玉稿激論集

玉稿をやっています。

Money(fiction)

「ええんやな、ほんまに」
「今ならまだ後戻りできるんやで」
断るなんて微塵も思ってもいないくせに、いちいち念を押してくる山崎に隆義は苛立ちを覚える。しかし、顔には出さない。黙って頷き、拳銃の動作の最終確認を続ける。
 シノギの関係で以前大阪に暮らしていた山崎は奇妙なイントネーションの関西弁を話し、組の連中から屢々からかわれているが、治る気配はない。
「ほんま、全国どこ行っても関西人が幅を利かせとって、嫌んなるわ、ほんま」
以前山崎は嘆いていたが、これでは真実の一面しか語ったことにならない。確かに関西出身者は郷に入っても郷に従わないで、所構わず関西弁で話しているし、生来の「いちびり」ぶりを遺憾なく発揮して各地でそれなりの地位についているように見受けられるが、実はこの国で耳にする関西弁の半分は山崎のような非関西出身者によるものであり、しかも彼のような所謂エセ関西人が全国で跋扈している実態はあまり知られていない。彼らは近畿地方に住んでいる間に培った稚拙な関西弁をネイティブ関西人同様に所構わず喋って回り、各地で関西人の評判を下げるのに余念がない。しかし、彼らだってそうしたくてしているわけではない。
 一度行ってみればわかるが、部外者からすれば驚くほど、関西では皆が、まさに老若男女が関西弁を話している。もし疑っているのなら、市営のバスにでも乗ってみればいい。「今朝な、オカンがな…」と話す小学生から、友人の話に「せやねん!」と相槌を打つ主婦、先輩に対して敬語のつもりなのか「〜してはります?」などと尋ねる若いサラリーマンまで、四方八方から関西弁が聞こえてくる。田舎から出てきて、かような環境に何年か身を置くと程度の差こそあれ、関西弁に「染まって」しまうのは無理からぬことだろう。だから、「やっとらん」と言っていたのを「してへん」と言うようになったり、「来ない」と言っていたのを「けえへん」と言うようになったり、不条理な事態に「なんでやねん!」と対応したりするようになるのを、本当は誰も責められないはずなのだが、エセ関西人に対する世間の風当たりは屢々冷たい。ネイティブからは「イントネーションがおかしい」と詰られ、地元に帰れば「関西に染まった」などと揶揄される。自ら住み着いたわけでもない者からすれば、「こっちだって好き好んでそうなったわけちゃうねん!」とでも言い返したいところではあるものの、そのツッコミまでもが既にして関西弁になっているのを言っている当人は気付いていない。
 山崎もそんな典型的なエセ関西人の一人ではあるが、まあ、それはさておき。
 
 結局この世界に戻って来てしまった。隆義は心中で嘆息する。
 ヤクザとして組のトップに昇り詰める才覚がないのはわかっている。そもそもヤクザであろうとカタギであろうと、トップが備えておくべき資質に大差はないはずだ。政治力に財力。そしてときには憎い相手だろうと頭を下げるスマートネス。仲間さえも犠牲にする冷酷さ。それら全てが自分には欠けている。だからこそ、裏社会でも、カタギの世界でも半端者にしかなれなかった。
 154,586円。ハローワークで紹介された警備員のアルバイトの月給は妻と幼い息子を食わせていくにはあまりにも少ない。ヤクザをしていたときの方がはるかに羽振りはよかった。確かに手にしていたのは汚れた金だったかもしれない。行きつけの居酒屋からみかじめ料として徴収した五万円や、土建屋の社長から不倫の口止め料として巻き上げた数十万円よりかは、現時の地道な労働によって得た金の方が尊いというのは、確かに事実だろう。でも、当たり前のことだが、どんなに汚れていようが金は金なのだ。それだけあれば美味いものを食えたし、今よりも断然マシな部屋に住むことだってできた。
「誠意いうんなら、こんなシケた金出すのをやめんかい!」
相手を恐喝するときの決まり文句を隆義は今の自分に投げかける。誠意や気持ちなんていう抽象的極まりないものを金は目に見える形で具現化してくれる。金額と思いやりは正比例するのだとしたら、おれはー。
 特売品の野菜しか買わなかったのは、隆義なりに家計を思っての行動ではあった。それでも、タイムセールに群がる主婦を掻き分けて目当ての品を袋に詰める自分の姿を俯瞰で眺めたときに、「おれがいるべきなのはやはりここじゃない」と強く思った。ではどこに行くのかと問われても、答えは出ない。しかし、腐ったエノキを手に涙を流す由美を見て、決心がついた。とにかくあいつの前に叩きつける大金を手にするまでは帰れない。
「とにかく金がいるんです」
恥を忍んで戻った組事務所でそう告げると、今や若頭になった山崎は何も言わず一枚の写真と拳銃を差し出してきた。隆義はいつの間にかそれが癖になった嘆息を小さく洩らす。
「三百万でどうや?」
 
 拳銃を向ける隆義に対して、相手は心からの命乞いをしてきた。
「頼む、殺さんとってくれ!!」
銃器は決定的な殺傷能力を備えているゆえに、それを持つ者と持たざる者の間に明確な力関係を生み出す。どんな屈強な男であっても銃を構えた女子供の前では無力であるし、街を支配している権力者さえも、銃口を向けられると、隆義のような三下のヤクザの前に平伏すこととなる。
生への渇望を訴えたその目を隆義は直視できない。目を閉じたまま、引き金を引く。呻き声が聞こえるのは、まだ生きているからだ。何も考えずにもう一度引き金を引く。「二回撃つことでとどめを刺す確率は格段に上がる」という教えをただ忠実に守った。
 疲労感と虚脱感が一気に押し寄せる。罪悪感は時を置いてやってくるのだろう。しかし、何はともあれ、やりおおせた。これで由美と息子の亮太を当面食わせていけるだけの金が手に入る。
 自分も数分後に銃弾に撃ち抜かれることなど露知らず、隆義は雑居ビルの階段を足早に駆け降りる。