手ではないけれど、慎ましやかな幸せがそこにはあった。

もちろんそんな日々は長続きしない。恋人が別れた旦那に多額の借金をしていたことがわかると、後輩はそれを肩代わりし、毎月の少ない給料を返済に充てた。こうなると次第に、子育てのためとはいえ働きに出ない彼女に苛立つようになってくる。大体、連れ子はもう保育園に入る年齢なのだ。

後輩が乗り込んだトロッコはしかし、暴走を止めない。彼女は後輩の子どもを身ごもっていた。

 

「じゃあ結婚することを考えてたんですか」

俺はくたくたになった白菜を頬張りながら聞く。

「そりゃ、考えますよね、さすがに子どもできてるし。でも彼女、死産しちゃったんですよ」

「え」

部屋の空気が固まる。純度100パーセントの沈黙が流れる。俺はかけるべき適切な言葉を探す。頭の中にはない。部屋の隅にも言葉は転がっていない。なにせ、この部屋は掃除したばかりなのだから。

俺は数秒の沈黙の後、「いろいろ大変でしたね」とだけ言った。

 

毒にも薬にもならない言葉だと思うが、不用意な一言で相手を傷つけたくなかった。本当は「荷物は少ない方が生きやすいんじゃないですか」と言いたかった。どこかの歌手も「手ぶらで歩いてみりゃ楽かもしんないな」と歌っているじゃないか。若く、金もない君が借金を抱えた女や血の繋がっていない連れ子に加えて、小さな命まで背負って生きていくことはない。そんな必要はどこにもない。偉そうにも、年上というだけで、俺はそんなことを考えていた。

 

後輩と同棲していた女に対しては、あまりいい気はしなかった。別れた旦那との間の子を連れた中卒の女。多額の借金も抱え、ついには後輩との間に子を身ごもった、数え役満の女。現実には存在するとは思っていなかったそんな女が後輩の人生に現れ、彼に消せない負い目を残して去って行ったことを思うと、無性に腹が立った。

 

「〇〇さんこの前僕が悪い知らせがあるって言ったら、『どうせ自分がまいた種やろ』って言ったじゃないですか。僕あのときうまいこと言うなあって思ったんですよね。まさに自分のまいた種で起こったことじゃないですか。もしかして知ってました、この話?」

俺の感情をよそに後輩はヘラヘラしている。安心した。安心ついでに後輩に彼女と別れた時期を尋ねると、思いのほか最近だった。ということは彼が職場の女子社員に熱心に声をかけ、食事にこぎつけた頃、まだ彼は中卒の女と付き合っていたことになる。そのことを指摘すると、後輩は「まあ、いろいろ目移りするじゃないですか」とおどけ、俺は爆笑した。後輩がわかりやすいクズであることが嬉しかった。

 

別れ際、申し訳程度に鍋の食材や酒の代金を払おうとする後輩の申し出を俺は言下に断った。遠路はるばるやって来て面白い話を聞かせてもらった上に、金まで要求できないだろう。それに、彼も来る途中につまみをコンビニで買ってきてくれていた。結局手をつけなかったから、明日以降の俺の晩酌に供されることになる。つまみの他は何も持って来ていなかった後輩は、手ぶらで夜の闇に消えていった。