玉稿激論集

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代筆業(fiction)

 客に泣かれたときにもらい泣きをするのも仕事のうちだ。
 目の前にいるのは中年の女。ハンカチーフで目頭を押さえているものの、涙は止め処なく流れている。俺もひとまずメモを取る手を止めて、涙の訪れを待つ。
 夫を亡くした妻の気持ちを想像するのは初めてではないから、「紫の思い」を作るのに大して苦労はしない。というか、別にこの場で泣くだけなら、新たに作る必要もなく、脳の引き出しにストックされている過去の紫の思いを取り出して涙を目頭に呼び込むーこの業界では「使い回し」と呼ばれるーことだってできるのだが、俺はあまりそれを好まない。類似事案があるとはいえ、客が吐露しているのはー非常にロマンチックな言い方をするならばー世界でたった一つの思いであり、どこまでいっても過去のサンプルでは代用できない面があるからだ。加えて、サボり癖がついてしまうのもよくない。使い回しをやり過ぎて思いを作ることができなくなった同業者を何人も見てきた。それに、客から金をとっているのに使い回しをするのはなんとなく気が引ける。まあ、俺なりの職業倫理ってやつだ。
 女から聞いた故人の生前のエピソードをできる限り鮮明に脳内で想像する。子煩悩で、いつも家族を第一に考えてくれていた優しい夫。食卓はいつも笑いが絶えなかった。
「どんなに面白い番組をやっていても、ご飯のときはテレビを消すというのが我が家のルールだったんです。ルールと言うのも変ですね。習慣かな。そうするのが当たり前だったし、誰もそれを嫌がっていなかったから」
テレビのついていない食卓。笑いが絶えない食卓。どちらも俺には経験がないものであり、想像するのに難儀するが、丁寧に情景一つ一つを描写していく。そこには何が並んでいただろうか。イマジネーションを駆使する。大皿には豚の生姜焼き。横にはキャベツがどっさりと盛られている。炊き立てのご飯と煮干しで出汁をとった味噌汁。
「あのね、今日よっちゃんがね…」
末っ子の娘がその日学校で起きた出来事を話すのを微笑みを浮かべながら聞く父と母。年頃の兄だけは黙ってせっせと生姜焼きを口に運んでいる。幸せの象徴そのもののような家庭の原風景が脳内に完成する。何とも汎用性の高そうな赤の思いだ。
 しかし、幸せの終わりは突然訪れる。
「いつもと同じように『行ってらっしゃい』と言ったのが最後で…」
歩道に突っ込んできた大型トラックの運転手は癲癇持ちだった。事故に遭った夫は植物状態になる。
「そのまま死んでいたらどうだったんだろうって思うんですよね。今ほど辛いは思いはしなかったかなんてね」
俺にも経験があるからわかる。肉親が植物状態になると、残された家族は宙ぶらりんになってしまう。免許証の裏に臓器提供に同意する旨が記されていても、なかなか踏み切れないものがある。だってもしかしたら目覚めるかもしれないのだから。
「夫がああなってから結局亡くなるまでの2年間、本当に色々なことがありました。家族は空中分解。娘も息子も以前とは全く変わってしまっています。私たち家族は夫によって支えられていた。彼がいなくなる前からその有り難みには気付いていました。だから日々感謝を告げるようにしていたし、どんな些細な行き違いであっても、しっかり話合いをして解決するようにしていました。別れはいつ訪れるかわからないから、後悔をしないように。でも、もう夫に会えなくなった今、私の心に浮かぶのは後悔ばかり。なんであの時あんな風に言ったんだろうとか、もっとこうしたらよかったんじゃないかとか。そもそも私が彼に買い物を頼まなければ、彼は事故に遭ってないですしね…」
 救いのない話だ。仲の良い同業者に聞いたところによると、多くの代筆屋はこういう話からそのまま紫の思いを作り、涙を流すらしいが、俺はどうにもそれができない。客により屢々持ち込まれるこの類の何の救いもない話を聞かされると、まず何より怒りが先に立ってしまうのだ。自分が何に対して怒っているのかはよくわからないが、ただただ「ふざけんなよ」と思う。全く、この世界では神も仏もないような事象が同時多発的に頻発している。何の落ち度もない人々が割の合わない悲劇に見舞われている。仮に神みたいな存在がいるとするなら、そいつを思い切りど突いたうえで配剤の下手さ加減について懇々と説教をしてやりたい。青の思いだ。
 幸せだった時代の赤の思いと客が理不尽な事態に巻き込まれたことに対する青の思いを混ぜ合わせると、目当ての紫の思いが完成する。同僚からはいつも「丁寧な仕事ぶりやな」と皮肉られたり、より直截に「三度手間やん」と言われるが、これが一番確実な方法なのだ。傍らのティッシュペーパーに手を伸ばし、涙を拭う。このとき肝要なのは、客より多くの涙を流さないことだ。新人が一番苦労するのはこの点で、客に感情移入するあまり、客よりもズルズルになってしまう者が散見される。客が引くようではいい仕事はできない。
「すみません、お話を伺っているとつい…。私が泣いてどうするんだって話なんですけどね」
「いえいえ、とんでもございません」
女は自分の悲しみが赤の他人に共有されたことに安堵していた。
 話し終えた女を見送りながら、俺は頭の中で文章の骨格を組み立て始める。

 当然のことだが、客に共感して七色の思いを作るのが代筆屋の本業なのではない。聞いた話をある一定程度以上の長さの文章に纏めて客に提供する。それが俺たちの主だった活動だ。
 正式名称が代理筆記官であることからも分かるように、特別職の国家公務員がこの仕事に従事している理由は、長い文章を読んだり書いたりすることができる者殆どいなくなったこの国にあって、俺たちの持つ能力はある種の公共財とみなされているからだ。
 ソーシャル・ネットワーク・サービスが発展し、誰もが思いついたことをその場で発信できるようになったことには好ましい面もたくさんあった。それまで声を上げることのできなかった人々の声が掬い上げられるようになり、社会は良い方向に変革したし、埋もれていた才能が発掘される機会も大幅に増えただろう。しかし、隆盛が臨界点を超えたとき、長文を書くことが叶わない者たちが大量発生していた。当初はこれといった不都合もなかった。日常生活で長い文章を書く機会など殆どないのだから。
 だが、全てを短文で纏め切れる程人間の感情なり思考なりというのは単純なものではない。「私が『本当に』言いたいことが書けていない」。そんな思いを抱えた奴らが救難信号を発し始めた。太古の昔に「言葉にならない」という歌詞が流行ったのを本歌として、「文章にならない」が流行語となった。   
 思考でも感情でもそれが頭の中にあるときはまだ体を成していない。書くことによってほつれた糸屑のような思いを丁寧に解き明かせる。人々はそんな当たり前のことに漸く気づいた。140文字までなら何でも好きなことを書いてもいいと言われても、何を書いていいのかわからない。何も考えてないわけではないのに。もどかしさに発狂する人が続出した。発散されない思いの量が脳のキャパシティをはるかに超えたのだ。
 それだから、代筆屋の需要が高まったのは時代の必然だった。文章にならない思いを抱えた連中は朝から役所に列を成し、代筆屋を前に延々と喋り続けた。大切な人を亡くした悲しみを語る者、恋人の愚痴をこぼす者、仕事の悩みを吐露する者。そんな者たちの脈絡のない話を俺たちはリーダブルな文章に纏め上げる。一件につき手数料四千円。通常より長い文章を希望するのなら、八千円。高いのか安いのかはわからない。
 どうして自分に代筆の能力が備わっていたのかはわからない。というか、そもそもこんなのを「能力」などと呼ぶのはおこがましくさえ思える。勿論特別な訓練を積んでなどいない。太古の昔には「作家」という職業があり、彼らにより編まれる「本」にはそれはもう長い長い文章が書かれていた。彼らは俺など比べ物にならぬ程の天賦の才に恵まれていたと思う。本を書く者がいて、それを普通に読める者がいた時代など、今からは想像もつかないが。
 俺が書いてきた文章は長さにして大体二千字から三千字。すらすらと書けることもあれば、一日中唸っているだけで何も進まないことだってある。出来上がったものを見せると、大抵の客は大喜びする。「これが私の言いたかったことなんです!」などと涙を浮かべる者さえいる。悪い気はしないがマジかよとも思う。だってたったの三千字かそこらの文章だ。読み終わるまで五分とかからない。お前が抱えていた思いってたったのこれだけなのか。お前が愛する家族やら友達やらと過ごした時間は数十年に及ぶというのに。客を怒らせてもいいことなど一つもないから勿論口には出さないけど。
 同じことは自分にも言える。プライベートでも日々の雑感を書き残しているが、書き終えたものを読むといつも「自分が思っていたことはたったのこれだけだったのか」と愕然とする。そこには「文章にならない」思いなど残されていない。目一杯書いてあの長さなのだ。こんなのでよく売文稼業が務まっていたなと苦笑してしまう。

 今の仕事にはそれなりにやり甲斐を感じている。自分の能力を活かして他人を喜ばせ、しかもそれで金まで貰えるというのは、結構有難いことなのだろう。でも、自分がやっていることがしょうもないママごとのような気がしてならない瞬間が時に訪れる。この感覚は説明するのが難しい。ガキの頃やっていたごっこ遊びをこの歳になってもまだやり続けているような感覚というか。ママごとをしているのは俺だけじゃなく、全員だ。皆真面目な顔をして働いたり、勉強したり、ガキを育てたり、結婚したり、離婚したり、葬儀に参列したりしているが、それら全てが巨大なキッザニアで行われているような感覚といえば少しはわかってくれるだろうか。
 この仕事を辞めて次に何をするかはまだ決まっていない。金もある程度貯まっているし、一年ぐらいはゆっくりするのもいいかもしれない。

 代筆業の歴史なんて研修で何度も聞いたはずだろうに、嫌な顔一つせず耳を傾けてくれてありがとう。思いの作り方は最初に説明した通りだ。それじゃあこれで失礼する。出来上がりを読むのを楽しみにしている。

(担当官による付言)
 申請人は代理筆記官として当庁に勤務していたものであるが、今般退職を願い出た後プライベートで来庁し、今次申請に及んだものである。上記記録は申請人との面会後に本職が作成した代理筆記録であるが、申請人からの退職願を受理するか否かの判断をするに当たって、いくつかの補足が必要と思われるため、以下で申請人に対する本職の所感を述べる。
 第一に、申請人がこれまでに作成した代理筆記録について。当庁の保管記録フォルダに格納されている申請人作成の代理筆記録を確認したところ、申請人が代理筆記官としての適性を備えているとは認められなかった。例えば、申請人の最後の仕事と思われる「友の門出に際して」と題されたそれは、情景描写が非常に粗雑である上、作為が感じられて鼻につく。代理筆記歴一か月の本職から見ても、申請人の仕事ぶりは目を当てられるものであるとは到底認められない。
 第二に、申請人の生に対するスタンスについて。上記記録のとおり申請人は生を「ママごと」と捉え、自己のみならず懸命に生きている他人までも当該「ママごと」の参加者とみなしているものであるが、かようなスタンスを持っていることは、業務を遂行するに当たっては人々の思いに寄り添う必要がある代理筆記官には甚だそぐわないものであると思われる。
 第三に、法第一条に規定されているとおり、代理筆記官はいついかなる時も沈黙を保ち、必要最小限以上は話してはならない。然るに、申請人は自ら本申請に及んだ上で、上記記録からもわかるように面会時も必要最小限以上は話していないとは到底認められなかった。
 以上より、申請人は代理筆記官としての資質に著しく欠けるものであるから、当国から代理筆記官が一人減少する損失を勘案しても、申請人からの退職願は受理やむなしと思料するが如何。